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「ア〜……ナマエ……」
「よ、よォ……ナマエ」
わたしが廊下でエンカウントしたのはボルサリーノさんと戦桃丸兄貴。うん、なんとなく彼らに遭遇する予感はしていた。にしてもこの二人、ものすごく挙動不審である。もう流れは大体察しているから、これ以上わたしの傷口に塩を塗りたくるような真似は避けていただきたいものだ。
「どうも、こんにちは」
「こんにちはァ〜……」
「あァ……」
「今日はどうしてこちらに?」
「エ〜……わっしはちょうど、マリージョアから戻ってきたところでねェ……」
「わいはパンク野郎の書類の受け渡しがあって……」
「お忙しいですね、お二人とも」
上の空でわたしの言葉に応答してくる、ボルサリーノさんと戦桃丸兄貴。非常に珍しい姿だ。これ、笑うところだろうか。
そのまま一言二言交わしたが、案の定会話も続かず、わたしたちの間にはしんと沈黙が降りてくる。ああ、わたしはもう覚悟をしているから、早いうちになんとかしてくれお二方。さっさと引導を渡してください。だがしかし、動かない二人。黙って見上げるわたし。静まり返る通路。い、居た堪れない……。
次第にわたしは耐え難くなり、「それじゃ、クザンさんのところへ向かうので……」と軽く会釈をして、この場を通り過ぎようとした――のだが。
「待て、ナマエ」
「うわ、はいなんですか」
ものすごい剣幕の兄貴に呼び止められ、思わずぎょっとして立ち止まる。彼はわたしの正面に立って謎に百面相しまくったあと、ようやく気を立て直したらしく、こちらに小さな包みを差し出してきた。
「……悪りィ。わいからの詫びだ。何も聞かずに受け取ってくれ」
「は……? はい、どうも」
見たところ菓子折りか何かだろうか。何を謝っているのかはなんとなく分かるとはいえ、兄貴……そこまで律儀にされると逆に辛いぞ。わたしが両手で受け取ると、兄貴はもう一度「すまねェ」と謝罪して傍を通り過ぎ、さっさと廊下の角を曲がって行ってしまった。
ぽかんと兄貴を見送るわたしに、ボルサリーノさんがおずおずと声をかけてくる。
「ナマエ、あのねェ〜……戦桃丸君は、というかわっしもねェ、色々君に失礼な真似をしたみたいで……反省してんのよォー……」
「……いえ、わたしこそすいません。どうも、色々勘違いを招いていたようで」
「あァ〜、もう知ってたのかい……」
ボルサリーノさんはそう言いつつ、困ったように頬を掻いた。このおじさんの方は兄貴ほどテンパってはいないようだけど、それでも常に無く大人しい。そして彼はおもむろにジャケットのポケットに手を突っ込み、わたしに手のひら大の封筒を差し出してきた。
「ごめんねェ、ナマエ……コレ、わっしからもお詫び〜」
「……なんですかこれ」
「小切手だよォ〜」
「はい?」
「ってのは冗談だけどねェ……んー、まァ引換券みたいなもんだから、使いやすいんじゃねェかとォ〜……」
いやいや……なんかこれ、受け取っていいものなのか不安なんだけど大丈夫だろうか。貰えるものは貰う精神とはいえ、ボルサリーノさんの基準って結構ぶっ飛んでるからなあ。一生かけても返せないほどのものとかだったらどうしよう。
というか海軍大将から謝罪の品を貢がせてるわたしの絵面やばくないか。怖すぎる。別にわたしは謝罪も物も何もいらないのだ。ただ、年齢を大幅に勘違いされていたのがショックなだけで。むしろここまで気を遣われると、虚しさは増す一方である。
「それじゃ、わっしはこれで〜」
受け取りかねているわたしに構わず、兄貴のくれた小包みの上に封筒を置きやって、ボルサリーノさんもあっという間に退散していく。彼の背の高い後ろ姿を見送りつつ、わたしはやはりぽかんと呆けてしまうのだった。
「よォ、ナマエちゃん。昨日はどうしたのよ」
さて、おそらく最もめんどくさい反応をしてくるだろうなあと判断し、入口の前で覚悟を固め、うな垂れたクザンさんの姿を予想して襖を開いた、のだけど。そこに居たのは、予想に反してやたら機嫌良く、自主的に仕事をするなんて似合わないことをしてしまっている笑顔のクザンさんであった。
「え、いや……ただの体調不良です」
「そうか? しかし珍しく元気ねェな……ナマエちゃん、まだ本調子じゃないんじゃないの」
「クザンさんこそ本調子じゃなさそうですけど」
「手厳しいな……んん? なによ、それ」
