No Smoking


▼ 06-1/4

「……」

 雑踏を背に、石橋の手すりにもたれかかり、海に向かって真昼間からたそがれる、わたし。この場所は割と高台なので、こうしていると港側全体を見渡すことができるのだ。ああ、澄み渡る空がきれい。

「…………」

マリンフォード、その石造りの町並みは、至る所真っ白でたいそう美しい。空と海の青色が、風景の中でいい感じに映えている。海軍本部と聞いたので、もっと灰色の要塞って感じを予想してたのだが、いやはやなんとも景観の良い島である。

「……………………」

町には人も多く活気がある。やはり海軍本部のある島だけあって流通も盛んなのか、島中の港に交易船が停泊しているようだ。内情のことはわからないが、わたしはこの島で暮らすのは悪くない、と思う。

「はあ……」

 それはさておき、わたしはどうやら迷子のようだ。


 船で支度を済ませたあのあと、いつ用意したのか、海兵さんたちに山のような見舞いの品と餞別を持たされたわたしは、彼らと涙ながらにお別れして、スモーカーさん、たしぎ姉さんと三人で本部へ向かうことになったのだが。
 人通りを多い道を、物珍しさにキョロキョロしながら歩いていたせいで、二人から少し距離が開いていたのは確かに不注意ではあった。しかし迷子になったのは不可抗力である。

 ――なにしろ突然、数の知れている私物を詰め込んだ鞄を、柄の悪そうな男にスられたのだから。
 海兵さんたちの餞別のが多かったほどには少ない荷物ではある。しかしその中には、

「そこにははじめて買ってもらった服が……はまあいいんですけど、レア度の高い竹炭使用の竹酢液を念入りにタール分離中なので返してください!」

てか金目のものはないぞ、まじで。過去最高に脚力を駆使し、必死に追いかけ回し、入り組んだ町の隙間を駆け抜け、そして――迷子になった。荷物も取り返せず踏んだり蹴ったりである。悲しい。今思えば、スられた時点でスモーカーさん辺りに助けを呼べばよかったのだろうが、失念するほどには必死だったのだ。
 しかし海軍本部がある島で堂々と悪事を働くとはなんてやつだあの男。あとわたしがスリやすそうだと思われた辺りも悔しい。いくら浮ついてたからって。しかしなんかあの人、風態といい振る舞いといい、なんとなく海賊っぽかったような……。いや、流石にそれは無いか。

 ひとまず海軍本部に行けばなんとかなるだろうとタカをくくって中央へ向かったのだが、身元も証明できないわたしが通してもらえるはずもなく、真面目そうな海兵さんにすげなく追い返されてしまった。話くらい聞いてくれてもいいのに……と思うけど、確かにわたしは怪しいので対応としては正解だ。


 そんなわけで、わたしはスモーカーさんたちが早めに捜索願を出してくれるのを、こうして本部のすぐそばにある石橋で待っているのである。あの人たちなら多分おそらくわたしを探してくれているとは思うんだけど、これでもし夜まで何も進展しなかったら泣いてしまう。
 しかしこの町の人はなかなか気さくな方が多いようで、こうして佇んでいるとときどきどうしたの、と話しかけてくれた。もれなく親とはぐれたのか、と聞かれるけどそこはもういい。とはいえやはり、よそ者が本部の中に入るのは難しいようだ。

「……初っ端から大変なことになったなあ」

はあ、とため息を吐き出しながら、両手で手すりに頬杖をつく。迷子になった点は反省してるけど、この流れはもはや人為的なまでに出来過ぎだ。わたしがなにもしなくてもきっとトラブルは舞い込んできたに決まってる。

「あらゆる苦難の相が出ているに違いない……」

 思えばこの世界に来てから、わたしは高性能なトラブルメイカーになってしまったのかと思うほどに色々やらかしまくっている。溺れるわ、海王類の頭に乗るわ、船は壊れるわ、海賊に刃向かうわ、頭を怪我するわ、スられるわ、迷子になるわ……はてさてこれからどうなるのやら。
 それにしても、やはり、ひとりで何もできないというのは結構情けないものだ。これで本当に今後、やっていけるのだろうか。いつまでもスモーカーさんやたしぎ姉さんに甘えるのは良くないとわかっている。そうだ、むしろわたしは、今この時点で、独り立ちをしなくちゃいけないのではなかろうか。こんな風に助けを待ってないで。
 でも、わたしは身柄を保護されているわけだし、勝手に行動するのもなあ。


