No Smoking


▼ 45-2/4

 晴れ渡った青の中を、紙吹雪が泳いでいる。


「――……」

 頬を撫でるやわらかなそよ風。そこかしこで交わされる、色めいた青年たちの会話と混ざり合って心地いい。さくさくと芝生を踏む足音、揺れる梢のさざめき、楽団が奏でる弦楽器のカルテット。非日常の気配に耳を側立てながら、わたしは白い煉瓦の敷かれた遊歩道でふと足を止めた。植木の隙間から見下ろした海、目に映るのは――普段の無骨な雰囲気とは似ても似つかない――活気のあるオリス広場だ。マリンフォード湾内に点々と棚引く船の帆が、陽光を照り返すたびに少し眩しい。

 息を吐いて、わたしは柵から手を外して歩き出した。未だ待ち人は来ず。午前の式が終わってしばらく、身綺麗な海兵さんの賑わいが増すにつれて焦りも募っていく。

「あのっ」
「?」

 不意に呼び止められる。振り向きざま、ドレスの裾が絡みつくように揺れるので、わたしはよろめかないようにヒールの爪先を踏みしめなくちゃならなかった。一拍置いて見上げた先、そこには見知らぬ海兵が息を弾ませて立っている。うきうきした表情の意図を計り兼ねて、わたしは二度瞬きを返した。

「なにか?」
「その、すいません。少しいいですか? さっき、つる中将と一緒にいらしてた方ですよね」
「ああ……」

 その問いを聞いてすぐに合点がいく。というのも、今日に限ってこういったお声がけは初めてではないからだ。

「ええと、一応おつるさんとは知り合いですが、取り次いだりはできないんで他を当たった方がいいかと」
「えっ? いえ、そうじゃなくて。その、以前から時々海軍本部でお見かけするので気になってたんです。今一人みたいだし、よかったら一緒に歓談でもどうでしょうか」
「ごめんなさい。お誘いはありがたいんですが先約がありまして」

 いずれにせよ手は離せないのだ、なるべくきちっと断っとこう。若い海兵さんからすると"大参謀"と繋がりがあるわたしは狙い目に見えるのかもしれないが、下手に期待させるのは忍びないし、先約があるのも事実だし……っと、そうだ。

「わたしからもお聞きしたいんですけど」
「え? ええ。なんでしょうか」
「会場のどこかでスモーカー大佐を見かけませんでしたか? その部下の方でもいいんですが」
「え……いえ、多分、お見かけしてませんね……」
「そうですか。どうもありがとうございます」

 ぺこりと会釈するも、返されたのは狐につままれたような表情だ。首を傾げると、若い海兵ははっと我に返ったように「失礼しました」ぎこちなく微笑んで、後ろで待たせていたらしい仲間のもとへそそくさと立ち去っていった。どうも、この格好のせいで誤解を招いてる気がする。わたしは微妙な気持ちで、肘で小突かれている海兵の背中を見送った。

 はあ……なにしてんだろ、わたし。一向にスモーカーさんも見つかんないし。


 後悔先に立たず。柔らかいドレスの裾を蹴り上げながら、わたしは逃げるように足を進めるのだった。



 ――時は数刻前に遡る。

「よし、これで仕上げだ」
 
 頭から節ばった指先の感触が遠のいていく。ゆっくり持ち上げた瞼の向こう、わたしに向き合う形で座っているのは本日も見目麗しきおつるさんだ。式典の真っ最中、わたしは海軍本部の片隅にあるいつもの応接室にて――慌ただしく駆け回るお姉さんたちを尻目に――さながら貴族のご令嬢の如く丁重なドレスアップを施されていた。

