No Smoking


▼ 46-2/4

「スモーカー大佐。今お時間ありますかあ?」
「実はお聞きしたいことがありましてー……」
「暇してらっしゃるんでしたらお話いいですか?」

 ――な、なんだあれは。

 表通り寸前の街角、本屋さんの白い側壁を背に、海底に棲むヒトデさながらへばりつくわたし。目的地を目と鼻の先にしてなぜ二の足を踏んでいるのかといえば、十字路を曲がろうとしたところでスモーカーさんの名前と、聞き覚えのある――かつあまり出会いたくなかった――話し声を耳にしたためだ。きゃらきゃらと弾む黄色い声は三つ……間違いない、おつるさん隊のお姉さまたちの中でも際立って口さがない、噂好きの面々である。

「お前らは確か……つる中将んとこの所属か。ナマエの迎えで何度か見かけた顔だな」

 あれ。

 壁越しに聞こえたのは案の定スモーカーさんの声、なのだが。お姉さま方に向けた口ぶりが、存外親しげなそれだったのに意表を突かれた。てっきりそっけなく追い払うばかりと思ってたのに。
 妙な焦燥感に急き立てられ、様子を伺えまいかと周囲を見回した。とそこで、斜向かいの帽子屋さんのショー・ウィンドウに映り込んでいる一団を発見する。待ち合わせに指定した本屋の店先、華やかな休日スタイルのお姉さまたちの奥で、壁にもたれるようにして立つのはスモーカーさんその人だ。襟ぐりの広い白無地のカットソー、色褪せた幅広のジーンズ、その裾をいつものコンバットブーツに突っ込んだカジュアルな格好。家で見たのと全く変わりないお姿なのだが、お姉さんたちに取り囲まれた様子はやけにこなれた風に見えて胸が波立つ。しかも満更じゃなさそうな……や、別にいいんだけど。

「あ、覚えてくださってたんですか! さっすがーっ」
「そうなんですよー。私たちナマエと仲いいんですけど、ときどき大佐の話聞くので、親近感が湧いちゃうっていうか」
「スモーカー大佐、今日非番なんですか? この辺で初めて見たので驚きましたー」
「私たちも今日休みなんですよー、偶然ですね」
「それでどうですか? せっかくですしお茶でも」
「大佐にお茶はないでしょお茶は」
「なに、昼間から酒でも誘うつもり?」

 どうしよう。矢継ぎ早なおしゃべりを聞き流しながら、踵で小さく足踏みする。同居してることはとっくに知れてるんだし、見つかったって困らないんだけど、一度避けてしまった手前なんとなく出て行きづらい。
 はーあ。とため息を漏らすなり、通りすがりのおじさんが一人、訝しげにこっちを見ては角を曲がっていく。居た堪れず、わたしは地面の陰からわずかにはみ出していた靴先を引っ込めた。なんだかなあ。スモーカーさん、適当に理由つけて追い返してくれないかな……。

「悪ィが他所を当たってくれ。おれァ今可愛い恋人を待ってるところでね」
「嘘ォ!?」

 ――!?

 ざわめいたお姉さんたちとほとんど同時にばっと衝撃発言の元を振り返る。一面の壁。そうだったと向かいのショー・ウィンドウに視線を戻せば、遠目にもスモーカーさんの何食わぬ仕草は手に取るようにわかった。
 あ、あのやろう。奥歯を噛みつつ彼の虚像を睨みつける。おかげで出てくに出てけなくなったじゃないか。ていうかわたしが聞き耳立ててたからいいものの、下手するとのんきに「お待たせしましたー」なんて駆け寄ってスモーカーさんとの仲がばれてたとこではないのか。全く油断も隙もない男だ。

「ど、どんな人なんですか!?」
「どんな?」

 お姉さま方の食いつきっぷりに、スモーカーさんが面白がってる気配がする。つまりは碌でもない発言の予兆だ。まさかとは思うが、わたしと付き合ってるのをバラすつもりじゃ――

