No Smoking


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 クザンさんに従って、木々の合間を縫うように道無き道を進んで行く。木漏れ日が差し込む森の中は思いの外明るく、とても怪物がどうのと語られる恐ろしい森には見えなかった。とはいえ森は森、はぐれると怖い。クザンさんの背の高い後ろ姿を見失うことはまずないだろうが、遅れないようにしなくては。

「クザンさん、これってどこに向かってるんです?」
「んん……秘密だ」

 何事か尋ねるたびにはぐらかしてくる、だらだらした歩調のクザンさん。しかし付いていくわたしは早足である。マリンフォードでは並んで歩くことなんてそうないから気にしなかったけど、クザンさんの一歩はわたしの三歩というこの理不尽さ。不平等だ。

 ……それにしても、いまいちクザンさんの目的が見えないんだよなあ。一体この人は何がしたいんだろう。この島に連れて来た時点でわたしと森の中に入ろうとしていたのだとすると、やはりこの先に目的の何かがあるのだろうか。クザンさんの様子からして、これはもうデートとかそういうノリではなさそうだが……。ていうか普通に森歩いてるけど、これ例の怪物と遭遇したりしないのかな。いやむしろ遭遇が目的とか? うーん、クザンさんは何も教えてくれないし、頭の中は疑問符だらけだし、いよいよわからなくなってきた。


「……ナマエちゃん、さっき人目がないのがいい、って言っただろ」

 考え事も行き詰まってきたところで、脈絡なくクザンさんの背中からそんな呟きが聞こえてきた。おやと高い位置にある彼の後頭部を見上げるが、こちらを振り向いてくれないためその表情は伺えない。またもや掴めない話に困惑しつつ、わたしは素直に返事を返す。

「海軍本部を出ると開放感があるって話ですか?」
「あァ、それよ……」

ぼんやりした様子でクザンさんは首を縦に降る。

「それがどうか……うわ!」
「おっと」

 早足になっていたのと、足元を見ていなかったせいで、うっかり木の根に足を引っ掛けてつんのめってしまった。わたしの悲鳴に気づいたクザンさんが咄嗟に襟首をつかまえる。その瞬間喉から蛙が潰れたみたいなものすごい音が出た。さすがにえげつない声だったからか、クザンさんは慌てたようにわたしの服から手を離してくれた。

「あららら……すまん、ちょっと速かったか?」
「というかリーチの差がすごくて」

まったく足が長すぎるんだクザンさん。訴えるぞ。クザンさんは乱れたわたしの襟を整えてくれつつ、困ったように頭を掻いた。

「そりゃどうにもならねェな……ナマエちゃん、もうちょい大きくなりなさい」
「んな無茶な」
「そうか。無理なら仕方ねえ……最終手段だ」

クザンさんはどこか楽しそうにそう言って、いきなり長い脚を折って屈みこみ、わたしの腰に手を回し――

「ちょ、何してんですか!」
「軽いなァ、お前さん」

アイスの袋を持っていない方の片腕に、ひょいと持ち上げられてしまった。

 ちくしょうこのおっさんめ、軽いとか言われても嬉しかないぞ。パパに抱っこされる幼児みたいな抱き方をしてくれやがって(ていうかサイズ感的にはどう考えてもそれ)。この人と一緒に居ると、物理的にわたしってもしかしてちびっ子なのかと思わされてしまう。非常に屈辱的だ。てか人に抱き上げられるとか小学生の時以来なのだが……ああもう、わたしの矜持に関わるので早急に降ろして頂きたい。

「あの、さすがに抱えて頂かなくても付いてくくらいできます。降ります」
「んー、ナマエちゃんから目を離すのは不安だからな……安心させてくれ」
「いやです。クザンさん的には安心でもわたしの精神状態が不安になるんです、降りたいです」
「ま、楽でいいじゃないの……んな嫌そうな顔すんなって。ナマエちゃんはもう少しいじらしくしてもいいと思うぞ……ろくすっぽ照れたりもしねェし」
「クザンさん相手にとか無理があります、降ろしてください」
「そう言いなさんな……。いつかナマエちゃんの照れ顔を拝みてェもんだ」

セクハラをかますこのおっさん、人の頼みに耳を貸す気は全く無いらしい。もはや反応すら示してくれない。とはいえ無理やり降りるには高すぎる。なにしろわたしの身長ぶんくらい浮いてるのだ。落ちると怖い。
 やれやれ……まあこうしてれば迷う心配がないのは確かだ。溜め息を吐き出し、わたしが抵抗を諦めて仕方なくクザンさんの肩に腕を置くと、彼は満足げな笑みを深めた。


