No Smoking


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 直接差し込む太陽の光が眩しくて、一瞬だけ目が眩む。わたしとクザンさんは、木立に取り囲まれた、森の中にぽっかり空いた広場に立っていた。
 見上げると、日当たりのいい広場の真ん中にはばかでかい椅子――それも、座面がおよそクザンさんの胸元くらいまである――が鎮座している。だいぶ古いもののようで、脚のあたりは苔むしてボロボロになっていた。持ち主を失ったような椅子の遺跡は、どこかノスタルジックにも見える。しかし、なんでわざわざこんなものをこんなところに作ったんだろう……謎だ。
 わたしが不思議がっているのを見て、クザンさんは相槌を打ちつつ椅子を指差した。

「そいつはサウロの椅子」
「……でかすぎません?」
「言ってなかったか? サウロは巨人族なのよ」

 巨人。なんだそれは。クザンさんが動揺するわたしを見て意外そうな顔をする。

「んん、まさか巨人見たことねェのか? ……つっても海軍にも何人かいるだろ」
「えっ、話には聞いたことありますけど……巨人ってでかい人の比喩とかじゃないんですか。クザンさんみたいなのがいるならとてっきり……」
「オイオイ……だから最初にこんなもんだって言ったでしょ。ナマエちゃんって変なとこで世間知らずだよなァ……"エルバフ"とか有名じゃねェの」

まじか常識なのか……全く知らなかった。いくらこの世界がファンタジーに寛容とはいえ、まさか巨人が実在するなんて。しかしこの椅子を見る限り、クザンさんの親友ってかなりの大きさなんじゃなかろうか。これが巨人の標準サイズだとすると……だめだ、なんかもう想像もつかない。

「あ。まさか怪物っていうのは」
「そうそう、町の奴がサウロに驚いて広めた噂なのよ……まさか巨人が居るとは思わなかったみたいでな」

 クザンさんはかなり可笑しそうに笑いつつ、広場を横切って椅子に近づいていく。

「アイス買い占める癖っていうのも……」
「あァ、普通に買っても足りねえからな。ここじゃ店の奴に顔も覚えられちまってて……毎回全部渡してくれんのよ。断れなくてな」

 なるほど、なんか色々と腑に落ちた。今回のわけのわからないことは、そのサウロという人に起因するものだったらしい。相変わらずクザンさんがわたしをここに連れてきた理由はわからないままだけど、やっと疑問解決の糸口が見えてきた。
 クザンさんは椅子の近くまでやってくると、わたしとアイスの袋をその上にひょいと乗せた。やはりかなりでかい椅子なので、頭の高さはクザンさんとちょうど同じくらいになる。見た所脆そうで強度が不安だったのだが、こう座ってみると案外しっかりしているようだ。まあ巨人が座るくらいだし、当然か。

「……おれもここまで来たのは、久しぶりだ」

 背中から椅子に凭れかかり、クザンさんは息を吐き出すように小さく溢した。わたしの位置からその表情は見えないが、どこか傷心的なその台詞に適当な返事も見当たらなくて、わたしは黙ったままいつもより近い空を見上げる。彼の昔話の終わりは、すでに近いようだった。

「おれが中将だった頃……法を犯した学者を処するために、海軍がある島を落とす作戦があってな。サウロはそれを横暴だと反対してよ……捕らえられていた学者を連れて逃げたんだ」

島を落とす、か。クザンさんが伏せたから具体的なことはわからないけど、それこそ横暴な理由なんだろう。おそらく、なにが正義かわからなくなるような。

「おれァその作戦に参加した。サウロが逃げたことは、あいつなりの正義だろうと……追う気は無かった。だがその島を落とすって時になァ、なんでかサウロが現れたのよ。殲滅対象の子供を守ってな」

 淡々と語るクザンさん。どうにも、その続きはあまり聞きたくないような予感がした。

「サウロは……どうなったと思う」

 ……わたしにそれを言わせるのか。
 無論、わたしはそこまで察しは悪くないつもりだ。クザンさんの語り口からして、その人がもういないことくらい、初めから分かっている。ただ分からないのは、クザンさんはわたしに何を教えたいのかということだけだ。わたしは躊躇いがちに、妙に強張っている口を開く。

