No Smoking


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 現在時刻は午後4時半、私の現在地は海兵がすし詰めにされた大部屋から我が上司の執務室を繋ぐ海軍本部の通路。もちろん今はまだ勤務時間中なのだけれど、大部屋の電伝虫に業務連絡が入ったので、珍しくご自身の執務室に引き篭もっているスモーカーさんにお伝えすべく足を運んでいるところなのだ。

「た、たしぎ曹長、お疲れ様です」
「はい、お疲れ様です」

 廊下を行く途中、すれ違った海兵と挨拶を交わす。見慣れた部下の一人だ。最近は定期召集が目前ということもあり、こういう風な海兵の往来も多い。出てきた方向からして、彼もスモーカーさんに何か用事を言い渡されたところなのかな。やけに緊張した面持ちだったし、彼が何度か叱られてるところを見かけたこともあるので、もしかすると今回もスモーカーさんに苦言を呈されたりしたのかもしれない。
 などと、そんな海兵に親近感を覚えているうちに執務室の扉に到着した。早速コンコンとノックを二回。すぐに応答がなかったので、「たしぎです」と声をかけてみる。するとしばらく間を置いて、ドア越しに入室の許可が聞こえてきた。私は資料を左手に持ち替え、ドアノブに手をかけた。



「スモーカーさん、お話中でしたか?」

 積まれた書類の山の向こう、スモーカーさんはなんとなく億劫そうに椅子に腰掛けて、黙々と葉巻を吹かせている。執務机には水色の線が二本の海軍専用の電伝虫が、そして彼の手のひらには受話器が転がされていたので、推測してそう尋ねてみた。返ってきたのは肯定を示す相槌だ。

「あァ……ちょうど済んだところだ」
「それならよかったです。先ほど大部屋の方に連絡が入りましたので、早めにお伝えしておこうかと」
「そうか。……」

 スモーカーさんは手元に視線を落としたまま、考え込んだように押し黙る。何か気にかかることでもあったのだろうか。なんだろう、私、変なことは言っていないと思うんだけど……。

「あの、どうかしましたか」
「いや、……お前一人で来たのか?」
「え? は、はい、そうです」
「念のため聞いておくが、この部屋の近くで妙な輩を見かけたりはしてねェよな」
「ええ、道中で部下の方とすれ違いはしましたけど、それ以外は特に誰も……」
「ならいい。それで」
「あ、はい。こちらにメモしておいたので確認をお願いします。定期召集に関わるので対応が遅れないようにとのことです」
「確認する、用件はそれだけか?」
「はい、今のところこれといった問題もないですし」
「分かった、少し待て」

 彼はそれだけ言うと、私が手渡した資料を受け取って押し黙った。なんだか変な質問をされたものの、ともあれこういう仕事を頼んだとき、スモーカーさんは案外事務的にこなしてくれる。やや素っ気なく感じるとはいえ、部下としては気楽で有り難いことだ。
 執務机の向かいに立ってスモーカーさんを待つ間、特にやることもないのでこっそりと机に積まれた資料を眺めてみる。仕事の書類にしては多過ぎるし、どうしてこんなに沢山……と思ったけれど、どうやら彼が個人的に定期召集や七武海関連の調べ物をしていたみたいだ。と、ふとそこで一つ場違いな、海兵の顔写真が掲載された書面が目に入った。

「……スモーカーさん、これは?」

 スモーカーさんは資料からちらりと顔を上げ、私が示した先を見る。

「あァ……それか。海賊に情報を横流ししていた例の内部犯の資料だ。気になるならお前も見ておけ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「どうも海軍本部軍曹までのし上がってたらしいが……経歴を洗ったところじゃ元々後ろ暗い背景があったんじゃねェかって話だ。つっても大した成果はねェ。手当たり次第情報を漁ったところで、相変わらずそいつの足取りは掴めねェままだしな」
「そのようですね……それにしてもこの方、なぜナマエさんの情報を流したりしたんでしょう」
「さァな。ただナマエに聞いたところじゃ、どうやら顔も名前も覚えのねェ相手らしい」
「え、そうなんですか?」
「あァ。どうもこいつに関してはきな臭ェことが多い。気には掛かるが……タイミング悪く定期召集とくりゃ、この件にばかりかかずらっている訳にもいかねェのがな」