わたしが手に下げている菓子折りにクザンさんが反応を示す。妙に明るいクザンさんを不気味に思いつつ、わたしは小包みを持ち上げて執務机に歩み寄った。
「戦桃丸の兄貴から、何も聞かずに受け取ってくれと。ボルサリーノさんにも謎の封筒を頂きまして」
「あァ……ナマエちゃんの年齢の件でしょ」
「多分、そうだと思います、けど……」
おかしい。クザンさんの反応が薄すぎる。わたしが胡乱げな眼差しを向けていることに気づいたのか、彼は小さく笑みを浮かべて口を開いた。
「……おれか? ――いや、なァに……これでも驚いたし衝撃だったのよ。今まで散々ナマエちゃんを子供扱いしちまったし、正直なところを言えば、一生お前さんがおれ好みのボインねーちゃんになることはねェと分かって悲しかった」
「張っ倒しますよ。わたしの方が確実に500倍くらい悲しいです」
「あららら、悪ィな……。だが、おれァ気づいちまったのよ……」
クザンさんは含みのある口振りでにやりと笑う。絶対ろくなこと言わないぞ、このおっさん。
「そうだ、その年齢となりゃ……何年後と言わず、今すぐに手を出しても許されるじゃねェの……と」
「ふざけてるんですか?」
「そんなわけで今晩どうよ、ナマエちゃん」
「まじでいい加減にしてください。砕き割りますよ」
この年中セクハラ親父め、今までわたしだけは口説いてこなかったくせにこの強烈な手のひら返し、一体どうしてくれようか。いや、以前は一応このおっさんにも子供には手を出さないっていう常識が働いていたのだろうけど……というかいくら実年齢が判明したからって、今まで12歳そこらだと思っていた女でもオッケーなのかこの人は。自分の話だしあんまり言いたくないけど、それってもはやロリコ……じゃなくて、ああもう、呆れて言葉も出ないのだが!
「まァ、それは冗談なんだけどな」
「嘘つかないでください」
「……。まァ、さっきのはアレだ、欲が出ちまったが……ナマエちゃんがいっぱしの女ってことが分かって、色々制限が無くなったのは単純に嬉しいのよ」
「……はあ」
本気で嬉しそうに笑っている目の前のおっさんの姿に、わたしは深々とため息を吐き出した。……なんだかなあ。クザンさんがあまりにも通常運転なおかげで、全てがどうでもよくなってきたよ。
「……クザンさんてほんと、残念ですよね」
「そう言うな……つーかお前さん、いつになくテンション低いじゃないの。覇気がねェと言うか……本当に大丈夫か?」
クザンさんは書類にサインしていたペンを置いて、執務机の前に立つわたしを心配そうに見つめてくる。まあ確かに、わたしは割と普段元気な方だからなあ。クザンさんからすれば新鮮なのかもと思い、気遣いをありがたく受け取った。
「大丈夫ですよ。ほんとにこれ、大したことではないので……」
わたしがそう言いかけた途端、いきなり廊下をものすごい勢いで駆ける足音が聞こえてきた。わたしとクザンさんが同時に部屋の出入り口へ目を移した途端、スパン、と良い音を立てて開かれた襖。
「ナマエさん!!」
赤縁メガネと腰に携えた刀。たしぎ姉さんである。
「どうしたんです、たしぎね……」
「どうしたもこうしたもありません! ナマエさん、どうしてもっと早く年齢教えてくれなかったんですか! 知っていたらスモーカーさんとの同室なんて推奨しなかったのに……あ、でも思ってたより歳が近くて嬉しかったです! 一つ違いですもんね、えへへ……。ハッ! し、失礼でした、すみません! というかそんなことより、体調は大丈夫ですか!? ナマエさんが休むなんて、私心配して……」
「ちょ、ちょっとちょっと……落ち着きなさい。たしぎちゃん」
マシンガンのように喋り続ける、焦りに焦ったたしぎ姉さん。ガクガクと肩を揺さぶられて唖然とするわたし。そこに待ったをかけてくれたのは、慌てたようなクザンさんの声であった。
「え、あっ、青キジさん! す、すみません、ノックもせず……!」
「そりゃ構わねェが……どうしたのよ、ずいぶんな焦りようじゃないの。それとナマエちゃんも本調子じゃねえみたいだから、手柔らかにな」
「へ……ああっ、ナマエさん、ごめんなさい!」
たしぎ姉さんの揺さぶりは貧血のわたしにはかなり辛い攻撃だった。うーん、流石にふらふらする。ところで話題が出るたびに思うんだけど、襖はノックするものじゃなくないか? 畳に土足、襖にノックな海軍本部はどうかと思うぞ、わたし。
