No Smoking


▼ 44-2/3

「ようこそいらっしゃいませ!」

 待ち侘びたノックの音を耳にして、いの一番に玄関へ駆けつけ、とびきり元気にお出迎え。

 はてさて、見慣れた自宅のドアの向こうには本日のお客さまがおふたり――朱色の靡きを湛えた薄暮を背に、まるで雑誌から抜け出してきたかの如き完璧なプロポーションで並び立っている。すらりと背の高いロングヘアのマドンナ、ここが古代ギリシャなら間違いなく女神像のモデルに抜擢されていたであろう麗しの女将校"黒檻"ヒナさん。対して快活そうな印象のショートヘア、キュートで可憐でなんだかんだ頼れるドジっ子アイドルこと我らがたしぎ姉さん。いつも通りに魅力的なお二方は、わたしが顔を覗かせるなりパッと花が咲いたような笑顔を見せてくれた。

「こんばんは、ナマエさん!」
「お招きいただきありがとう。顔色すっかりよくなったわね」
「お陰さまで! もう元気はつらつですよ」

 手前に引いたドアを押さえ、道を開けてお二人を玄関に促した。緊張の面持ちでぎくしゃく辺りを見回すたしぎ姉さんと対称的に、ヒナさんのほうは何度目かの訪問になるためかわりと勝手知ったるご様子である。とはいってもきちんとお招きするのはこれが初めてなわけだし、数日前に恥を晒したばかりなのでぜひとも挽回させていただきたいとこだ。

「療養期間中だったのに悪いわね、ナマエ。てっきりスモーカー君に断られるかと思ってたわ」
「ああ、案外あっさり承諾してくれましたよ。実際ほんと快調なんです。買い物とか普通に行ってますし、わざわざ一週間もお休み頂かなくてよかったんじゃないかってくらいで」
「あら真面目ね。のんびり出来て素敵じゃない、こういう時は遠慮せず堂々としてたらいいのよ」
「最初はそのつもりだったんですけど、一人だとあんまりやることもなくって。なのでお二人に遊びに来てもらえて嬉しいです」

 そんなヒナさんとわたしのやりとりの後ろで、たしぎ姉さんは買い替えたばかりの新品の靴箱の前で足を止め、天板に鎮座した悪い顔のクマ人形をしげしげと眺めている。ちなみにあれを買って見せると、スモーカーさんには案の定微妙な顔をされた。「魔除けにはいいんじゃねェか」との評である。大概失礼である。
 そうしてひと通り目を通したたしぎ姉さんは、感激のあまりか深々と噛み締めるような相槌を打った。

「ここがナマエさんのお宅なんですね……!」
「あはは、その前にスモーカーさんちですけどね。よかったらどうぞ、上がってください」
「あっ、お、お邪魔します!」

 なんかたしぎ姉さんからの期待値が高すぎて不安になってきたのだが、ともあれ彼女にとっては以前から念願のお家訪問。思いっきり満喫してもらえるよう、日頃のお礼も兼ねて誠心誠意おもてなしさせていただくとしよう。




「――それで、ナマエ」

 ダイニングテーブルの上、ひっくり返した宝石箱みたいにとりどりの夕食。相伴に預かりたいというたしぎ姉さんのリクエストにお応えし、腕によりをかけて作らせていただいた品々だ。普段はスモーカーさんと二人掛けのところを家中からかき集めた不揃いの椅子で間に合わせたため、三人前の食器を載せたテーブルは若干の窮屈感が否めない。それでも向かい側に肩を並べているお二方はたいそう喜んでくれたようで、次々と料理を口に運んでは身に余るお褒めの言葉をかけてくれた。そんなわけで食レポの嵐が落ち着いてきた頃、ヒナさんはいよいよ本題へ膝を進めなすったわけである。

「スモーカー君とは上手くいったのよね?」
「ゴホッ!」
「だ、大丈夫ですかたしぎ姉さん」

 メインのホワイトシチューをいそいそと口に運んでいたたしぎ姉さんがいきおい喉を詰まらせる。不謹慎ながら間を持たせてくれて助かった。咽せる彼女に急いで水を差し出して、わたしは咳払いをひとつした。

