No Smoking


▼ 32-3/4

 現在パンゲア城の入り口付近。城の上階では会議が始まった頃合いだろうか。わたしはこの城の事務室的な――今スモーカーさんとたしぎ姉さんが今回の騒動についての聴取を受けている――部屋の前の廊下、備え付けられたソファの上に足を乗っけて待機中である。彼らとしてはわたしを一人にするのは忍びなかったらしいけど、会議も始まったことだしひとまず問題ないという判断だ。

 ――ぎい。

 ドアが開く音がした。用事が済んだのだろうか。

「あ……クザンさん。どうでしたか」

 すらりと背の高いシルエットが出てきたのを見計らって声を掛ける。この人からの事情説明があったなら、強行突破の件もおそらく穏便に片付いたことだろう。ドアを後ろ手に閉めたクザンさんは、わたしを目に留めると曖昧に微笑んで頭を掻いた。

「あァ……ナマエちゃん。片付くまでもう少しかかりそうだが、あいつらに関しちゃ問題ねェでしょ。お前さんが元帥認可の保護対象なのが功を奏したな」
「あはは……肩書ってのも一長一短ですね。というか、クザンさんの方はお咎めなしなんですか?」
「おれは大将だからな。扱いとしては天竜人の直属なんで、ある程度優遇されてんのよ。……こっちのことより、お前さんはなんともねェのか?」
「それが、拍子抜けするくらい平気なんです。気疲れはしましたけど、特に酷い扱いをされたってわけでもないので」
「……そうか。図太いな、お前さんも」

 フゥ、と億劫そうにため息を吐き出しながら歩み寄ってくるクザンさん。その表情はどこか暗い。というか硬い。
 さて、やっぱりさっきの違和感は勘違いじゃなかったみたいだ。クザンさん、ここに来てからずっと、らしくなく緊張してるというか、やたらに気を張ってるというか。……どうしたんだろう。人一倍重い腰を上げて、どう考えても海軍を釣るためのドフラミンゴの挑発に乗ったりした時点で、なんとなく彼の行動に違和感はあるのだが。

「……クザンさん、何かあったんですか?」
「んん……まァ、な」

 話しにくいことなのか、彼が口にするのはぼんやりとした生返事である。やっぱりまんまとドフラミンゴにしてやられたのがダメージでかいのだろうか。クザンさんはソファと横並びに壁へもたれて立ち、妙に深刻な様子で天井を仰いでいる。……かなり参ってるなあ。

「あの、クザンさん。わたしが拉致されたことに関してはもうどうしようもなかったと思いますよ。事前情報があったとはいえ、まさかドフラミンゴがわたしの居所を知って突撃おうち訪問してくるとは誰も予想できませんって」
「ん、あァいや……それもあるが……」
「?」

 あれ、違っただろうか。それ以外にクザンさんが落ち込む理由となるとあんまり予想がつかないのだが……。うーん、なんなんだろう。とはいえこの人、定期召集の前からドフラミンゴのことについてはなにかと言葉を濁していたし、あんまりずけずけ踏み込むと困らせるだけかもしれない。クザンさんだって意地悪で黙ってる訳ではないのだ、あまり追求しすぎないようにしよう。


「……あ、そういえば」
「?」

 丁度いい、彼に聞いときたいことがあったのだ。話題を変えるべく口を開けば、都合が良かったらしくクザンさんは首を傾けてこちらを見た。

「以前、拉致事件のあと、医療棟にクザンさんがお見舞いに来てくれたことあったじゃないですか。そのとき事件のことで何か気かがりはないかって仰られたので、わたし拉致犯たちが話してた"ジョーカー"って名前を答えたと思うんですけど」
「……」
「どうしました?」
「んん……大丈夫だ。それで?」
「えーと、だからなんだってわけじゃないんですが、うろ覚えだったので確認しときたくて」

 そう、今になってやっと思い出したのだが、先ほどドフラミンゴに聞かれた"ジョーカー"という単語。どこで耳にしたのかと思ったら、こないだの拉致事件で主犯の男の口からちらっと出た名前だったのだ。一度クザンさんに伝えたきりすっかり話題にしなかったので、記憶の引き出しの奥へしまい込んでいたらしい。道理ですんなり思い出せなかったわけだ。

「ほら、クザンさんご存知だったでしょう。詳しいことは聞いてないですけど、確か"ジョーカー"という名前が有名だとか、闇のなんちゃらだとか」
「あ〜……闇のブローカー、でしょ。ま、有名つってもその筋に限った話なんだが。しかし解せねェな……なんでナマエちゃんが今そんなことを気にすんのよ」
「それがですね、さっきドフラミンゴがいきなり」
「なんだと?」

