No Smoking


▼ 09-2/2

「私生活の方はどうですか、ナマエさん」

 休憩時間も終わり、皆さんは仕事に戻っていったので、ようやく落ち着いてナマエさんとお話する時間が設けられた。気を使って私にナマエさんの接待をするように提案してくれた海兵たちに感謝しつつ、空になったスーツケースを片付けている彼女に話しかける。

「私、スモーカーさんには家に置いてる、としか聞いていなくて……スモーカーさんは頼りになる人ですけど、ナマエさんも女の子なんですし、私でよければいつでも相談してください」
「お気遣いありがたいです、たしぎ姉さん」

ずるずるとスーツケースを引きずり、先ほど消臭した椅子に腰を下ろすナマエさん。私にお礼の言葉を告げつつ、彼女は居心地良さそうに伸びをした。

「でも平気ですよ、公害の葉巻を除けばなかなか快適な生活をさせてもらってますから。それに葉巻の件はおつるさんの指導のもと自分に課した試練なので耐えられます、耐えきります、そしていつかベランダに追い出します」

 なんだか不安なことを言っている気がするけど、スモーカーさんとは上手くやっているみたいだ。いくらナマエさんが小さいからとはいえそろそろお年頃だろうし、同居というのはどうなのかなと懸念していたのだけれど、現時点では杞憂であるらしい。

「それにスモーカーさんもわたしが居て助かってると言ってくれたので、一応ウィンウィンな関係なんですよ。こないだも夕飯褒めてくれましたし」
「え……ナマエさん、夕飯作ってるんですか?」
「そりゃあ、置いてもらってるんですしそれくらいしますよ。そのうちわたしはスモーカーさんの胃を掴んでみせます。そしてプランF、室内で葉巻吸うならもう夕飯作りません作戦に出るのです」

また不安なことを言っているのはさておき、それって地味に衝撃である。ナマエさんの言い方からして夕飯は毎晩のことなのだろうけど、色々と忙しそうだから大変なんじゃないのかな。でも、どうやらスモーカーさんも美味しくいただいているみたいだし、差し入れも美味しかったし、ナマエさんは料理上手なんだろうなあ。私はやたら焦がしてしまうので憧れてしまう。彼女の料理なら一度ご相伴に預かりたいな……ってそうではなくて。

「もしかして、料理以外にも家事してます?」
「もちろんですとも。掃除洗濯料理裁縫人並みにどんとこいです。裁縫とかする機会ないですけど……ああ、でもそうですね、このままスモーカーさんのお世話を焼き続けてわたしなしでは生活できないようにしてからプランK、室内の喫煙をやめないとボイコットする大作戦に出るというのもいいですね。長期スパンになるのが厄介ですけど」

またまた不穏なことを言っている。喫煙を止めさせるとか禁煙を促すとかしない辺りがいかにもナマエさんらしい。というかプランはいったいいくつまであるのだろう。
 それにしても、薄々思ってたけどしっかりしすぎじゃないのかな、ナマエさん。私がこのくらいの歳の頃はとにかく剣しか振っていなかった気がするので、素直に感心してしまう。彼女ならいつお嫁に行ってもきっと困らなさそうだ。


「あれ、そういえばスモーカーさん居ませんね」

 今更気づいたようにナマエさんはきょろきょろと周囲を見回しながら呟いた。先ほどからちょくちょく話題に上がっているのにこの無関心っぷり……なんというか、献身的かと思えばとことん薄情な人である。どうりで空気が綺麗だと思いました、とはずいぶんな言い草だ。

「スモーカーさんなら少し前に港の方へ向かいましたよ。そろそろ戻られるんじゃないでしょうか」
「港? なんでまた」
「今日海軍本部に帰還した方に何かの調査書を頼んでいたらしくて、その回収をしに行ったみたいです。本部で受け取ればいいのではと言ったんですけど、相手が相手なので、使いっ走りにして機嫌を損ねたからとわざわざ足を運ばれてます」
「へー、あの人てそんな気遣いできたんですか。相手の方もなかなかやりますね」

 さりげなく貶しつつも、ナマエさんは本気で驚いているようだ。確かに我が道を往くスモーカーさんは、ときどき見透かされているのでは、と思うほど察しがいいわりに、他人の機嫌を取るようなことはほぼ全くしてくれない。ナマエさんが驚くのも詮無いことだけれど、それは先に言ったとおり、今回の相手が相手だからである。