「見てごらん。なかなかの仕上がりだよ」
「は、はい」

 おつるさんの支えでぎくしゃく椅子から降り、手を引かれて姿見の前へ。うう、思いの外ヒールが高い。こんなんで今日まともに歩けるんだろうか。
 さて、不格好にふらつきつつ、緊張した面持ちで見つめ返してくるわたしは、白い花々とひらひらしたレースを髪にあしらわれたいかにも少女然とした風貌だ。足元まで覆うエンパイア・ラインのシルエット、ゆったりとしたシースルーの袖、ロングカフスにボタンが4つ。銀の刺繍が入った立襟はどことなく東洋風のデザインで、わたしの平ための顔立ちには比較的馴染んでるように見える。おかげで以前のパーティーの時に比べると無理に背伸びしてるような印象はないのだが、しかしこれってなんというか、ワンピースというよりもはやドレスのような……。

「おつるさん、そのう」
「どうかしたかい?」
「この格好、デザインは素敵だし、かわいいし、サイズもぴったりなんですけど、それにしても思ってたより華やかすぎるというか……別にわたしが主役ってわけでもないのに、これじゃ悪目立ちする気が」
「まさか、なんなら大人しすぎるくらいだよ。折角祝賀会に行くんだ、ちょっとは視線を集めておいで」
「……祝賀会?」

 はて、なにやら聞き覚えのない単語だ。訝しんで眉根を寄せるも、おつるさんはよれてたらしいわたしの襟ぐりを整えながら憚ることなく言葉を続ける。

「おや、まさか聞いてないのかい。礼服が必要だって言うから、てっきり参加するつもりなのかと」
「え、初耳です。授与式が終わったら普通に解散だと思ってました」
「まさか、祝い事には宴会が付き物だろ? 海兵だってたまには羽目を外したいだろうさ」

 なるほど、言われてみればそうだ。卒業式の後には謝恩会があるし、成人式の後には同窓会があるし、入社式の後には懇親会がある。お恥ずかしながら社会経験が少ないので考えが及ばなかった。それでドレスもこんな感じなわけだ……ていうか、そういう集まりがあるんならスモーカーさんも教えてくれたらいいのに。

「興味はありますけど、そもそもわたしみたいな一般人が行っていいもんなんですかね」
「問題ないよ。祝賀会には主賓の海兵以外も上司や同僚、その家族まで大勢集まるんだ。あたしもこの後会場に向かう予定さね」
「あれ、おつるさんも?」
「あたしたち将校にとっても滅多にない機会だからね。勲章を与えられるような海兵は優秀なのが多いから、自分の隊に欲しけりゃ今のうちに粉かけとくのさ」
「ははあ、効率的ですね」
「で、優秀な部下を引き抜かれないようにってんで付き添う上司も多いわけだ。なかなか見ものだよ。大抵、荒れた時の仲裁はあたしの仕事なんだがね」

 と肩をすくめ、おつるさんは最終チェックとばかりにわたしの両頬へ手を添えた。降り注ぐ穏やかな視線。皺が刻まれてもなお美しいおつるさんのご尊顔にこう真っ正面から見つめられると、なんだかどぎまぎしてしまう。

「そんなわけだからあんたもどうだい? 晴れ姿の愛弟子と連れ添えるならあたしも嬉しいんだが」

 ま、愛弟子。参った、わたしがおつるさんからの弟子扱いに弱いと知っての殺し文句だろうか。

「そう言われたら断れないですよ。せっかくなんでご一緒させてください。午後はひとりで街を見て回るつもりでしたけど、この格好だと色んな意味で歩きづらそうですし」
「そうさね、街に出るなら夜がいいよ。夜店が沢山出るから昼よりも活気があるくらいだ。二次会に出向く海兵も増えてきて賑やかなもんだよ――」

 と話に花を咲かせるおつるさんは、心なしかいつもより口数が多い。このお方も珍しく浮かれてらっしゃるのだろうか、と思うとほっこりする。

 とにかく、夜までお店が出てるなら街に降りるのを遅らせるのはいい手かもしれない。推測するにスモーカーさんは本部に待機する側だろうから、祝賀会が終わったあと立ち寄れば帰り道にご一緒できる可能性もある。外食にしちゃえば夕飯の手間も省けるし、無理なら無理で(夜一人で出歩くのは渋られそうだけど)当初の予定通りお土産買えばいいし。うん、どうせこのあと顔を合わせるから、その辺りの予定も聞いてみるとするかな。

