▼ 06-3/4
「大将?」
さくさくとクッキーを咀嚼しながら、わたしは目の前でコーヒーを啜る、例ののっぽなおっさんに問い返す。
「そォよ」
クザンさんがこくりと相槌を打つ。三時のおやつにと始めたこのお茶会は、すでに陽が傾くまで延長に延長を重ねていた。
それにしても、あまりにもお菓子が美味しくて、先程から手も口も止まってくれない。このままじゃ夕飯が食べれなくなってしまう。ああ、またうっかりまた新しい包みを開けてしまった。いやはや机の上に並べられた紅茶やお菓子は、わたしの安い舌でも分かるほどには美味である。実に羨ましいことに、クザンさんは普段からやたら良いものを食べてるらしい。
「大将って、なんとなく高い階級ってのはわかるんですけど、それってどれくらい偉いんですか?」
「そうだな……海軍のトップは元帥ただ一人なんだが」
「ふむふむ」
元帥が一番偉い人、と、脳に直接メモをする。もし今後出会う機会があれば、存分に媚びることにしよう。このナマエ、生き抜くために手段は辞さないのだ。
「その下が大将だ」
「おわ! すごいですね大将」
想像以上に凄かったクザンさん。彼曰く大将の階級持ちは三人だけで、彼らは海軍の最高戦力とか言われちゃうらしい。確かにこの人の悪魔の実の能力はぶっ飛んでいたし納得ではあるけど、しかしそれでこのだらけっぷりは許されるのか。彼の執務机の後ろの壁には堂々と『だらけきった正義』の標語が掲げられているけどそれでいいのだろうか。まあわたしはクザンさんの適当なスタイルは好きだけど。
「そう考えるとスモーカーさんが大佐って低くないですか? あの人も煙だから攻撃が効かないとかいう意味わからん能力あるのに」
「あ〜……スモーカーはなァ。確かにやる気になりゃ中将くらいすぐだろうが、あいつは我が道を往くタイプでしょ……昔から問題児扱い、ここじゃ"野犬"なんて呼ばれててな。上層部に嫌われてんのよ」
「へえ、全然知りませんでした。確かに人の下に付くような柄じゃないですもんね、スモーカーさんて」
「フフフ……そうだなァ」
クザンさんは何かを思い出したみたいに笑う。話を聞くところによると、一応スモーカーさんは彼の後輩に当たるらしい。昔は同じ教官に師を仰いだと言う。なんというか、若い頃のスモーカーさん、というのはどうにも変な感じだ。あまり想像がつかない。
「――ナマエちゃんは何というか、あれだな。話してて思うが、ずいぶん変わり種っつーのか……スモーカーが気に入るのもよく分かる」
突然そう切り出したクザンさんは、先程からずいぶん楽しそうだ。具体的にはあまりだらけきってない感じである。
というかわたし、これでも失礼なことを言わないよう気を使っているのに、ぶっちゃけ変だと言われてしまった。なんでだ。今のところ、そんなにアホなことは言ってないはずなんだけど。
「うーん、バレましたか。……というかそもそも、スモーカーさんってわたしを気に入ってるんですかね」
確かに昨日の晩、寝落ちする直前に何かそんなようなことを言われたような気はしないでもないが、正直自信はない。確かに仲良くなった気はするけど、それは言ってみれば、単に慣れてきたというだけの話だ。
「話を聞いてりゃそうとしか思えねェけどな……お」
「? どうかしました?」
「やっぱり間違いねェでしょ……ホラ、おいでなすったぞ」
つと入口の襖に目を寄越すクザンさん。特に意識もしないまま、わたしもソファの上で身を捻り、首を伸ばして彼の視線を辿る。
――と、木製の廊下を踏む足音。二人ぶんの気配が早足で近づいてきた。
ちょっと待って欲しい、だいたい予想はついたけど心の準備が間に合っていない。ついでにまだ新しいクッキーを咥えたままである。この問答無用の足運びからして、確実に飛んでくるのは怒鳴り声だ。というか廊下はもっとのんびり進むもんだろう。ああ、せめてノックを。というわたしの願いも虚しく、足音が部屋の前まで来た途端、間髪入れずに襖が開かれた。
「ナマエ!」
「ナマエさん!」
予想を裏切らない、聞き慣れた大声がふたつ。いやあ参った。残っていたクッキーを丸ごと口に含んだまま、足音を立てて部屋に上がり込んできた彼らと視線が合ってしまった。
「えっと」
口を押さえつつ、クッキーのかけらをごくりと飲み込んで、人差し指を立てるわたし。
