▼ 28-2/3
「づっ……がれました……」
「お疲れ様。よくやったじゃないか」
パーティ会場の喧騒から少し離れたホール前の廊下。おつるさんが手渡してくれたグラスを受け取り、冷えた果実水を飲み干した。喉を潤しながら伝い落ちていく爽やかな温度――ふう、めっちゃ美味い。
ありがとうございます、と言ってグラスを返すと、おつるさんは労うような微笑みをくれる。先ほどの話し合い――今日の本題である、消臭剤の商品化の件について――が非常に上手く運んだためか、彼女も心なしか上機嫌だ。長いこと気を張ってたせいでわたしもここまで疲れ果てているわけだが、それでも心地の良い達成感があった。
「しかし思いのほかとんとん拍子に話が進んだもんだね。あんた、上手いこと気に入られてくれたよ」
自身で用意したらしいグラスを傾けつつおつるさんは言う。ついさっきの会合で、早くもわたしの消臭剤の商品化が決定したことを仰ってるんだろう。
「わたしも話しやすかったですから。お相手も結構気さくでしたし……それになんというか、お金儲けに関しては信用に足る方でしたね。今後も長いこと付き合っていけそうです」
「そいつはよかった。あれも商才は確かな男だ……あんたは開発に集中してりゃ、向こうは向こうで勝手に売り捌いてくれるだろうさ」
わたしの消臭剤に目をつけた人物、というのはからからと快活に笑う恰幅の良いおじさまであったのだが、しかしその眼差しの奥には爛々とした抜け目なさがあった。つまりはなかなかに食わせ物だったのである。それでも商売については誠実さを大切にしているようで、おつるさんの目もあってかわたしに対して取り繕うようなことはしなかった。あとわたし、勘違いでなければ妙に気に入られてたんだよなあ。おかげで対応に困って気疲れしてしまったが、その分やりやすかったのも事実だ。
しかし、今までなんだかんだ実感がなかったものの、ようやく開発の仕事……というのが現実味を帯びてきた気がする。果たして売れるのかどうか――わたしとしては精一杯頑張ったつもりだし、はっきりいって需要はあると思うのだが――さすがに確信は持てない。まあ、なるようになるか、と言う感じだ。
「はー、気が抜けたらお腹空いてきました。せっかくなんで料理取ってきていいですか?」
息をつき、ホールへ向かうドアを指差しつつ尋ねてみる。というのも先ほどちらりと覗いたとき、何やらお高そうなお料理がご自由にどうぞとばかりに勢揃いしているのが見えたのだ。ふっ、この機を逃さでおくべきか。なんといっても食についてはがめつくあるべしがわたしのモットーなのだ。
「わたし、取るだけ取ったらすぐ戻るので。特に手伝うことなければ軍艦で待機させてもらって――」
「ああ、こっちのことは構うことないよ。あたしは挨拶回りと警備の様子見に行ってくるから、撤収までは会場内で自由に過ごしといてくれ」
「えっ」
予想外の指示に思わず目を瞬いた。いや、彼女も仕事があるだろうし付いてきてくれると思ってたわけじゃないけど、わたしは別にパーティをエンジョイする気はないぞ。そもそもこういった場は苦手なのでさっさと帰りたいのが本心なのである。が、すげなくグラスを揺らしつつのおつるさん、
「仕事も済んだことだし楽しむといいさ。せっかくの社交会だ、この機会に交友関係を広めておくのも悪くないと思うよ」
などと悠長なことを言いなすってくる。
「いやあの、ちょっと待ってください、いきなり一人ほっぽり出す気ですか! これ、結構偉い方とか来てるんでしょう、うっかりとんでもない失礼とかしちゃって即逮捕なんてことには」
「まずならないから安心をし。世界貴族が居るわけでもあるまいし、あんたのバックには海軍本部がついてるから大丈夫だ。まあ困ったことがあればそこらにいるうちの隊の奴かクザンにでも声掛けな」
「それは了解しましたけど、わたしほんとに、こういうとこに来るようなタイプの方と仲良くなれるとは思えないんですが……」
「おや、それは話してみなきゃ分からないだろう?」
渋るわたしをどこか面白がるように見やりつつも、おつるさんは「社会勉強だと思って頑張りな」とグラスを煽り、颯爽と廊下の向こうに去っていったのだった。問答無用で置き去りとは、流石に手厳しい我が師匠である。
