No Smoking


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「最後のあれ、わざと当たったでしょう」

 沈む斜陽に向かう帰り道。あのあと広場の少年たちは怒涛の勢いでずらかってしまったので、わたしたちも暗くなる前に帰る流れになったのだ。スモーカーさんは茶けた紙袋と植え替え用の(地味に重い)土を抱え直し、隣を歩くわたしをちらりと見やった。

「……どうしてそう思う?」
「だって避けようと思えば煙になれたのに、ならなかったじゃないですか。首から上が無くなったら子供たちが怖がるからかなって」
「別に、……そこまで深く考えたわけじゃねェよ」

 ふうん、つまりわざと当たったって点は否定しないわけだ。にやにや口角を上げてスモーカーさんの顔を覗き込む。彼は鬱陶しそうな仏頂面をしつつも、わたしに合わせて歩調を緩めてくれていた。


 街灯の影を踏みながら歩いていく。一応沈みきってないとはいえ、太陽は僅かな金色を残してほとんど建物の影に隠れてしまった。西の空は群青に染まり、建物の窓もぽつぽつ明かりを灯し始めている。家々の白い石壁が夕陽を照り返して、少し眩しい。

 かさ、と紙袋が擦れる音がした。

「――気は晴れたか?」

 見上げた視線の先、スモーカーさんの横顔。白い毛先が、とろけた黄身みたいな色の光に透けている。目を奪われ、理解が遅れて、反射的に疑問符を返した。

「ええと……?」
「おれの思い過ごしかもしれねェが……お前、迎えに行ったときから少し本調子じゃなかったろう」
「あ、……まあ、そうですね」

 気付かれてたのか。一応態度に出さないようにしてたつもりなのだが、どうやら筒抜けだったらしい。わたしが分かりやすいのか、この人の察しがいいのか……どちらにせよちょっぴり気恥ずかしくはあるのだが。

「……そんなに落ち込んで見えました?」
「お前の空元気は分かりやすいからな」
「うぐ、覚えておきます」
「で、原因は聞かねェ方がいいのか?」
「あー……」

 頬を掻き、言葉を濁しながら目を逸らす。

「……まあ、大したことじゃないですから」

 こんな言い方すると余計に気を遣わせるかもしれないけど。とはいえ、面と向かってスモーカーさんの噂話を聞いて悩んでましたとは言いにくいしなあ。内容が内容なだけに……。
 いや別に、お姉さんたちの話を真に受けたわけではないのだ。けど、あれがまるっきり嘘じゃないことも察してたりして、つい、こう、やましい想像をしてしまうこともあるわけで。あいや、これは無しだ。なしなし。

 とにかく、噂の真偽を本人に問うわけにはいかないだろう。それに、あれが事実であろうとなかろうと、今は別にどうでもいいやって気分なのだ。わたしは本心から晴れやかな気分で口角を上げた。

「これは空元気じゃないですよ。詳細は伏せましたけど、事実スモーカーさんと話してたらすっきりしましたし、所詮その程度の悩みだったと言いますか」
「そうか」
「……ほんとに、大丈夫ですからね」
「分かってる」

 念を押すわたしに、スモーカーさんは小さな笑みを返した。

 暫し、会話が途切れた。表通りを離れて少し入り組んできた路上には、2人分の足音しか聞こえていない。けれど、この人との間に横たわる沈黙は決して気まずいものではなかった。ただ緩やかな心地よさだけがあった。
 うっすらと夜の匂いを孕んだ風が吹く。スモーカーさんの腕が揺れるたびに漂う、微かな葉巻の残り香。抱えた花束の華やかな匂いと混じって、なんだかやけにじんわりと鼻に染み込んでくる。わたしはゆっくりと息を吐き出した。

「……スモーカーさんは優しいですね」
「なんだ、藪から棒に」
「しみじみそう思ったんですよ。もしスモーカーさんが本当に……」

 わたしが彼を一面的にしか知らないだけで、お姉さんたちの噂してたように、都合が良ければ誰でもいいだとか、そんな態度を取っていたとしても。或いはわたしが居ることで、そういう面で辛抱というか、気を遣わせてるのだとしても。……きっとわたしが罪悪感を感じたり、不安になったり、増してや都合の良い相手になろうしたりしなくていい。スモーカーさんが義務感抜きにわたしを必要としてくれるなら、それでいいのだろうと思えたのだ。

「……いえ、なんでもないです」

 うまく言い表せる気もしなくて、はにかみながらそう呟く。スモーカーさんは呆れ顔をしながら僅かに身を屈めた。

「なら言うな、とは言わねェでやるが……お前、今日はやけに隠し事が多いな」
「深追いしないで下さってありがたく思ってます」
「気にならんわけじゃねェからな。今回は解決したようだからいいが、必要なら無理にでも聞き出すぞ」
「そんな言い方すると優しさが伝わりませんよ」
「……どうも尋問されてェらしいな」
「あはは、勘弁してください」

 わたしに釣られたように、今日のスモーカーさんはよく笑う。

 ああ、この人が両腕に荷物を抱えていてよかった。今目の前に彼の手があったら、きっと掴んでしまうところだった。人の噂というのは思わぬところから立つものだし、自分でもよく分からないこんな衝動に身を任せてはろくなことにならない。……けど、このくらいなら。
 肩先を横を歩く腕に押し当てる。スモーカーさんがぱっとこちらを振り返るので、なんだか気まずくて目を伏せた。変な人だ。このくらい今更、どうということもないじゃないか。

 と思いつつも、わたしたちの背後にはぴったりとくっついた影が伸びているのだと思うと、やっぱりどこか気恥ずかしい心地がするのだった。

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