No Smoking


▼ 10-2/2

「……なんだ、それは」

 夕食後、リビングテーブルに本日のお土産を広げ、ソファの正面の床に座って雑誌を眺めていると、背中の方から怪訝そうな声をかけられた。砂糖菓子を咥えたまま見上げれば、そこにはソファに片手をかけながら訝しげな顔でわたしを見下ろしているスモーカーさん。うーん、相変わらず煙たい。

 ちなみにわたしが口にしているのは、砂糖とハッカとココアを棒状に固めたあの駄菓子。小学生なら誰もがフーと息を吐きつつ口に咥え、大人の真似事をする――あのココアシガレットである。しかもこれ、ココアが芯になってて更に紙が付いている、古いタイプのやつなのだ。いやあ、中身を見たらさすがのわたしもテンションが上がり、物珍しさに少し多めに貰ってきてしまった。結構ココアの苦味が強いのでビターな味わいである。

「ココアシガレットって駄菓子なんですけど、ご存知ですか?」
「知っちゃァいるが……」

 彼は意外そうな様子で、わたしの顔をじろじろと不躾に眺めてくる。正直これを貰ってきたのはスモーカーさんの反応が気になったからだけど、まあなんとなくこういう失礼な扱いをされるような予感はしていた。彼は葉巻をくゆらせつつ、憐れむように口を開く。

「お前は似非煙草でも様にならねェな……」
「大きなお世話ですよ」

 似合わないのは分かっているけど、特に困ることはないだろうに、なんなんだその眼差しは。確かにスモーカーさんは様になるし、この人ほど葉巻が似合う男はなかなかいないと思うけど、それって全然褒められたことじゃないぞ。絵面としては悪くないにしても、そういうのに憧れた若い子が邪の道に足を突っ込んでしまうんだからな。全くダメなイケオヤジめ。

「しかし形だけとはいえ、お前は煙草なんかの嗜好品を毛嫌いしてると思ってたが」
「まったくもう、馬鹿にしないでください。わたしは匂いと副流煙が嫌いだから葉巻煙草を忌避しているだけであって、そのものに嫌悪感があるわけじゃないんです。匂いがしなくて煙も出ない煙草なら嫌う理由はありませんよ」
「そりゃもう煙草たァ言えねェだろ」
「スモーカーさんが求めてるのはそこですもんね」

 刺々しく言い募ると、スモーカーさんは元々深い眉間のしわをますます深くした。しかしこの人はときどき、わたしが浅薄にも形相のみに囚われて禁煙を主張していると勘違いしてる節がある。全く心外だ。肝心なのは実害であるというのに。

 スモーカーさんは十手を持ったままソファに腰を下ろし、右足を左膝に引っ掛ける。どうやら愛用の武器の手入れをなさるらしい。わたしは正面に向き直り、ココアシガレットをぽりぽりと食べ進めつつ箱を手に取った。

「これ、今日クザンさんに頂いたんです。"東の海"には駄菓子が名産品の島があるらしくて。わたしの故郷でもよく食べられてたので、懐かしくってたくさん貰っちゃいました」
「……お前、東の生まれだったか?」
「え、うーん、一応東? なんですかね」

答えにくいところを突っ込まれて微妙な返事になってしまった。なにしろわたしは未だ、異世界から来たとかいうふざけた経歴を、スモーカーさんにはまったく伝えていないのだ。
 だって信じてもらえる気がしない。いっそセンゴクさんから言って貰った方が現実味はあるんじゃないかと思うが、そこまでしてもらう必要はない気がする。それに今は、なぜかは分からないけど、帰る方法を探したいわけでもないんだし。

「そういや以前、聞き覚えのねェ島が出身だと言ってたな……何だったか」
「うわ、その話したの多分初対面のときですよ。よく覚えてますね。まあなんというか平和な、日本ってところです。なにせ海賊もいないし、海軍もいないし」
「……となると相当辺境じゃねェのか」
「あはは、辺境ですか。確かにわたしの住んでた地域とかは結構田舎でしたよ」