「はーあ……」
「はァ……」


「……ん?」

 わたしの三度目のため息と重なるように、頭上から深刻そうなため息が降ってきた。いつの間にかわたしの横に人がいたようである。なんだ、この橋は困った人の溜まり場かなんかなのだろうか……と思いながら気配を感じる方を振り仰ぐと。

「――で……ッかい!」

 でかい。……でかい。なんだこの人。でかい。

「ちょっと……驚きすぎじゃねェの、嬢ちゃん」

あまりのでかさに絶句していると、同じくわたしを見やっていたおっさんが困ったように頭を掻いた。変なアイマスクを頭につけた物凄くでかいおっさんだ。

「驚きすぎってことはないですよ。むしろ落ち着き過ぎなくらいで……おっさん、ちょっとでかすぎません? わたしが子供なら大泣きするほどの威圧感です」
「そうか? わりとこんなもんだがなァ……」

いやいや、でかいって。いくらこの世界の人が片っ端からでかいからってこれはでかすぎる。一体何メートルあるんだこのおっさん。だって頭が遠すぎて顔がはっきり見えないし。今でさえこの人が手すりに腰を引っ掛けてるからなんとか視線が合うくらいだ。
 おっさんは物凄くだるそうに口を開く。そんなに億劫なら話しかけないでもらってもいいのだが。

「嬢ちゃんは何だ、……迷子か?」
「御察しの通りです。まあそのうち探してもらえると思うんですけど。おっさんはリストラですか?」
「ンなひでェこと聞きなさんな……まァ違うけどな」

のっぽのおっさんは白ジャケットを小脇に抱え、頭を掻いていた長い腕を膝に下ろす。しかし、なんともこの圧倒されそうな強面。顔がというか、全身から漂う、このカタギじゃない臭。わたしにはわかる、これはヤのつく職業の人の匂いである。ん? ということは、

「あ、おっさん海兵ですか」

大偏見のままに口にする。

「あらら、おれのことも知らねェのによく分かったな。初対面で言い当てられることは滅多にねェのよ」

 おお、当ててしまった。やはり偏見ではない。海軍イズジャパニーズマフィア、その事実はわたしの心に深く刻まれた。まあ海軍本部のある島だ、こんな強そうな人はほぼ間違いなく海兵だろうけど。

「それで、海兵さんなのになんでこんなところで暇そうにしてんですか?」
「歯に衣着せねェのな……これでも今のおれは滅多になく仕事してんのよ。普段はもっと真面目に暇してる……なにしろおれの海兵としてのモットーは"だらけきった正義"」
「なんかいろいろ素敵ですね。サボりたくて仕方ないって感じが。ちなみにわたしのモットーは"目指せ無香空間"です」
「意味はわからねェが……嬢ちゃんもいろいろと素敵な反応じゃないの」

おっさんは楽しげな笑みを浮かべた。ヤクザな海兵さんとはいえ、スモーカーさんほど愛想が悪い人でもなさそうだ。むしろ話しやすそうな気さえする。

「で、まァおれは今日もいつも通り部屋でだらけてたんだが……そんなに暇なら港で脱走した海賊でも探してこいと放り出されちまってな。どうしたもんかと頭を悩ませているところだ」
「海賊が脱走て、それ結構なおおごとですよ。こんなとこでため息ついてないで探せばいいじゃないですか」
「つっても虱潰しってわけにも行かねえでしょうよ。ここ数日海兵が探してんのに見つからねェと来りゃ……いや、まァ嬢ちゃんに説明しても仕方ないわな」

めんどくせェしな、とそっちが明らかに本音だろって感じで呟いて、おっさんは眠そうにあくびをする。
 本当にやる気がないんだな……というか、いいのか海軍本部。お膝元の町で海賊を野放しにしておいて。いや野放しというわけではないのだろうが、指令を受けてるはずなのに「向こうから出てきてくれたら楽なんだけどなァ……」とか言ってるぞこのおっさん。

「つーか嬢ちゃんこそどうなのよ。探してもらえるってェと……待ち合わせでもしてんのか?」
「待ち合わせはしてないです。わたしこっちに来たばかりなので地理もわからないし。向こうは多分、わたしが何でいなくなったのかもサッパリだと思います」
「ほォ……そりゃ何があったのよ」

 わたしの迷子のいきさつに興味を持ったらしいおっさんは、眉毛を持ち上げつつ身を乗り出した。

「スられたんです、大切な荷物を。追いかけてたら迷子になりました。全くひどいもんです」
「スリ? そんなん、ここいらじゃ滅多に出ないはずだが……来て早々それとはお前、運がねェなあ」