転倒しかけた体を支えてくれたたしぎ姉さんに、わたしは「お気になさらず」と呻き声を返す。すると執務机からこちらのやりとりを眺めていたクザンさんが、呆れ顔で話しかけてきた。
「つーか全然大丈夫じゃないでしょ、お前さん。スモーカーに外出止められなかったのか?」
「……止められました。最近過保護なんですよあの人」
「えっ、本当ですか! わあ、優しいスモーカーさんって怖いですね」
「たしぎちゃん容赦ねェな……」
「まあ普段が普段ですもんね。けどスモーカーさんは人が憔悴してるときは意外と優しいですよ」
そんな雑談を交わしつつ、わたしはふらつく体を立て直す。ようやく目が合うと、たしぎ姉さんはホッとしたような笑顔を浮かべてくれた。うーん、眩しい。たしぎ姉さんはいつでもソーキュートだ。
「それで、なんで慌ててたんです?」
これから数時間のうちはクザンさんのところに入り浸るのがわたしの日課なわけだし、いくらそそっかしいたしぎ姉さんとはいえ、ここまで焦って来る必要もなかった気がする。尋ねると、彼女は思い出したように相槌を打った。
「あ! そ、そうでした。ナマエさんが呼び出される前にと思って急いでたんですよ。間に合ってよかったです。えっと、海兵の皆さんが謝罪したいと……」
「その件についての謝罪はもういらないって言っといて下さい。というか呼び出されるって誰にです?」
「え、スモーカーさんから聞いてませんか? ほら、元帥がナマエさんに……」
たしぎ姉さんがそう言いかけた途端、いきなり廊下をものすごい勢いで駆ける足音が聞こえてきた。既視感を覚えつつわたしとクザンさんとたしぎ姉さんが同時に部屋の出入り口へ目を移した途端、スパン、と良い音を立てて開かれた襖。
「失礼する! 保護対象のナマエ殿は居られるか?!」
手のひらを頭に向けて敬礼しながら、海兵のお兄さんが元気よく声をあげる。ノックがないのはお約束というやつだ。
「センゴク元帥が話があると仰っている!」
まあ、こうなるよなあ……。と内心辟易しつつ、わたしはたしぎ姉さんとクザンさんにいとまを告げて、センゴクさんの部屋へ連行されるのであった。
「……面目無い」
沈痛な面持ちでゲンドウポーズをキメるセンゴクさん。その横でせんべいを齧りつつ「孫よりもナマエのが歳上じゃったとは! いや〜わからんもんじゃのう」と豪快に笑うガープさん。そしてその横でため息をつく我が師匠、おつるさん。
「まあ、そんな気はしてましたし……」
「ハッキリ言っておやり。センゴク、そりゃあいくらなんでもひどい勘違いだよ」
そう、我が師は――わたしの年齢をほとんど勘違いしていなかった、海軍本部唯一のお方である。なんかもう泣くかと思った。おつるさんはわたしを裏切らなかった。ああ、本当にこの人についてきてよかったです。これからも必死で洗濯の修行に励もう。
「12歳そこらの時なんて、あんた絶対こんなに落ち着いちゃ居なかったろう」
「それは……そうだが。しかし女子は成長が早いと言うし……」
「うむ、わしも女の子の孫が欲しい!」
「ガープ、あんたはお黙り」
ぴしゃりと飛ぶおつるさんの叱咤に、あのガープさんですら素直に黙り込んでせんべいを食べ進める。す、すごい。さすが、伝説世代の海兵の中紅一点、第一線に立ち続けるおつるさん。強すぎる。
「おつるちゃ……さんは何で知っていたんだ?」
「話してりゃ分かるじゃないか。全く……それも知らずにスモーカーと同居させたのかい」
「知ってたら言わなかったに決まってるだろう。というか君の方こそ、どうしてスモーカーに預けるのを良しとしたんだ……」
「たしぎに話を聞いたときに思ったんだよ。どうなるにしても、スモーカーの肩入れようからして、この子を上手くあてがえばあの"野犬"の手綱を握れるんじゃないかとね」
スモーカースモーカー言われてるなあ、とぼんやり話を聞いていたら、えっ、おつるさんなんか怖いこと言い出したぞ。というか、どうしてわたしが問題児スモーカーさんを御することに繋がるんだ。
「まあこの娘に話を聞く限りじゃ、スモーカーにも大切にされてるようだし、特にナマエの身の心配はしてないさ。あいつが惚れたら惚れたでそれもよし。万が一間違いがあったときは、責任を取らせりゃ問題ないよ。あれで義理堅い男さね」
「……おつるさんは、黒いな……」
「あんたが温いんじゃないかい、元帥の名が泣くよ」