「コホン、まあ、ええとですね」

 ふー……、さて。どこかのタイミングで切り出される話だとは覚悟していたけど――というかそもそも、今回の会合はその辺の弁明が本来の趣旨なわけであるが――面と向かって尋ねられるとこう、なんとも気恥ずかしいものがある。とはいえスモーカーさんとの一件を目の当たりにした二人に今更ごまかしが効く話でもないのだ。熱のこもった視線に押され、わたしは照れに負けながらなけなしの相槌を打った。

「おかげさまで、その、気持ちの方は通じ合ったかと……思います、たぶん」

 期待に目を輝かせるヒナさんと、信じられないとばかりに口元を覆うたしぎ姉さん。ううん、なんだろう。未だに実感が湧かないのも相まって、スモーカーさんとのこと話すの想像以上に恥ずいかもしれない。

「当然きちんと確認したんでしょうね。スモーカー君、あなたのことをなんて?」
「その……やっぱりヒナさんから聞いた通りだったみたいです。まだちょっと信じられないんですけど、ずっとわたしのことが好きだったって」
「あら、やっと素直に告白したのね。野犬ともあろう男がカワイイところあるじゃない、ヒナ関心」

 にやにやとほくそ笑む彼女になんやらわたしの方が居た堪れなくなってきた。そりゃスモーカーさんは初めっから隠す気なんてなかろうけど、いやほんと、こんなにバレバレでちょっとは恥ずかしくなんないんだろうか。はあ……あの人からわたしに向けられてた好意って、きっと周囲には筒抜けだったんだろうな。ほんと情けない――と思いきや、ここにもわたしに勝るとも劣らないにぶちんが一人。

「わ、私、全く気づいてませんでした……」

 項垂れつつシチューをかき混ぜる、スモーカーさん直属の部下……のはずのたしぎ姉さん。そんな彼女を尻目に、ヒナさんは呆れ顔で片眉を上げる。

「あなたって本当に鈍いわよね、たしぎ。そこがカワイイところではあるけれど……」
「大丈夫ですたしぎ姉さん。わたしもヒナさんに言われるまで思いもよらなかったので」
「そ、そうですよね!? スモーカーさんがナマエさんのことを大切に思っているのは知っていましたけど、そ、その、まさか恋愛感情があるとは……」
「ちょっと、あなたたち流石にピュアすぎるわよ。あんなの誰が見たってナマエにベタ惚れじゃないの……見ているだけで胸焼けしそうなくらいよ」
「ええ……?」

 いまいちピンときていないわたしとたしぎ姉さんの当惑の声が重なる。ヒナさんは眉間を抑え、やがて諦めたような苦笑で肩を竦めた。

「――で、あれから三日でしょう。どうなの、スモーカー君との進展は? ヒナ興味津々」

 と、仕切り直した彼女がフォークで小突いてるのは取り分けたサラダのベビーリーフである。これのドレッシングが中々にお気に召したらしく、先ほどからヒナさんの手がほどよく進むのが地味に嬉しい。……ううん、しかし、"進展"かあ。

「それが、ここんとこスモーカーさんめっきり忙しくされてましてですね。あれからあんま落ち着いて話せてないんです。今日も帰り遅くなるって仰ってましたし」
「そう……仕方ないわね、ひと騒動あったばかりだもの。無事に収集が付くといいのだけれど、部下が情報を漏洩していた責任ってやっぱりスモーカー君が取らされるのかしら。ヒナ心配」
「あ、それなんですが。どうも以前の内部犯と共犯だったからって、まとめて"海賊"のしたこととして処理されるみたいですよ。海兵の寝返りなんて公にできないからという上層部の判断だそうで、スモーカーさんも心中複雑そうにしてました。一応、手柄にはなるらしいですけど」
「ならよかったわ……と言っていいのかどうか。彼のことだから当然その話蹴ったでしょうし」
「あはは、その通りです。けど折角の儲け話を潰すのは勿体無いから、功労者の部下に丸ごと手柄を譲ったって聞きました。ですよね、たしぎ姉さん」
「えっ、はい、とっても美味しいです!」