このやる気ないおっさんにさえ同情されてしまった。くそう、わたしもめちゃくちゃ運が悪いとは思うけど、気にしないようにしてたのに。

「それで嬢ちゃん、どうやって連れに見つけてもらうのよ。あれだろ……連絡手段もないだろ、見た所」
「まあ。でも一応、わたしを連れて来たのは海軍の人なので、きっとそのうち捜索してくれるはずです。先に海軍本部に戻ってるかもと思ったんですけど、わたし身元不明だから門前払いされちゃいまして。……うーん、本部に入れたらいいんですけど」
「あらら、そんなのおれに頼みゃいいじゃない」

おっさんが自分を指差しながら呆れたような声を出す。ん? そういやそうだな。すっかり意識してなかったけど、この人は海兵なんだった。

「そう言われたら確かにそうなんですけど……仕事の方はいいんですか」
「そんなん嬢ちゃんを口実にすりゃ問題ねェだろ。おれも本部に戻れて一石二鳥……ま、海賊の件は大した首じゃねェし、下の海兵たちが何とかするでしょ」
「一応わたし、怪しい者ですけど」
「大丈夫だ、おれァ偉いからな。仮にお前が悪さしようとしても……まァ、すぐ止められるはずだ」

あんまり信用ならないことを口にしつつ、おっさんはぬっと立ち上がる。只ならぬ感じはしていたが、やはり偉い人なのか。自分で偉いっていうくらいだし、実はスモーカーさんの上司だったりするのかもしれない。しかし地位は高いのに、そこまでしてサボりたいのかこの人は。
 何にしても、このおっさんはいい人みたいだ。わたしに親切にしてくれる理由の半分以上が仕事したくないから、って感じではあるけど、それでも助けてくれることに変わりはないし。

「で、連れの海兵っての、名前か……せめて階級とかわかるか? おれの知り合いなら話も早ェしな」

緩慢な仕草で服の裾を整えて、おっさんはわたしの方を見やる。おお、やはり立ち上がるとますますでかい。威圧感もすごい。わたしは何とか首を傾けておっさんに視線を合わせた。とてもキツイ姿勢である。

「大佐です。スモーカーさんっていうんですけど」


「…………スモーカー?」
「キャアアア!泥棒ーッ!!」

 おっさんが何か言おうとした拍子に、雑踏の方から突然、甲高い悲鳴が上がった。わたしとおっさんが同時に振り返ると、見えたのは人混みから飛び出してきた柄の悪い男。鞄をいくつか抱えたあの人、見覚えがある。

「おっさん、あれ、スリです」
「おォ? それは見りゃ分かるが……」
「わたしの荷物盗んだ人です!」

動こうとしないおっさんにベストの裾を引っ張りながら訴えるが、彼はちょっと待ちなさい、と悠長に宥めてくる。ええい、こんなときくらい働け!

「――!!」

 飛び出して来たスリは、おっさんとわたしの方を見て声にならない悲鳴とともに飛び退った。おっさんがでかいからビビったのだろうか、にしては大袈裟な驚きようだ。よく見ると、男の肩に下げてあるのは私の鞄。よかった、まだ中身は漁られていないらしい。

「って、ああ!?」

スリの咄嗟の行動にわたしは思わず声をあげる。一言で表現するなら、ヤケクソだ。あの男、わたしの荷物ごと、全部、こちらに向けて放り投げやがった。まったく、わたしの出会う無法者がすぐ物を投げてくるのはなんでなんだ!
 そのまま荷物は私たちを飛び越えて、橋の外へ飛び出していく。ああ、わたしの消臭液。もう沈殿したタールは巻き上げられて分離し直しだろうけど、それでも落ちて砕けて失うのだけは絶対に御免だ。鞄に意識を取られているわたしたちをいいことに、スリの男は逃げ出そうと踵を返したが、今はそんなことどうでもいい。

 わたしは鞄を追いかけて、ほとんど無意識に腕を伸ばす。橋の手すりに足を引っ掛け、身を乗り出して、鞄に手を――

「だから落ち着きなさいや……お前さん方」
「おっふ!」

 おっさんの腕がわたしの腹に直撃した。というより、飛び出そうとしたのを止められたと言った方が正しい。何もしないかと思えば何してくれてんだ。わたしの命より大切な消臭液――いやもちろん命のが大事だけど――をみすみす見殺しにするつもりか。との抗議の声をぶつけるべく、おっさんを振り返り……しかし、その肩越しに広がる光景を見て、わたしは目を見開いていた。


