No Smoking


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「手土産、買えてよかったですねえ」

 ゆるやかなそよ風にわたしの声が溶け出した。淡く迫ってきた薄暮に沈み始めた街並み、人影がまばらに行き交うマリンフォードの風景――右手に提げた紙袋を揺らしながら、歩き慣れたお買い物コースをゆったり進んでいく。5時過ぎの路地はのどかで、石畳を踏むわたしの靴は軽く、隣を歩く長い脚についていくのにもさして苦労はしなかった。

「わたしの趣味で選んじゃったので気に入ってもらえるかどうか心配です。彼、甘いの苦手じゃないといいんですけど」

 紙袋を掲げ、店名が書かれた筆記体の印字を眺めつつ独りごちた。一応、日持ちするようにと生菓子は避けたのだが、焼き菓子は焼き菓子で好みが分かれるからなあ。押し付けて迷惑にならないかちょっぴり不安だ。わたしの益体もない心配ごとに、スモーカーさんはめんどくさそうにしながらも言葉を返してくれる。

「それで嫌な顔するような奴じゃねェだろ。お前が選んだって言やそこらの小石渡したって喜ぶ」
「いやいや……ていうかちょっとばかにしてません? よくないですよ、ちょっと気に食わないからって」
「まさか。実際、片想いってのはそんなもんだ」
「ははーん。さてはそれ、実体験ですか」
「かもな」

 スモーカーさんは平然と嘯いた。どんな顔して言ったのか気になって頭上を仰いでみるも、彼は白々しく正面を見据えたままなので角張った下顎のラインまでしか伺えない。ちぇっ、ケチ。わたしが見上げてるのには気づいてるくせに。
 唇を尖らせ、足は止めないまま道の先へ視線を戻した。向かいから駆けてきた、海兵ごっこをしているらしい子供たちが、スモーカーさんの脇を通り過ぎるのをなんとなしに見送る。ふうん、しかし今の発言からして、スモーカーさんもわたしが丹精込めて選んだプレゼントならなんでも嬉しいってことなんだろうか。この人の反応って見た目には分かりにくいけど、過去に渡したお花やキーケースなんかも案外喜んでくれてたのかもしれない。思わずにやにや笑みが浮いた。試しに今度、何か変なもの渡してみようかな。

「何はともあれ、気が晴れたようでなによりだ」

 と、出し抜けに降ってきた一言。吸い込まれるように見上げた先に、白い髪に紛れた耳の形と、石壁の背景と、紙袋の擦れる音がある。背後に遠のいていく無邪気なはしゃぎ声。……はて。
 ふっと兆した既視感に一瞬歩調を緩めると、スモーカーさんはついと横目にわたしを見た。つい数秒前には頑として向いてくれなかったくせにあっさりしたものだ。こちらを見下ろすまぶたの上、訝しげに眉が寄せられた。

「どうかしたのか」
「ああ、いえ、すいません。デジャブですかね、前にもこんなことなかったでしたっけ?」
「前? ……ああ」

 一旦斜め上を見て、記憶を探り、相槌と共に視線が戻る。早くも心当たりがおありのようだ。

「あれだろ。定期召集を終えたばかりの時期、本部からの帰りに買い出しへ行った日だ。お前が本調子じゃねェのが気がかりだったが、公園寄って食いもん腹に入れてガキどもに絡まれてるうちにケロッと機嫌を治してた……」
「ああー、言われてみるとそんなこともあったような。ていうかよく覚えてますね」
「覚えてるさ。お前にとっちゃ何気ない会話だったろうが、おれァあの日ずいぶん舞い上がったからな」
「へ? なにかありましたっけ?」
「さァな。その忘れっぽい頭捻って思い出せ」
「あ、ひどいですよそれ」
 
 そりゃわたしの記憶力に欠陥があるのは事実だけども、スモーカーさんの物覚えのよさだって人並み以上なのだ。手配書にずらずら並んだ海賊の名前と懸賞金を三分で頭に入れられるような方と比べられちゃ困るぞ、まったく。ていうかなんなんだろ、そんな浮かれるような話はしなかった気がするけど。
 石畳を踏みながら、無謀な予感はしつつ記憶を辿ってみる。確か、あの時もわたしはお姉さんたちの噂話に頭を悩ませてたはずだ。わたしの知らないスモーカーさんの話を聞いて、自分はお荷物なんじゃないかとか考えて、でもスモーカーさんと話してるうちに元気になって……ううむ、我ながら進歩がない。で、具体的になにを話したんだったかなあ。顎に手を当ててしばらく考え込んでみたものの……うーん、やっぱだめそうだ。

「ごめんなさい、思い出せそうもないです」
「だろうな。構わん、今となっちゃ些細なことだ」

 スモーカーさんは肩を竦めて正面に向き直った。わたしとの認識の差に落胆してる様子はないとはいえ、なんだか申し訳ない気分になる。全く意識してなかったわけじゃないんだけど、なにしろ以前のわたしは、まさか彼に好かれてるだなんて勘違いしないよう必死だったもんだから。いやまあ、実際のところ勘違いじゃなかったので、完膚なきまでに無駄な努力だったわけであるが。
 スモーカーさんのごつごつした靴底が鳴らす音を聞きながら、ふうと息を吐く。思えばこの人はずっと前からこうだった。わたしのちょっとした言動を受け流してるように見せかけて逐一覚えておられるし、内心一喜一憂してるようだし、むしろ真剣に受け止められすぎて拗れたことも何度かあったような。なんだかんだいって、スモーカーさんこそワンマン気質というか、なまじ洞察力が高いせいでこうと思い込むと自己完結してしまう人なのだ。それを思えば、わたしたちって案外似たもの同士なのかもしれない。

