No Smoking


▼ 04-3/3

 ゆるやかに意識が浮上した。目を閉じたまま周囲の様子をうかがう。背中にはベッドらしき弾力。頭にはいつもより柔らかい枕。体には布団がかけられていて、周囲は消毒液の匂いと……最悪だ、葉巻の匂い。

「……おい、生きてるな?」

 一難去ってまた一難。薄眼を開ければ、霞む視界の向こうに恐ろしい顔をしたヤクザがいる。夕暮れ時らしく、彼の顔には黒々と濃い影がかかっていて、その迫力も倍増だ。ああ、せっかく海賊を倒して生き延びたのにこの仕打ち。わたしは生きたままコンクリート詰めされて海の底へ沈められてしまうんだ。そんなのってあんまりだ。

「うう、せめて殺してください」
「……ふざけられるくらいにゃ元気らしいな」

 ふんと鼻で笑う白髪のヤクザ。顔がめちゃくちゃ怖い上に地肌ジャケット。それに加えて、うわ、香り立つ葉巻を豪快に二本吸い。傍迷惑なこの人のおかげで、部屋中がもう泣けてくるくらい煙たいんだが。不本意ながらも慣れてきてしまったこの煙たさ……ハッ! まさか、あなたはスモーカーさん!

「お前は馬鹿やってねェと死ぬのか。……それで、怪我は痛むか?」

呆れ顔をしながらもスモーカーさんの声は気遣わしげだ。というか怪我? 怪我なんてしただろうか。そもそもわたしが気絶していたのは……何故だったか。確か海賊に銃を投げられて、謎の激痛で気を失い……。

「あッ、あたま、痛!」
「……気付くのが遅ェ」

 せいぜい怪我はたんこぶ程度だろうとタカをくくっていたのだが、おでこに手を当ててみるとなんとまあ大仰な包帯だこと。わたしの怪我はそんなに大層なもんだったのだろうか。

「打ち所が悪かったな。ぱっくり切れて三針縫ったらしいが」
「え」

縫ったぁ? 道理で痛いわけだよ。ていうか打ち所が悪くて三針も縫うものなのか。びっくりだよ。大怪我だとか骨折だとかは生まれてこのかた一度もしたことなかったのに、いきなり三針ってそれハードル高過ぎないか。あー気絶しててよかった。

「頭の怪我は危ねェからな……出血が酷かったみてェだし貧血もあるだろ。暫くは安静にしておけ」
「それがよさそうですね。うーんくらくらします」
「だろうな」

泰然としたまま葉巻を吹かせるスモーカーさん。怪我人の前でも喫煙をやめてくれないなんてひどい男だ。

「……ところでここどこですか? なんでスモーカーさんがここに?」

 窓から射し込む夕陽に照らされているのは、どうも見慣れない部屋だ。少し寂れた埃っぽい雰囲気で、木製の棚には薬品が並んでいる。わたしの周りはカーテンで仕切られているが、奥にもいくつかベッドがあるようだ。足場が揺れてないことからして、おそらく陸地みたいだけど……。

「ここは島の診療所だ。怪我したお前を近場に住んでいた医者が治療したらしい。海賊退治の礼だと、治療費は要らねェそうだ」

 それは……ありがたい。退治したのはたしぎ姉さんだし、わたしはあとでお礼を言っておこう。

「で、おれァあの後たしぎから連絡があったんでな。裏の港を占領してた海賊どもをとっ捕まえたあと、現地の海兵に引き渡してからこっちに来た。それでちょうどお前の目が覚めたってとこだな」
「それはまた、タイミングばっちりですね」
「おれにゃ今まで気絶してたようには見えねェが」
「失礼な。わたしが元気なのは喜ぶとこですよ」
「……それもそうだな」

スモーカーさんはいつもなら呆れ声で返すところのはずが、何故だかほんの少し声を和らげて、安心したように呟いた。えっ、怖い。予想外すぎて思わず身を引いてしまった。

「てめェ露骨過ぎねェか?」
「スモーカーさんが人を心配するってタマですか」
「……。まァおれはさておき、たしぎや海兵たちはお前のことを相当心配してたんだ。あとで顔を出してやれ」