 再び森を行くクザンさんとわたし。視点が恐ろしく高いので、かなり遠くまで見渡せる。それにしてもクザンさんが見てるのは普段からこんな景色なのか……さすが規格外の推定3メートル、ただの高身長とは一味も二味も違う。クザンさんの身長ってちょうどわたしの倍くらいだもんなあ、すごいや。

「――しかしなんつーのか、ナマエちゃんはやっぱ……頼りねェよな」

 見慣れない景色を楽しんでいると、何故かいきなり貶された。抱き上げられてるおかげで距離が近く、クザンさんの罵倒もダイレクトに耳に届いてくる。まったく失礼な、わたしだって時と場合によっては頼りになるぞ。主に消臭面で。
 おそらく不満げな顔をしているであろうわたしに気づいて、クザンさんは「あァ、いや……」と否定の言葉を口にした。

「そうじゃなくてな、再認識したのよ。どうも、お前さんが弱っちいことを時々忘れそうになるんでな……」
「お、それは嬉しいですね。みなさんわたしがか弱い乙女だってこと、よく失念しちゃうんです」
「否定したくなるが間違っちゃいねえんだよな」

なんだ否定したくなるって。ご存知の通り事実だ。

「お前さんは元気だからなァ、か弱いってのはまた違う気もするが……。こうしてるとびっくりするくらい小せえもんな。木の根にゃ躓くし、あのまま転んだら結構な怪我もするんだろ……ホント、頼りねェよ」
「海兵の人たちは規格外すぎると思いますけどね。というか、わたしはこう見えて中身は意外とタフですよ」
「……知ってるさ、勿論な」

クザンさんが曖昧に口角を上げる。その微妙な声色は、やはりどこからしくない。彼が再び気もそぞろな様子を見せたので、わたしはふと先ほどのことを思い出して口を開いた。

「そういえば、わたしが転ぶ前に言いかけてた話、結局なんだったんですか?」
「ん? あァ……アレか。なんだったか……忘れた、もういいや」
「諦めないでくださいよ。あれです、 人目がないのが……っていうのです」

 それか……、と呟きつつ、クザンさんはいわくありげに目を細める。ゆったりとした歩調のリズムに合わせて、宙に浮いているわたしの足がゆらゆら揺れた。

「なに……昔、この島でお前さんと同じことを言った奴が居てな……」
「へえ、誰か連れてきたことあったんですね」
「いんや、そいつのが先約だったのさ……おれはこの島のことはその男に教えてもらったんだ」

 彼の声が懐かしむような響きを帯びる。クザンさんは普段からわたしにいろいろなことを話してくれるけど、こういう話題は比較的珍しい。特にやることもないので、わたしは彼の昔話に耳を傾けることにした。

「――そいつは海兵だったんだが、でかい図体にしちゃ温和な性格でな……優しすぎる奴なのよ。そんでもって能天気で……思考回路はちょっとナマエちゃんに似てる気もするな」
「それ、わたしのこと能天気って言ってます?」
「間違いでもねえでしょ」

くつくつと喉を鳴らして笑うクザンさん。うーん、そういえばちょっと前にもスモーカーさんに同じことを言われた気がする。しかし、なんでだったか思い出せない。それを聞いて、やたら可笑しくなった記憶はあるんだけど。

「そんな奴になァ……ある日、秘密の隠れ家なんだとおれはこの島に連れて来られたのよ。おれが人もいない、何もない、つまらねェ島だと言ったら、だからいいんだと笑ってた……海軍本部に自分が居るのは場違いだから、こういう場所が落ち着くんだと」

 彼は穏やかな調子で語る。クザンさんは社交的な性格で、もちろん友達も多いのだけど、しかしこの謎の人物については際立った親しさが見え隠れしていた。ただ気になるのは、彼の語り口が妙に過去形なことだ。
 クザンさんから目を離して見回すと、ふと代わり映えのしなかった景色が変化していることに気づく。いつの間にか木がまばらになって、周囲は一層明るくなっていた。

「それから、ときどき……おれァここに来るようになった。当時おれは若くてな、気の抜き方を知らなかったもんで――実のところ、こんなとこに居るのは勿体ねェと思ってたんだが。だがそいつと居るのは楽しかったんでな、なし崩し的に常連になっちまった」

 気の抜いてないクザンさん、てどんなんだろう。とても想像できない。ここまで親しげに語られる謎の人物が、今のクザンさんになったきっかけなのだろうか……。
 クザンさんの歩調がますますゆっくりになる。脈々と続いていた木の流れが途絶えるのが分かった。


「――そいつの名前はハグワール・D・サウロ。おれの……親友だった男だ」


 クザンさんが最後に一歩踏み出した瞬間、ぱ、といきなり視界が開けた。

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