No Smoking


▼ 30-2/3

 実にいい天気だ。

 おれの氷も気持ちよく溶かされちまいそうなくらい燦々と照りつける太陽、空よりも一層濃い真っ青の海、そして季節外れなためか人っ子ひとり姿の見えない白砂の浜辺。汗が滲むほどの暑さではないが、これは中々の海日和といえるだろう。
 どれ、折角の海だしこの素晴らしい景色でも眺めるか……と久々に引っ張り出した中将時代愛用のサングラスを指で下げつつ、きゃらきゃらとはしゃぐ声がする波打ち際へ視線を向ける。遠い波間、跳ねる水飛沫の向こう側に見えるのは――

「ナマエさーん! こっちです、こっちー!」

 すらりとした腕を振りつつ声を張り上げているおれの部下……の部下、ことたしぎちゃん。実にナイスなプロポーションの彼女は、さすが海兵とあって泳ぎも達者だ。大変の目の保養だ。そして、そんな溌剌とした彼女に対してもう一人。

「むりです」
「えっ、ナマエさん?」
「むりです」

と言いつつ浮き輪にしがみ付いて動かないのはおれの助手、ナマエちゃん。セーラー襟の可愛らしいデザインの水着姿であるが、それ以上期待する無かれ。憎き長袖の上着を羽織った彼女の露出度は、意外と大胆なたしぎちゃんの肌面積を80とすればせいぜい50程度しかない。鉄壁の守りだ。非常に残念だ。

「ま、まだ始めたばかりですよ! とりあえず足がつかない位置までは頑張りましょう、ナマエさん」
「むりです」
「ど、どうしたんですか! さっきから無理しか言ってないですよ?」
「むりで……いや、わたし思ったんです。よくよく考えてみればわたしって海で溺れてたわけじゃないですか。いわゆるトラウマです。これは仕方のないことなのです。思ってたより波が力強くてビビっているとかいうあれではないんです」
「し、しっかりしてください! それ、思いっきり逃げの姿勢じゃないですか!」

 と宣いつつ浮き輪を引っ張り合う二人。いやはや、女の子が仲睦まじく戯れる様子ってのはいいもんだ。潮騒の音がうるさいのか、かなり声を張り上げているので彼女たちの会話は閑散とした浜辺によく通る。それにしてもナマエちゃん、あんなに典型的なカナヅチだったとは……。



「――なァ、スモーカー」
「なんだ」

 パラソルの下、ビーチチェアの上でだらけきっているおれ。その隣に座っているのはおれと同じくサングラスを引っ掛けたスモーカー。どうやらナマエちゃんに持たされたらしい荷物の番を律儀にしている様子だ。しかもこいつ、休日だってのに何故か七尺十手を担いできている……なんの用途だろうか、まさかおれの対策じゃあるまいな。

「つかぬ事を聞くが……お前って昔、泳げたか?」
「さァ、覚えてねェな」
「……。ならよ、たまには泳げりゃよかったとは思わねェか?」
「多少はな」
「だよなァ……」

 おれなんか正に現在進行形でそうだ。こちとらもう一生女の子と海でキャッキャウフフなんてできねェわけで、それを思うと実に虚しくなる。ヒエヒエの能力的に不可能ではないのだが、今朝ここに向かうときナマエちゃんに「寒いんで海凍らせたりしないでくださいよ」なんて釘刺されちまったし……ま、それはさておき、だ。

「――ところでよ、スモーカー」

 ビーチチェアに横たわったまま、人差し指を海の方へ向けてやる。全く話題に乗り気でないスモーカーは、こちらを見もせず鬱陶しそうに眉を寄せた。

「あァ?」
「なんであの人が居るわけだ?」

タイミングよく、向こうの浜辺に高らかな笑い声が響く。釣られたようにようやくおれの指差した先を目で追い、そしてスモーカーは重々しい溜息を吐き出した。

「……おれが知ってると思うか?」



「ぶわっはっはっはっはっは!!」
「ガープさぁん、ちょっと掴まらせてください」

 おれとスモーカーの白けた視線の先、そこにいるのは可愛い女の子二人に挟まれた筋骨隆々の壮年の男……海軍の英雄ガープさん、だ。おれのいわゆる恩師でもある。一体なぜガープさんがここに居るのか、というのは――どうせ思いつきだとか偶然耳にしたからだとかの事情だろうし――もうこの際どうでもいいんだが、ただしだ。あの人にはいろいろ世話になったし尊敬もしているのだが……ハッキリ言おう。

 ありゃズルくねえか?