「スモーカーさんの同期の方なので、付き合いの長い腐れ縁だとお聞きしてます。今日わざわざ港に行ったのも、恨み言が長くなりそうだからといった理由でしたし」
「なるほど……つまりかなり仲良しなんですね」
「そうですね、確かになんだかんだ仲は悪くなさそうです。ヒナさんと仰るんですけど、ご存知ですか?」
「いや、知らない方です。てかその人女性なんですか」

そうですよと肯定すると、彼女はへええ、とますます感心したように相槌を打った。

「いい歳してわたしを部屋に置いても問題ないほど女の影がないスモーカーさんを正直心配してたんですけど、ちゃんと仲の良い方がいらっしゃると聞いて安心しました、わたし」
「あはは……でもスモーカーさんとヒナさんはそういうんじゃないと思いますよ。良くも悪くもあのお二方は腐れ縁、という言葉が似合う気がします」
「ふーん、そうなんですか。まあスモーカーさんが独り身なのは、家に置いてもらってるわたしにとっては都合がいいのかもですけど……というかあれですよね、わたしが知る限り、海軍上層部の方ってやたら独身が多くないですか?」

 なんだかんだモテそうな人が多いのに、と不思議そうに首を傾げるナマエさんの素朴な疑問に、私は少し痛いところを突かれたような気分になった。

 まだ海軍に就任してから数年のひよっこの私でも、この件に関しては根深いものだと認識している。上層部の、精鋭の海兵になればなるほどに、私たちは家族や友人、それに近い存在のか弱さを警戒するようになる。それは海兵であればこそ、この大海賊時代においての人命の危うさをよく理解しているからだ。あのガープ中将ですら、息子や孫がいるとは言っても伴侶について一言も漏らさないのは、自分の弱点になりかねないと理解しているからなのだろう、と思う。

「それは……」

 思わず歯切れ悪くなった私を見て、ナマエさんはこちらを覗き込むように首を傾げた。彼女の毛先が肩口に掛かって揺れるのを眺めつつ、私がどう言うべきかと考えあぐねているところで――


「スモーカー君、わたくしはあなたの雑用ではないのよ。その辺り理解していただけてるのかしら」
「同期のよしみだ、そう言うな」
「あなたって本当にそれしか言わないのね。とっくに聞き飽きたわ、ヒナ幻滅」

 バン、とドアを開き、周囲には目もくれずに部屋の奥にずかずかと進んできたのは、書類を捲りながら生返事をするスモーカーさんと、不満げな顔をした噂のヒナさんだった。スタイルのいい長身に、相変わらず目鼻立ちの整った美人で、さらさらと靡く薄桃色の髪が本日も美しい。調子のいい海兵たちが「ウオオ! ヒナ嬢!」「なんて美人なんだ!」「素敵だ!」とか叫んでいるのが聞こえた。

「いきなり電話してきたかと思えば、理由も説明せずにあの海域を調査しろだなんて。いくらなんでもあんまりじゃない?」
「どうせ通り道だったろう。それよりお前、何でこんなところまで付いて来たんだ?」
「詫びの一言も頂いてないからよ、スモーカー君」
「あァ……そりゃ悪かったな」
「ちょっと、わたくしの話を聞いているの? まったく、……あら、たしぎ。久しぶりね」

 ふと私を見つけたヒナさんが声のトーンを和らげつつ声をかけてくれたので、お久しぶりです、と笑顔を返してありがたく頭を下げた。ヒナさんは新兵時代、ずいぶん世話になった私の憧れの人なので、こうして懐かしむように声をかけてもらうのはとても恐縮だ。ようやく怒り心頭のヒナさんの気が逸れたためか、スモーカーさんはやれやれと紙面から顔を上げる。私とヒナさんが軽く挨拶を交わすのを確認してから、彼はこの部屋では見慣れない、椅子の上の少女に目を留めた。

「……ナマエか」
「はあい、お邪魔してます」
「邪魔してるって態度がそれか?」
「どこに居ようと何食わぬ顔で葉巻を吸いまくるスモーカーさんにだけは言われたくないです」

