No Smoking


▼ 05-3/3

 朝の日差しで目が覚めた。なんだか寝心地に違和感を感じて起き上がると、自分がソファの上にひとり寝っ転がっていたらしいと気づく。
 変だな。ここ、スモーカーさんの寝床なのに……。というか昨晩、わたしはどうしたんだったか。ベッドに向かわなきゃという義務感があったのは覚えているんだけど。

「……ん?」

 ずるりと何かが体の上から滑り落ちた。目で追うと、どうやらスモーカーさんのジャケットである。背中にでかでかと書かれた正義の文字。何本か無くなっているが、腕や胸辺りに常備されている葉巻。間違いない。てかなんでわたしの上に。

 興味本位で手にとってすんすんと匂いを嗅いでみる。うん、タバコ臭い! ああいや、葉巻だけど。しかし分かっちゃいたが、このジャケットはわたしにとって、非常にデンジャラスな凶器だ。おそらく今のわたしの匂い移りっぷりは半端ないだろう。朝からテンションがだだ下がりだ。はあ、スモーカーさんも半分分かっててやった節がある気がする。
 でもなんだか、染み付いた葉巻の匂いとは別に、正体はわからないが馴染みのあるようなないような、安心してしまいそうな匂いが紛れ込んでいる。なんの匂いだろうと気になって、そのまま鼻に押し当て続けていたが、強烈な葉巻の妨害で諦めた。毎度毎度葉巻め、お前というやつはわたしの邪魔ばかりする。

「……うーん、昨日の夜、どうしたんだっけなあ」

 とりあえずこのジャケットがスモーカーさんの気遣いなのは確かだ。こうなりゃ死なば諸共と、わたしはジャケットに袖を通してみる。やっぱりでかい。そもそも腕は肘上からしか袖に入ってないし、立ち上がると裾はなんとか膝上に来るくらい。

 まあわたしとスモーカーさんって、直立してようやくスモーカーさんの胸にわたしの頭頂部が届くくらいのサイズ差だもんな。これはわたしが小さいんじゃなく、単に周りがでかすぎるのだ。思えばスモーカーさんだけじゃなく、この世界の人はやけにでかい。たしぎ姉さんだって当たり前のように170センチあるのだ。そして胸もでかい。
 ……わたしは当初、たしぎさんが異常にナイスバディなだけかと思ってたのだけど、買い物をしたあの島の感じでは、この世界の標準値が規格外なぼんきゅっぼんである可能性は非常に高い。なんというか、お姉さんというお姉さんがナイスバディなのだ。
 あっはっは、日本人の平均体型なわたしがスモーカーさんにガキ扱いされるのも仕方ないってもんだ。いやあしかし、今後会う人皆に子供扱いされるとなるとさすがに笑えない。

 ところで、先程からやけに外が騒がしいようだ。船が動いている様子もないし、どこかの島に辿り着いたのだろうか。

「……あ、そういえば、朝にはもう目的地に到着するって言ってたっけ」

確かスモーカーさんがそんなことを言ってたなと思い出し、窓から顔を出してみる。陸地の反対側なのか島の景観はほとんど見えなかったが、周囲の感じからして港に泊まっているのは明白だ。
 よし、それならこの部屋でぐずぐずしていても仕方がない。スモーカーさんを探すついでに一度外に出てみよう。わたしはジャケットを背負ったまま部屋を出て、いつものように甲板に向かうことにした。


「あっ、ナマエさん、おはようございます!」
「たしぎ姉さん、おはようです」

 どうも慌ただしい船内を突き進み、上に向かうはしごを登り終えた先で、ちょうど甲板に出る所だったらしいたしぎ姉さんが挨拶をしてくれた。まだ早朝だが彼女の身だしなみはきっちり整えられていて、すでに仕事に取りかかっている様子である。

「あれ、ナマエさん、その格好は一体……」
「ああ、スモーカーさんが貸してくれたっぽいので、見つけたらお返ししようと思って」
「スモーカーさんが?」

たしぎ姉さんは妙な格好のわたしを眺めながら不思議そうに復唱した。説明しようにも、わたしもジャケットを貸してくれた理由はよく分かってないしなあ。別に嫌がらせとかではないと思うけど。首を傾げていると、ふと海兵さんたちが忙しなく出入りしているのが目に付いたので、たしぎ姉さんに尋ねてみる。

