No Smoking


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「部隊長のスモーカーだ。今日付けでてめェらはおれの部下になる。まァ、運が無かったな。悪ィが恨み言は聞かねェ、異存があれば抜けろ。以上だ」

 クソ生意気な年下の上司だった。

 上層部からの評価は最悪、態度は悪辣、振る舞いは低俗。以前から鼻についていた。大した実力も持っちゃいない、たまたま食った悪魔の実が当たりだっただけの勘違い野郎。そんな男の下に、他でもないこのおれが配属された。一体海軍の人事はどうなってる。ふざけるな、おれが何年海軍のために尽くしてきたと思ってる。腑が煮え繰り返りそうな気分だった。

 それからだ、何もかも上手くいかなくなったのは。

 上の指令も聞かずに独断専行。海軍軍法もことあるごとに無視。優先して守るべき貴族の護衛を差し置いて有象無象の民衆なんぞに拘う。そんなクソ上司のせいで、おれたち部下がどれほど憂き目を強いられたことか知れない。だのに、仲間内にいるのはスモーカーを信奉しているバカばっかりだ。ちくしょう! 奴さえいなければおれの人生は順風満帆だったのに!
 聞けば、奴の部隊に配属された時点でもはや昇進は見込めないという。おれは大佐殿の仰る通り一抜けしてやろうと、あちこちの隊へ移動を掛け合った。そこらの海兵とは比較にならない、おれの実力なら申し分ないはずだ。しかし所属が「スモーカー」の部隊であることを明かすと、皆一様に苦い顔で断りを入れてくるのだった。

「――押し付けられてんのはお互い様ってことだ」

 執務室まで出向き、貴様のせいで誰もおれを取り合わない、という不満を――おれは感情を発散することしかできないこいつと違って至極真っ当な大人であるので――角が立たぬようやんわりと伝えた。その返答がこれだった。
 一体何が言いたい? 遠回しな口ぶりに苛立ってそう問うと、奴はおれを見下しながら、嘲笑うような面持ちで言い捨てたのだ。

「分からねェか? おれの下に配属されるようなのは大概、実力不足のウスノロか、前科持ちの問題児か、馬鹿正直な正義漢か……いずれにせよ上官が手に余ると判断した連中だ。我が身を省みることを勧めるぜ。G5送りになりたくなきゃな」

 ――殺してやる。

 奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。爪が食い込むほど強く握り込んだ拳が震えていた。殴りかかりそうになるのを何とか堪え、律儀に――おれはいつ何時も冷静な振る舞いを欠かさない――礼を告げて部屋を出た。
 侮辱された。許さない。何様のつもりだ。馬鹿にしやがって。自分を優れた人間だとでも思ってんのか。自分の実力不足をまさか部下のせいにしやがるとは。いつか寝首をかいてやる。奴の驕り高ぶったプライドをズタズタにしてやる。おれが味わっただけの屈辱を味わわせてやる。その日、おれはスモーカーへの復讐を固く心に誓った。



「しばらくの間お世話になります。むさ苦しくて磯臭い海軍艦に、新鮮かつ清廉な空気をお届けするために遣わされた消臭の妖精ことナマエちゃんです。よろしくお願いします」

 航海中、文字通り降って湧いた不審なガキだった。

 小癪な態度だったが、おれたち海兵に媚びへつらう姿がそれなりに健気だったので許してやった。女の身の程を弁えて雑用を引き受けていたし、乳臭いが下半身の肉付きは悪くなかったし、何より奴に噛み付きにかかる様子には光るものがあった。見どころがあると、おれは内心あのガキを評価してやっていた。
 だから教えてやったのだ。ある日、「あまり大きな声で話すな」と抜かす腰抜けの同僚に現状への不満を語っていると、偶然ナマエが通りがかった。おれは親切心から、部下を蔑ろにしてまで我欲を通すあの男の傲慢さや、人の欠点をこれ見よがしに論う性格の悪さなどを、聞こえるようあえて丁寧に批判した。するとどうだろう、ナマエは図々しくもおれに意見してきたのだ。

「スモーカーさんは、悪い人じゃないですよ」

 顔を歪めてガキは言った。あんな奴を擁護するとは。所詮は見る目のないガキだ。やっぱり、こいつもいずれ酷い目に合わせてやろうと思った。



「よろしければ、詳しい話をお聞きしたいのですが」

 胡散臭い顔をした海兵だった。

 本部の食堂だったと思う。よその隊の目のある場で上司への愚痴を垂れるのは流石に憚られたので、おれは甘んじて保護対象への不満を溢すに留めていたのだが、それがむしろ奴の興味を引いたらしかった。階級の高い海兵から声をかけられ、同調していたはずの同僚は逃げ出したが(小心者め)、おれは席を変えたいといったその男に付き合って保護対象――ナマエのことを洗いざらい話してみせた。

「今後も情報を提供していただけませんか」

 慇懃な態度で奴は言った。断る理由はなかったものの、顎で使われるのは気に食わない。考えてやってもいいが、おれになんの得がある? 舐められるまいと尋ねれば、男は少し考えてからこう言った。