「思わせぶりな態度を取るくせ、こっちが追いかけると逃げていく。生意気で素直じゃねェがどうにも憎めねェ。やっと捕まえたと思ったらまたお預け……という具合の、悪魔みてェな女だ」

 ご、語弊しかないのだが。

 わたしのような純真無垢な乙女を捕まえといてなにが悪魔か。そもそも思わせぶりなことをした覚えなんかないし、お預けとかそういうんじゃないし、その点はスモーカーさんも同意したはずで、はあもう、突っ込みが追いつかない。わたしのいないとこでもわたしを揶揄うことに余念がないあたり、スモーカーさんのいじめっ子気質は筋金入りだ。

 とはいえ一応恋人の正体については濁してくれるつもりみたいだし、それほど心配しなくても大丈夫かな。……と肩の力を抜いた矢先、お姉さんのひとりが不安げに呟いた。

「あの、ナマエはそのこと知ってるんですか?」

 ……わたし?

 はてと首を傾げる。どうしてお姉さんがここでわたしの名前を出したんだろう。彼の説明した「悪魔みたいな女」と、お姉さんたちが目にしてるわたしが結びつくとは到底思えないけど。スモーカーさんも意外に思ったのか、応答までには僅かな間があった。

「……さァ。勘の鈍い奴だから、知らねェかもな」
「……」

 しらばっくれるスモーカーさんの言に、お姉さんたちは物言いたげな顔を見合わせる。なにやら険しい表情でひそひそ耳打ちし、こくこく頷き、互いの腕を小突き合って、ようやく彼女たちはスモーカーさんに仁王立ちで向き直った。まじでなんなんだ、一体。

「失礼ですけど。ナマエにちゃんと話してあげたほうがいいと思います」
「そうよ。あの子ってああ見えてスモーカー大佐のこと大好きなんですよ。隠されてるって知ったら落ち込むわ。純粋すぎるところあるから」
「そうそう、ナマエって恋バナは聞きたがるのに下ネタ苦手だし。私たちと違ってムッツリなのよ」
「ちょっと。とにかく大佐、ナマエのこと邪険にしないであげてください」

 なにやら風向きがおかしい。先ほどまでと打って変わってお姉さまたちは大真面目な顔つきだ。ところどころ納得できない部分はあるものの、これってもしやおちょくられてる……わけじゃなく、庇われてる?

「――ハ、」

 しばし呆気に取られたあと、ガラスに映るスモーカーさんは堪えきれなかったように失笑した。くっくっと肩を揺らすその様子に、お姉さま方は不満げな気配を強める。スモーカーさんは彼女らの反論が出る前に手で軽く遮った。

「いや、ナマエのやつ案外可愛がられてんだな。てっきりお前らに虐められてるもんかと思ってた」
「しっつれいな」
「ひどい」
「大佐って性格悪う」

 うう、む。当人たちには噛み付かれてるものの、あながち、間違ってもないというか。見透かされたような気分だ。スモーカーさん、わたしがお姉さま方得意じゃないの、気づいてたんだろうな。そういうの、隠せてた試しがないし。
 けど全然知らなかった。わたし、彼女たちにはおもちゃにされてるだけとばかり思ってたけど、案外ちゃんと気にかけてもらってたんだなあ。こちらから一方的に苦手意識を持ってたのが段々申し訳なくなってきた。実際、わたしの潔癖なとことの噛み合わせが良くないだけで、あけっぴろげで素直で明るくて、全く悪い人たちじゃないのだ。うん、露骨にやな顔をするなんてよくない態度だった。猛省しよう。

「あーあ、ナマエ可哀想。ここだけの話なんですけど、あの子自覚ないだけで、ずっと大佐に片想いしてるんですよたぶん」

 かたおも、……。


 ――は!?

