No Smoking


▼ 07-3/4

「……あんた、ナマエだね」

 クザンさんに引き連れられて海軍本部のランドリールームにやってきたわたしは、洗濯物の山を抱えた老齢の女性から出会い頭に名前を呼ばれていた。白い髪を一つにまとめた背の高いおばあさまは、鋭く目を光らせてわたしを見つめている。にしても迫力がすごい。眼力からして確実にただの清掃員とかではなさそうだ。

「はい、わたしがナマエですが」
「んん? おつるさんじゃないですか……ナマエちゃん、知り合いじゃねェよな」
「そうですね、初対面です」

 クザンさんはこのおばあさまをおつるさんと呼んだ。おつるさん、というと……あれだ、わたしとスモーカーさんの同居を勧めた謎の人物じゃなかったか。となるとこのおばあさま、センゴクさんに意見できるほどには偉い人ということになる。なるほど、この人が……。

「おやクザン、あんたも一緒かい。しかし会えてよかったよ。ちょうどあんたと話してみたいと思っていたところさ、ナマエ」

 おつるさんはそう言いながら、興味深そうにわたしの頭のてっぺんからつま先までを観察する。そうじろじろ見られるのはなんだか落ち着かない。
 というかなんでこの人、見ず知らずのわたしをスモーカーさんに押し付けたりしたんだろう。今朝まではなんてことを提案してくれたんだとぶっちゃけ腹を立てていたのだが、見たところ、意味もなくそんなことをするタイプの人には見えなかった。

「可愛らしい娘だね。聞いた話では、スモーカーたちがあんたの世話になったらしいじゃないか」
「それは……逆じゃないですか?」
「あたしが言ってるのは文字通り世話の話さね。すぐに分かったよ、あんたは……いい仕事をするようだ」

おつるさんがフッと柔らかく微笑むと同時に、彼女の耳飾りが小さく揺れた。なんて物腰の柔らかで優雅なおばあさまだ、若い頃は心底モテたに違いない。

 ところでこの人が言ってるのはなんの話だろう。わたしがスモーカーさんたちのお世話になったのは分かるが、わたしがしたことというとほとんどない気がする。あの船でわたしがやったのは、せいぜい……。

「あいつらの服を消臭してたのはあんただね」

 なんでこの人がそれを。わたしが驚いて息を飲むと同時に、おばあさまは何やら嬉しそうに目を細めた。



「ど……どうなってるんです、これ」
「"悪魔の実"さ。あたしはあらゆるものを洗濯できる……シミ一つ残さずにね」

 海軍本部の和風庭園、青空の下でおつるさんが洗濯をする様子に、わたしは思わず目を奪われていた。なんと洗練された手つき、無駄のない動き、圧倒的作業効率……もちろん洗濯そのものにも手抜かりはない。そして干されていくのは服に限らず、おつるさんの言の通り、本来なら洗えないはずのあらゆるものだ。驚く間も無く、当たり前のように剣とか銃とかが吊り下げられ、洗濯ばさみで留められていく。何故か生きた猫ちゃんも洗われて干されているが、そんな状態だというのになんとも清々しい表情を浮かべていた。

 いや、なんだこの石鹸の香りが漂う狂った空間は。

「おつるさんはセンゴクさんと同期のベテランなのよ。中将であると同時に大参謀として慕われてる……ま、すごい人だ」
「へ……え、しかしなんというか、そんな方がなぜ洗濯を」
「そりゃ洗濯においてもおつるさんの右に出るものはいないからよ……あの人にとっちゃ、洗濯は同時に鍛錬でもあるみてェだしな」

クザンさんは珍しくサボらずに真面目に解説してくれている。しかし相変わらずわけのわからん話だ。
 正直わたしは異世界を舐めていた。煙になるとか氷になるとかはまだ分かるが、何もかも洗える能力ってなんなんだ。ピンポイントにぶっ飛びすぎだ。というか正直羨ましい。そんな能力があるならわたしも全ての匂いを消し去れるムシュムシュの能力者とかになりたい。ああ、悪魔の実図鑑、ちゃんと見とけばよかったなあ。

「すまないね、少し待たせた」

 そんなことを考えているうちに、おつるさんはあの洗濯物の山を洗いながら干す作業を一瞬で終わらせてしまった。手を拭いながらわたしとクザンさんへ向き直るおつるさん。完全に圧倒されたわたしは思わず息を飲む。この人、すごい。

「たしぎに少しだけあんたの話を聞いてね。相当な煙草嫌いなんだって?」
「はい。この世で最も許せないものです」
「それでスモーカーとやり合ってんのかい。全く根性のある娘だよ、あんたは」

うおお、重鎮に認められてしまった感がすごい。わたしはなんだか恐縮の念を抱いていた。いやだって、あんな手さばきを見せられたら、清掃に拘る者としては崇めるしかないだろう。年季の入り方が違う。

「あたしも前々からスモーカーの喫煙には頭を悩ませていてね。しかしあの"野犬"、人の言うことを聞くようなタマじゃないだろう? もう本部に住んでもいないし、あれの生活改善は諦めていたんだが……そんなとき、あんたという光明が差した」
「そんな。スモーカーさんがどうしようもないヘビースモーカーさんなのは同意ですけど、わたしにはまだまだあの人を更生させるほどの力は……」

萎縮するわたしをクザンさんがものすごく珍しそうな目で覗き込んでくる。ええい、なにがおかしい、わたしだって人並みに緊張したりするんだよ。

「そうだね、あんたはまだ未熟だ。でもその匂いに対する熱意と執心には目を見張るものがある。……あたしがナマエ、あんたとスモーカーの同居を勧めたのはそこを見込んだからさ」
「な、なんでそんなことがわかるんです?」
「なに……スモーカーとたしぎを見たら一目瞭然さ。あるものでなんとかする、という心意気が伝わってくるようだったよ」
「!」

 この人は気づいてる。おつるさんは、わたしが船旅のあいだ炭とティーバッグを駆使して船中を消臭していたことを、スモーカーさんとたしぎ姉さんの衣服から一目で見抜いたのだ。なんということだ。一体どういう次元で生きているんだ。消臭を施したわたしでもそんな芸当はできる自信がない。ああでも、いまようやく分かった。海軍本部全体に流れる清涼な空気は、この人が生み出すものであったのか。

 そしてわたしは高鳴る胸を抑えられずにいる。この人はこの世界で最もわたしの理解者足り得る人だと、この人はわたしなど足元にも及ばない猛者であると、わたしはもう気づいている。

「喫煙嫌いのあんたに苦を押し付けたのは申し訳なく思ってる。だからあたしも、精一杯あんたをバックアップするつもりさね。洗濯のノウハウなら、あたしが全部教えてやる」

 涙腺が緩みそうだ。この人はわたしが苦しむのを承知の上でスモーカーさんという強敵を乗り越えろと言っているのだろう。構わない。わたしは今日の朝、すでに腹をくくった。この人の元につけば、わたしはもっと上へ行ける。

「あたしが掲げるのは"清らかなる正義"」

 おつるさんはほんの少し腰を落とし、わたしと視線を合わせた。

「あんた、あたしの弟子になるかい」

「ぜひとも」

 わたしは頷きながら即答する。やってやろうじゃないか。おつるさんと握手を交わすと同時に、話についていけなかったらしいクザンさんが「どうなってんのよ、コリャ?」と頭を掻いた。

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