「……もう1テイクお願いしていいですか」
割と申し訳ない気持ちのまま呟くと、怒りと焦りの形相で部屋に飛び込んできたはずのスモーカーさんとたしぎ姉さんは、口の中身を紅茶で流し込むわたしを眺めつつ、大袈裟なくらい脱力してみせた。長いため息とともに眉間を抑えるスモーカーさんと、へなへなと膝に手をつくたしぎ姉さん。まったく、だから待ってって言ったのに。ノックしてくれたらもっと真面目な顔でお出迎えできたぞ、わたしは。
「あらら、ノックも無しとは……ずいぶん不躾じゃないの」
文句を言いながらも心底面白そうな様子でクザンさんが呟いた。それを聞いたたしぎ姉さんはハッとして姿勢を正し、慌てて頭を下げる。
「あっ、青キジさん!すみません、いきなり……」
「よォ、相変わらずいい女じゃねェの、たしぎちゃん。今夜ヒマ?」
「ごめんなさい……夜は見回りの仕事があるので、用事なら別の方に」
さらっと口説いたクザンさんを華麗に流すたしぎ姉さんの手際は実に見事だ。これぞボケによるボケ殺しである。そして本気で言っているあたりが、例のたしぎ姉さんの魅力というやつだ。
「てめェ、ナマエ……」
「はっ、スモーカーさん」
ふと気づくと、たしぎ姉さんに気を取られているうちに、わたしのすぐそばまでかぐわしい葉巻の悪臭が近づいてきていた。くそう、油断した。目を逸らそうとも逃れられない、ハッキリとした怒気を感じる。まずい、怒られる。ど叱られる。
「……よくもおれの目を掻い潜ってくれたな」
地底から響くようなドスの利いた声。スモーカーさんはあれだ、人を脅すのに慣れてるよきっと。きっと趣味でカツアゲとかしてるに違いない。
「あはは、白猟の名が泣きますね。わたしから目を離しちゃだめじゃないですか」
「少しは反省したらどうだ。お前は一秒だって大人しくしてられねェのか!」
「あーん、んなこと言ったって、迷子になったのはわたしのせいじゃないんですよ。許してください、てか痛いです、あ痛っ、いたい」
スモーカーさんはどうにも立腹のご様子にあらせられる。しかしこめかみをぐりぐりするのは割とマジで痛いのでやめていただきたい。横からひょこりと顔をのぞかせたたしぎ姉さんも、今回はスモーカーさんの暴挙を止めてくれる気は無いようだ。ちょっとむくれた声を出している。
「そうです! ナマエさん、怪我も治ったばかりだし、海賊も脱走してたっていうのに……本当に心配したんですから!」
「それは申し訳ないですけど、でもですね、その海賊がわたしの……」
「スリの件は聞いた。だが性懲りも無くわざわざトラブルに巻き込まれに行くんじゃねェ。大体青キジに保護されたなら保護されたと連絡を寄越せ! どれだけ探させられたと思ってんだ!」
「え。クザンさん、連絡したって言ってましたよ」
スモーカーさんがわたしの頭を挟んでいた手をピタリと止める。たしぎ姉さんとほとんど二人同時にじろりとクザンさんを睨め付けると、彼は白々しくあさっての方向を眺めつつ頭を掻いた。
「あ〜……ほら、ちょっとナマエちゃんと話す時間が欲しかったのよ。お前ら必死こいて探してるみてェだったんでな、呼んだらすぐ来ちまうと思って後回しにしてたんだった。いや、すっかり忘れてたわ」
なるほど、わたしと話している間やけにだらけずに楽しんでるなあと思ってたら、別の方面でだらけきってたわけだ。流石クザンさん、筋金入りのズボラである。とか悠長に考えていたら、もうそれ一応上司なクザンさんに向ける顔じゃないだろって感じのスモーカーさんが、低く唸り声をあげた。
「オイ……」
「しかし話にゃ聞いてたが、本当に仲良くやってんだなお前ら」
「青キジ……アンタ、少しは」
「ちょっと待ちなさいよスモーカー……お詫びと言っちゃ何だが、先に話を通しといてやったからそうカッカしなさんなって」
「……話?」
スモーカーさんが眉を寄せる。なんのことだろう。会話の流れからしてわたし関連のことには違いないだろうが、一体誰になんの話を通したというのか。
「ナマエちゃんに大まかな事情は聞いたんだが、凪の帯にいきなり居た、それ以前の記憶は曖昧……となりゃ、こっちも扱いに困るってもんでしょ。その嬢ちゃんがどうこうしたようにゃ見えねェが、おれたちも知らねェ凪の帯を通過する方法があるとしたらまた面倒な話になる。ま、つまりおれの一存ではどうしようもできねェんで、後の相談はセンゴクさんにしてくれや……ってことだ」