 最近はむしろ意識して思い出さないようにしていた、わたしの育った国を思い起こす。当たり前とはいえ、脳裏に浮かぶのはこことはかけ離れた風景だ。今この世界に馴染めているのが不思議なくらいに。

「ここと違って海はずっと遠くて、緑は多くて……とても豊かなところですよ。それに季節が変わると景色の色が変わるんです。花も鳥も虫も、四季折々に変化したりして。そういえばここではあまり、広葉樹なんか見かけませんから、少し恋しい気がしますね――」

 そんなことを言いながらおもむろにスモーカーさんを振り仰ぐと、彼は意表を突かれたような顔をして、じっとわたしを見つめていた。なんだろう、確かにらしくないことを言った気もするけれど、それを意外に思っただけにしてはスモーカーさんの反応が堅い。

「お前は……」

困惑した声で一言呟き、何事か告げようとして葉巻の煙が揺れるのが分かった。しかしスモーカーさんは、ふと慎重になったみたいに視線を逸らし、

「いや、何でもねェ」

と、あっけなくその動揺を断ち切った。
 ……なんだったのだろう。いまいち腑に落ちなかったけど、スモーカーさんが話す気がないなら追求しても仕方がないと、わたしは再び手元に視線を戻した。


「そういえばかなり話逸れましたけど、ココアシガレットおひとついかがです?」

 ソファの上に腰を乗り上げて、未開封の箱を手に取りつつ尋ねてみる。そんなに量をもらったわけではないので、これが最後の一箱だ。スモーカーさんは十手の持ち手にテーピングを丁寧に巻き直しながら煙を吐き出し、興味なさげな返事をくれた。

「いらねェよ。もう咥えてる」
「スモーカーさんすでに二本なんだし、三本でも四本でも変わんないじゃないですか」
「フン……まァ紙煙草は性に合わないんでな。そういうのはヒナにでもやったらどうだ」
「ヒナさんは紙煙草なんですっけ。禁煙のお供には悪くないですが、うーん……名前はシガレットとはいえ、実際すぐ割れるしべたつくので、口寂しさを拭うには役不足なんですよね。禁煙なら飴かガムです」

シガレットを奥歯でパキリと折りながら、わたしは新しい箱を開く。しかしかなりそれっぽいよなあ、このココアシガレット。箱の感じも、ずらりと並んだシガレットの形状も、確かに子供達の心をくすぐりそうな感じがする。

「スモーカーさんはいつから葉巻を?」
「さァな……覚えちゃいねェよ」
「えっ、それって物心ついた時にはってことですか。やばいですよそれ、いくらスモーカーさんがスモーカーさんだからって」
「違ェよバカ」

 視界の外から飛んでくるスモーカーさんの声は、いつも通りの呆れたものだ。しかしスモーカーさんが葉巻を吸わない姿って、例え幼少期ですら想像出来ない。大げさにいえば、葉巻を咥えてもらってないと一瞬本人って判断がつかないレベルである。

「まあ煙草なんかは自分にも周囲に害が多すぎるので嫌いですけど、意外と奥深くて面白いとは思います。確か火種によって味が変わるんでしたっけ」
「……まァ、オイルライターだと油の味が強く出るせいで好みが分かれるが……」
「へええ、でもスモーカーさんって家だといつもマッチですよね?」
「ガスライターは減りが早いからな。ガスじゃなきゃ多少コストは良いが……紙巻と違って葉巻は基本的に香りを楽しむもんだ。おれァオイルの味が重なるのは好かねェ」

 おお、全然知らなかったけど紙煙草と葉巻煙草とはそれなりに違いがあるらしい。正直葉巻って馴染みがないので、毎回スモーカーさんが葉巻の先を切り落としたり火で炙ったりしてるのが気になってはいたのだ。冷静に考えるとスモーカーさんの嗜好とか葉巻くらいしか知らないので、今後の参考にしておきたいところである。