 藪から棒に話を振れば、我関せずとおかずを頬ばっていた彼女は口元を押さえつつ当てずっぽうの首肯をくれる。どうやらあんま聞いてなかったらしい。

「しみじみ味わっていただいてありがとうございます。ところでたしぎ姉さん、スモーカーさんの隊のことなんですけど……」
「あっ、はい、なんでしょう?」
「聞きましたよ。今回のお手柄で、裏切りのお兄さんの昇格が決まったんだそうで」

 そう、あれから小耳に挟んだ――というかスモーカーさんに直接伺った――話によれば。かつてわたしが巻き込まれた根性焼き事件のあと、内部犯の消息を追っていたスモーカーさんのもとになにやら裏切りのお兄さんから協力したいとの申し出があったらしいのだ。なんでスモーカーさんがあの(失礼ながら)ちょっと胡散臭いお兄さんを全面的に信用したのかは分からないけど、ともかくそれ以来彼は手が回らないときのわたしの護衛とか裏切り者探しとか資料集めとか諸々をあのお兄さんに手伝わせてたのだという。そんなことはつゆ知らず、変に警戒してしまった自分が情けないやらお恥ずかしいやら……お兄さんには心からのお礼と謝罪を申し上げたいところだ。

「あっ、そうなんです。私たちの部隊は勲章授与の予定なかったのに、今になって話が決まったものですからバタバタしていまして。スモーカーさんも手続きが煩雑すぎるだとかでぼやいていました。今日は部隊長としての申請に出向かれていたので、私たち部下は先に上がったのですが……」
「ああ、分かるわ。わたくしもやったけれどあれ結構面倒なのよね。どうりで忙しいはずだわ」
「おめでたいですけど大変ですねえ。ほんとはスモーカーさんから当日街に降りようかって誘っていただいてたんですが、このぶんだとそれも厳しそうです」

 お祭りムードのマリンフォード、正直ちょっと楽しみにしてたので残念な気持ちはあるんだけど、あの人もお仕事となると無理を言うわけにはいかない。まあわたしは当日何か用事があるわけじゃないし、最悪一人ででも見物に行けばいいか。あれなら食べ物とか買ったりして、スモーカーさんにもお土産を――

「あら、デートの約束ってわけね」
「デデ、デートですかっ!?」
「!?」

 デ――って、な、二人して何を言い出すんだ一体、

「ち、違います、ほんとに。あのときはまだそういうんじゃありませんでしたから」

 手を突き出して弁明するも、お二人の顔を見るにあまり説得力はなかったらしい。し、失言だった。さっきの言い方だとめちゃくちゃ残念がってるように聞こえてしまったろうし……うぐぐ、こういうふうにからかわれるのは慣れてないので勘弁して頂きたい。などというわたしの願いも虚しく、ヒナさんはフォークを置くや否やイタズラ心を隠しきれない微笑みで追撃をかましてくる。

「分からないじゃない。案外スモーカー君の方はその気だったかもしれないわよ?」
「え。や、っそんな、ことは……いえその、……ありうる、……かも、しれませんけど……」
「フフ、あなたにもやっと愛されてる自覚が出てきたみたいで嬉しいわ。ヒナ感激。もっと楽しみなさい、スモーカー君ってわりと露骨に態度に出るから」
「うう……ん、なんか、自惚れてるみたいでちょっとやなんですが。それに慣れないんです、そんなわけないって思い込むのがクセみたいになっちゃってて。肝心のスモーカーさんもちょっとスキンシップ増えたかなってくらいで、喋っててもすっごい普通な感じですし」
「……それじゃやっぱりあなたたち、本当に普段通りというか、相変わらずの距離感なのね」