「昇格したいのであれば、ご協力できるかと。私のバックには元"世界貴族"がついています。これが意味するところ、貴方なら理解できるのでは?」

 ――とんだ儲け話があったものだ。

 おれは二つ返事で了承した。



 「敵を逃さず無力化してください! 人質の救出はスモーカーさんが既に向かっています!」

 たしぎ曹長(こいつもいけすかない女だ。おれより階級が高いのは枕でもやってるからに違いない)の耳障りな指令が飛ぶ。マリンフォードに潜り込んでいた賊どもの掃討は大方済んだ。せっかくおれが情報を流してやったのに使えない連中だ。おれに紐付くスモーカーの情報は伏せたから飛び火を食らうことはないだろうが、折角協力してやったのにこの程度のものかと呆れんばかりである。おれは心底がっかりした。だが、そう、ボロ雑巾みたいなナマエを抱える、奴の必死こいた面ときたら!

 胸がすいた。終ぞ味わったことのない快感だった。ざまあみろ。さすがの奴もお気に入りのペットが手酷い目に遭わされるのは心に堪えるらしい。有害な連中を纏めて処分できてこの上なくいい気分になった。

 しかし残念なことにナマエは無事生き残り、この件は知らぬ間に丸く収まってしまった。その上あの情報を欲しがった男は間抜けにもこの件で足がつき、海軍本部から逃走したらしい。おれは焦った。昇級の話はどうなる。しかしそんな心配も束の間、すぐにおれを頼りにしたらしい奴から連絡が入った。
 次のミッションは七武海の定期召集だった。あの男のバックについている元"世界貴族"へ有用さを見せつけるチャンスだと。おれはナマエの当日の動向を探るように指示を受け、黒電伝虫を持ち出してスモーカーの会話を盗み聞いた。どうやらあのガキは自宅に待機させられるらしい。あの日は何故か若い海兵――スモーカーのシンパだ――がやたらと彷徨いていて厄介だったのだが、黒電伝虫を適当に処分してことなきを得た。あいつの家の位置は割れている。あとは情報を流すだけで、おれの昇格は決まったようなものだ。



 おれは頭にきていた。リスクを負ってまで情報を与えてやったというのに、あれから全く奴の音沙汰がなかったからだ。そんな折、兵舎から出ようとした際に見窄らしい男に声を掛けられた。罵声を浴びせかけたところで気づく。そいつは痩せこけて落ちぶれた、例の"協力者"、元海兵の男だったのだ。

「今すぐ協力してください。さもなければあなたの裏切りが明るみに出ることになりますよ」

 裏切りだと? おれが? 悪いのは馬鹿な上司や、身の程知らずのガキや、生ぬるいことを抜かす腰抜け連中であって、おれは自分の正義を貫いただけだ。
 裏切りなどと言われて心外ではあったが、そいつはなんとしてもあのナマエを元締めに引き渡したいようだった。確かに理には適っている。スモーカーは――奴の実力でないとはいえ――自然系の能力者であり、まともに相手取ろうとするのは現実的ではない。かつての必死さを思い出しても、ナマエを処分するというのは悪くない提案に思えた。大体、あんな男と乳繰り合うような女なんざ碌なモノじゃないのだ。いかにも純粋ですって面してやがるくせ、気色悪い。あんなガキは攫われて当然だと、おれは協力してやることにした。

 シンプルな作戦だった。それと分からないようスモーカーを足止めし、手間取っている間にナマエを攫う。どうやってあのガキを呼び出すのか、と問う内部犯(おれを裏切り者呼ばわりした当てつけにこう呼ぶ)に、おれはスモーカーを餌に堂々と自宅へ押し掛ければいいと提案した。あのガキは単純だ。きっと簡単に騙されるだろう。



 あの野郎、おれを見捨てやがった!

 脱出用の小舟に辿り着き、袋詰めにしたナマエを引っ張り出して手足を拘束していたところだった――例の若い海兵がピストルを構えて現れたのは。拉致するところを見られていたのか? 顔がバレてはまずいと、慌てて対処しようとしたところで銃声が鳴った。若い海兵の腕が撃ち抜かれ、銃が音を立てて地面に転がる。それと同時に、内部犯の男は小舟を繋いでいた係留ロープを切り落とした。おれはその一連を呆然と眺めていた。

「あなたの落ち度です。私に見られて困る顔はない。後のことはお任せしました」

 奴のニヤケ面が脳裏にこびりついている。引き止めようとした時、すでに船は陸を離れていた。奴はおれを利用するだけして見捨てたのだ。

 ちくしょう。腹いせに追手の海兵を何度も蹴りつけた。こいつもずっと気に食わない野郎だった。大佐を尊敬してるだの、ナマエを応援してるだの、腑抜けたことばかり抜かしていた。クソったれ! やっぱりおれを嗅ぎ回っていやがったのか。いつからだ。顔は見られたか? 声は聞かれたか? 分からない。何を知られたか分からない以上、こいつを殺さなくては!
 地面に落ちた銃を拾い上げ、蹲っている海兵の脳天に狙いを定める。腕が震え、どうにも照準が合わない。その時不意に人の気配を感じ、焦って引き金を引くと、銃弾は大きく逸れて肩あたりに穴が空いた。失敗した。再装填していては間に合わない。やむを得ない。おれは海兵を海に蹴り落とした。

