No Smoking


▼ 32-1/4

 現在ランチの時間……を若干過ぎた午後1時。

 さて、本来忙しなくあっちこっちしてるはずの一日の真っ只なか――わたしはといえば悠々自適におうちご飯中である。ちなみに今日のお昼ご飯はナマエちゃん特製アヒポキ丼だ。ハワイアンだ。手軽なのにおしゃれで美味しいのでオススメだ。

 さて、わたしがなんで仕事もせずのらりくらりとマグロとアボカドを切ったり漬けたり美味しく頂いたりしてるのかというと、本日は誰もが待ちに待ってない件の定期召集の日だからである。本部の海兵さん方がてんてこ舞いの大忙しなのに反して、わたしは「家を出るな」とほうぼうから言い含められているため、これほどまでに暇なんである。正直、平和すぎて本当に定期召集なんてあるのか、と疑わしくなるほどだ。まあ今朝、ベランダから海を見てみたら港の方にはわんさか軍艦が停泊していたので、何かあるのはひとまず間違いないのだが。
 というわけでどんぶりをつつきつつ、こないだスモーカーさんから頂戴した手配書を行儀悪く復習中のわたしだ。手配書は七枚、"王下七武海"とやらの名前と顔写真と元懸賞金が掲載されている。凶悪犯の顔などあまり食事中に見たいものではないのだが、とはいえ確認しといて損はない。スモーカーさんも「名前と顔くらいは覚えておけよ」と何も知らないわたしにめちゃくちゃ呆れてたし……。しかし失礼なことだ、指名手配犯の顔を覚えるのが常識なこの世の中のほうがよっぽどおかしいと思うのだが。

 と文句を言ってても仕方がないので早速確認。わたしが手配書の束の一番上に置いているのは勿論……"海賊女帝"こと、ボア・ハンコックの一枚である。スモーカーさんの解説によると、

『そいつはアマゾン・リリーの"九蛇"現皇帝、かつ九蛇海賊団の船長だ。とんでもねェ我儘女で碌に政府の指令も聞かねェが、実力だけは確かだな』

とのことだが、彼女に限ってはそんな御託はどうでもいいのだ。なんせとにかくこの女帝さん、それはもうとんでもなくお綺麗なのである。いやはや、この世界は別嬪さんで溢れ返っているとはいえ、ハンコックさんとやらはその中でも群を抜いた絶世の美女だ。まさしく傾国だ。たとえどんなわがままを言われたとしても大手を挙げて許しちゃいそうになるこんな人すら海賊だなんて、全くこの世も末である。最初、スモーカーさんがオキニのブロマイドをうっかり紛れ込ませちゃったのかと思って焦ったもんなあ。
 ちなみにスモーカーさんに「この方は来ないんですか」と聞いたら「まず来ねェ」と言われたので安心した。来てたら拝謁のお伺いを立てるとこだった。

 そんなことを思い出しつつ、ブロック状に切ったマグロを一口食べる。ここでの暮らしは海が近いおかげで魚がいつも新鮮で美味しい。魚人島が近いこともあってか海王類なんかの珍味がよく出回るし。そしてわたしはいつか、南海にしかいないらしいレア食材、エレファントホンマグロを食べるって決めているのだ……。

 じゃなかった、今は七武海の復習中である。次の海賊に移ろう。ハンコックさん以外の七武海は大体厳つくて顔が怖いので好んで見たくはないのだが、一応次に重ねてあるのは比較的馴染みのある"暴君"こと、バーソロミュー・くまさんの顔だ。解説のスモーカーさん曰く、

『こいつについては……お前の知っての通りだ』

……である。ばれていた。全くボルサリーノさん、そこかしこに言いふらしすぎだ。いや別に隠してたつもりはないのだが、しかしスモーカーさんのことだしこれは怒られるかな……と思いきや。

『言いてェことはあるが、まァ……"くま"なら会議中に妙な真似はしねェだろう。海賊であることに変わりはねェが、他の連中よりは聞き分けがあるだけマシだ』

と、いう具合でスモーカーさんにしては甘い評価だったので(このばか高い懸賞金はさておき)、やはりくまさん、とんでもない悪人というわけではないのだろう。彼はもちろん本日の定期召集にも参加しているそうだ。あれから会ってないけど元気にしてるだろうか。