 何とも言い難い顔で一瞬黙り込んだのはなんなんだ……。
 ところで、いつの間にかわたしの怪我の話が広まってしまったらしい。当のわたしは今怪我のことを知ったばかりだというのに。しかしわたしもこんな大事になるとは思っていなかったので、心配をかけさせてしまったのは素直に申し訳なく思う。

「……あれ、そういえばたしぎ姉さんは?」

 スモーカーさんの話からして、たしぎ姉さんは診療所に同行しているのかと思ったのだが、見回してみても周囲には見当たらない。わたしの質問に、スモーカーさんは渋い顔をした。

「たしぎか……あいつは今、えらく気落ちしててな。近くにはいると思うが」
「スモーカーさん、やっぱりたしぎ姉さんが指示に従えなかったこと、怒ってます? でも、それはわたしがでしゃばっただけで……」
「いや、おれァ何も言ってねェ。だがあのトロ女、聞いた話じゃ交戦中に転んだらしいな」

 そうだった。たしぎ姉さんが破滅的なおっちょこちょいであるのは今に始まった事ではないし、わたしもそこが魅力だと言い続けてはきたものの、あんなことがあってはそう悠長にもしてられない。なにしろ命の危機だったのだ。

「戦闘中に気を抜いたうえにお前に庇われて怪我までさせたとありゃ、顔も合わせ難いんじゃねェか。まァたしぎはあれでタフな奴だ、すぐに立ち直るとは思うがな」

それと、とスモーカーさんは言葉を続ける。

「ナマエ、お前は確かにでしゃばったが判断は悪くねェ。たしぎが無傷で済んだのはお前の功だ。あとは銃を避けてりゃ言うことはなかったんだが……他人を庇って自分が怪我してちゃ世話ねェな」

 いつも通り悪態をついてはいるが、スモーカーさんは褒めてくれるらしい。うん、やっぱりこの人はこういう感じだ。わたしも相当毒されてるのか、認めてもらえたことには思わず頬が緩んでいた。

「はい。ありがとうございます」

と言えば、スモーカーさんは毎度のごとく目を見開いたあと、「あァ」と軽く口角を上げ、わたしの頭――は怪我をしているので、軽く肩を叩いてくれた。やっぱり不気味に優しい気はするが、自覚がないだけでかなりの怪我だったらしいし、厚意は素直に受け取るとしよう。


「ナマエさんっ、目が覚めたって本当ですか!」

 スモーカーさんが診療所の人にわたしの目が覚めたと伝えてからしばらくして、部屋に駆け込んできたのはどこか疲れた様子のたしぎ姉さんだった。ドアの前で立ち止まり、ベッドに埋もれているわたしと目を合わせると、彼女はほっと安心したように息をついたが、すぐに唇を噛みながら俯いてしまった。

「たしぎ姉さん?」
「……不甲斐ないです」

悔しげにたしぎ姉さんは呟いた。スモーカーさんは病室の壁にもたれながら無言で彼女の方を眺めている。

「いつもいつもドジばかりで。海兵として、自分を恥ずかしく思います。今回だって、目の前の敵ばかりに気を取られて、隠れていた海賊に気づきもせずに、ナマエさんに助けられて、怪我までさせて……!」

たしぎ姉さんの握った拳が震えていた。怪我したのはわたしからなんだし、そんなに思いっきり自分のせいにしなくてもいいのに。海兵の矜持というのは難儀なものだ。

「私、ナマエさんが目覚めなかったら、どうしようかと思ってました。失態を犯したのは私なのに、どうしてナマエさんがこんな目に合わなくちゃいけないんですか……! きっと、あなたがそんな大怪我を負うことはなかったんです、私が」


「たしぎィ!!」


 スモーカーさんが突然叱咤の声をあげた。その声にビリリと振動が走り、血の足りない頭が揺れる。このやろう、怪我人の前で何つー声を。
 たしぎ姉さんはぎょっとして顔を上げた。スモーカーさんは厳しい眼差しで彼女を見やると、