 まだなにも言ってないのに食い気味に詰め寄ってきたクザンさん。びっくりした。ソファの背に手を置き、こちらに向かって屈み込んできた彼の表情はやはり緊迫したものだ。思わずたじたじしてしまう。

「え? いえ、だからドフラミンゴに聞かれたんですよ。"ジョーカー"って単語に聞き覚えがあるかって」
「まさかと思いてェが……お前さん、『はい』って答えたんじゃ……」
「あー……わたしもなんとなくやな予感がしたんで黙ってたんですが、その……無言は肯定の意とみなされ」
「…………まずいな」
「やっぱまずいですか」

 クザンさんときたら、当事者のこっちが心配になるくらいに顔面蒼白だ。ドフラミンゴに聞かれた時からなにがなんだかサッパリ分かんないままだけど、彼がこんなに焦るって相当やばい事態な気がする。頼むからあまり怖がらせないで欲しい。

「や、でもクザンさん、ある程度名が知られてるなら、"ジョーカー"って言葉に聞き覚えがあったってそれほど問題じゃないのでは」
「違う……。恐らくドフラミンゴにとって重要なのは、お前さんがいつどこで、誰からその名前を聞いたのかどうか……だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。それってつまり、いつぞやの海賊たちとドフラミンゴが繋がってるってことですか? そもそもドフラミンゴとジョーカーってどういった関係なんです、ブローカーってことはドフラミンゴの御用達とかそういう――」

 いや、なんにせよ実際、わたしがあの連中から聞いたのってほんとうに名前だけなのだ。ドフラミンゴがどう絡んでるのかは知らないが、"ジョーカー"の秘密を聞いてしまった可能性があるから……などという言いがかりみたいな理由で目をつけられたのだとしたら、タチが悪いにもほどがある。こちらを見るクザンさんが難しい顔で眉をひそめた。悩んでいるように見える……ていうかもしかしなくても、これ以上深追いすべきでないのかもしれない。今ここで追求すること自体が己の首を絞めてるような……。


「――教えてやれよ、クザン。生半可な覚悟で首突っ込むもんじゃねェってな」
「!?」

 慌ててクザンさんの肩の向こう側を見た。

 な、……なんでここに。

 廊下の奥から姿を現した特徴的なシルエットは、間違いなくドンキホーテ・ドフラミンゴそのものである。硬直するわたしに反し、先んじて予測してたのか、クザンさんは冷静さを崩さないままちらりと目配せをした。

「あらら……やっぱり来たか」
「い、今は会議中のはずじゃ……」
「詳しい仕組みはわからねェが……悪魔の実だな」

 あれも能力なのか。てっきりドフラミンゴの能力はさっきの見えない拘束だとばかり思ってたのだが……でもよく考えたら空も飛んでたし、どうやら今は分身してるらしいし、もはやなんでもありだ。
 聞こえたであろうクザンさんの指摘に動じる様子もなく、ドフラミンゴは笑いながら大股に歩いてくる。こっちに来る。わたしの動揺を察してか、クザンさんは制止を示すようにさっと片手を上げた。

「……それ以上近づかねェでくれるか」
「フフフ……まァそう警戒するな、やり残したことを思い出したんではるばる足を運んでやったのさ」
「やり残したことってのは……口封じの抹殺か?」
「おいおい、物騒だな。んな出任せ言ったらナマエちゃんが怯えちまうだろ?」
「出任せかどうかはお前さんが一番よく分かってんじゃねェの。順当に見て……最後にこの子を片付けんのがお前さんの目論見でしょ」

 最後、って……。

「クザンさん、どういうことですか」

 悪い予感がして、ソファの背に置かれていたクザンさんの袖口を引いた。おかしいと思ってたんだ、彼の焦り方とドフラミンゴに対する過剰なまでにピリピリした態度。この人らしくない敵意。
 クザンさんはわたしの問いに一瞬言葉を濁し、それから諦めたようなため息を吐いた。「できれば伏せておきたかったが……」と前置きして、クザンさんはやんわりとわたしの手を解いて取り直す。彼の手のひらはひんやりと冷たい。

「ついさっき、海軍本部にインペルダウンから連絡が入った。……ナマエちゃんの拉致事件に関わった囚人たちが、原因不明の獄卒獣の暴走――"不慮の事故"で全員死亡したそうだ」
「……へ」
「尋問のため本部の独房に入れていた主犯格の男のみ、唯一生き残った……筈だったが、一報を受けて駆けつけた頃にはナイフ片手に全身切り刻んで死んでたよ。現場証拠からは自殺だと判断せざるを得なかったが……どうやらお前さんもタイミングよく行方不明だったらしいじゃないの、ドフラミンゴ」