「そういえば、これってもう到着してるんですか?」
「あ、はい! 甲板に上がったら海軍本部が見えると思いますよ。それから、スモーカーさんもそちらにいらっしゃるかと」
「おお、了解です」

 行き先も同じようなので、たしぎ姉さんと連れ立って甲板へ向かうドアを開いた。差し込んだ強い朝日に一瞬目が眩む。瞼をしばたたいて見上げると、青空に相応しく白い雲が棚引いていた。停泊しているのに風がある、ということは、どうやら凪の帯を抜けているようだ。

「ほら、あれが海軍本部ですよ」

 たしぎ姉さんの指差した先に、反り返った湾岸を抱える三日月型の島が広がっていた。なるほど、あのとき停泊した島の数倍はあるように見える。見渡す限りの白い石畳。島の四方を取り囲むように聳える岩柱。そして何より目を引くのは島の真ん中に鎮座する主張の激しい"海軍"の文字と、お城である。
 城といってもあれだ、シンデレラとかが住んでるやつじゃなくて、石垣の上に乗ってる方だ。瓦とか天守閣とかシャチホコとかそういうのだ。めっちゃ和風な海軍本部。……やはりジャパニーズマフィアなのだろうか。スモーカーさんのせいで海軍に対する偏見がひどい。

「スモーカーさん、船尾の方でしょうか」

 キョロキョロと視線を彷徨わせつつ、たしぎ姉さんは足を進める。付いていくと、ああ、いたいた。彼女のいう通り、船尾の方にちょうどスモーカーさんの後ろ姿が見えた。
 足を組み、新聞を広げながら、据え置かれたテーブルで悠々とコーヒーを飲んでいるスモーカーさんに近づいていく。やってることは出勤前のお父さんみたいなもんなのに、様になるのは何故なんだ。というか筋肉が眩しい。服を着ろ服を。

「おはようございます、スモーカーさん!」

特に気にする様子もなく駆け寄るたしぎ姉さん。さすが紅一点の船でひとり生き延びてきただけあって、男の上半身など見慣れていらっしゃる。

「たしぎか。……と、ナマエ」

 新聞から顔を上げた後、スモーカーさんはたしぎ姉さんの後ろにくっついているわたしに気づき、なにやら面白がるみたいに眉を上げた。なんだろう、朝っぱらから気味が悪いくらい機嫌良さげだけど。微妙に嫌な予感がする。

 たしぎ姉さんといくつか業務的な連絡を交わしながら、スモーカーさんは葉巻を咥えたままの口で器用にコーヒーを啜っている。どうやってんだあれ。というか灰皿に一旦置いたらいいのに、そんな手間すら惜しいのかあのニコチン中毒末期患者は。
 とりあえず二人の会話が終わるのを見計らって、わたしはスモーカーさんのジャケットを背中から降ろし、両腕で抱え直した。用事が済んだたしぎ姉さんが身を引いたので、スモーカーさんに声をかける。

「スモーカーさん、今いいですか? これ、貸していただいてたみたいなので、お返ししときます」
「ん、……あァ。わざわざ悪ィな」

 そう言うと、スモーカーさんは新聞とカップを机に置き、椅子から立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。わたしからジャケットを受け取った彼は、そのまま服に袖を通す。よし、ひとまず視覚的なむさ苦しさはある程度ましになった。……しかし、スモーカーさんがこの上着を置いていった経緯は相変わらず謎だ。

「……昨晩の枕は寝心地が良かったか?」

 ひとりで首をひねっていると、頭上からスモーカーさんの声が降ってきた。いきなりわけのわからないことを尋ねられて困惑する。見上げると、いい加減見慣れた皮肉げな表情。
 昨日の枕ってなんの話だ。わたしのベッドの枕ならいつも通り……いや、ソファで眠ってしまっていたらしいので違うのか。それじゃ枕というのはなんの比喩だ。そういえば昨日、煙を貸してもらった記憶はないのに安眠できた気がするけど。