聞き覚えない名前が出てきた。誰だセンゴクさん。
「げ、元帥に?」
たしぎ姉さんが目を丸くする。元帥? 元帥っていうと、さっき聞いたな、確か……海軍の一番偉い人だ。センゴクさんとやらは元帥らしい。まじか、いきなり上の方に話が飛んでしまったみたいだ。てかクザンさんいつの間に。わたしもびっくりである。
「まァセンゴクさんも仕事がひと段落ついたみてェだったし、ゆっくり話してきなさいな……。んなわけで、それじゃあなナマエちゃん。また遊びにきてくれや」
「え? あ、はい。ありがとうございました、お菓子美味しかったので、また機会があれば貰いにきます」
「そうかそうか……それならホラ、残りも持って行きなさいよ。おれは面倒臭くてあんまり食わねェんでな」
「いいんですか、遠慮しませんよわたし。いやあ、ありがたいです」
ニコニコしてるクザンさんにわたしも笑顔を返した。お菓子をかき集めつつ何やら朗らかな空気になっているわたしたちを見て、スモーカーさんとたしぎ姉さんが呆気に取られている。と思いきや、いきなりハッとしてわたしの肩を掴んだお二人に、ズルズルと出口へ引きずられていってしまった。
「そ、それでは大将青キジ! 失礼しました!」
「一応礼は言っておくが、次からは連絡は迅速にしてもらいてェもんだぞ、青キジ」
「あァ……ま、気をつけるが、できるだけな」
「スモーカーさん、たしぎ姉さん。ちょっと待ってください、まだ残りが」
「うるせェ、いい加減にしろナマエ」
「ナマエさん、ほら、いいですから!」
「もう、せっかちですね。ではクザンさん、運が良ければまた今度」
「あァ……またな」
口角を上げたまま気怠げに手を振るクザンさんが遠ざかり、パシン、と襖が閉められた。
しんと静まりかえる廊下に、再び脱力した二人のため息が響く。なんかいきなり退室させられたけど、一体なんなんだ。
「ほんの少し目を離した隙に、スリに合うどころか海賊捕捉の現場に居合わせた上、最終的にはなに大将と仲良くやってんだお前は……」
「ああ、ナマエさん、また大変な人に気に入られて……あんな朗らかな青キジさん見たことありません。あの空気に飲まれたらお終いです」
なるほど、わたしとクザンさんの会話を見て、このままではだらだら流されてしまうと判断したらしい。クザンさんとはやけに気が合ってしまったもんだから、多少仲良くなるのは許してほしいところだ。
しかし見たところ、二人ともずいぶんお疲れのようで、わたしの迷子に心労と手間をかけさせたことは確かなようだ。何しろ今の今までわたしがクザンさんに保護されたことは知らなかったみたいだし、こんな時間になるまでずっと探していてくれたに違いない。いやはや本当にお人好しな人たちだ。付き合いも長くなってきたとはいえ、たかが保護しただけの一般人のわたしに甘すぎるんじゃなかろうか。まあわたしも、それが嬉しくないわけじゃないんだけど。
「でも、ひとまず無事で何よりです」
たしぎ姉さんがわたしを覗き込んで、安心したようにふっと笑う。朝ぶりに見たたしぎ姉さんの顔は、色々ありすぎたせいか、やけに久しく感じた。
「……ナマエ」
口から白煙を吐き出したスモーカーさんに、頭の上へポンと手を置かれる。匂い移りがどうのこうのと思う前に、スモーカーさんの呼びかけがどうにも真面目な声色だったから、わたしはくるりと彼を見上げるだけで、特に文句は出てこなかった。
「今回こそ怪我はねェだろうな」
なに一丁前に心配しちゃってるんだ、スモーカーさんってば。ああでも、スモーカーさんとは身の安全に気をつける、みたいな約束をしたんだったか。ならわたしももう少し気をつけるんだったな……とは思いつつ、やはり似合わないスモーカーさんの台詞になんとなく笑えてきて、わたしは思わず頬を緩めていた。
「まあ、危ない場面はありましたけど無傷ですよ。ご心配かけてすいませんでした。それから……探していただいて、ありがとうございました」
わたしがお礼を言った時に見せてくれるいつもの失礼な表情のあと、全くだ、と呆れ顔で、スモーカーさんは肩を竦めた。
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