センゴクさんにまでビシバシかますおつるさん。智将も大参謀には敵わないと言うことだろうか。というかさっきからめっちゃ不穏な言葉が飛び交ってる気がするんだけど、うん、聞こえないふりをしておこう。
「とはいえあたしも、人のことばかりは言えないね。多少とはいえ、あんたのことを幼く見ていたきらいはある……悪かったね、ナマエ」
「いえ……実際おつるさんだけですよ、年相応に見てくれてたの。なにしろ今日は謝られっぱなしです」
「……やれやれ、呆れたもんだ」
おつるさんが一緒に呆れてくれるだけでわたしの心は晴れます。自信を失いかけてたけど、やっぱりわたしはそんなに子供じゃないんだよ。見えるとして外見だけだ。それも相対的な話だし。
「ぶわっはっはっは! 言われっぱなしじゃのう、センゴク!」
「おい、それは貴様も同じだろう、ガープ!」
「わしは孫と同じくらいじゃろうなと思ってただけじゃ。そんなに間違っておらんぞ、多分あいつ今15……くらいじゃもん」
「な……ッ、が、……ガープ以下か、私は……」
「わし以下とはなんじゃ! 馬鹿にしとるのか!」
「してるに決まってるだろう」
「なんじゃと!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎ始めたセンゴクさんとガープさんを横目に見やり、おつるさんは小さく肩を竦めた。
「男はいつまで経っても子供だよ。こうなると長いんだ、あとは上手く取り成しておくから、あんたはお行き。実りのない会話に付き合わせて申し訳ないね」
「いえ、わたしこそ騒ぎにしてすいませんでした」
「悪いのはこいつらさ。気にしないでおくれ」
おつるさんはため息まじりにそう言いつつ、口論するお二方を放置してわたしを出入り口の前まで連れていってくれた。しかしやはり手馴れているなあ、おつるさん。彼女にかかれば元帥も海軍の英雄も形無しである。そうして部屋の敷居を跨いだわたしを見届けつつ、彼女は襖を閉じながら
「今日も洗濯しに来るだろう? また後でおいで」
と上品な微笑をくれたのだった。
「…………はあ……」
一人、廊下で肩を落とす。疲れた。非常に疲れた。今日はいつにも増して人に会う日だし、みんながみんな謝罪してくるしでとても心が削れた。体調が体調なので気分も下がり気味だし、全くもってスモーカーさんの忠告通りになってしまったというものだ。
ヒナさんに始まり、ボルサリーノさんに兄貴、クザンさんにたしぎ姉さんにセンゴクさん、ガープさん、おつるさん。見事に網羅してしまった感がある。が、うん。考える限り、これ以上わたしに謝罪をしたがるような人はいないだろう。海兵さんたちについてはたしぎ姉さんに断っておいたし、これでもう――
「……おい、そこの娘」
「うわ!」
自分でも大袈裟だと思う勢いで、びっくり仰天して飛び退る。そこにいるのはものすごくでかい、怖い、赤い、例の極道――ことサカズキさん、である。しかしなにゆえこんなところに。暫くは海賊討伐に出ていると聞いていたんだけど、帰ってきたところとかだろうか。
「はっ、は、はい? どうかしましたか、元帥に用事なら、中にいらっしゃいますが……」
「必要ない。わしが用があるんは貴様じゃ」
この人からわたしに用事? 謎だ。またわたしは何かやらかしてしまったのか。もう今日は疲れたって言ってるのに、ああ、笑えない。
「……貴様」
ハイ、なんでしょう。出来ればこう、穏やかにお話ができると嬉しいんだけど。なにしろもう目つきがいかにもわたしを殺してやる、って感じなんだよ。いつもの五割り増しくらいで顔が怖い。わたし、何か怒らせるようなことしただろうか。にしては覚えがない。
「…………」
黙り込むサカズキさん。だからなんだってんだ。
「………………すまんだ」
は、……?
そう一言告げると、サカズキさんはやはり、早足でわたしを通り過ぎ、廊下の曲がり角に消えてってしまった。え待ってほしい、全く思考が追いついていない。わたしに今、何が起こった? わたしの耳がまともなら、サカズキさん、今、謝ったよな……?
「……」
おそらく、なんの件だか察し付いて、わたしはずるずると廊下に座り込む。あのサカズキさんが謝るって相当だ。別に何かされたわけでもないのに、なんでだ。あの人無駄に律儀だから、そういう……。ああ、にしたって、酷い。
ひとまず言いたいのは、もう、謝罪はいらない。
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