「……なんのことです?」
「なんだ、夢の中だけじゃ飽き足らず、寝惚けてたときのことも覚えちゃいられねェのか。その小せェ頭は」

 いきなりなんだその言い草は! と反抗する前に、スモーカーさんの寝惚けていた、という台詞がとっかかりになって、ふと昨晩の記憶が蘇る。
 思い起こせば、確か昨日の夜、わたしはスモーカーさんに包帯を巻いてもらおうとしたのだ。それから抜糸されて、やたら髪の毛をいじくり回されて、マリンフォードの話を聞いて、そのあと……わたしは寝惚けながら謎に質問を口走りまくった挙句、そう、寝落ちしたのだ。正直に言って今まで思い出さないようにしていたけど、わたしはスモーカーさんにくっついたまま寝落ちしたのだ。ああ、頑張って忘れていたのにとうとう思い当たってしまった。というより、むしろ思い出させられた。

 途端、顔面に熱が集中する。だってスモーカーさんに寝かしつけられたうえ、普段から毛嫌いしている副流煙の中で安眠してしまったのだ。今まで煙を貸して貰いつつも鼻だけはガードしていたのに。恥だ。というかあの体勢で寝るって、いくら煙に馴染んできたからって、どれだけ安心しきってたんだわたしは!
 思わず顔を覆っていた。穴があったら入りたい。とにかくなにか一言と、わたしはくぐもった呻き声を上げた。

「さ…………最悪、でした」
「それにしちゃ、よく眠れたようだがな」

 にんまり笑わないでほしい。こっちは本当に恥ずかしいのだ。黙って忘れさせていてくれればよかったものを、この底意地の悪い男め。実に恨めしい。

「耳が赤ェぞ」
「ちょっと触んないでください、まじで」
「そのツラ、寝言の件を思い出すな」
「それはもうやめてくださいってば、うわっ」

 反論も虚しく容赦無く頭を撫でられた。そこまであのときと被せなくてもいいだろうに。てかこっちは塞がったとはいえ一応怪我人だぞこのやろう。
 そんなやりとりをきょとんとしながら見ていたたしぎ姉さんが、驚いたようにふと呟いた。ん? デジャブかな。

「スモーカーさんとナマエさん、ずいぶん仲良しになったんですね」


「わたし、副流煙とお友達になる趣味は……もが!」
「まァな、こいつの扱いにゃ慣れてきた」

こんちくしょう。最後まで言う前に口を塞がれた。

「さて、ナマエ。いい加減遊んでねェで着替えてこい。本部に向かうぞ」
「わたしで遊んでるのはスモーカーさんじゃないですか。言われないでも支度してきます」
「ならさっさとしろ」

 背中を押し出されたので数歩たたらを踏んでしまった。まったく、なんて勝手なんだ。と心の中で毒づきながら、わたしはスモーカーさんとたしぎ姉さんに背を向ける。そして振り返る。

「そういや、シャワー室って開いてます?」

 きょとんとしたたしぎ姉さんと、眉を寄せるスモーカーさん。

「シャワー室? 開いているとは思いますけど、朝からまた浴びるんですか?」
「おい、ナマエ。どれだけ待たせるつもりだ」
「いくらでも待たせますよ。なにしろスモーカーさんのおかげで、ええ、匂い移りがひどいので。全身念入りに洗いたいんです」

たしぎ姉さんが苦笑した。

「それは仕方ないですね」
「……たしぎ」
「ハッ……!? すみません失礼しました!」

うっかり口を滑らせたらしいたしぎ姉さんを淡々としたトーンで呼ぶスモーカーさん。いやいやそれ悪いのはヘビースモーカーなスモーカーさんだろう。ほらたしぎ姉さんも匂い移りはまあ……みたいな顔してるじゃないか。この女の敵め。

「それでは末長くお待ちください」

 今度こそ背を向けて、わたしは甲板を駆け抜け、スモーカーさんの抗議を無視しながら船内に戻っていく。悪いが、少しくらいゆっくりさせて欲しい。本当は少し、この船を名残惜しく思ってるんだから。

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