 米と一緒にアボカドを食べる。醤油が効いたタレがなかなか美味しく作れた。そういえば昔、アボカドに醤油をつけて食べるとマグロ味になると聞いたけど、本物のマグロと一緒に食べると普通にアボカドはアボカド味だ。また脱線してしまった。

 さてと、サクサク行こう。次、"鷹の目"ジュラキュール・ミホーク。ダンディな感じのおじさまだ。服装の絶妙に絶妙な柄が怖さを半減させているので三番手にランクインしている。なにやら世界一の剣豪とかいうビッグネームらしいが、それって海賊じゃないのではないだろうか。ともあれ彼もスモーカーさんいわく「まず来ねェ」枠らしいので安心だ。
 そして次、"海侠"のジンベエ。聞いて驚け、なんとこの海賊は魚人とかいうファンタジー存在らしい。顔は怖いし人間離れしているものの「海賊嫌いの海賊」という触れ込みがポイント高いのでこの順番。ちなみに彼は「来るかもしれねェが妙な真似はしねェだろう」とのことだ。くまさんと同じ枠だ。
 五人目はゲッコー・モリアさん、彼だけいい感じの通り名みたいなのがなくてやや可哀想なものを感じる。あとここまでの流れでなんとなく七武海には動物要素が必要なのだろう……と察してきてるわたしであるが、この方は一体なんだというのか。まさかコー・モリとかいうこじつけではあるまいな……七武海の任命をしてる政府の役人に問い質したいものである。顔はデスメタルみたいで正直一番怖いのだが、立ち位置の不遇な感じが功を奏しこの位置に。因みにスモーカーさん曰く「多分来ねェ」とのこと。多分来ないらしい。

 タレの染みたお米をかき込んで、どんぶりはいよいよ空になる。うん、美味しかった。折角だし今日の夕飯はロコモコ丼にしよう、お疲れのスモーカーさんも嬉しい南国気分だ。箸を置き、気を取り直して問題の残り二人の確認を済ませるべく、手配書をまた一枚めくる。

『こいつの名前はクロコダイル。"砂漠の王"だの"サー・クロコダイル"だの仰々しい通り名が付いちゃァいるが、裏の読めねェ海賊だな』

 バイ、スモーカーさん。顔をどでかい縫い目が横断しているマフィア然としたこの男こそ、以前ちらりとスモーカーさんが口にしていた鰐、ことクロコダイルらしい。そして気になるのはその懸賞金が他と比較して安すぎることである。女帝さんが安いのはなんとなくわからんでもないが、このめちゃくちゃワルそうな(ついでに喫煙者な)この男が8100万ベリーというのは……と博識なスモーカー先生に聞いてみると。

『七武海に加入すると指名手配は取り消されるからな。クロコダイルは七武海に勧誘されたタイミングが早かった分バウンティも低い。今のところ奴はでかい事件も起こしてねェし大人しい海賊だと言われちゃいるが……それだけ実力は未知数ってことになる』

 と実に分かりやすい解説をしてくれた。つまり、このクロコダイルさんとやらは一般的には穏健派の海賊だけど、スモーカーさん的には疑わしい人物ということであるらしい。彼の勘は割と当たるので、頭の隅に留めておくことにしたのだ。あとやっぱり喫煙者なのでわたし的ランキングワースト二位となった。
 あとどうやらこの男、今も定期召集に来てるらしい。ヒナさんが護送担当だそうだ。この件が終わったら久々にヒナさんも顔を見せてくれると聞いた、その点においては定期召集さまさまだといえよう。

 ……というわけでラスト、問題の人物の確認をしておこう。

 "天夜叉"ドンキホーテ・ドフラミンゴ。

『簡単に言や悪党だな。略奪詐欺恐喝殺人何でもやるてめェが楽しけりゃそれでいいって考えの海賊だ。始末の悪ィことに実力は確か、妙に顔が広い上どうやら政府へのコネもあるらしい』

 スモーカーさんの解説を聞くに、言うまでもなくやばい奴だ。前提として七武海制度自体がろくなもんじゃないのだろうが、それにしたってもう少し海賊を選んで欲しいものである。この男、政府へのコネとやらで七武海になったのだろうか……汚職事件とかないのかなこの世界……。
 手配書の情報をさらい直す。懸賞金は3億4000万ベリーとかいうぶっ飛んだ額で、当然ながら「生死問わず」。金髪を短く刈り込んだ写真の中の男は、軽薄そうな笑みを浮かべつつサングラス越しにわたしを睨めつけている。不気味だ。