「――街中ではあんま、やりたかねェんだがな……」


 フー、と細く息を吐き出すおっさん。見れば、彼の足元を中心に、わたしたちを取り囲むようにして、真っ白の霜が降りていた。凍りつく石畳の地面、冷え切った石橋の手すり、凍結したスリの男、落下直前のところを氷で繋ぎとめられた鞄の数々。
 しんと静まり返った空間で、パキ、と何かが砕ける音がした。

「しかしまァ、なんとも色々と一気に片付いたな……。お手柄じゃないの、嬢ちゃん」
「は。わたしがですか?」
「おォとも。ほら、あの男が、例の海賊ってわけよ」

 おっさんはそう言って、満足げに笑ってみせた。


 そのあと、駆けつけてきた海兵さんに氷像と化した(おっさん曰く生きているらしい)海賊を引き渡し、大体の事情をお聞きした。
 あのスリもとい海賊の男は、海賊団の船長であったものの大した賞金首ではなかったので、将校すら乗っていない船で海軍が拘束したらしい。ところが甘く見すぎたせいか、本部に到着したときに脱出を許してしまったそうだ。それからあの男はスリを繰り返して資金を調達し、この島を出ようと企んでいたみたいだが、今回の件でその野望も潰えたというわけである。


「……おっさん、さっき凍ってたのはあれですか、"悪魔の実"の能力とかですか」

 おっさんを付き合わせて凍りついた荷物を回収しつつ、わたしは好奇心からそんなことを尋ねた。海賊を捕獲したあと周囲に集まっていたギャラリーは既に散って、ただこの橋を覆う氷床だけが異世界のように取り残されている。

「おォ、察しがいいな」
「ちょっと前に似たようなことがあったので」

 なるほどなあ、スモーカーさん以外の能力者をみたのは初めてだが、悪魔の実にもいろんなのがあるらしい。しかしこのおっさんの強さときたら、身長だけでなく能力までも人間離れしているようだ。あんな広範囲を一瞬で凍らせてしまうとは。全く勝てる気がしない。

「それでお前……スモーカーのなんなのよ」

 おっさんは鞄を漁るわたしの横に腰を落とし、相変わらず気だるそうに口を開く。仕事を終えたからかますますしんどそうである。おっさん、なんでこの性格で海兵してんだろう。

「うーん、なんですかね。保護対象? 問題児? あの人の悩みのタネというか……あとは雑用か、自家製ファブリーズか、同室か、まあそんなとこです」

とはいえ、自分でもスモーカーさんがわたしを何だと思っているかなんて全くわからない。適当に言ってみたはいいが、どれもイマイチぴんとこない解答だ。

「……意味は全くわからねェが、つまり嬢ちゃんはスモーカーに拾われたわけね」
「まあ、そうなりますね。というかおっさんの方こそ、スモーカーさんの知り合いなんですか?」
「知り合いというか……友達なんだよ。スモーカーがどう思ってるかは知らねェけどな」

ポリポリと頭を掻くおっさん。スモーカーさんの友達、ってわりと驚くところだ。ていうかあの人に友達と呼べる人がいたのか。あれでいい人だしスモーカーさんがぼっちだとは思わないが、仲間はいても友達という感じではないイメージである。
 わたしが荷物を整え直すのを見計らい、彼はよっこらしょと立ち上がった。

「よし、じゃ……行くか」

わたしもようやく本部に入れるようだ。船を出た時点ではすぐに着く予定だったというのに、ここまで来るのにどうしてこんなに苦労したのだろうか。まあいいや、海賊も捕まったし、終わりよければすべてよし、である。

「あァ、そんで嬢ちゃん……名前は」

ふと思い出したようにおっさんが振り返ってこちらを見た。そういえばうっかりしていたが、お互いに、まだ名前も聞いていないんだった。

「わたしはナマエです。おっさんは?」

「ナマエ、な。おれは"青キジ"……名前はクザンだ。ま……好きに呼んでくれや」

おっさん……クザンさんは片手をひらつかせながらそう名乗り、わたしに進行方向を促して歩き出した。

 今更ながら、迷子のこと、後でスモーカーさんやたしぎさんにこっぴどく叱られそうだなあ。けどまあ、ようやく運が戻ってきたし、鞄も返ってきたし、新しい知り合いもできた。叱られるくらい些細な問題だ、とわたしは口角を持ち上げた。

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