「――さて、そろそろ式典も終わりがけかね。混雑する前に向かうとしようか」
「へっ」

 いかん、知らぬ間に話が進んでいる。わたしは咄嗟に時計を眺めるおつるさんの袖を引いた。

「あ、ちょっと待ってください。わたしこのあとは一旦スモーカーさんとこの隊に顔出す予定が……お祝いしたい部下の方がいまして」
「その点は心配しなさんな。式が終わったらまとめて会場に移動してくるはずだから、向こうでまた顔を合わせられるよ。あんたをこっちで預かることは伝えてさせておくから安心をし」
「あー……けどその、スモーカーさんってそういう集まりってあんま好きじゃなさそうですし、お見えになるかどうか……」
「おや、あんたのお目当ては部下の海兵だけじゃないのかい。スモーカーの奴に何か用事が?」
「えっ」

 あれ。もしかして失言だっただろうか。

 想定外の突っ込みを受けて思わず言葉に詰まる。瞬間、目つきを鋭くしたおつるさん。ま、まずい。こと人間関係において、我が師はとにかく勘が働くのだ。

「いえその、そう、なんですけど、せっかくおしゃれしましたし、一応あの人にもご挨拶をと……」
「挨拶も何もあんたらは今朝から顔合わせてるだろ? それに心配しなくたってスモーカーの奴のことだ、ナマエが連れてかれたとなりゃ当然迎えに来るだろうさ。それとも、急がなきゃならない特別な事情があるのかい。あいつに限って、着飾ったあんたを真っ先に見たがってる、なんてことはないだろうしねえ」
「そ、そうですね、そんなわけがないです」

 そんなわけがあるのである。口先では誤魔化しつつも、図星を突かれたせいで変な汗が出てきた。どうしよう、もしかして今顔に出てる? おつるさんは探るような眼差しをじっとわたしに向けていたが、やがてすいと目を眇め、とどめの言葉を口にした。

「なら構わないだろう?」

 ――ごめんなさい、スモーカーさん。わたしにはおつるさんの追及を振り切れそうにありません。

 隠さなきゃ済む話だろうがとお怒りの脳内スモーカーさんを黙殺して首を縦に振るわたし。確かに我が師は言いふらしも反対もしないだろうけど、常識的かつ冷静に考えて「実はこのたびスモーカーさんとは健全なお付き合いをはじめまして……」などと正気で白状できるはずがないのだ。そんなわけでおつるさんに流されるまま、わたしはスモーカーさんたちに合流することなく本部から連れ出されたのである。



 ――翻って時は現在。

 ここは勲章授与式が執り行われた海軍本部――ではなく、マリンフォード正面に位置するフラワー・ガーデン、すなわち祝賀会の会場である。目に映るのは手入れの行き届いたおしゃれな薔薇園と、さほど大きくはないが品の良い、白い煉瓦の外壁に覆われた洋風の建物だ。おつるさん曰く、あの中央会館はもともと迎賓館として建てられたものなのだそうだが、マリンフォードが現在のような要塞のかたちを取るにつれて外交の場は"赤い港"に移り、やがて無用の長物となったらしい。休日になると催し物なんかも開かれるので、巷では家族連れやお子さんがたの人気スポットと名高かったりする。

 さて、わたしの現在地は人目を忍ぶ庭園の一画。あれからおつるさんにくっついてビュッフェ形式のランチに舌鼓を打ったりしたのだが、例の仲裁役に忙しなくなってきた彼女に「あんたは人探しに行ってくるかい?」と提案していただいたため、お言葉に甘えてメインホールを抜け出したわけである。そして見つけたのはこちら、背の高い生垣に囲まれていて人目に付きにくいが、垣根の隙間から会場入り口の様子が見通せる噴水前のベンチ。といいつつ、慣れない靴で歩き回って疲れた足を休めてるだけである。

