No Smoking


▼ 14-2/4

「こんにちは、ナマエ。体調はどうかしら」

 あれから丸一日。初日に比べて動けるようになってきたので、連続で休むのも良くないだろうと、午後から本部に顔を出したわたし。訪れて早々、石垣の中に向かう入り口でわたしを待っていたのは、薄桃色の髪を靡かせるスラリと背の高い美人将校……ことヒナさんであった。
 上品に手を振っているヒナさんに歩み寄ると、周囲の海兵さんたちが小さくざわついた。この辺りで顔見知りは増えてきたものの、わたしが上層部に出入りしていること自体はあまり知られていないらしく、ヒナさんのような将校と親しげにしただけでものすごく驚かれてしまうのだ。

「うーん、まずまずですかね。ヒナさんは禁煙の調子いかがですか?」
「あなたがスピーチしてくれたタバコの弊害10カ条のおかげでモチベーションを保ってるわ」
「それは何よりです。禁煙飴の開発に勤しんでるところなので、そちらも近いうちにお渡ししますね」
「すごいわね、ナマエ。ヒナ関心」

 そんな雑談をしつつ、二人揃って海軍本部の内側へ進んでいく。このまま中心部にあるリフト(とは呼ばれているがエレベーターである)を使って、最上階の方へ向かうのだ。
 しかしヒナさん、改めて並ぶと背めっちゃ高いな……昨日の件を思い出して悲しくなってきた。わたしは多少背が低めとはいえ、普段これ以上に身長が欲しいとはあんまり思わないんだけど、この世界においてはもう少し高くても良かったんじゃないかと思ったり思わなかったり。コンプレックスとまでは言わないが、しかしやはり、わたしはこの世界の人間では無いんだなあ、と改めて実感してしまう。

「ヒナさんはどうしてここに?」

 人もまばらな石造りの通路を歩きながら尋ねてみる。先日、彼女はそろそろ海軍本部を発つと言っていたから、てっきり忙しくしているだろうと思ってたんだけど……わたしに用事があるにしろ、わざわざ下で待つ必要は無かった気がする。

「勿論あなたに会いにきたのよ。少し話をしたくて」

 ヒナさんは特に不思議はないと言った様子で頷くと、ひょいとこちらを覗き込みつつ心配そうな顔をした。思わず歩調を緩めるわたし。

「あなた、まだ顔色が悪いのね……昨日休んだのは体調不良?」
「あ……と、それは……なんというか……」
「! ……なるほどね、ヒナ納得よ。スモーカー君が気付いたのはそれでだったの」

 うお、一瞬言葉を濁しただけなのにヒナさん察しが良すぎるのではなかろうか。わたしがわかりやすいのかもしれないけど、これが女の勘ってやつかな、すごい。
 しかしどうやらスモーカーさんがわたしの実年齢を初めて知ったことまで筒抜けのようだ。スモーカーさんの性格からして、センゴクさんくらいにしかあの一件は話してないと思うんだけど、それにしては情報の拡散が早すぎる。おそらく口の軽い人による犯行だろう。例えばクザンさんとか。

「その話、やっぱり噂になってるんですか」
「……まあ、そうね」

ヒナさんはどこか気まずそうに肯定した。

 しかし海軍上層部の人って、なんだかんだ忙しいくせに暇だよなあ。そう見えるのは彼らに余裕があるからなんだろうけど、それにしてもわたしの年齢騒動なんて噂してどうするんだか。まあ、件のどの点が噂するに相応してるかは知らないし、できればこのまま知らずにいたいけど……。

「あはは……笑えない話ですよね。スモーカーさんってわたしのこと12歳くらいだと思ってたらしいですよ」

 何だか嫌な予感を覚えたので、冗談めかして笑っておく。ヒナさんはなぜか表情を硬くしたあと、「……そうね」と再び小さく呟いた。


 ヒナさんがのろのろとしたわたしの速度に合わせてくれていたので、リフトに到着するのにも随分時間を掛けさせてしまった。先に乗り込んでヒナさんが続いたのを確認してから、わたしはリフト係の海兵さんに行き先を指定して扉を閉める。後は到着を待つだけ、うーん便利だ。この世界は思いの外文明が発達してて、たまにびっくりするんだよなあ。残念ながら消臭技術は未発達のようだけど。

「……わたくし、あなたに謝らなくちゃいけない事があるの」

 わたしがエレベーターによくある特有の浮遊感と貧血のダブルパンチにふらついていると、向かい側に立っていたヒナさんがゆっくりと口を開いた。壁に備え付けられている手すりに凭れつつ、わたしは顔を上げて彼女を見る。が、やはりその表情は気まずそうだ。まるで、昨日のスモーカーさんみたいな……。

 ……おう、嫌な予感がする。

「申し訳ないわ、ヒナ失態よ。ナマエ……わたくしも、あなたはもっと幼いものだと思い込んでいたわ」
「――え……」


 ブルータス、お前もか。

 え、ヒナさんも? わたしを? 小学生だと……? そんな馬鹿な、現実を認められない。そりゃクザンさんやボルサリーノさんについては制服事件のおかげで最初から希望を捨ててるけど、今の相手はあのヒナさんだ。あれだけ察しが良くて、わたしを幼く見ているそぶりもなかったヒナさんが、だ。