 ヒナさんはいまいち意図が伺えない表情ですうっと目を細めた。い、嫌な予感。なんかこういうとこ、同期のお二人はちょっと似てる気がする。

「わたくしてっきり、スモーカー君なら付き合ったその日中に手を出すと思ってたわ」
「へ、」
「なっ、そ、そんな不健全な! ダメですよナマエさん、いくら相手がスモーカーさんだからって簡単に体を許しては……っ!」
「いや待っ、お、落ち着いてくださいたしぎ姉さん」

 いきなりぶっ込まれたうえたしぎ姉さん完全に乗せられてるし、ヒナさんは絶対楽しんでるし、もうしっちゃかめっちゃかである。というか、これに関しては真っ向から否定させていただきたい。なにせ今のところ、スモーカーさんとそういう雰囲気になる気配は全くと言っていいほどないのだ。それはもう、ついこないだまでの危うげな空気は何かの気の迷いだったんじゃないかってくらいに。

「大丈夫です。ご心配なく、スモーカーさんはあれで結構きちんとした方なので」

 きっぱりと言い切れば、ヒナさんとたしぎさんは疑わしげに顔を見合わせた。哀れスモーカーさん、これに関しては贔屓目抜きでほんとのことなのに。身を持って体感したことだけど、今考えるとこれまでのスモーカーさんの自制心はまじで並じゃなかったと思う。や、単にわたしの魅力が低すぎたってだけかもしれないけど。

「――とにかく。そういうことはさておき、わたしも一応聞いてはみたんですよ。これまでと違って、なんかした方がいいことありますか、って」

 興味を引かれたように二対の視線がこちらを向く。自分から切り出したもののなんとなく気まずくなって、わたしは手元の小皿へ目を落とした。葉物に紛れるミニトマトの赤が眩しい。

「そしたらスモーカーさん、別に今まで通りで構わないって言うんです。その、焦って何かする必要はないから、むしろ変に意識するなって」
「スモーカーさんがそんなことを?」
「はい。なのでまあ……これでいいのかはよく分かんないんですけど、とりあえず今はお言葉に甘えることにしてます。いきなりカップルみたいなことするっていうのも、なんか変ですしね」
「ふうん……けれど、らしくないわね。踏ん切りがついてないなんてことはないと思うけど……」

 ヒナさんは釈然としない様子で首を傾げた。



 ――と。

 唐突に背後からドアの開く音が聞こえ、同時に向かいの席のお二人があ、と乗り出していた姿勢を正す。一足遅れて振り返れば、キッチン脇のドアの向こうには今まさに帰ってきましたという風態の家主――即ちスモーカーさんの姿があった。おお、想定より早いお帰りだ。半開きのドアから部屋に足を踏み入れると、彼は気後れする様子もなくこちらを一瞥した。

「……姦しいな」

 出会い頭にまで悪態とは、さすがである。

「あら失礼ね。ヒナ心外」
「お、お邪魔してます、スモーカーさん」
「全くだ。家に着いて早々てめェらの面を拝む羽目になるたァ……」

 などと、白々しく宣うスモーカーさん。お客さまに対してなんつー態度の悪さだ。わたしもあんま人のことは言えないけど、それにしたって愛想悪すぎである。きっと生まれてこのかたおもてなしという単語を耳にしたことがないのだろう。
 しかし話し込んでたせいか玄関の音に気づかず、うっかり出迎えが遅れてしまった。実際お疲れのところ騒いで申し訳ないのもあって、今日はきちんと労って差し上げようと思ってたのに……いかんいかん。わたしは急いで席を立ち、スリッパを鳴らしつついつものようにスモーカーさんの近くに駆け寄った。

「おかえりなさい、スモーカーさん」
「ただいま」
「お疲れ様です。思ったより早かったですね」
「手際良く片付いたんでな。……晩飯は?」
「王道かつ家庭的にホワイトシチューです。なかなかの出来ですよ。なんと豪勢にエビと鶏肉ダブル入り、お客さんがいらしてるので豪勢にタコのカルパッチョ風サラダとおまけにデザートまでついてます」
「いいな」