「……考えてみるとわたし、スモーカーさんに悩みを打ち明けるのが心配でたまんないんですよね」
「頼りねェと?」

 ぼそりと呟いてみれば、間髪入れず返答が飛んでくる。心外、とでも言いたげだ。
 
「そういうわけじゃないですけど。スモーカーさん、わたしになにかあるとすぐご自分のせいにしちゃうじゃないですか」
「……は?」

 ばっ、と目を丸くしたスモーカーさんがこちらを振り返った。おっと、意外な食いつき。突然矛先が向いて意表を突かれたのか、それとももしかしてご自覚がないんだろうか。理由を問うような眼差しで急かしてくるので、わたしは意に介さない風を装い、時間をたっぷりかけてこれ見よがしに親指を折った。

「だってほら、腕やけどしたときも勝手にそう決め込んで、説明も相談もせず帰ってこなかったですし」

 言いつつ、取り澄ました態度で人差し指も曲げる。

「錯乱してるときにたまたま拒絶したからって、過剰に距離取られましたし?」

 さらに中指も追加。

「首切られたときだって、起きてすぐに『全部おれの責任だ』って言われましたよ。なんですかね、そういうことが何度かあると、またふらっと置いてかれるじゃないかって心配になるんです」

 スモーカーさんはしばし絶句した。

 数え終えた手を下ろし、ひょいと彼の顔を覗き込んだ。「ご理解いただけましたか」とまつ毛を半ばに伏せつつ、苦虫を噛んだような険しい表情を睨視する。ややあって、スモーカーさんは観念したようにがしがし頭を掻いた。気の利いた言い訳は見つからなかったらしい。

「……いや、……すまん、返す言葉もねェな」
「お、珍しいですね。もしかするとわたしの初勝利かもしれませんよこれは。快挙です」
「バカ、お前にゃずっと負け通しだ」
「そんなわけないでしょう。ていうか負けを認めるならもっと悔しがってくださいよ」
「分かってねェな、女に翻弄されるのは男の本望だぜ。喜びこそすれ悔しがるようなことじゃねェよ」
「なんですかそれ、ずるいです。どっちみちスモーカーさんの得じゃないですか」

 などとぶすくれながら、わたしの胸の高さに揺れていた大きな手を取り、その小指から薬指までをぎゅっと握り締めた。不意を打たれたのかスモーカーさんはわずかに身じろいだが、汗ばんだ手のひらは抗うことなくされるがままだ。今はちょうど人通りもない。わたしは掴んだ手を後ろに引いて、布越しにも分かる筋肉質な脇腹に頬をぴたりと押し当てた。彼の目には、たぶんわたしの後頭部しか見えないことだろう。

「ね、スモーカーさん」
「うん?」

 スモーカーさんの身体から低い振動が直に伝わる。まとわりつくわたしを踏んづけないよう、足元に注意を払っているためか、ややなおざりな返事だ。でも、それぐらいがちょうどいい。男っぽい匂いを深く吸い込み、親指で彼の指の節をさすりながら、わたしはなるだけ冗談めかして口を開いた。

「スモーカーさんにはお仕事があるんで、この先どこにも行かないでとは言いませんけど。……もう、黙って置き去りにはしないでくださいね」

 言い終えるなり、口を噤む。やっぱり、言わないほうがよかったかな。スモーカーさんの反応はなく、後悔が潮のように迫ってきたころ、不意に手を握り直された。わたしの手は誂えられたパズルのピースみたいに、ぴったりと彼の内側に収まった。

「ああ」

 短いひと言に、波が引いていく。

 それで、充分だった。



 日暮れに向けて風が強くなってきていた。繰り返し前髪を乱されたけど、スモーカーさんが毎度飽きもせず、わたしに触れる理由を探してたみたいに撫で付けてくるので、悪い気はしなかった。

「――さて」

 スモーカーさんとふたり、街路の端で足を止める。

 店先を覆い尽くすのはこぼれんばかりの花々。風に右へ左へ揺すられるたび、青い匂いが強く香る。とうとう訪れた本日の最終目的地。ここのところ、というかスモーカーさんと懇ろになってからはなんとなく足が遠のいていた例のお花屋さんだ。胸に手を当てて深呼吸して、わたしは頭上の看板を振り仰いだ。

「ちょっと緊張してきました。お誘いいただいたとはいえ大丈夫ですかね、ほんとに二人で……」
「へェ、あっさり振った相手の前で別の男への花束を作れるお前にんな思いやりがあるたァ」
「失礼な。なんかスモーカーさん勘違いしておられますけど、わたしは別にあっさりお断りしたわけじゃないんですよ。ブーケ作りを教わったのだって、この先気まずくならないようにとわたしなりに真剣に」
「行くぞ。これで正式にお前を諦めろと言える」
「んな、ひ、人の心がないのはどっちですか!」

 踏ん切りのつかないわたしを引きずって、ずけずけ店に上がり込んでいくスモーカーさん。うう、容赦がない。「今は男性とお付き合いとかは考えてなくて」と断った手前、どの面下げてお会いすればいいのか決めかねてるのに。

 お花屋さんの彼はいつも通り、カウンターの奥で花を編んでいた。スモーカーさんの影に隠れつつ、そもそもこの人とは一応恋敵になるわけだし、なんとか間を取り持たねばと気を揉んだのも束の間。顔を合わせて早々、なんだか妙に打ち解けているお二人に拍子抜けすることになるのだが――ともあれ、会話は和やかに弾み、わたしの差し入れも快く受け取ってくださった。甘いものはお好きなのだそうだ。
 しかし、帰りにどっさりいただいた花束のなかで、「おめでとうございます」の文言とともにスモーカーさんが渡されてた花束が一番立派だったことについては、なんか納得がいかない。

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