「なるほど。喫煙歴何年か知りませんけど、やっぱし玄人の吸い方とかあるんですか?」
「……葉巻は吸うもんじゃねェ」
「?」
「言うなりゃ吹かすもんだ。こいつは味わうのが目的であって、肺に入れるもんじゃねェんだよ……つまりはそこが紙煙草シガレットとの違いだな」

はー、なるほどなるほど。美味しいのかどうかはさておき、スモーカーさんはニコチン中毒というよりあれなんだな、煙グルメなんだな。納得だ。

「だからその分吐き出す煙も濃くなる」
「大迷惑じゃないですか」

 葉巻の株が少し上がりかけていたのに、今真っ逆さまに地に落ちた。というか匂いを楽しむものならなおさら残り香が強いということではないか。やはりわたしの天敵に相応しすぎる。おのれ葉巻め、絶対に許さない。


 そんなふうに会話しつつぽりぽりと食べ進めていたので、ココアシガレットも最後の一本になってしまった。意外と美味しかったし、明日はクザンさんに残りの分も貰ってしまおう。いつか東の海に行く機会があれば、名産品が駄菓子の島も訪れてみたいものだ。

「……しかし相変わらず妙な奴だな、お前は」

 箱からココアシガレットを中ほどまで引き抜いたとき、スモーカーさんがそんなことを言い出した。くるりと背中の方に顔を傾けると、そこにはソファに深く腰掛けつつ神妙な態度でわたしを眺めているスモーカーさん。わたしほどまともな人間もいないというのに、妙とはひどい言い草だ。

「なんです、藪から棒に」
「普通、てめェの嫌いなもんに興味なんざ持てねェだろう。頭ごなしに嫌っておくのが一番楽じゃねェのか、こういうのは」

 スモーカーさんは既に手入れを済ませたようで、あの巨大な十手はソファの横に凭せかけられていた。彼は足を組んだまま、案の定もくもくと葉巻の煙を吐き出している。ああ、先ほどの話を聞いた後だと、その煙は普段よりもいっそう恨めしい。

「どうせ吸う気もねェのに、何が楽しいのかやたら好奇心旺盛に聞いてきやがる。……分からねェ奴だ」
「いや、何も知らないのに嫌いだと言い張るのは浅慮でしょう。否定するなら、まずはそれなりの理解はすべきだと思いますし」

スモーカーさんから視線を逸らし、箱から取り出しかけていた最後の一本を抜き取った。言葉にするのをどことなく気恥ずかしく思いつつも、わたしは「それに」と小さくひとことを添える。

「わたし、スモーカーさんについては知らないことだらけなんです。少なくとも同居人の好きなもののことくらい、知っときたいじゃないですか」

背後から微かに息を飲む音が聞こえたので、スモーカーさんが拍子抜けする表情を想像するのは容易だった。……しかしちょっと素直すぎただろうか。慣れないことは言うもんじゃない。

 あまり追求されたくなくて、わたしは誤魔化すように最後のココアシガレットを口へ咥え込んだ。



「ナマエ」

 唐突に沈黙を破ったのは、耳元で囁かれたわたしの名前。

「――な……っ」

 予想外の近さと、耳をくすぐった吐息にぎょっとして飛び上がる。鳥肌が立つのを抑え込み、ココアシガレットを指で支えつつ振り向いた瞬間、わたしはスモーカーさんのでかい手に顎をすくわれていた。
 は? いや、待ってくれ。いきなりすぎてわけがわからない。
 シガレットを取り落とさないよう専念することしかできないわたしにも構わず、スモーカーさんは首を傾け、するりとこちらに顔を寄せた。

 え、ちょ、近すぎないか。

 睫毛が触れそうなほど、頬に体温を感じるほど、鼻先が掠りそうなほどの至近距離。動揺のさなか、噎せかえりそうな葉巻の匂いだけを冷静に分析するわたし。この人にいきなり変なスイッチが入るのは今に始まった事ではないけれど、今日はいつにも増して突拍子がない。なんだ、なんなんだ、スモーカーさんは一体なにがしたいんだ!