 確かに、この机の山を見る限りスモーカーさんは七武海への対策に忙しいみたいだけど。でも上に白い目で見られているスモーカーさんのことだ、私たち部下も含め、定期召集などの政治に関わる重要な事案に直接関わる仕事を任されてはいないはずで……。彼が七武海制度を毛嫌いしてるのは知っているけれど、内部犯のことをさておいてまでやることがあるんだろうか。それとも私の知らないところで、色々と事情があるのかな。
 それはさておき、と海兵の経歴が書かれた書類に目を通してみる。ナマエさんが知らないというだけあって、本当に見覚えのない、というか特徴のない顔だ。名前や生年月日などのプロフィール、2、3枚と続く調査書などに目を通してみるが、スモーカーさんに言われた通り役立てられそうな情報は見当たらない。狐につままれたような気分で、私は書類を元の位置に戻すしかなかった。

「たしぎ」

 スモーカーさんに声を掛けられ、顔を上げる。どうやら連絡事項の確認を終えられたようだ。返されたメモにはいくつか書き込みが増えていた。

「ありがとうございます、一応向こうにも折り返しておきますね」
「あァ、任せる。それと――」

「た……ッ、大佐ァ! 大佐ァアー!!」
「きゃっ!?」

 びっくりして振り返る。スモーカーさんの言葉を遮って物凄い勢いでドアから飛びだしてきたのは、これまた見覚えのある部下の一人だ。先ほどの海兵とはまた違う方だけど、わりと印象的な顔ではある。……というのも。

「……落ち着け。どうせいつものアレだろう」

 とはスモーカーさんの言。そう、この方は毎度お馴染みの報告係であり、そして日頃からちょっとしたことでも先ほどのように大袈裟に叫びつつ報告しに来る慌て者でもある。そんなわけでこの人に対しては焦らず対処、というのが私とスモーカーさんの間の共通認識だ。あの叫び声は心臓に悪いから、私としてはあんまり歓迎できないんだけれど。

「ハッ! ぶ、不躾に失礼しました、曹長もいらっしゃったとは……!」
「御託はいい、用件は」
「も、申し訳ない! ええと、先ほどその……大将青キジが自分のところにいらっしゃって」
「青キジが?」

スモーカーさんは怪訝そうな顔をした。これ以上厄介ごとを持ち込むな、とでも言いたげだ。

「はい、それで写真を数枚くださって、『これやるからこないだ見たことはスモーカーに報告しないでよ』と仰られました。それで、これはもう保護対象に関わることですし大佐に報告せねばと思い……!」
「……」
「…………」

 絶句する私、そしてスモーカーさん。ええと、そもそも――何を見られたのかは知らないけれど――三大将が物で釣るなんて、一介の海兵相手に何せせこましいことを……。それをさておくとしてもこの彼、報告しないよう言われたのではないんでしょうか。なんて怖いもの知らずな。

「色々突っ込みてェことはあるが……写真てのは何だ」
「そ、それは申し上げられません! 報告しないようにとのことなので」
「……。そもそもてめェは何を見たんだ」
「それも申し上げられません」
「さっき保護対象に関わる、と言ったのは?」
「ハッ! その……物の弾みというか、できれば忘れて頂けると……」
「ならなんでそれを報告しに来たんだ」
「こ、この取引があったこと自体を報告するなとは言われてないので……」

 スモーカーさんは頭を痛めている様子だ。確かに海兵の言い分は完全なる屁理屈であるし、しかし大将が絡んでるとなると彼に口を割らせるのも可哀想だし、かと言ってこのまま追及せずにそうですか、ともしにくい。いっそ胸に秘めておいてくれれば……と思いつつ、それでも報告しに来るのは彼の忠義心によるもの……と言っていいのやら……。なんと言っても私たちの部下はやけに噂好きなのだ。
 とはいえめんどくさそうな顔のスモーカーさんは彼から詳細を聞き出す気はないようだ。確かに青キジさんの適当さとかやりとりの内容からして、それほど重要な話ではなさそうである。うう、けど、気になるものは気になる。他でもないナマエさんのことだと言うし……。

 そろりと海兵の手元を覗き見てみると、彼が抱えている資料の一番上に写真が一枚あるのが見えた。ちゃんとは見えないけれど、どうやら人物を撮影したもののようだ……もしかしてこれ、ナマエさんだろうか?