「そ、うですか……いや、気にしないで下さい……」

乾いた声がわたしの引き攣る口から漏れ出した。これはきっともう、覚悟を決めた方がいい。スモーカーさんもヒナさんも、わたしと関わった上で「12歳くらいだろう」と判断したのは事実。となれば、今日出会う人にはみんな、同じことを言われる可能性が高い。覚悟が必要だ。果たしてわたしのメンタルは持つだろうか。
 ヒナさんはこちら側へ歩み寄ると、少し屈んでわたしの両肩に手を置いた。視線を合わせて、彼女はその切れ長の眼差しに困ったような、申し訳なさそうな色を浮かべる。

「わたくしのせいだけれど、酷い顔してるわよ。あのね、勘違いしていたのは事実だけど、あなたの実年齢を聞いて納得したのも本当なの」
「……はい……」
「だから、その……落ち込まないでちょうだい」

励まされてしまった。ヒナさんに必要以上の罪悪感を与えるのは本意ではないと、わたしは自分に喝を入れて、「善処します」と無理やり口角を上げる。
 うん、おそらくこれはヒナさんだけが悪いわけじゃない。というかきっと誰も悪くない。これはあれだ、単なるカルチャーショックみたいなものであって……。そう、悪いというのならわたしがそれを自覚するべきだったのだ。反省しよう。今後はきっちり年齢を主張していけばいいのだ。そうだ。


 ヒナさんはまだ気遣わしげではあったけど、わたしのぼんやりと腹を括った顔を見て、安心したように身を起こした。それからわたしの肩を離し、彼女は改めて尋ねてくる。

「それであなた……大丈夫なの? そんないっぱしの年齢なのに、スモーカー君と同居して」
「うーん……それこそ今更ですけどね。わたしは別に問題ないですよ。年齢がどうであれ、スモーカーさんとどうこうなるとかあり得ませんし」

リフトが上昇していく音を聞きながら、わたしは軽く肩を竦めた。この話題はそのうち出るとは思っていたけど、しかしわたし自身、スモーカーさんとの同居についてはとっくに覚悟を決めているし、近頃はようやく葉巻との交戦も身に馴染んできたところなのだ。それにスモーカーさんは信頼に足る人だし、一緒にいて居心地がいいのも事実。現状をわざわざ変えたいとは思わなかった。

「あら、わたくしはそうも思わないわ。スモーカー君は初めからあなたを特別視していたもの」
「それこそまさかですって。そもそもスモーカーさんって、びっくりするほどわたしを子供扱いするんですよ。それってもう対象外ってことでしょう」
「今回の件で変わるのではなくて? ご存知かしら。これからは"保護者"では通せない年齢差なのよ、あなたたち」

これからは、というかこれまでもそういう年齢差だったぞ、わたしの中では。ああでもそうか、スモーカーさんにとっては違うのか。20歳以上の差だと思ってたら実際は14歳差だもんなあ。そうなると意外と近いのか。うーん、かといって、と思うけど。

「……つまり、同居は倫理的によろしくないって話ですか?」

 やたら食い下がるヒナさんを不思議に思って尋ねてみる。まあ確かに、わたしもはじめは同居ってどうなんだそれ、と思ってたので、問題があるなら変更するで構わないのだが。葉巻の被害もあるし。
 すると彼女はこちらを見て、含みのある表情で微笑んだ。

「いいえ、そうじゃないわ。……わたくしは、あなたに期待しているのよ。あなたと過ごし始めてから、スモーカー君は良い意味で変わってきているの。だから、できればこのまま、経過を見守りたいところね」
「期待って、何をです?」
「フフ……秘密よ。ヒナ黙秘」

ヒナさんは人差し指を立てて悪戯っぽく笑う。胸がときめくほど魅力的。なにがなんだかよくわからなかったけど、結局、ヒナさん的には現状維持がベターということのようだ。


「はあ……しかし、どうしたらいいんでしょうね」
「何がかしら?」
「……年相応に見られるためには、です」

 ため息まじりに呟いたわたしの言葉を聞いて、ヒナさんは「そうね……」と悩ましげな視線を寄越す。わたしの相談に応えるべく、改めてこちらの全身を眺め回した彼女は、軽く頷きながら口を開いた。

「もう少し大人びた格好をしたらどうかしら。あなたが幼く見られるのって、髪型や服装のせいもあると思うの。わたくし、それはそれで可愛くって好きだけれど……」
「でも、あんまり背伸びした格好は虚しいですよ。どちらにせよ、わたしの体型が同年代の女性と比べて凹凸少ないのは事実ですし」
「あら、そこを上手くこなすのがお洒落ってものよ、ナマエ? たしぎも行きたがっていたし、今度一緒にお買い物に行きましょう。見繕ってあげるわ」

ヒナさんの提案に気分がいくらか明るくなる。そうだ、たしぎ姉さんとのデートも延ばし延ばしになってしまっているから、近いうちに行きたいなあと常々思ってたのだ。楽しみにしてます、と笑顔を浮かべると、ヒナさんはホッとしたようにわたしの頭を撫でた。そしてハッとしたように手を引っ込めた。

 目的地に到着して、リフトの扉が開く。ヒナさんはもう少し下に用があるからと言って、立ち去るわたしを見送ってくれた。わざわざ付き合ってくれたらしいことに感謝して彼女と別れ、わたしはクザンさんの部屋目指して廊下を進んでいく。

 ……さて、気を強く持たなくちゃ。

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