 目を伏せるように笑い、慣れた仕草で革手袋を抜き取るスモーカーさんの仕草からは微かな潮の香りが漂ってくる。当たり前に受け取った両手分の手袋を揃えながら、わたしはキッチンの方向を指差した。

「スモーカーさんとわたしの分、よそってきますね。シチューくらいは一緒に食べて差し上げようかと思って待ってたんです。一人飯は寂しいかと思って」
「……そりゃ、お気遣いどうも」
「あはは。先座って待っててください」

 重ねた手袋を棚の上に置き、スモーカーさんの脇をすり抜けてコンロの方へ向かった。シチューが入った鍋の蓋をぱかりと開き、おたまで大きく一周……うん、これならあっためなおさなくてもよさそうだ。かぐわしく立ち上る湯気を視線で追うと、カウンターキッチン越しのダイニングテーブルで、ヒナさんとたしぎ姉さんがひそひそ囁き声を交わし合っている様子が伺えた。

「スモーカーさんってあんなに朗らかな感じで帰宅の挨拶とかなさるんですね」
「正直わたくしも驚いてたところよ」
「何だか仲良さそうな会話してましたし……」
「ああいうの見てると、スモーカー君にナマエは勿体無いって思うわ。本当贅沢な男よね」
「オイ、人の陰口は聞こえねェように言え」

 と、椅子を引きつつ話に割り込むスモーカーさん。聞こえないとこでなら言われてもいいのだろうか……と脳内ツッコミを入れつつ、用意しておいた二人分の器にシチューをついでいく。仕事終わりでお腹空いてるだろうし、スモーカーさんの方には根菜をたっぷり入れといてあげよう。あと鶏肉も。

「す、すみません、お疲れ様ですスモーカーさん。手続きの方は無事に?」
「まァな。こんなギリギリの時期となると、向こう方もとっとと片付けちまいたかったらしい」
「あ、なるほど……」
「ところで聞いたわよスモーカー君。あなた勲章授与式に出るんですって? 一体いつぶりかしら」
「あァ……気は進まんが、成り行きでな」
「もともとナマエとデートの予定だったそうじゃない。あの子、残念そうにしてたわよ」
「へェ」

 ――は。

 スモーカーさんが不意にこちらを振り返る。思わぬところで流れ弾を食らい、わたしはおたまを鍋に放り投げつつ大慌てで身を乗り出した。

「ちょ……ヒナさん! いやスモーカーさん、違くてですね、わたしはただ単に……」
「……期待させておいて悪ィな」
「だ、だから違うって言ってんじゃないですか!」
「安心しろ、また誘ってやる」

 あああもう、一体わたしは何回この件でいじられなくちゃならんのだ。歯噛みするわたしにスモーカーさんは一瞬だけ面白がるような笑みを向けたくせ、ついと視線を外して素知らぬふりをしてきやがる。あ、あの男、分かってやってるな。ヒナさんもさっきからワルだし、たしぎ姉さんは何故か渋い顔をしてるしで、このままあの輪を放置しておいたら碌なことにならない。再び世間話に花を咲かせ始めた御三方に肝を冷やしつつ、わたしはお皿を両手に持ち、なるだけ急ぎ足でキッチンを抜けた。



 ――そんなわけで、何度かの往復で食器を運び終え、ようやくスモーカーさんの右隣に腰を落ち着ける。食卓の幅はギリギリだけど、わたしが比較的小柄なぶん詰めればなんとか収まる感じだ。とはいえどうしても腕とか脚とかの衝突は避けられなさそうなので、ここは予め謝っておこう。

「狭くて悪いんですけど、お隣失礼します」
「珍しいな」
「不本意ですが仕方ないです、今日は4人掛けなので」

 と減らず口を叩きつつ、早速匙を口に運び始めたスモーカーさんを横目に見上げた。この位置から見る彼の横顔は、リビングのソファで並んで座る時のアングルとは違っていてちょっと新鮮だ。 嚥下の際に上下する喉仏のシルエットをなんとなしに観察してみる。……あ、そうだ。

