No Smoking


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「ナマエ」

 肌寒くなってきた日暮れの自宅、ホウキとちりとり手に吹きさらしのリビングを掃き掃除中のわたし。フローリングの隙間に入った破片をほじくり出していたところ、ふと声をかけられたので一旦手を止め視線を上げた。玄関の方からやってきたのはややお疲れ気味のスモーカーさんだ。

「はい、どうかしましたか」
「そっちも大方片付いただろう。破片まとめた袋も寄越せ、ついでに出しておく」
「――ああ、ありがとうございます」

 折角お気遣い頂いたので、三重に分厚くしたガラス入りのゴミ袋を手渡しておく。先ほどスモーカーさんには、明日ゴミ出しする予定のバッキバキに割れたガラス戸(ほぼ枠のみ)を、玄関の外に出すよう頼んでたのだ。
 廊下へ引き返したスモーカーさんを眺めつつ、さてそろそろ終いにしなくてはと掃除用具の片付けに取り掛かる。まだ多少の破片は残ってるだろうけど、この家は基本土足だ。わたしが油断して裸足で駆け回ったりしなければ問題ないだろう。

 そんなわけで念入りに破片を払い落としたラグをよいせよいせと敷き直していると、早くもスモーカーさんが戻ってきた。外から吹き込む向かい風に、彼のジャケットが軽く膨らんでいる。

「どうもです、スモーカーさん」
「あァ……見たところ、掃除は済んだみてェだな」
「大まかにですけどね。あ、そうだ。最後にベランダに出していただいたソファとテーブル、この辺に戻してもらっていいですか」
「ん……分かった」

 快く了承してくださったスモーカーさんの後に続いてわたしもベランダに出る。ここの掃き掃除もあとでしとかなくては。と考えつつ観葉植物の植木鉢を抱え上げてリビングに運び込んでいると、スモーカーさんの方からガタン、と家具を起こす音が聞こえてきた。葉っぱ越しにちらりと音のした方を見やる。
 これは今更な話なのだが、やっぱスモーカーさんてかなり力持ちだ。よくよく考えればあのどでかい十手振り回してる時点で相当なものだと分かるのだが、これまで目の当たりにする機会がなかったので地味に新鮮である。ていうか、ソファってああいう感じに一人で担げるものなんだなあ……。スモーカーさんなら引っ越し屋さんでもやってけそうだ。

 なんて感心してる間に運び入れも無事完了。ソファに新しいカバーをしてクッションを並べ、わたしとスモーカーさんはようやく腰を落ち着けることができたのだった。こう……さわさわ風が吹いてて多少開放的すぎるきらいはあるが。

「ふー……なにはともあれ、お疲れ様でした」
「……全くだ」

 流石に控えるのもしんどかったのか、葉巻に火をつけて一服するスモーカーさん。せっかく掃除したあとなのに空気汚染……まあ今日は室内の換気が抜群にいいので大目に見て差し上げるとするか。

「とりあえず明日、帰りがけにガラス戸買いに行ってきますね。業者さんに頼めば設置までやってくれると思うので、スモーカーさんが帰る頃には……」
「いや……そのことなんだが。ナマエ、お前明日から本部出る時間はおれに合わせろ」
「え、一緒に帰るってことですか?」
「あァ。明るいうちは難しいが、帰りの時間なら揃えられるだろう。極力遅くならねェようにはするが……時間が合わねェ場合は本部に待機してもらえるか。お前にゃ不便をかけるが、事情が事情なんでな」
「それは構いませんけど」

 ふうむ、あまり態度には出てないが、スモーカーさんも今回のことは相当問題視しているはずである。定期召集が過ぎてしまえばそれほど差し迫った問題はないとはいえ、してやられたからには対策を講じねばならないということだろう。自宅を荒らされた恨みだって(主にわたしが)あることだし。
 とはいえ毎日一緒に帰るとなると、さすがに同居のことごまかせなくなってくるような気がするのだが。いや、もともとスモーカーさんに隠す気なんざさらさらないんだろうけど、乙女なわたしは世間体を気にするのだ。部下の海兵さんたちに知られたらまじでスモーカーさんとデキてると思われてしまう。それは非常に困る。

「あのう、でしたら待ち合わせ場所決めてもらってもいいですか? できれば人が来ないところがいいんですけど」
「なら……おれの執務室でいいか。あそこは暫く使う予定もねェし、滅多に人も入らねェ。散らかっちゃあいるが、それでよけりゃ好きに出入りして構わねェよ」
「おお、いいんですか。ありがとうございます」

 よし助かった。スモーカーさんの執務室は部下の方々と一緒に仕事してる大部屋とはまあまあ遠い位置にある。タイミングさえずらせば出会すことも冷やかされることもないはずだ。
 ほっと一安心しているわたしをなんなんだか、って感じの目で見遣ってくるスモーカーさん。彼は葉巻を口に運びつつ、指の間から煙を吐いた。