「言いてェことは最初に言え」

「!」

何が言いたいんだ、と思ったが、たしぎ姉さんには通じたらしい。彼女は潤んだ目をいっぱいに見開いて、ハッと息を飲んでから、ようやく顔に覇気を取り戻した。
 そのまま顎を引いてベッドの方へ歩いてきた彼女は、床に跪いてわたしの手を取る。

「ナマエさん」

たしぎ姉さんが顔をあげた。至近距離でばちりと視線が合う。こんなときになんだが彼女は美人だ。そんなに情熱的に見つめられると照れてしまう。そんなわたしに反して真面目な表情で、彼女はわたしの手をしっかりと握りしめて、口を開いた。

「助けてくれて、ありがとうございました。私はいつか必ず、あなたの恩に報いてみせます」

 ……わたしってば軽い気持ちで手を出し過ぎたんじゃなかろうか。恩を売るつもりなんてなかったのに。たしぎ姉さんの真剣な眼差しに落ち着かない気分になる。
 まあでも、わたしの体は勝手にたしぎ姉さんを助けていたのだし、事実自分が後悔しないために動いただけだ。仕方ない、手を出すしかなかった。それに、今だってたしぎ姉さんが怪我するより、自分が怪我をするほうがマシだなと思っている。殊勝なことだ、わたし。でもそれなら、お言葉には甘えよう。

「じゃ、恩返しにわたしの頼みを聞いて貰いますね」

 図々しく言い募ると、たしぎ姉さんは目をぱちくりさせて、「は、はい! 勿論です」と相槌を打った。それを確かめて、わたしはにっこりと笑ってみせる。

「また、お買い物の続きに付き合ってください」

 たしぎ姉さんはわたしの要求が予想外だったのか、あんぐりとしたまま言葉を失った。返事がないので、ふざけてるつもりはないんだけど、と頭を悩ませたが、彼女はすぐに、堪え切れなかったみたいに笑ってくれた。そうしてたしぎ姉さんは柔らかい笑い声をあげながら、「お伴しますね」とわたしの手を握り直すのだった。




「……水を差すようで悪ィんだが」

 あははうふふと微笑み合うわたしたちを見下ろしながら、スモーカーさんが葉巻を吹かせる。なんだというんだ、今いい感じなんだから邪魔をしないでもらいたい。その烟っている葉巻に水を差したいのはむしろこっちの方だぞ。
 恨めしげなわたしの視線など物ともせず、スモーカーさんは淡々と述べた。

「明日の朝この島を出る。残念ながら、買い物の続きはお預けだ」

「――はい?」

 え、待ってほしい。勢いが足りなかった。もう一度驚かせてほしい。

 ――は!? なんでだ! 船の修理が1日そこらで終わるわけないだろう! たしぎ姉さんの恩の消化の機会に加え、わたしの楽しみすらも奪うつもりか。新しい命綱(消臭グッズ)を買おうと心躍らせていたのに、そんな、酷い、いくらなんでも。

「船の修理に何日も停泊する訳がねェだろう。資材の調達と応急修理目的で来たんだ、用はもう済んだ。もうマリンフォードも近ェ、こんなとこでグズグズしてられるか」
「わたしの生活必需品を揃えさせてくれるのでは!」
「……もう必要な分は揃えただろ」

服なんて必需品じゃないだろう! ああ、こんなことになるなら先にホームセンターを探すんだった。みすみすこの機会を逃すなんて、これぞ生殺し。

「ナマエさん、私、や、約束は守りますよ!」
「それなら今からでも行きましょう」
「怪我してるんだから今はダメです!」

立ち上がろうとするとたしぎ姉さんに押し留められてしまった。たしぎ姉さんの裏切り者!

 ああ……これもあれもそれもどれも全部海賊のせいじゃないか! 海賊、許せない。わたしの許せないものランキングの2位に見事ランクインした。ちなみに一位は安定の喫煙です。海賊め、わたしの怒りは収まらない。将来は海兵にでもなってやろうか。

「……うう、海賊このやろう」

 歯噛みして悔しがるわたしに、たしぎ姉さんはスモーカーさんと顔を見合わせて苦笑するのだった。

prev / next

[ back to title ]