「ね、スモーカーさん。それ、いつもと何が違うかわかります?」
「ん? あー……酒の味が強ェな」
「エビの臭み抜きに多めに使ったんです。それもありますけど、もう一声」
「…………味噌?」
「おおっすごい、正解です」

 スモーカーさんのご明察通り、今回のシチューはほんのり懐かしい素朴な手料理感がコンセプト。色が変わらない程度に隠し味のお味噌を溶いてあるのだ。ちなみに微和風で統一すべくカルパッチョのほうも醤油で味付けたりなどしております。とそこで「えっ」と声を発したのはわたしのお向かいのたしぎ姉さん。彼女はご自分の匙の中をじっと睨み、湯気で曇ったレンズ越しに難しい顔をした。

「私、全然分かりませんでした。何かこう、コクがあるなぁとは思ってたんですけど……」
「ふふ、それでいいんですよ。隠し味なので」
「うう……ですが、なんだか悔しいです。スモーカーさん、よくお分かりになりましたね」
「毎日やられてるからな」
「それは言い過ぎですよ。2日に一回くらいです」

 元々はスモーカーさんの胃袋を掴む計画のアピールとしてやってた習慣だけど、なんか無駄に彼の舌を肥やしただけのような気もする。大して変わらねェだろ、という反論を聞き流し、わたしもそろそろ食べようかと自分のお皿に手を添えた。スプーンから溢れないよう慎重に口に含む――うん、塩加減と野菜の煮え具合もいい感じだ。

「あ、もし胡椒足りなかったら追加してくださいね」
「いや、十分足りてる。美味い」
「それはよかったです。取り分けといたのでこっちもどうぞ。今日はちょうど魚人島から仕入れたって海鮮が色々出回ってたのでラッキーでした」
「へェ、……そりゃ気前がいいな。魚人島産はよく肥えてるぶん値が張るだろ。確か過去に人魚と魚人が漁獲で揉めたってんで出荷数も制限されてるはずだが」
「え、そうなんですか? 市場で見かけるの珍しいなーとは思ってましたけど、値段はそれほどでもなかったですよ。大量発生したとかですかねえ」
「まァ、あり得るな」
「まだ量あるので好きなだけ食べてください。あ、たしぎ姉さんもおかわりお取りしましょうか」
「あっ、よかったらお願いします」
「待て、ナマエ」
「わ」

 たしぎ姉さんの器を受け取ろうとしたところで、背面から伸びてきたスモーカーさんの手に二の腕あたりを引っぱられ、袖口がほんの少しずり上がった。な、何事。と思いきや、右袖の裾がシチューにドボンするところを救われたらしい。背中に触れたスモーカーさんの肩から、呆れ混じりの低い振動が伝わってくる。

「ガキかお前は」
「あ、すいません。掴んだついでに捲っといてください、利き手側だとむずいんで」
「……たく」
「どうもありがとうございます」

 なんだかんだ断る気もないようで、彼の指先はわたしの袖口を食い気味に折り上げていく。スモーカーさんも片手なのに器用なものだ。大人しく捲り終わるのを待っていると、わたしたちの方を黙って眺めていたヒナさんが不意に口を開いた。それもなにやら胡乱げな表情で。

「聞きたいんだけど、スモーカー君」
「なんだ」
「以前からこの調子なわけ?」
「あァ、……すっかり甘えたヽヽヽなんだ」

 頭上でやれやれと吐き出される溜め息に思わず眉根が寄る。なんだその言い種は。

「納得いかないんですが。今のわたしのどこが甘えてたっていうんですか。これは不可抗力で……」
「自覚ねェのが厄介なところだな。これでも序の口だ、二人きりだともっと酷い」
「……同情するわ。あなたが何も変える必要がないって言ったわけもよく分かったし」
「わ、わたしはわけわかってないです。あのスモーカーさん、迷惑ならそうと仰ってくだされば」
「……別に迷惑なんざ思っちゃいねェよ」
「はい? ならどういうわけなんですか」
「あなたのそういうところがカワイイって言ってるのよスモーカー君は。あー全くお熱いこと」
「んな、」