「ふう……」

 どうしたものか、全くもって手がかりのない現状に焦りは募るばかりだ。おつるさん曰く話は伝わってるとのことだけど、お兄さんはともかくスモーカーさんはほんとに迎えに来るかもわかんないし。連絡しようにも、着替えと一緒にナマエツムリちゃんは置いてきてしまった。

 はあ、すっかり手詰まりだ。せめてヒナさんとかたしぎ姉さんとか、知り合いの一人にでも会えたらいいのだが――

「よォ……迷子か、嬢ちゃん」

 不意に頭上の日差しが遮られる。またしても知らぬ方のお誘いかと思いきや、全身を覆う高い影に親しみのある気配を感じて、わたしはぱっと顔を上げた。ていうかやる気のないこの声は。

「あららら、誰かと思ったらナマエちゃんじゃないの。随分可愛らしいカッコしちゃってまあ……」
「クザンさん!」

 3メートル近くの規格外な長身、正義のロングコートの下は例に漏れず真っ白の礼服に身を包み、見るからに階級の高そうな懸章を肩から斜めに掛けた大将閣下。当然わたしと知って話しかけてきたであろう彼は、にんまり笑ってベンチの隣に腰を下ろした。

「よォ、こんな薔薇園にちょこんと座ってるとまるで花の妖精みてェだなァ、ナマエちゃん。前のドレスも大人っぽくて良かったが……今回はナマエちゃんの可愛さが前面に出てる感じでいいじゃないの」
「相変わらずお世辞が上手ですね。クザンさんも素敵ですよ、大将の威厳溢れる感じで」

 座ってもなお高い位置にあるクザンさんの頭を覗き見ながら笑いかける。普段から割とピシッとスーツで決めてるクザンさんなのでさほど新鮮味はないのだが、彼の性格を象徴するあのアイマスクがないだけで妙にきちんとして見えるのが不思議だ。世辞じゃねェんだがなァ、とポリポリ頭を掻いて、クザンさんはわたしに向き直った。

「しかし驚いたよ……おつるさんがとびきり可憐なお孫さんを連れてきたって噂になってたもんで」
「え。待ってください、ほんとですか?」
「あァ、そりゃもう真っ白のドレスに身を包んだ花のような嬢ちゃんだと。逆玉の輿狙いの若造が鼻息荒く息巻いてたが……まァその正体がこんなに洒落込んだナマエちゃんとなりゃ当然の」
「そうじゃなくて、孫がどうのって話です」
「ん? あー、そりゃまァ、半分冗談だろうけどよ……一体何者かって憶測が憶測を呼んでるとこだ。普段本部にいねェ奴は特に、保護対象のことは知らねェだろうからな」
「どうりで。おつるさんと一緒にいたせいかやたら声かけられるなと思ってたんですけど、そこまで深読みされてるとは知りませんでした」

 ああ、頭が痛い。何から何まで誇大広告じゃないか。おつるさんも早く訂正した方が……あの方のことだしなにか目論見があってほっといてるのかもだけど。

「ま……どっちにしてもお前さんみたいな女の子が一人でうろついてりゃ男は放っとかないでしょ。だがいいかナマエちゃん、いくら口説かれても海兵なんかと付き合うもんじゃねェ、絶対幸せにゃなれねェからな。しつこい奴がいたらおれの前に連れてきなさい。このおれが許さん、と言ってやろう」
「そんなことしたら次は青キジの隠し子現るとかって噂が立ちますよ」
「おォ、それはそれでいいじゃないの……」

 クザンさんはくっくっと喉を鳴らして笑っている。これ、わたしが「お付き合いしてます」ってスモーカーさん連れてったらどうなるんだろ。永遠に隠し通すわけにもいかないんだから、丸く収める方法を考えておかないとまずい気がする。スモーカーさんを氷像にされちゃ困るし。

 などと多方面に失礼なことを考えてるうちに途切れていた会話。ふと気がつくと、口を閉ざしたクザンさんがじっとこちらを見ていた。

 狙い澄ますような視線にぎくりとする。今のとこ失言はないはずだが、もしやなにか勘付かれ――いやいや落ち着こう、さきほどおつるさんの前で取り乱して下手を打ったばかりなので、ここは慎重に平静を保たなくては。……わたしは静かに唾を飲んだ。

「あの、どうかしましたか」
「ナマエちゃん、最近綺麗になったよな」

 こ……こんの軟派男!