 クザンさんは振り返り、廊下の向こうの薄暗がりにいる海賊を一瞥した。ピンク色の鳥男は、まだ臆面もなく笑っている。弧を描く感情の無い笑み。


 ドフラミンゴは抜け目なくこちらを見ていた。


 ――じゅわ、と鳥肌が立つ。

 初めて、あの海賊を心の底から恐怖した。クザンさんの手のひらの上にある、わたしの手が震えている。脳がヒリヒリ痺れて痛い。全身の血が凍ったようだ。
 ……死んだ? まさか。殺されたのだ、あの男に。あの事件の関係者は今日一日で全員――もちろん同情なんか一ミリも湧いてはこないけど――つまり結論を言えば、わたしがそうなっててもおかしくなかったということだ。少なくともクザンさんは、それを覚悟してあの場を訪れていたに違いない。ドフラミンゴは恐らく、あの笑顔のまま人の首を掻き切れる男だ。なんの躊躇いもなく人を殺せる、海賊なのだ。

「妙なことがある。主犯の男は尋問の際、頑なに口を割らなかったが……ただ一言、怯えたように『リミットは定期召集』と繰り返していたそうだ。そこまで耐えきれば助けが来ると踏んでいたのか、或いは……。もっとも、クスリの禁断症状でろくにものを話せる状態じゃなかったが」

 クザンさんの手にぐっと力が入る。はっとして顔を上げると彼の横顔が目に入った。額を冷たいものが伝わる……わたしの汗だ。気分が悪い――

「まるで隠蔽工作だ。一体何を聞かれて困ることがあったのか教えて頂戴よ……なァ、"ジョーカー"」


 ――今、ドフラミンゴのことをジョーカーと呼んだのか。

 ああ、つまり……そういうことらしい。

 これが知ってはいけない事実とやらなのかは分からない。ただ、言われてみれば思い当たる節はあった。わたしの中でようやく話が一本に繋がっていく。わたしの腕を焼いた連中の元締め、面白い情報を欲しがっていた"ジョーカー"。海軍に拿捕された部下を制裁し、そして原因であるわたしを調べるためにここへ拉致してきた、その張本人。そのいずれもこそ、この男――ドンキホーテ・ドフラミンゴだったのだ。

「フフ……いいのか? そこのお嬢ちゃんに全部聞かせちまってよ」

 ドフラミンゴはやはりあっけらかんとした物言いを変えない。クザンさんが知っていたことすら、この男にとってはさほど問題にならないのだろうか。

「……お前さんがのこのこやってきた時点で同じことでしょ。不用意に吹き込まれるより、自分の口から話したほうがいくらかマシだ」
「フッ……フッフッフ、違いねェ! だが"ジョーカー"の正体なんざ取り立てて騒ぐほどのことじゃねェさ。政府にも知ってる奴はごまんといる……なにせ得意先の一つだからな。最近人間屋ヒューマンショップ辺りを嗅ぎ回ってる奴がいるってのもディスコから聞いてた。……まさかそれが海軍大将本人だとは思わなかったが」
「……この程度の事実で七武海の称号は剥奪されねェ、か。まったく……ロクでもねェな」

 なにがなんだか、とても話についていけない。分かったことといえば、どうやら海軍の上役である世界政府は相当腐ってるらしいというくらいだ。

「――フフ、なァおいナマエちゃんよ!」

 いきなり話を振らないでほしい。男のサングラスは廊下の薄明かりを反射して鈍く光っている。

「よかったじゃねェか、これで疑問が解けただろう」
「な、……なにのですか」
「お前を傷モノにしたのはおれのご機嫌とりの連中だったってことだ。何をされたのか話にゃ聞いてるぜ。フッフッ……まったく酷ェことをしやがる」

 ……この野郎、その"ご機嫌とり"たちを皆殺しにしておいて、よくもまあのうのうとそんなことを言えるものだ。胃の中で渦巻いていた吐き気がこみ上げる。ドフラミンゴはにたりと口角を上げると、これ見よがしにわたしへ人差し指を向けた。

「どうだナマエちゃん、お前の商品価値を下げちまった詫びと言っちゃなんだが、おれの下に来るなら命の保証はしてやるぜ。温室育ちの政府の連中と比べて海軍の犬どもは扱いにくい……そのウィークポイントとなりゃァ消しちまうのも勿体ねェだろう、フフ!」
「それは、」
「――まさか脅しじゃねェだろうな。こっちがその提案を蹴ったらどうするつもりなのよ」

 クザンさんがわたしが言おうとした台詞を代弁しながら手を離し、立ち位置を変えてドフラミンゴの視線を切る。わたしを庇っているのだろうか。広くて大きな背中の向こうから、下卑た笑い声だけが聞こえた。