「……亡くなられたんじゃ、ないんですか」
「違う」

予想外の否定の言葉に目を見張る。けれど、こちらを向かないクザンさんの顔は、見えない。


「――おれが殺したんだ」


 ひやりと背筋が凍るような、脳が痺れるような感覚がする。動揺する頭に反して、わたしの腕は焦れたようにクザンさんの服を掴んでいた。ゆっくりと振り向いたクザンさんの顔はこれと言った違和感のあるものではなくて、ただわたしを見て困ったように笑う。

「慰めるなよ……ナマエちゃん。おれは後悔はしてねェし、サウロに悪いとも思っちゃいねえんだ。あいつもおれを恨んじゃいなかったし、覚悟もしてた」
「でも、なぜ……」
「政府の邪魔をしたから容赦するわけにゃいかなかった。学者たちが法を侵していたのも事実だったしな……」

 クザンさんらしくないセリフだ、と思った。だってクザンさんはとても……甘い人だ。そのだらけきった正義のモットーからして、彼自身その甘さを容認しているのは間違いない。そのクザンさんが、まるでサカズキさんみたいなことを言うなんて。
 ざらりと重たい風が吹き、髪が頬を撫でていく。陽を遮る雲の影が落ちてきたせいで、どことなく周囲の温度が下がったように思えた。

「まァ……おれもそれから色々と悩むことがあってよ……今の形に落ち着いたのはその後の話だ。だから、今ならまた、別の選択をするかもしれねェが――」

わたしを宥めるように視線を合わせ、クザンさんはふと真剣な表情を浮かべる。服を掴んでいたわたしの手を解き、ひとまわりもふたまわりも大きな手でこちらの手首を握り込んだクザンさんは、いいか、と一言前置きして言葉を続けていく。

「正義ってのは立場によって姿を変える。おれも、常に海軍が正しい正義を掲げてるとは思わねえし、サカズキほど行きすぎるつもりもねェ。……だからこそだ」

 なんとなく、クザンさんがわたしに言いたいことが見えてきた気がした。思えばこの人は、わたしがサカズキさんと会ったときから、どうにも様子がおかしかったのだ。

「ナマエちゃんが海軍の正義を疑ってもそれが悪いとは思わない。サウロは海兵で、あいつなりの正義に従って海軍に背き、おれたちと戦うことを選んだ。仕方なかったとは言わねえが、納得できることではある。だが――」

 ああやっぱり……クザンさんは、甘い人だ。

「ナマエちゃんは海軍に属しているわけじゃねえ。海賊でも、ましてや海兵でもない、一般人だ。だから……あんな命知らずな約束は、するべきじゃなかっただろ」


 海軍の正義に反したら、サカズキさんによる死を受け入れる。それがわたしがあの人とした約束だ。確かにわたしは海軍が必ずしも正しくない、という感覚を、まだ知らずにいる。それをいつか許せなくなるときがくるのだろうか。命知らずと言われるほどに、それは高い確率で訪れるのだろうか。
 でも、わたしは……この人たちがそれぞれに掲げる、それぞれに矛盾した正義が、好きなのだ。

「わたしは、そうは思いませんよ」

 あの約束をするべきじゃなかったとは思わない。そもそもあれはサカズキさんを納得させる唯一の方法だったし、ああ言わなきゃとっくに殺されてるのだ、わたしは。まあ立場的に殺せないとかは言ってたけど、あの人に嫌われたまま平穏無事に生きられる気はしないし。だから後悔はしちゃいない。
 わたしの言葉を聞いたクザンさんの手に力が篭る。彼は奥歯を噛みしめて、絞り出すように呻いた。

「簡単に死んでもいいなんて思わないでくれねェか……海軍に居なくても、お前さんは生きていけるだろ」

 ――結局、クザンさんの言いたいことは、これだったのだろう。この人は優しいから、わたしに変にリスクを負わせたくなかったのだ。全くスモーカーさんといいクザンさんといい、海兵をするには人が良すぎるんじゃなかろうか。そんなにわたしに死んで欲しくないのか、この人たちは。もしかするとサカズキさんの言い分は正しかったのかもしれない。