 思わずベンチからずり落ちかける。とんだ肩透かしを食らわせやがって、は、腹立つ。わたしはベンチの背を掴みながらじろりとクザンさんを睨みつけた。

「あのですね、なにを言い出すかと思えば……」
「いやいや、冗談抜きでだ。見た目の変化ってより、こう雰囲気が明るくなったような……にしてはなんつうか、妙に寂しい感じが……ウウッ、いけねェな。涙がちょちょ切れちまってよ……娘の成長を見守る親ってのはこういう心境なのかと思うと……」
「おかしいですね、こんなだらしない父親を持った覚えはないんですが」
「……つれねェな、ナマエちゃん」
「クザンさんはいちいち大袈裟なんですよ」

 やれやれ。いつも手を替え品を替えおべっかに余念がないあたり、クザンさんも存外周到な方である。相手がわたしじゃなければうっかり担がれてもおかしくない。実に危険なおっさんだ。

「――とにかくお会いできてよかったです。結構あちこちしたんですが、一向に知り合いと会えなくて」

 前置きもそこそこに本題を切り出してみる。彼は長すぎる脚をひょいと組み、興味を引かれたように片眉を持ち上げた。

「喜んでもらえて何よりだが……そういやこんなとこで何してたのよ、お前さん」
「ご一緒してたおつるさんが忙しくなってきたんで、人を探しに庭園の方まで出てきたんです。けど、歩き回ってたら足が疲れてきたんで休んでました」
「ははァ、そりゃご苦労さん……」

 行儀悪く右足を揺らしてヒールを見せると、クザンさんは納得したように相槌をひとつ。

「……んで、その探してる相手ってのは? なんならおれも手伝うぞ」
「スモーカーさんとその部下のお兄さんです」
「スモーカー? あいつが来てんのか? ここに?」
「あー……もしかしたらいらっしゃらないかもしんないですけど。一応、顔見せる約束はしてたので」
「……ま、確かにお前さんが居るとなりゃ、奴さんが追いかけてきてもおかしくねェわな」

 おつるさんとおんなじこと言ってる。おおよそ以前の社交パーティーの一連が原因なんだろうけど、スモーカーさんがわたしを溺愛してるのがここまで公然の事実となると無茶苦茶恥ずかしくなってきた。何も知らずにただの過保護だと思ってたほうが幸せだったかもしれない。とそこで、クザンさんはふと考える素振りを見せた。

「因みにナマエちゃん、いつまでここに残るつもりなのよ。確か解散は夕方あたりだが……」
「今のとこ未定です。スモーカーさんに会ってから考えようかと思ってますけど」
「なるほどなァ……。……おっと」
「?」

 クザンさんが何かに気づいたように身じろいだので、なにごとかと彼が視線を向けている噴水の奥に同じく目をやってみる。見たとこ、なんもないようだけど。

「野暮用だ。また後でな、ナマエちゃん」

 と、いきなり腰を上げたクザンさん。体重から解放されたベンチが若干浮き上がるのを感じた一瞬のうちに、彼は後ろの生垣の向こうへ颯爽と立ち去っていってしまった。それはもうあっさりと。


 ぽつんと一人取り残されるわたし。

 ――なんだったんだ一体。

 また後で、ってことは戻ってくるつもりなのだろうか。どうしたもんかな、足の疲労も取れてきたのでわたしもそろそろ捜索を再開したいとこなのだが。ここに書き置きとか残すわけにもいかないし、ううむ……。ま、相手はクザンさんだしほっときゃいいか。