「構わん! ついでにわしが沖まで引っ張ってやろう」
「うぅわ、ゆっくり、ゆっくりお願いします」
「あっ、待ってくださいガープ中将!」
「よし着いてこい! しかしナマエ、たしぎに比べてお前泳ぐのヘッタクソじゃのう」
「分かってますよそんなこた、だから今練習してるんじゃないですか」
「でもナマエさん……とりあえず顔をつけて潜ってみないことには……」
「そうじゃナマエ! お前やる気あるんならほれ、勢いよく行ってみろ!」
「え、あ、どわあああっ!?」
「ナマエさーん!」

 ナマエちゃんがガープさんの起こした大波に思いっきり飲み込まれてひっくり返った。隣のスモーカーが一瞬ピクリと反応を示したが、すぐにたしぎちゃんがナマエちゃんを引っ張り上げて事なきを得る。そしてガープさんに泡を食いつつしがみつくナマエちゃん、困り顔のたしぎちゃん、そして大声で笑い飛ばすガープさん……おれ、なにを見せられてんだ? つか誰に需要があんだこの光景。

「びどいでずよ掴まらしてくれるって仰ったのに!」
「そうですよガープ中将、いきなり……!」
「ぶわっはっは、時には荒療治も有効じゃわい! わしも昔は孫を鍛えるために風船にくくりつけて空に飛ばしたりしたもんじゃ!」
「そんなことしたらお孫さんグレますよ……」
「なに!? よう知っとるな、実はあやつ海賊に憧れとるらしい。わし、孫には立派な海兵になって欲しかったんじゃが、どうすりゃええんじゃろ……」
「今すぐ謝ったほうがいいと思います。真剣に話し合えばお孫さんも分かってくれるはずです」

 ……とはいえ、ナマエちゃんたちもなんだかんだ楽しそうだ。まあガープさんは盛り上げ上手だからな……羨ましくないと言ったら嘘になるが、その点は結構なことである。あの強引なムードメーカーを相手にして、自分のペースを崩さずにいられるナマエちゃんも流石だ。おれが敵わねえわけだ。つうかガープさん、なんか悠長なこと言ってるがその孫とやらと敵対したくなけりゃもっと必死で止めたほうがいいんじゃねえのかなァ……。



「――おれの方からもお聞かせ願いてェんだが」

 スモーカーが徐に話を切り出したので、視線を海から外して右隣にずらす。こいつから話を振ってくるとは思わなかった……と意外に思っていると、スモーカーはサングラス越しにも分かるしかめ面で葉巻を一服し、親指でくいと背後を指し示した。

 後ろ、……となると。

「……あァ……」

 あらら……いずれ突っ込まれるだろうとは思ってたが、やっぱり気になるか。そりゃあそうだ。おれとしちゃなんつうかまあ、分かってはいたんだが進んで触れたいわけでもねえというか……なんというかで、つい見ないフリをしていたわけだが……。
 念のため、上半身を起こしてスモーカーの指した先を目で追うと、パラソルの下から覗くのは臙脂色の脚だ。浜辺に不釣り合いなぴかぴかの黒い革靴が、砂を目一杯踏みつけつつ仁王立ちしている。おれにとっては、出会うと毎度気が滅入るそれだ。

 ――そこで視線を戻せば、苦い表情のスモーカー。

「どういう事情で赤犬が背後に張り付いてんだ?」
「……いやァ……それがな」

 そう――この海行きにくっついてきたガープさんに次ぐもう一人のイレギュラー、まさかのサカズキ。この晴天の下、いつにも増して暑苦しく馬鹿真面目に監視に勤しんでいる奴さん。何故あいつがここにいるのかというと、まあおれの見解では……恐らくナマエちゃんのせいである(というと語弊があるかもしれないが)。

「あー……実は昨日、インペルダウンの方から注意喚起があってだな。はぐれの海王類がタライ海流に乗っかったから一応本部の方で警戒するようにってよ……」
「そりゃァ、…….大丈夫なのか?」
「まァ……警戒つっても万が一に備えてだからな。今回みてェなはぐれは時々出るが、正義の門すり抜けて本部にぶち当たることはまずねェのよ。だもんで、水差してまでわざわざ中止にしなくてもと思ってな」