 切羽詰まったようなクザンさんが見慣れなくて、わたしは思わず笑っていた。彼は非難するような目でわたしを見るが、いや許してほしい。そんな似合わない顔ばかりされたら、このシリアスなムードでも笑えてくるもんだろう。それにこの人は、なにか盛大な思い違いをしている。

「早とちりはよしてくださいよ、わたしが死んでもいいなんて思うわけないじゃないですか」

 クザンさんを覗き込むようにして、わたしは呆れ声でそう告げる。
 そうだ、何を勘違いしてるのか知らないが、わたしは自虐的な気持ちで行動なんかしたりしない。わたしはスモーカーさんの言の通り生存願望でいっぱいで、生きたいからこそ海軍に縋っているのだ。だって、そもそもわたしは――

「生きたくて仕方ないから、だからこそわたしは、こんなところまで来たんですから」

 口にしたあと、変なことを言ったな、と思った。なにかが記憶の蓋を持ち上げた気がした。それはおそらく……わたしが必死で思い出さないようにしてることに繋がっている。こんなところまで、というのはなんのことだろう。わたしはどうしてここに来たのか。
 案の定、クザンさんは訝しげに眉を寄せる。わたしの意味深なセリフを測りかねているようだった。

「どういう意味よ、それ」
「さあ……わたしもよく、わかりません」

自分で再び記憶に蓋をした。得体の知れない記憶は、相変わらず、できれば思い出したくないものなのだから。特に、あのうざったい煙の匂いがしないところでは。


「とにかく、わたしの行動は全部自分の命のためだし、ましてや死ぬ気なんてさらさらないということは分かってください。まあサカズキさんとの約束の件は今更どうこうできませんけど、死にたくないので必死で遵守するつもりですよ」
「……。……それなら、いいんだ」

 クザンさんは脱力したように肩を落とした。両腕を引き上げてポリポリと頭を掻くクザンさんの疲労感は色濃い。あれかな、今回、珍しく気張ったから疲れたのかもしれない。相変わらず気は晴れないようだし、心労ばかりかけたようだし、昔のことも思い出させてしまったし……なんだか申し訳ないことばかりだ。
 クザンさんの名前を呼んで、わたしは椅子から少し身を乗り出した。はい、と両腕を広げたわたしを見て、クザンさんは元気なく笑う。

「なによ……慰めは要らねェって言ったでしょ」
「慰めたりしませんよ。一人じゃ降りられないんですって。それにさっきお断りしちゃったでしょう。ほら、安心させてあげるので」
「……全く、お前さんにゃ敵わねェな」

 ゆるゆるとそう口にして、クザンさんはよいせとわたしを抱き上げる。気落ちしたようなクザンさんの首にサービス精神を込めて腕を回すと、耳元で小さく息を飲む音が聞こえた。彼はわたしの肩に頭を押し付けて、それはもう長々としたため息を吐き出す。

「情けねェなァ……」
「大丈夫、クザンさんは初めから情けないです」
「……ホントに慰める気はねえんだな」
「なんですか。今回のこれはわたしの貴重なデレ要素です、噛み締めてください」

わたしの肩の上で、クザンさんがくく、とくぐもった笑い声を立てた。どうもツボったらしい。彼の肩が小刻みに揺れている。なんだろう、比較的真面目に言ったんだけど。しかしまあ、多少元気が出たようで何よりだ。なんとも現金なおっさんだと再認識したというのはあるけど。

「……ナマエちゃんはあったけえな」
「クザンさんはなんか冷たいですね、冷え性ですか」
「まさか。実を食ってから平熱が低くなったのよ」
「へえ……不思議ですね」

 そんな雑談を交わしつつ、空を見上げる。この島に到着したときより、陽はずいぶんと傾いてきているようだった。そうだ、海軍本部にはわたしの帰りを待っている人たちがいる。ちゃんと日暮れ前には帰らなくては。クザンさんも顔を上げて空を仰ぎ、「帰らなくちゃな」と小さく呟いた。
 そうしてわたしたちはマリンフォードへ帰るべく、この小さな秘密基地から立ち去るのだった。

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