 で、ここからは眉唾なのだが。

『青キジによると、どうもこのドフラミンゴって野郎はお前によからぬ興味があるらしい』

――と、スモーカーさんは難しい顔で言っていた。彼自身も信憑性のほどは分からない、といったご様子だったが、曰くクザンさんは何らかの確信を持っていたそうだ。

 しかしそれにしても疑わしい話だ。こっちは顔も名前も覚えたてほやほやだというのに、その多分わりと有名なフラミンゴなんたらさんから一方的に認知されてるなんてことがあるものだろうか。確かにくまさんも何故かわたしのことを知っていたわけだし、全く有り得ない話ではないだろうけど……でも、七武海の職務には真っ当に取り組んでそうなくまさんとドフラミンゴとでは話が違うだろう。
 大体、スモーカーさんから人物像を聞いた感じ、この男に碌な動機があるとはとても思えない。謎だ。クザンさんもそれならそれでちゃんと理由を説明してくれたらいいものを、直接伺ったら「知らねェ方がいいこともあるのよ」とかなんとか言ってはぐらかされたし。わたしはそんな大層な話に巻き込まれているのだろうか……。

 とまあ、そんな感じの理由があり本部への出入りを禁止されたわたしは、現在おうちでゆっくりと過ごすことになったわけである。
 ……ともかく、スモーカーさんも念のための出禁だと仰っていたし、わたしが下手に出かけたりしなければ余計なトラブルが舞い込むこともないだろう。まあスモーカーさんも念のためとかいう割に、このアパートの周辺に部下の海兵さんを配備したりと案の定の過保護であるのだが……とはいえ部下の方にうっかり同居のことがばれたりしないよう、そういう意味でも大人しくしているつもりだ。


 ……さてと。

「ごちそうさまでした」

 と一人寂しく手を合わせ、片付けをすべく立ち上がる。手配書の名前はあらかた覚えたし、そもそもこの定期召集さえ終わってしまえばさほど重要なものでもない。スモーカーさんが帰ってきたら忘れないうちに返しておこう。
 と考えを巡らせつつ、わたしは手配書を綺麗に揃えて食卓の脇に置き、それからどんぶりを抱えてキッチンのシンクへ――

「――!」

 突如、ベランダのレースカーテン越しに大きな影が横切った。咄嗟にぎくりとして身構える。

 ……。

 ……何も起こらない。

 今のは鳥……だろうか。にしては大きかった気がする。いやでも泥棒にしろ人間が空から降るわけもなし、鳥以外ありえないだろうが。とはいえ特に大きな音もしなかったし、落ちたとかいうわけでもなさそうなんだけど……ううむ。
 気にしなくてもいいのかもしれないが、やはりわたしもなんだかんだ神経質になっているらしい。なんて思いつつ、一旦食卓にどんぶりを戻して確認のためベランダに向かうことにした。まあこれも念のため、だ。

 食卓を背に、ソファを横切り、リビングのガラス戸の前に立つ。うーん、うっすらと何かあるような、ないような……特に動くものは見えないけど……。
 一応直接チェックしとくべきだろうか。カーテンを開け放すとうっかり外から見えるかもしれないので、ほんの僅かに持ち上げて、隙間から外を覗いてみることにした。

 ――ベランダの床にはなにも落ちていない。

「ふう……」

 びびりすぎだ。別に自意識過剰とかではないのだが。いやでもだってさ、あれだけ海軍大将とかに脅されたらわたしじゃなくたって……あれ。なにもない、んじゃない、違う、舞い降りてきた。床に落ちてきたのは羽だ。ピンク色の羽が……上から。

「……?」

 視線を上げた。

 ベランダの手すりの上、目に入ったのは巨大な鳥の羽の塊だ。……ピンクの、大きな、フラミンゴみたいな。ああ、なるほど、やはり先ほどの影は鳥だったのだ。そう、全長3メートルはあるめちゃくちゃでかい鳥だ、これは。

 わたしはカーテンを閉じた。

 ……嘘だと言ってくれ。


 ゆっくりと後退る。ガラス戸から距離をとる。唐突すぎて冷や汗も出ない。まさか今ので勘づかれたってことは……いやそんな心配は無意味だ、あれが偶然ここにいるはずがないんだから。ゆっくりと生唾を嚥下する。息を吸う。口から吐く。