 ぱたぱた手で顔を扇ぐふりをするヒナさんの物言いにぶわ、と一気に顔が熱くなる。振り仰いで否定の言葉を求めたものの、スモーカーさんはほんの僅かに目を眇めてわたしを見つめ返すだけだ。……な、なんとか言え。どうしてくれるんだこの空気を――



「――っく、悔しいです」

 がたん! と机を揺らしつつの一声。妙なムードを裂いてくれたわたしにとっての助け舟……かと思いきや、そこにはテーブルに両拳を乗せて深々と項垂れるたしぎ姉さんのお姿がある。え、な、なにがどういうことだろう。おかわり、待ちきれなくなった……とかじゃないだろうし。困惑の目が集中するなか、たしぎ姉さんのつむじからは悩ましげな震え声が垂れ流される。

「す、スモーカーさんばっかりずるいですよ。……私だってナマエさんに甘えて欲しいしご飯作ってもらいたいし一緒にお出かけしたりしたいのに……!」
「えっ」
「おいナマエ、こいつに酒でも飲ませたのか?」
「い、いえ。あの、たしぎ姉さん?」
「わ、私っ、授与式のときのお出かけも、本当は一番最初にお誘いするつもりでナマエさんにお話ししたのに、うっかりタイミング逃してしまって、いつの間にかスモーカーさんに先越されてましたし」
「えっ。あの時……そうだったんですか!?」

 もちろん覚えてる、勲章授与式のことはお土産渡すついでに会った時たしぎ姉さんが教えてくれたのだ。でも彼女の誘いを断るわけないのに、なんだってそんなうっかり……いやそうだ、旅行の一連で落ち込んでたから心配してくださったんだっけ。思いっきりわたしのせいである。ていうかそんなにわたしのことを思ってくれてたとはつゆ知らず……なんかほんと、色々ごめんなさいたしぎ姉さん。

「というかスモーカーさんも、一言くらいナマエさんへのお気持ちについて教えてくださったっていいじゃないですかっ。言ってくれたら応援できたのに、わ、私だけ仲間外れにしないでください!」
「うるせェな、お前が勝手にすっトロいのをおれのせいにすんじゃねェよ」
「そ、そんな言い方しなくたって……!」

 がばりとおもてを上げて食ってかかるたしぎ姉さんとすげなく一蹴するスモーカーさん。そしてヒナさんはいよいよ堪えきれなかったように肩を揺らして爆笑している。目が合うと「もてるわね」の形に彼女の唇が動いたので、罪つくりな女です、と返しておいた。主に鈍すぎるって意味で。わたしの返事に、ヒナさんは眉尻を下げていっそう楽しげに微笑んだ。ときめいた。

「ねえ、折角だし飲んじゃう? お酒あるわよね?」
「あ、確かずっと仕舞い込んでるウイスキーがありますよ。あれお出ししましょうか、スモーカーさん」
「構わねェがお前は飲むなよ」
「分かってますって。たしぎ姉さんはどうします?」
「たしぎてめェ、人の家に上がり込んでおいて振る舞い酒も飲めねェたァ言わねェよな」
「飲みますよっ!」
「スモーカーさんそれパワハラですよ」



 ――さて。このヒナさんの提案を皮切りに、涙しながらわたしを抱きかかえて離さなくなったたしぎ姉さんだとか、ニコニコしながらいじめ倒してくるヒナさんだとかに絡まれまくり、半泣きまで追い込まれてようやくお酒の恐怖を思い知ったわたしである。ともあれスモーカーさんがいい加減にしろとお二方を追い出すまでこの異様なテンションは続いた。なんか、わたしが思ってたのとはだいぶ違うおうち訪問になったものの……まあ色々と新鮮で楽しかったし、これはこれでよしとしよう。

 あと、やっぱり飲酒には気をつけようと思う。

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