 わたしはぐっと伸びをして立ち上がった。さてと、行くか。とはいえ無闇矢鱈歩いても先ほどの二の舞、これからどこをどう探したものか――

「あれっ」

 とちょうどそこで生垣の向こうから姿を現した巨人二人――巨人は少々言い過ぎだが――わたしの背丈の優に二倍はある大男たち。青空の下、爽やかさの欠片もなく正義のコードをはためかせ、いつにも増して鋭い気迫で周囲を油断なく見回しているお姿は、他でもないサカズキさんとボルサリーノさんその人である。しかしまさか立て続けに三大将に鉢合わせるとは。わたしが海賊なら5、6回は余裕で死んでるとこだ。

「サカズキさん、ボルサリーノさん」

 右手を振って呼びかけてみる。振り返ったお二人は一瞬怪訝そうな顔をしたが、ドレスに足を取られつつのろのろ歩み寄るわたしを見ると、はっとしたように警戒を解いてくれた。久々に会ったので顔を忘れられてたらしい。

「やァ〜君かいナマエ、奇遇だねェ」
「……何をしちょるんじゃ、こんな所で」
「それはこっちのセリフですよ。大将二人揃って会場の端っこまで何のご用向きですか」
「いやァ、それがこの辺りにクザンが居るって聞いたんだけどねェ……。センゴクさんが呼んでんだけどナマエ、見てねェかい〜?」
「あー……」

 なるほどそういうことか。クザンさん、サボることにかけては獣並みの勘の良さである。

「実はついさっきまでここにいたんですけど野暮用とか言ってあっちの方に消えました」
「あのアホが……」

 迷わずチクると、間髪入れずサカズキさんのドスの効いた悪態が飛んできた。畳み掛けるような顰めっ面と舌打ち。怖すぎる。1ベリーも揺すられてないのにポケットを裏返したくなってきた。いやいや、サカズキさんはこう見えて仁義なきヤーさんではなく正義の海兵さんである。人畜無害のわたしを恐喝などしないのだ。そもそも矛先はクザンさんだ。

「ところでわたしもお聞きしたいんですけど、どこかでスモーカーさ……大佐のこと見かけませんでしたか? その部下の方でもいいんですが」
「知らんのう」
「わっしも見てないねェ〜……あ、待てよォ」

 またしても空振り、かと思いきや。頭上高くのボルサリーノさんは、長い指でご自身の顎をとんとん叩きつつ記憶を辿ってくれている。もしやここにきて手がかりが。

「さっきガープさんと一緒にヒナ大佐とォ、あのメガネの……エ――」
「もしかしてたしぎ姉さんですか?」
「あァ〜そうそう、そのたしぎ姉さんが話してるの見かけたよォ。こっちの道から中央ホールに戻ればすぐ見つかるんじゃねェかァ〜?」
「助かりました、さすがボルサリーノさんです。このお礼は必ず!」

 となれば善は急げ。わたしは深々お辞儀をしてお二人の脇を通り抜け――ようとしたところで、ちょいちょいとボルサリーノさんの右手に遮られる。振り返って見上げたティア・ドロップのサングラスの下、鋭い視線が油断なくわたしを見下ろした。

「アー、ちと待ちなよォナマエ」
「?」
「いやァ〜……見違えたよォ。出会い頭には誰かと思ったんだけども……その格好、似合ってるよォ。結構わっし好みだしねェ〜」

 一拍置いてサカズキさんが相槌をひとつ。
 ぱちぱちと瞬きをふたつ。

 ……驚いた、どうやら気を遣ってもらったらしい。泣く子も黙る大将殿からこのようなお言葉をもらえるのはいうまでもなくとんでもないことである。わたしは笑みを堪えきれず、スカートの端をつまんで恭しく頭を下げてみせた。

「んふふ、お褒めいただき光栄です」
「じゃァねェ〜」
「急いで転ばんようにせえ」
「ありがとうございます!」

 きっと今日がお祝いの日だからだろう。いつになく甘やかしてくださるおふたりに見送られ、わたしは中央ホールの方へ駆け戻るのだった。

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