 ――わたしは全速力で踵を返した。

「っ……!」

 耳を劈くのはガラス戸が叩き割れる音だ。思わず耳を塞ぎそうになる。ガシャリと散らばったガラスを踏む音が聞こえる。それに混じって高らかな笑い声が響いた。

「フ……フッフッフッフッ!」

 笑い声の癖強すぎる、などと言っている場合ではない。先程通り過ぎたソファを今度は乗り越えて、振り返ることなく必死で玄関を目指す。背中から床を土足で踏む乱暴な足音が追いかけてくる。ああ、あとで誰が片付けると思ってんだ。わたしは脱げたスリッパに躓きながら、それでもなお息せき切って走る。
 食卓を横目にキッチンを通り過ぎ、そしてようやく玄関前の廊下へ向かうドア――のノブに手を掛け、手首を回そうと、して――

「――な……?!」

 ドアノブが回せない……のではない。体が動かないのだ。ばかな。指が引きつる。だめだ。逃げられない。

 足音が迫る。

 巨大な影が部屋を埋める。

 そこでようやく感情が追いついたように、今更体が小さく震え始めた。やっと実感する。わたしの背後に海賊がいる。
 まったく訳が分からない。なんでここが分かったんだろう。そもそも何をしにこんなとこに来たんだ。わたしをなんだと思っているんだ。大人しく七武海の仕事をしてくれ、定期召集の会場はマリージョアだぞ。迷子にしたって限度ってものがある。

「オイオイ、つれねェじゃねェか――まるで化けモンに出くわしたみてェによォ……フッフッフ!」

 化け物は往々にして化け物の自覚がないものだ。腹わたを鷲掴みにするような、底意地の悪そうな低い声が語りかけてくることのがむしろ意外だった。

 ドアノブから手を引き剥がされ、わたしの体が一人でにゆっくりと振り返る。何をされているのか全く分からないが、どうやら眼球だけはまともに動かせるらしい。わたしは部屋の天井に頭が擦りそうな、その大男の顔を見上げた。訂正しよう、見上げるしかなかった。

 鳥の羽を撒き散らすどピンクの派手なファーコート、チンピラみたいな物腰、金髪、そして特徴的なサングラス。男は実にタチの悪い三日月型の笑みを顔にベッタリと貼り付けている。
 わたしは以前出会った海賊たちとは格が違う、というのを本能的に理解した。この男はわたしを前にしても同じ人間が相手だなんて微塵も思っちゃいないのだ。ああくそ、あのモフモフしたコートがピンクなんて聞いてない。完全に勉強不足だった、写真がカラーだったならもっと早い段階で逃げられたはずだ。

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ……」

 口も動くらしい。思いの外萎縮した掠れ声を喉から絞り出す。目の前の大男はわたしを見下ろしながら、口角を釣り上げて機嫌よく笑っていた。

「フッフッフ、ご存知たァ光栄だ。おれもてめェを知ってるぜ……"ナマエ"チャン?」

 わたしの名前を知っている。最悪だ、奇しくもクザンさんの戯言が事実であることが証明されてしまった。だけど面と向かってみたら分かる、ドフラミンゴは多分、一ミリだってわたしに興味なんかない。なのになんでだ、そんな暇じゃないだろう、どうしてわざわざこんなところまでご足労なさってんだ。
 落ち着こう……覚悟はしていたことだ。深呼吸をし、息を整え、サングラス越しには分かりにくい男の目を見つめ返す。猛獣相手と同じだ、怯えていることを悟られてはいけないのだ。大丈夫、とりあえず言葉は通じるはずだ。

「わたしも……今、お互い認知していた事実に打ちひしがれてるところです。……これ、悪魔の実の能力ですよね。どうしたら解放していただけますか」
「肝が座ってんのは噂通りみてェだな、話が早くていいじゃねェか! そうだなァ、まずは……」

 玄関の戸を叩く音が聞こえる。巡回していた海兵さんがこの騒ぎを聞きつけてくれたらしい。聞き覚えのある声が何事か叫んでいる。
 ドフラミンゴは嘲笑を口元に浮かべつつ、ゆっくりと顔を傾けた。ともすればこの男は、あの海兵さんを殺す気なんじゃないかと、そのときわたしは本気で考えた。

「エスケープと行こうじゃねェか、お嬢ちゃん」

どの口が、と思うだけならた易い。

prev / next

[ back to title ]