というわけで、現在一人中央の大広間へと訪れたわたし。一応商談とあって話し合いは別室で行なっていたため、このホールに来るのはこれが初めてだ。田舎者よろしくきょろきょろと周囲を見渡してみるが、やはりとんでもなくハイソな空間である。まずいなあ、庶民臭を隠しきれそうにない。
十数メートルはある高い天井、吊り下げられたシャンデリア。島内でも高い位置にあるためか見晴らしも良く、大きなガラス窓越しにはバルコニーと夜の海が見えている。広々とした会場に並ぶのはビュッフェ形式の料理の数々で、訪れた参加者たちは皆それぞれに輪を作り談笑を楽しんでいるようだった。
ううん……なかなかに居づらい。なんか煌びやかすぎて目がチカチカしてきた。もう食べるだけ食べたらなんか適当に理由つけて退散してしまおう、そうしよう。
そんなわけで一目散に料理の方へ向かい、手に取った大皿にひょいひょいと料理を載せていく。やはりこの料理の数々、周囲の目を忘れるくらいには美味そうだ。新鮮な魚のカルパッチョにトマトが色鮮やかなカプレーゼ、香草の載ったローストビーフに魚介たっぷりのアクアパッツァ……あ、海王類のハムもある。てかこれなんだろう、なにやら妙にびっちょびちょの肉が――
「……ん?」
ふと騒々しさを感じて顔を上げた。おや、広間の反対側の出口付近に居るのは――こんな場でも(物理的に)頭一つ抜けてる男――クザンさんである。料理に夢中で気づいてなかった。
パーティ前に顔を合わせたにも関わらず、改めて彼を目にするとなにやら新鮮な気分になった。警備とはいえ暇なのか、クザンさんはどうやら若いお姉さんと話し込んでいるらしい。勤務態度としてはどうかと思うが、比較的しゃきっとしてて様になっているおかげで今もわたしの周囲の幾人かの女性の視線を集めておられる。よくよく耳を傾けると性別問わず「大将青キジだ……」「本物だ……」みたいな声も聞こえてくるので、単に彼が有名ってだけなのかもしれない。
ふむ、しかし何だかんだクザンさんのことは本部での姿しか知らないので、まともに格好付けてるあのおっさんを見ると感心してしまう。冗談みたいに思ってたけどほんとにモテるんだなあの人。まあ確かにスモーカーさんとかに比べると断然物腰も柔らかいし、気が効くし、なによりデリカシーあるもんなあ。いやほんと、あれでなんで恋人作らないんだろう。彼女は居ないって言ってたけど、もしかして愛人とかなら居るのかもしれない、ものすごくあり得る……
「もし、そこのお嬢さん」
「あ、すいません」
ふと声をかけられたので反射的に身を引いた。料理の前を占領してたせいかと思い慌てて振り返ると、そこには年嵩のいった物腰柔らかなご婦人。どうやらお腹が空いてらっしゃるわけではなさそうだ。
「あなた、海軍の大参謀の知り合いなの?」
「大参謀……というと、おつるさんのことですか」
彼女の口から出てきたのは意外な問いかけである。我が師がどうしたことだろうと首を傾げると、肯定と取ったのか婦人は朗らかに相槌を打った。
「そう。先ほど、廊下で話してらっしゃったでしょう? はしたないのだけれど耳に入ってしまって」
「ああ、いえそんな、お気になさらず。おつるさんとはお知り合いなんですか?」
「ええ、若い頃に彼女にお世話になったことがあるのよ。それであなたとずいぶん仲が良さそうだったから、お孫さんか何かと思ってしまって」
「あはは、おつるさんみたいなおばあちゃんがいたらそれはそれで素敵かもですね」
数分前にしたおつるさんとのやりとりを思い出して可笑しくなった。まあ現状、わたしと関わっている海軍の人たちはこぞって何かしら保護者みたいな面があるからなあ。なかなかに鋭いご指摘だ。
「けど残念ながら血縁ではないんです。わたしはただのしがない弟子ですよ」
「弟子……? お嬢さんは海兵なのかしら」
「いえ、海軍本部の保護対象というやつらしいです。未だにどういう立ち位置なのか、自分でもよく分かってないんですけどね」
「保護対象……わたくしも聞いたことがないわ。それで、あなたの身柄を引き取っているのが大参謀ということなの?」