「ちょ、ちょっと。言っちゃっていいの?」
「だって自分でも気づいてないうちに失恋なんて報われないじゃない。私応援してたのになー」
「応援してるたってあんた、単にいじめてただけじゃない。やたらナマエに大佐のこと紹介してーとか言ったりしてさ。たぶん嫌われてるわよ」
「自覚させたげたいからってやりすぎなのよ」
「嘘、ショック。だってあの子ったらすぐムキになるからかわいくって……」
「まあ大佐のことになるとねえ、ナマエは」
「聞いてください大佐、ナマエってスモーカー大佐の噂するとあからさまに不機嫌になるんですよ」

 ち、ちち、違う、そんなんじゃない。風評被害だ。あれはあんまりにも噂話が下世話で、あけすけだから眉を顰めちゃってただけで。だって彼女たちときたらスモーカーさんの人間性とか、容姿とか、か……体つきとかについて、失礼な品評ばかりするから。ていうかあれってわたしの反応が悪いのをわかっててわざとやってたのか。だったらスモーカーさんの言ってた「いじめられてる」ってのも間違ってないじゃないか。くそう、当のスモーカーさんすら「へえ」とか言いながら絶対面白がってるし!

「とにかくナマエを振るにしても傷つけないようにしてあげてくださいよ」
「あの子を泣かしたらおつるさんが許さないから」
「そりゃ確かにナマエってちっちゃくて小動物っぽいから大佐にとってはペットみたいなもんなんでしょうけどー」
「でもいい子よ。大佐のタイプじゃないかもですけど、あれでけっこ、う……」

 思わず頭を抱えたところで、不自然に会話が途切れる。

 異変を感じて、わたしは恐る恐る視線を持ち上げた。嫌な予感がする。慎重に例のショー・ウィンドウを確かめると、反転した「BOOK STORE」の看板の下、こちらを凝視する数名の人影とばっちり目が合っ――

「うげっ、ナマエ!?」

 間近から聞こえた声に反射で振り返れば、壁の向こうからひょっこり顔を覗かせて目を見張るお姉さま。や、やばい。言い訳を探す間もなく、すかさず残り二つの顔もひょこひょこと首を出し、わたしを目撃し、三人揃って――正確にはわたし含めて四人だが――瓢箪のように青ざめる。まずい、見つかってしまった。どうしよう、「誤解です!」は何が?だし、「偶然ですね」は白々しいし、「何も聞いてません」は手遅れだし――ええと、待てよ、なにから誤魔化せばいいんだっけ!?

「ナマエ、い、今の聞いてた?」
「待って違うの大丈夫、冗談よ冗談」
「そうよ、私たちはなにも……」

「ナマエ」

 はっとお姉さんたちの頭上を仰ぐ。絵に描いたように狼狽している彼女らを割って、素知らぬ顔のスモーカーさんがずかずかと歩み出たのだ。血相を変えたまま固唾を飲むお姉さまたち。迫り来る圧に押され、思わず二歩後退るわたし。

 彼はわたしの目前で立ち止まり、軽く身を屈めると、小憎たらしい表情で目を眇めた。

「よお。立ち聞きたァいい趣味だな」

 言って、スモーカーさんはにんまりと笑う。

「ずいぶん熱烈に想ってくれてたそうじゃねェか。もっと早く知りたかったぜ」
「! ち、ちが、あれは……」
「ぜひとも詳しくお聞かせ願いたいね。話に付き合ってくれよ、どうやらおれのつれない恋人は見当たらねェようだしな」
「ちょ、あの、スモーカーさん」
「ほら行くぞ」

 何一つ言わせてもらえないまま、わたしの横に並び立った彼に肩を抱かれ、力強く正面に押し出される。ああ全く人が悪い。左右で絶句している彼女たちの目には、一体今のわたしたちがどう映っているのだろう。哀れみか興味か、はたまた疑念か……どうか彼女らから後日、この件に関して蒸し返されませんように。と祈りつつ、かつて見たことがないほどお静かなお姉さま方の間を抜けて、わたしはスモーカーさんの手によりひとまずのデートに連れ出されることになったのだった。

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