「それから……こっちの仕事終わりが早けりゃ迎えに行くが、普段は何処にいる?」
「夕方くらいならいつもおつるさんのとこですよ。最近は結構ギリギリまで消臭剤製作してるので、スモーカーさんとご一緒するってことならそっちで待つのも多いかもです」
「消臭剤ってお前、大参謀に師事までしてやってることがそれなのか」
「これには色々と事情があるんです。というかスモーカーさん、迎えはありがたいですけどあんまり目立つことはしないでくださいよ」
「……目立つこと?」

 スモーカーさんが訝しげに眉を顰める。察しのいい彼にしては珍しく、あんまりピンときてないらしい。うーん、あんまりこの感じを口で説明したくはないのだが……致し方なし。

「だからその、あそこにはわたしとスモーカーさんの事情を知らないお姉さま方も多いので、誤解を招くようなことをしないで欲しいってことです。ほら、授業参観の時とか同級生の前で家族に話しかけられるのって気まずいじゃないですか。そんな感じです」
「あァ……意味は分からねェが言いたいことは分かった。つうかお前、普段あれだけ図太いくせして時々妙に細けェことを……」
「わたしはスモーカーさんと違って恥も外聞も気にする繊細なタイプなんです。言っときますけど、今日のことだって当分は根に持ちますからね」

 じろりと横目にスモーカーさんを睨む。

 そう――本日のいざこざがあってからの帰路、何が問題だったかといえば、わたしが靴を履いてなかったことである。それでもってマリージョアに貸し出し用の靴なんぞがあるはずも、裸足で歩きますと言い張って聞き入れられるはずもなく。必死の抵抗虚しく、わたしはパンゲア城からボンドラ、"赤い港"からマリンフォードに至るまで、終始スモーカーさんに抱えられながら帰宅してきたわけなのだ(しかもすぐ横にはたしぎ姉さんもクザンさんもいた)。その時の周囲の目ときたら。わたしに死ねというのか。
 スモーカーさんは憤懣やるかたないわたしをまともに取り合う気もないらしく、しれっとした態度で葉巻を吹かせている。しかも言うことときたらこれだ。

「感謝はされても文句を言われる筋合いはねェよ。大体お前を抱えて歩くのなんてこれまでも散々……」
「それはそうかもしれませんが、あんな公衆の面前でなんて今までなかったじゃないですか!」
「仕方ねェだろ、お前は海兵に靴履いてねェ一般人を連れて裸足のまま歩かせろってのか」
「だ……だとしても他になんかあったでしょう。めちゃくちゃ恥ずかしかったんですよ。ボンドラに乗り込むときとか警備の方がこのうえなく微笑ましい目でこっち見てました……絶対泣き疲れた子供だと思われてましたよあれは……」

 せめて、こう、相手がクザンさんならもう少しマシだった気がする。スモーカーさんに抱えられてるのを色眼鏡で見られてたというのが恥を五割増くらいにしているのだ。もうほんと正直、帰り道だけでドフラミンゴの一件と同じくらい精神を磨耗した。大番狂わせの災難である。
 しかしそんなわたしの繊細な乙女心など、この無骨を絵に描いたような男に理解できるはずもなく。スモーカーさんは案の定、やれやれと呆れたようなため息を吐いた。

「つまりお前はこっちの事情も知らねェ無関係の他人にどうこう思われるのをいちいち気にしてんのか」
「勿論そうですが?」
「……分かった、肝に銘じておく。配慮するかどうかは別として」

 なんだそれは。海軍本部の"野犬"なぞと呼ばれてる人に求めるのは無駄なのかもしれないが、頼むから素直に配慮していただきたいものだ。
 暫くの間じっとりとスモーカーさんを視線で突き刺していたものの、葉巻を手繰る素知らぬ横顔を見ているうちに段々とばかばかしくなってきて、わたしはふうと息を吐いた。まあ今日の出来事はかなりのイレギュラーだろうからそうそう同じようなことは起こるまいし、ここは諦めて折り合いをつけることにしよう。言うだけ無駄なのは一応分かってるのだ。

「ナマエ」

 わたしが大人しくなったのを見越したように、スモーカーさんが声をかけてくる。振り仰いだ瞬間頬にかかった前髪を払う、彼の手が鼻先を撫でていった。憎々しい葉巻の匂い、だが、あのときのむせ返るようなムスクよりはよっぽどましだと思う。

「ついでに話しておきたいことがあるんだが」
「それじゃ……長くなりそうですし、休憩がてらなんか用意しましょうか。この前おいしい茶葉を買ったんです」
「……あァ、頼む」

 スモーカーさんが頷いたので、するりと抜け出してキッチンへ向かった。棚から新品のティーバッグを引っ張り出し、お湯を沸かすべくケトルに水を注いでいく。……あ、そういえば昼ごはんの洗い物できてなかったんだった。スモーカーさんと話し終わったら、夕飯も作らなきゃいけないなあ。
 顔を上げてリビングの方を見た。風に流される葉巻の煙と、スモーカーさんの後ろ姿がある。よかった。この家の惨状は、なんとも日常の破壊を象徴するかのようで、ちょっとばかり不安な気持ちになったものだ。戻ってきた今くらい、呑気にしても責められやしないだろう。

 点火したコンロからは、平凡な安堵の音がした。

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