「いえ、おつるさんとはちょっとした仕事での付き合いでして、わたしの預かりをしてるのは別の人です。スモーカーさ……大佐っていう」
「あら、わたくしもその方なら存じ上げてますわよ」
「えっ?」
大皿を両手に抱えなおしつつ当たり障りなく受け答えしていると、ご婦人からまたも思わぬお言葉。多本面に失礼ながら、やや食い気味に驚いてしまった。
「ええと、スモーカーさんのことをですか」
「ええ、有名でいらっしゃるもの。海軍の問題児で『野犬』なんて呼ばれているって」
「あー間違いないです。しかしなんとも不名誉な知られ方を……」
スモーカーさんにそんなあだ名が付いているという噂は当然耳に入っていたけど、まさか海軍本部の外にまで知れているとは。というかわたし、マリンフォードから出たことがないせいでこの世界の一般常識を知らないわけだが、もしかして海軍の将校ってそれだけで普通に有名人だったりするのだろうか。ベテランの方とか三大将が騒がれるのは分かるのだが、スモーカーさんすらも取り沙汰にされているとは……うーん、意外すぎる。
「ふふ、けれどね、わたくしが彼のことを知ったのはまた別の事情なのよ」
はて、別の事情とはどういうことか――と興味を引かれて顔を上げる。食いついたのがばれたのか、身を屈めたわたしの顔を覗き込んできた彼女はどこか勿体ぶった調子で口を開いた。
「わたくしが直接関わったというわけではないし、ほんのちょっとしたことなのだけれどね……知りたい?」
「そりゃ……奥さん、意地が悪いですよ」
「ふふ、ごめんなさいね。実は以前、助けて頂いたことがあるのよ。彼方にそんなつもりはなかったのでしょうけど……少なくとも、わたくしの娘一家が今も元気に過ごすことが出来ているのは彼のおかげだわ」
なるほど、そういう……。
詳細は不明だが合点がいったといえばそうだ。スモーカーさんのことだから、ちょっとした理不尽に耐えかねて独断専行でもして、結果助かった人が居たということなのだろう。しかしなんだ、このなんともいえぬ気分は……むず痒いような、落ち着かないような。
「ふうん、……そう、なんですか……」
「嬉しそうね」
ぎくりとした。というか自分でも今の感情がなんなのか把握しきれていなかったのにずばり言い当てられてしまったような感覚である。察しの良すぎるご婦人だ、これが年の功というやつだろうか。
「や、別にわたしにはなんの関係もないって分かってるんですけどね! ただその、まあスモーカーさんはなんだかんだいい人ですから……なんというか、まあ野犬ってのも間違いではないんですけど、浸透してるのが悪いイメージばっかじゃなくてよかったなと……」
などと言い訳がましく口にすれば、あらあら、とご婦人に笑われてしまった。うぐぐ、やっぱりわたしって分かりやすいのだろうか……もうやめとこう、これでは墓穴を掘る一方である。
にしても、なんか普段ならしないような話を自然と引き出されてしまったなあ。これはやはりこの方のコミュニケーション能力によるものだろうか……かくいうわたしもこれから仕事をするのであればマリンフォードに引きこもってばかりもいられないのだろうし見習いたい限りだ。ところでそろそろ皿の上の料理たちが食べてくれと切なげなので、ここらで切り上げたいところである。
「なんかごめんなさい、初対面の方なのに話し込んじゃって」
「あら、だからこその社交パーティーでしょう。あなたに素敵な出会いがあることを祈っているわ」
「ありがとうございます。それでは……あ、そうだ。わたしこの度商品開発に携わるんです。折角なので試作品、良ければ使ってください」
一応懐に忍ばせておいた手のひらサイズのスプレーボトルを差し出し、簡単な使い方の説明をすれば、彼女は快く受け取ってくれた。顔が広そうな方だし、ちょっとした宣伝になるだろう。
そんなこんなで奥さんと別れ、ホールの端に引っ込んで皿に乗せた料理を突くことにしたわたし。その後、なにやら先ほどの奥方からの噂でも立ったのか、色々な人に声を掛けられてなんとも忙しなかったのだが――みんないい人だったし、宣伝もできたし、ひとまずは成功、ということにしておこう。
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