 ああ、クソ。頼むから死んでてくれ。



 あの若い海兵は運良く生き延びたらしい。おれはあの場から急いで離れたため気にしている余裕がなかったが、あれだけの怪我だ。当然海に転がした際の血痕が残っていたのだろう。あいつが集中治療を受けている間中、いつ犯人呼ばわりを受けて拘束されるかと気が気ではなかったが、今逃げ出しては自分がしたことと白状するようなものだ。完全に八方塞がりだった。あの時、きちんと殺しておけば……ちくしょう。
 結局あの裏切り者、内部犯の男も失敗したとみえる。ざまあない、と思う反面苛立ちもあった。ナマエも、スモーカーも、何事もなかったような面でマリンフォードへ戻ってきたのだから。ああ、むしゃくしゃする。奴は死んだのだろうか。裏切り者の末路などどうだって構わないが、あいつと同じ目には逢いたくない。……おれは裏切ってない。



 あれから暫く日が経った。あの若い海兵が意識を取り戻したと耳にした際は肝を冷やしたものの、どうやらおれの顔までは割れていなかったらしい。相手が無能で助かった……このまま黙っていれば気づかれることもあるまい。
 何事もなかったように過ぎていく日々にようやく沈んでいた気分が晴れてきた頃、日課の武器整備に向かおうと廊下を渡っていたところで、すれ違いざまに声を掛けられた。

「オイ」

 居丈高な声が癪に障りつつも顔を上げる。ぎくりとした。スモーカーだ。上司を前におれは――本心はともかく見た目には――素直に敬礼した。今、こいつに怪しまれるような真似をするのは極力避けるべきだろうと考えたからだ。

「どこへ行くつもりだ」

 なんだこいつは。なんでそんなことを知りたがる。背中にひやりとしたものを感じながら、武器の整備に行くのだと簡潔に答える。スモーカーは――平時より輪をかけて苛立って見える――卑しい蛇のような目を眇めた。

「そいつはご苦労。……ところで、呼び止めたついでに一つ聞きてェんだが」

 乾いた唇を舐め、なんだ、と問う。

「お前、射撃の腕はどの程度だ?」


 ――怪しまれている。

 疑われているのだ、と、即座に理解した。スモーカーはほとんど確信を持っていた。奴の目がお前が犯人だろうと言っていた。間違いなく。それでもこいつがまだ行動を起こさないのは、恐らく、まだおれが犯人であるという確固たる証拠を得ていないためだろう。
 おれは努めて冷静に射撃の実力に問題を感じたことはない、と答え、追及から逃れようと足早にその場を離れた。顔に動揺は出さなかったから、おれが「疑われていると気づいた」ことはバレていないはずだ。こんなあからさまな探りを入れてきたのはおれの反応を窺うためか? ともかく、潮時だ。ここを離れなくては。突き止められるのはもはや時間の問題だった。



 ふらふらと海軍本部を出た。誰一人おれを気に留める様子はなかった。

 逃げるか? どこへ? おれにはあの内部犯と違って後ろ盾がない。どこにも行きようがない。奴が強硬策に出ないのはきっとおれを舐めているからだ。ここまで逃げることもせず口を閉ざしていたおれを、今更何をできるはずもないと見下しているに違いないのだ。むかつく。腹が立つ。殺してやりたい。あいつのせいで、ああ、あいつらさえいなければ!

 頭を掻きむしった。どうしてこんなことになったんだ。おれに落ち度はない。ここまでずっと上手くやってきたはずだ。 それなのに、なぜ!

 当て所もないおれの足は、いつの間にかかつて二度訪れた奴らの家に向いていた。ナマエの後をつけて位置を調べた時。拉致した時。そして今が三度めになる。
 自棄になっている自覚はあった。どうせ捕まるなら、最後に家でも荒らしてやろうか。スモーカーはどうだか知らんが、あのガキは存外ショックを受けそうだ。一矢報いてやれるならなんだって構わない。あれほどあからさまにおれを追い詰めてきたのだから、ナマエのことは既に厳重に保護しているだろうし、直接手にかけてやろうとするのは非現実的だろうが、それでもなにか――

 ――と思った矢先。

 自宅に駆け込もうとするナマエが見えた。

 一瞬目を疑った。間違いない、何かに追われているかのように、いつになく動揺していて、周りが見えていない。これほど都合のいいことがあるものなのか。奇跡だ。歓喜に全身が震えた。

 ああ、どうやら天はまだおれを見放していなかったらしい!

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