No Smoking


▼ 25-1/3

 脳裏に蘇る記憶がある。

 あれは確か、まだ入隊して日も浅い頃の軍事演習のことだった。十数年経った現在でも未だ鮮やかに思い起こすことができる――それは忘れもしない、わたくしにとって最悪の日であった。

「どうしてそんなことをする必要が?」

 また始まったと辟易する者と、上官に逆らうとは何事かと気色ばむ者、巻き込まれてなるものかと素知らぬふりをする者、今回の勝負の行方は如何にと期待する者……。どれも、誰もがつまらない、そこに集うのは大抵がその程度の人間だった。

 そう、唯一教官に異議を唱えたあの男を除いて。

「この演習を行う意味を見出せねェんですが」

ポケットに手を突っ込み、葉巻を咥えたまま発言する、教えを乞う側とは思えないその態度。唯我独尊を地で行く堂々不遜としたその男こそ、当時まだ一等兵であったスモーカー君その人である。案の定、上官の中でも随一の頭の硬さであることで有名なその日の教官は、不愉快そうに顔を歪ませて彼を叱責した。

「意味? 演習の意味だと? お前はそんなこともいちいち説明されないと理解できんのか!?」
「解りゃしませんね。こういった状況を想定する場合、海賊同士を潰し合わせた方が効率がいいのは明らかだろう。真っ先に敵にかかるのは無謀だし、そもそもこの規模の海賊団を相手にする想定じゃァ、一等兵が数人束になったところで敵うわけがねェ。向こうも馬鹿じゃねェんだ、海軍が攻めてきたら手を組む可能性も無くはない。海賊同士を潰し合わせて機会を待ち、その間に応援を呼ぶべきだ。特攻隊じゃあるまいし、むざむざ戦力を減らす必要が何処にある?」

ぺらぺらとよく回る口で捲し立てるその言い分は、しかし屁理屈と片付けるには筋が通り過ぎている。上官が言い返さないのをいいことに、スモーカー君は皮肉めいた口調で肩を竦めた。

「で、おれにゃさっぱり分からねェんで教えていただけますかね、上官殿。このくだらねェ作戦で演習をする意味は?」
「……スモーカー」
「あ?」

教官の怒声に備え、海兵たちは耳を塞いだ。

『――貴様は基礎訓練からやり直せ! 海兵としての心構えというものを分かっておらん奴に、演習に参加する資格はない!』

 顔を真っ赤にした上官はそんなふうに喚き散らし、自分に逆らう不真面目な訓練兵を視界から追い出すことに決めたらしかった。参加させたが最後、スモーカー君は法律ギリギリの手段だとか御構い無しに、最善の方法を独断専行しようとする。異分子は切除するに限るという判断だろう。とはいえ、それは当時既に見慣れた状況であった。

 どの教官にも一回は噛み付いたことのあるスモーカー君は、この時にはもう"野犬"と呼ばれていたように思う。彼が真っ当に参加するのは確かそう、せいぜいゼファー先生の指導くらいだった。元大将であるこの教官は毎度筋の通った稽古しかつけないので、流石のスモーカー君も文句はなかったらしい。
 とはいえかの教官は的確ではあるが圧倒的に厳しく、かつ恐ろしく、おおよその海兵は毎度泣きを見る羽目になる。わたくしですら付いていくので精一杯だったはずだ。その時、能力者への当たりが強い先生に対し、矢面に立ってくれるスモーカー君の存在は有り難いものではあった。つまるところ、周りの評価ほど出来の悪い人間ではないのだ、彼は。

 とにかく、スモーカー君抜きで演習は始まり、わたくしは何とも言い難いわだかまりを抱えながら――スモーカー君曰く意味の見出せない――一先ずの課題に取り掛かることにしたのだった。



「あなた、もう少し上手くやれないの」

 わたくしたちが齷齪している間、スモーカー君は教官の言いつけなどどこ吹く風、訓練所の一角で悠々と一服していたらしい。床を叩くヒールの足音に気付いて顔を上げたものの、わたくしを視界に入れるなり彼は興味を失ったように瞼を下ろした。

「……お前、演習は?」
「さっさと終わらせたわよ、あんなもの。他の方達はまだまだかかりそうだけれど」
「そりゃ優秀なことで」

彼はすげない様子で葉巻を揺らす。わたくしを見もせず、心底つまらなさげに皮肉を吐いた。その程度の煽りがどうしようもなく癪に触る。……無関心なその態度が気に食わなかった。

「ねえ、あなたの言っていることは正しいと思うわ。別にあなた、上官を言い負かして胸がすくってほど子供じゃないんでしょう。なんでわざわざあんなやり方をするのよ、続けていたらいつか海軍から追い出されるわよ」
「……逆に聞くが、お前はどうして間違ってると分かっていて何も言わねェんだ?」
「面倒だからよ。あなたの大好きな効率を考えれば、いちいち歯向かうより今みたいにさっさと終わらせてしまった方が楽だわ。心象も下がらないし」
「なら分かるだろう、おれにとっては面倒じゃねェんだよ。寧ろやらなくてもいいことをやらされるだとか、人間関係に頓着する方が面倒だ」

お前に言われるまでもない、と言われているような気がした。その手ごたえのなさは酷く神経を逆撫でしたものの、それを表に出すほどやわな性格はしていない。反発心を悟られないよう、感情を押し留める。

「……あなたはそれでいいかもしれないけれど、周りの迷惑というものを考えなさいよ。同期にまで煙たがられてるわよ、あなた」
「へェ、上手いこと言うな」
「ふざけないで。いつか味方を無くすわよ」

冗談を言ったつもりはない。聞き流されていることに苛立ちを隠しきれなくなる。目敏く見抜いたのだろう、スモーカー君は意を得たりと煙越しに目を細めた。

「あんな連中を味方につけてもクソの役にも立たねェよ。お前みてェな奴一人味方につけときゃ十分だ」

「……は?」

 自分の声にありありと表れた動揺を隠すこともままならず、呆気に取られて言葉が詰まった。スモーカー君が嘲笑うような面持ちで、これ見よがしに葉巻を手繰る。声が震えた。

「わたくしがいつあなたの味方をしたのよ」
「わざわざおれのところにまで来て、お節介に忠告までしてくれたのに認めねェのか?」
「な……ッ」
「分かるぜ。お前、おれがいけ好かねェんだろう。まァてめェが持ってないもんを羨むのは道理だが……そうだな、今のは忠告をして自分が優位に立ちたいのと、憎さ余って本気で執着してんのが半々くらいか、どうだ?」

遠慮もデリカシーも思いやりの欠片もない、酷い言われようだ。それは明らかに、何を言えばわたくしの心を抉れるのか的確に把握したうえでの発言だった。

「あ、なた、っ……! 最低だわ、よくも抜け抜けと、味方だなんて言えたわね!」
「お前の感情なんざどうだっていい。そう言う役に立つ奴ァおれにとっちゃ味方って言うのさ。まァ同期のよしみとでも思って――」

 続く言葉を待たず、その横っ面を張り倒した。けれどわたくしの平手は烟る霞を掻いただけ。全く堪えていない様子の彼を、とかく憎たらしいと思った。それでいて、なにも否定できない自分も。

 自棄になったその日の晩は、確か大切にしまい込んでいた十五年もののシャンパンを、丸々ひと瓶飲み潰した。

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