 我が物顔で椅子に身を凭せ掛け、ぱたぱたと手を払うナマエさんの姿に、スモーカーさんは呆れ果てたように眉を寄せる。相変わらずの掛け合いはもはや形式美に近い。こんなやりとりも彼らにとってはすでに日常なのだろうと思うと、なんだかスモーカーさんが抜け駆けしているようにも思えた。船旅の間は見慣れた光景だったはずなんだけどなあ。
 するとヒナさんも彼の陰に隠れる位置にいたナマエさんに気づいたようで、ひょいと身を乗り出し、「あら」と意外そうな声をあげた。

「あなた海兵じゃないのね。どなた?」
「はじめましてお姉さま。わたしはナマエと言います。色々あってスモーカーさんの健康管理係をしている者です」
「おいナマエ、適当なことを言うんじゃねェ。……こいつは元帥名義で海軍に保護されてるガキだ。近頃はよく本部に出入りしてるんでな……まァ顔ぐらいは覚えとけ」

スモーカーさんは、正面からナマエさんの両腕を引っ張って立ち上がらせつつ説明する。「あー、腕が引っこ抜けちゃいますー」と間延びした声で文句を言うナマエさん。えっ、なに仲よさげなことをしてるんですか。ナマエさんなら「触らないでください匂いが移ります」と言うところかと思ったのに、いつの間にそんなに仲良く……ずるい。

「保護? 初耳よ、ヒナ初耳。一体どういう経緯?」
「言うなりゃ、ただの迷子だな」
「分からないわ。あなたは何の関係があるの」
「おれァこいつを拾って本部まで連れてきただけだ。保護対象になった理由自体は元帥に聞け。一応保護者みたいなもんで家に置いてるが、おれも詳しいことは知らされちゃいないんでね」
「聞き捨てならないわ。保護者って、あなたが預かっているの?」
「あァ……慣れねェことをさせられてる自覚はある」

スモーカーさんは不本意そうに言うけれど、ナマエさんの傍らに立つ姿はそれなりに"らしい"気がする。でもスモーカーさんは保護者だけど、家事してるのはナマエさんなんだよなあ。

「ナマエと言ったわね。こんな男に預けられて、あなたも大変じゃない?」
「うーん、確かにそういう点は多いですね。スモーカーさんって挨拶は滅多に返してくれませんし、全然人の話を聞いてくれませんし」
「それ、本人も自覚してるくせに入隊当時から全く変わらないのよ。スモーカー君は自分のことを絶対に正しいと思っているから。そのせいで何度上官に文句を言われたか……」

 これ見よがしにヒナさんが愚痴るが、スモーカーさんは素知らぬ顔で葉巻を吹かせている。私も本気で海軍をクビにされる危機を何度か救ってくれているヒナさんに、スモーカーさんはもう少し感謝してもいいとは思う。

「まあ、なんだかんだスモーカーさんはいい人だと思いますよ。近頃はときどき褒めてくれますし、労ってくれますし」
「あら、スモーカー君が?」

目を丸くしてスモーカーさんを見やるヒナさん。ナマエさんは先ほども夕飯を褒めてもらったと喜んでいたけれど、たしかに私の上司であるスモーカーさんのお褒めの言葉とはあまり想像がつかない。そう考えると、ナマエさんの料理がスモーカーさんに褒められたって凄いことだ。やっぱりご相伴に預かりたい。

「とはいえスモーカーさんに関わってると知れると誰もが口を揃えて大変だね、と言うので、問題児なのは間違いないですね」
「そうなのよ。迷惑してるわ、ヒナ大迷惑。あなた、また今度スモーカー君の愚痴会でもしましょう。たしぎも一緒にね」
「あはは、お付き合いします」
「えっ、わ、私もですか!?」
「……本人の前でする提案じゃねェな」

スモーカーさんが溜め息を吐き出した。ヒナさんは上品に微笑んで、両手でナマエさんの頭を包みこみ、その髪をふわふわと躍らせながらスモーカーさんの方を見やる。

「ま、あなたも可愛い子と仲良くできて良かったじゃないの、スモーカー君」
「こういうのは生意気な奴ってんじゃねェか」
「何よ、そんなこと言ってもあなた、らしくもなくこの子に甘いのではなくて? わたくし、感心してるのよ」