無用の先案じをしても仕方ねェってことだ。別におれが何がなんでもナマエちゃんたちの水着姿を見たかったからとかいうわけじゃない。ないったらない。

「で……海王類の件は取り越し苦労だろうし、そもそも大将が出張るようなことでもねえし、適当にそこら辺のやつに任せりゃいいと思うんだが……あの石頭、どういうわけかここらを担当するって聞かなくてよ。おれが今日サボったせいだの海軍本部の重要性だのと御託を並べちゃいたが……本当のところはどうなのかね。なんだかんだあいつ、ナマエちゃんのことは結構気に掛けてるからな」
「……」
「とにかくそういう訳だ。放っといたらいいんじゃないの……別にあいつがムッツリだろうと、ナンパする気概はねェから気にするこた……っとォ!」

 突如、猛烈な高温を感じたかと思えば、おれの頭上からパラソルを貫いて何かが降ってきた。そろりと見下ろすと、咄嗟に引っ込めた足が先ほどまであった位置に、じゅうじゅうと音を立てる溶岩が一つ。

「おいおい……なにしてくれんのよサカズキ……!」

 あんの地獄耳め、多少溶けても戻るからってなんつうことしやがる……相手がおれじゃなきゃ大事だぞ。急いで凍らせたはいいが、今の高熱でチェアのパイプが若干溶けちまったじゃないの……。つかこんだけやっといて無視か、野郎返事もしやしねェ。

「ったく、あっぶねェな……照れ隠しにしちゃ可愛げ無さすぎんだろ……なァ、スモーカー」
「……おれを巻き込もうとするな。事情は分かった」

 氷結した溶岩を手に取りつつ小声で毒づいてみるも、対するスモーカーはため息混じりの煙をすげなく吐く。冷めた野郎だ。

「何にせよ、ナマエへ余計な負担をかけねェんならそれでいい。赤犬に関しちゃ……この分だと、それほど警戒する必要は無いらしいしな」
「つうかスモーカー、いいわけ? お前のことだから、海王類の件を聞きゃ今からでも引き返させるかと思ってたんだけどよ」
「……それじゃわざわざくっ付いてきた意味がねェよ。こっちはこっちで勝手にやるだけだ。仮に何かあったとして……他人を頼る気はねェが、これだけ頭数が揃ってりゃ十分だろ」
「へェ……? ……お前さん、あれだな。前より余裕が出てきたんじゃねェの」
「まさか」

 スモーカーは自嘲気味に口角を上げる。……一体どういう意味合いの"まさか"なんだか。ナマエちゃんのことに関しては……おれからは以前に比べてよっぽど落ち着いたように見えるが、本人としては未だに内心穏やかでいられないところがあるんだろうか。

「できることなら――」

 おれの疑問に応えるように、スモーカーはレンズ越しの曖昧な目配せをした。葉巻を摘んだ指越しに、再び白い煙が浮かび上がる。

「常に目の届くところに置いておきてェさ。他人の目に触れさせないよう、ナマエの自由を無視して家に閉じ込めておけるならどれだけいいか。結局、おれが付いてねェときに限ってあいつは怪我をする」
「――……そりゃ、……」
「分かったろう、余裕なんざ欠片もねェよ。女の尻追っかけるのに何時になく必死こいて……おれはよっぽど無様だろうな」
「…………。……」


 ――お、……おォ……。

 あららら、……。ついつい絶句して弄ってた溶岩も落っことしちまったが、まァ、なんだ……。自覚が出てきた分前よりはマシなのかもしれねえが、今のはなんだ、牽制か? つか前から薄々そんな気はしてたが、こいつ。やっぱそういう……。

「なァスモーカー、お前ってよ……」
「あんだよ」
「ナマエちゃんのこと、どう思ってんだ?」

 以前のこいつなら悪態をついて流していたはずの質問だ。しかしスモーカーは、表情一つ変えずに淀みなく口を開いた。

「どう思ってるも何も――」

 とそこで、はたと言葉を切る。

「……?」

 スモーカーは返答を待つおれを無視して、にわかに口から抜き取った葉巻をチェアの肘掛に置いた。なんだいきなり……と思いきや、潮騒に混じって聞こえたのは砂を踏む軽い足音。チェアに背を預けたまま顔を上げると、パラソルと砂浜の隙間から小さな影がひょこりと姿を覗かせていた。

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