「あの、その写真は……」
「うわ!」

 相当驚かせてしまったらしい。私が声をかけると、彼はギクリと飛び上がって思いっきり書類を取り落とした。スモーカーさんの呆れ顔を背景に、バインダーがばさりと裏返しに床に落ちる。この期に及んで惜しい、などと思ってしまったことを申し訳なく思う。

「ご、ごめんなさ――」

 とっさに謝罪を口にした、その瞬間だ。

「スモーカー大佐!」
「大佐、緊急の連絡が!」
「失礼します、スモーカー大佐!」
「お時間よろしいですか!」

 廊下の方がにわかに騒然とし出したのを察した時すでに遅し、どったんばったんと押し合いへし合いドアから飛び込んできた部下たち。に気を取られているうちに、先ほどの海兵はちゃっかり落ちた書類を回収して海兵の波に飲まれてしまった。な、なんてタイミングのいい……。というか結局どういう写真だったんだろう、ナマエさんに直接聞いたら分かるだろうか。
 さて、海兵で溢れかえった執務室は完全に定員オーバーである。この上なくうんざり顔のスモーカーさんは、しばらく黙ったままでいたかと思うと「忙しねェのは何処も同じか……」と深々煙を吐きつつ独りごちた。そして彼は灰皿に消えかけの葉巻を押しつけ、また新しい葉巻を手に取り、火をつけてようやく……大わらわの部下たちに向けて、

「――来るなら順番に来い!」

と怒声を上げたのだった。



 スモーカーさんが部下の方々に掛かりきりになったので、用事も済んだことだしと廊下に出た私。そういえば彼らが来る前にスモーカーさんが言いかけたことは聞きそびれたけれど、あの分だとすぐには難しいだろう。なんだかんだ、やっぱり忙しい時期なのだ。私も仕事に掛からなきゃ、と確認を終えたメモを抱え、大部屋の方へ引き返そうと振り返った。

「あ、曹長。お疲れ様です」

 そこで向かいから歩いてきたのはまたも部下の海兵。にこやかに挨拶をくれたこの方、あまり個性のある方というわけではないのだけど、海兵の間での交友関係が広いらしく、時折り目に留まる顔である。確か船のときからナマエさんとも仲が良くて、彼女からは妙なあだ名で呼ばれていたはずだ。ちょっと物騒な感じの……何だったかな。

「お疲れ様です。今執務室の方立て込んでるようので、少し待ったほうがいいと思いますよ」
「へえ、そうなんですか? 道理で大部屋に人がいないわけだ」
「ふふ、忙しい時期ですからね。あなたもスモーカーさんに用事ですか?」
「そうですよ。大佐にお渡しするものがありまして」

 彼は手にした資料を片手に揺らしつつそう言った。こういうちょっとした書類が積み重なってスモーカーさんの机の惨状が出来上がるのだろうな……と内心で苦笑する。

「それじゃ、僕はこれで」
「はい、お勤めご苦労様です」

 雑談もそこそこに、海兵は脇に資料を抱え直しつつ頭を下げた。立ち去る彼の後ろ姿を見送りつつ、他の海兵さんたちももう少し落ち着きをもってくれたらなあ、なんて考える。とはいえ、私も人のことは言えないのだけれど。結局彼のあだ名も思い出せなかったので、これも今度ナマエさんに聞いておこう。


「あれ……」

 執務室のドアの右を行った先の曲がり角、そこに飾ってある観葉植物がひとつ。その植木鉢の影に、何かが転がり落ちている。拾い上げてみると、なんともまあ無用心なことに"黒電伝虫"だ。希少種をこんな風に放置するなんて……黒電伝虫の私的利用は禁止されているはずだけど、誰の仕業だろう。まさか電伝虫が自分で逃げ出したわけじゃあるまいし。

「うーん……」

ともあれ、考えていてもわからないので回収しておく。調べてもらったらどこの部署の黒電伝虫かどうかは分かるだろう。
 さて、まだまだやることは沢山ある。私は足早にその場を立ち去ることにしたのだった。

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