 そんな動揺を伝えるすべもないまま、わたしが咥えたココアシガレットの先端に――葉巻の火が、じゅうっ、と押し付られた。

「へ……」

シガレットの片端が乗った舌に、やんわりと圧力がかかった。

 あ、と思う間も無く、スモーカーさんの手が耳を掠めながら、顎から後頭部へと移っていく。すぐそこには硬直したわたしを見つめる、あり得ないほど近くのスモーカーさんの目。からかうような色を浮かべたその表情に、ようやく今、わたしは遊ばれているのだと察したけれど、頭はどうにもうまく回らなかった。
 呆気にとられるわたしの視界の直下で、砂糖菓子がとろりと溶け落ちる。カラメルが焦げたような匂いが鼻腔を通り抜け、煙の薫りと相まって、痺れたみたいな頭の奥がくらくら揺れた。

 そして時間にすればほんの数秒。ジジ、と焼け焦げていくココアシガレットは、一瞬のうちにその半分を火口に飲み込まれてしまっていた。

 スモーカーさんの葉巻を押し付ける力が途絶える。ふっと接点が離れて、それでもシガレットを伝うカラメルだけが、名残惜しむようにぽたぽたとソファに垂れ落ちた。スモーカーさんが身を引いたことで、頭に触れていた彼の手が、わたしの髪をゆるりとかき上げながら、その体温を残して遠ざかっていく。


「やっぱり火は……要らねェか」
「ば、……っかじゃないですか……」

 スモーカーさんの含み笑いに対してわたしの口から洩れ出したのは、思いがけないほどに切羽詰まったような声だった。それを聞いて、スモーカーさんは満足げにくつりと笑う。

 ――まじで、冗談じゃない。こんなキザったらしいセクハラがあるか。今になって、ようやく頭が冷えてきた。
 わたし知ってる、これはいわゆるシガー・キスというやつだ。普段ガキ扱いしてる相手になんつーことを……ちくしょう、この人も意外と昔ヤンチャしてた感じのプレイボーイなのだろうか。平気な顔でこんなことをしてしまえるスモーカーさんは間違いなくどうかしてる。ああ、まったく、なんだってこんな目に……! そうだ、ソファカバーもまた洗濯しないといけなくなったし……。

 言いたい文句はたくさんあるが、ひとまず落ち着こう。と息を吐いたのもつかの間、スモーカーさんは再びわたしの顔を覗き込んでくる。彼はほんの少し目を細めつつ、楽しげに口を開いた。

「教えてやろうか、ナマエ」
「は……?」
「おれァ、お前のそういうツラは嫌いじゃねェ」


 そう言ったスモーカーさんの声が異常なまでに柔らかいもんだから、わたしの喉まで出かかった恨み言は引っ込んでしまいそうになる。にしたって、からかわれるこっちはいい迷惑だというのに、なんて勝手な言い分なんだ。はっ倒してやりたい。
 でもこれが先ほどの話の続きなら、スモーカーさんはわたしに、自分のことを教えてくれるつもりがあるということ、なんだろうか。それはなんというか……多少は信頼してもらえているようで、嬉しくはある。

「……ずるいですね、スモーカーさん」

 憤慨と感激に挟まれて返事に迷った挙げ句、結局わたしはその一言だけを告げることにした。なんとなく頬が火照っているのは、きっと近すぎた葉巻の熱のせいに違いない。
 目を逸らして視線を落とす。スモーカーさんに焦がされた可哀想なココアシガレットは、侵食したニコチン的な件でもう食べきることはできないだろう。ああ、なんて勿体無い。なんだかんだ言ったけど、やっぱり葉巻とは相容れないのだ。むしろ禁煙徹底の覚悟は強固になったといえる。

 ため息を吐き出して、今後スモーカーさんの前では口にしないことを誓いつつ、わたしはココアシガレットの箱を閉じるのだった。

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