からかうように口角を上げるヒナさんと、うんざりしたように言葉を返すスモーカーさん。こういう二人を見ると、確かにナマエさんの言ったような関係に見えなくもない、と思う。実際この人たちは、なんだかんだと仲が良いのだ。
 すると突然、ヒナさんは何事か思い当たったらしく、はたとナマエさんを撫でやる手を止めた。そのまま身を屈ませ、彼女はされるがままのナマエさんに視線を合わせる。

「今更だけれど……名乗るのが遅れたわ。私はヒナよ。"黒檻のヒナ"。よろしくしてちょうだい」
「黒檻? いよいよ白猟とは対照的な通り名ですね。こちらこそよろしくお願いし、ま……」


 突然途切れた言葉尻を不思議に思って見やれば、ピタリとナマエさんの顔が凍りついている。眉尻を下げて嘆くような目をした彼女の表情には、なんとなく見覚えがあった。この顔は確か、特に初対面の頃、スモーカーさんと顔を付き合わせるたびに浮かべていた表情だ。それをなぜ今……。

 とそこまで考えて思い至る。そうだ――ヒナさんは喫煙者だ。

 まずい。ナマエさん、距離が近づいたことで煙草の気配を察知したのかもしれない。スモーカーさんみたいにヘビーな吸い方をする人では無いとはいえ、ナマエさんの嫌煙は筋金入りだ。一体どう言う対応に出るのかと背筋が凍る。ああ、どうか穏便に……、


「――ヒナさん、禁煙中ですか」


 一触即発の気配を感じて身構えたのだけれど、ナマエさんは強張った表情をふと和らげ、何を察したのか悲しそうな声で呟いた。ヒナさんが驚いたように目を見開く。

「ええ、確かにそうだけれど……なぜ?」
「一瞬服から煙草の匂いが。匂い移りかもと思ったんですけど、さっき一瞬、海軍のコートのポケットにいくつか飴が入ってるのが見えたので、禁煙してるのかなと」
「素晴らしい観察眼ね、あなた。驚いたわ」
「喫煙限定ですよ。実はわたし、煙草がめちゃくちゃ嫌いなんです。なので特にその点に関しては、スモーカーさんとかが本ッッ当に無理でして」

ナマエさんは厳しい表情でヒナさんに告げた。彼女の方も、特に気を害した様子はなく微笑みを返す。

「それも当たり前のことだと思うわ。スモーカー君の吸い方は目に余るものね。わたくしも、あなたの前では吸わないように気をつけるわ。まあ……禁煙がうまくいけば、それでいいのだけれど」

 ヒナさんは情けなさそうにまぶたを伏せる。そう、ヒナさんはこれまで何度か禁煙に挑戦しているはずが、一度も完遂させたことがないのである。なにしろ人一倍責任感が強く、スモーカーさんと対照的に優等生であるヒナさんはストレスを溜めやすい性質なのだ。それに、どうしたって男性人口の多い海軍で、女性であるヒナさんが指揮を取るというのは想像以上に大変なことのはずである。

「ヒナさんはストレス溜まると吸ってしまうタイプですか?」
「そうだと思うわ」
「なるほど。お仕事大変ですね……わたし、禁煙のご協力ならいつでもさせていただきますので、いつでも相談してください。その道については明るいと自負しておりますので」

 力強く頷くナマエさんから溢れ出る頼り甲斐。確かにナマエさんの手にかかれば、スモーカーさんでない限り禁煙も上手く行くはずだと思わせてくれる信頼感がある。ヒナさんはきょとんとして数回瞬きを繰り返すと、紅の乗った唇にふっと笑みを浮かべた。

「そうね。協力、お願いしていいかしら」
「ええ、もちろん! 見栄を張るわけじゃないですけど、わたしいつかスモーカーさんのヘビースモーカーっぷりもなんとかするつもりなので」

その言葉が耳に入ったのか、少し前から資料に目を落としていたスモーカーさんは、珍しく驚いたようにナマエさんを見やる。とはいえ私も驚いた。てっきりナマエさんは、スモーカーさんの喫煙については完全に諦めていると思っていたから。そんな私たちの視線に気づいているのかいないのか、誰に向かってとも知れず、彼女は満面の笑みで「期待しててください」と豪語した。

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