「フッフッフ! 安心しろ、さっきの宣言に偽りはねェよ。おれは当分ナマエちゃんから手を引く……何を知っちまったか分からねェその口を塞げねェのは残念だが、今となっちゃ追い回すデメリットの方がでかいんでな。それにクザン、あんたもナマエちゃんを犠牲にしてまで七武海の不正を暴こうとはすまい?」
「……んな面倒を背負い込むつもりは元よりねェよ。この子とは関係なく――」
「今更はぐらかすなよ。これは取り引きだ。もし海軍がおれの捕縛に動いたら、真っ先にそのガキの首が飛ぶと思え。せいぜい目を光らせておくんだな、フフ、……あとは噂に聞くナマエちゃんの口の固さに期待するとしよう!」

 一方的に捲し立ててから、ドフラミンゴは用事は済んだとでも言いたげにばっと羽毛のコートを翻した。言い逃げする気らしい。取り引きどころかこちらの可否などお構いなしだ。これってつまり、わたしと関係ないところでドフラミンゴの素性がばれたとしても、わたしが殺される羽目になるってことじゃないか。そんな理不尽な話があってたまるか。
 だがクザンさんは立ち去る背中を眺めつつも何も言わなかった。いや、言えなかった……のかもしれない。今この場において立場が弱いのは、多分背後にわたしを庇っている彼の方だ。こういう言い方は自惚れかもしれないが、けれど今、クザンさんに嘘を吐かせたのは間違いなくわたしだった。そういえばずっと前、サカズキさんが言っていた。わたしの居場所がないのはひとえに"弱いから"だと。なぜかそのことを思い出した。


「――あァ、おいクザン、最後にひとつ忠告だ」

 廊下の曲がり角の間際、ふと思い出したようにドフラミンゴが足を止める。これ以上なにも聞きたくないのが本音だが、かといってそうもいくまい。前回の二択を思うにろくなことではないだろうと身構えると、モフモフしたピンクの塊越しに、一瞬ドフラミンゴの横顔が見え――

「近いうちナマエちゃんを出来のいいコメディ・ショーに連れて行ってやれよ。そいつのジョークは異次元の寒さだぜ」
「……は……!?」
「フッフッフ! じゃあな!」

 爆弾発言を残してドフラミンゴの姿は消えた。


 しんと静まり返る廊下。悪い夢を見ていたかのようだ。わたしはゆっくりとクザンさんと顔を見合わせた。彼はしばしの間えもいわれぬ表情をしていたが、ちらりと廊下の奥へ目配せをすると、

「ナマエちゃん、今のは……」
「誤解です」

 即座に否定する。ちくしょうドフラミンゴめ、なにもクザンさんの前で言うことないのに。一瞬、異世界から来たって言ったことすらばらされるのではないかと冷や冷やしてしまった。
 クザンさんは少しの間黙ってわたしの顔を見ていたが、それ以上追求する元気もなかったようで、やがてやれやれとソファの上に腰を沈めた。頭の後ろで両手を組み、天井を仰ぐクザンさん。そんな姿を見てようやっと、この人のおかげで今助かったのだという実感が湧いてきて、申し訳ないやらありがたいやら胸が一杯になった。

「……クザンさん、ありがとうございます。お陰で助かりました」
「ん……まァ、助けられたのかどうかって話なんだけどよ……。ともあれお互いに秘密が増えちまったな」
「あの、ドフラミンゴが言ってた取引は」
「そのことについては心配しなさんな。何かあったらおれが対処する、問題は起こさせねェよ……」

 クザンさんの手が伸びてきて、くしゃくしゃ頭を撫でられる。気を遣ってくれてるのだ。

「ただ、お前さんには酷な頼みだが――スモーカーには……つうか誰にも、"ジョーカー"のことは言わないでくれるか。 ……融通の効かねえ奴が知ったら、ドフラミンゴをぶん殴るまで気が済まなくなるだろうからよ」

 確かに、と思う。むしろそれで済めばましなくらいだ。けどあの人は優しいから、わたしが危うくなると分かれば自分の正義を曲げて苦渋の選択をするかもしれない。だとしたらなおのこと、知られる訳にはいかなかった。 ドフラミンゴの思惑どおりになるのはしゃくだけど、現状他の選択肢はない。わたしはクザンさんの目を見て「そのつもりです」と頷いた。


 ――ぎい、と閉じていた事務室の扉が開く。

 スモーカーさん。……と、たしぎ姉さんだ。

 相当ねちっこく言われたらしく、スモーカーさんはかなりうんざりした顔をしている。一方たしぎ姉さんは若干窶れたような。そんなお二人の姿を目にして、わたしはなんだかむず痒いような、安心したような、つらいような……妙な感覚を抱きながら、強張った表情筋を動かして労いの笑顔を返したのだった。

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