No Smoking


▼ 24-2/2

「パーティーに行くことになりました」

 ほかほか湯気を纏いながらの風呂上がり、柔らかいタオルで髪の水気を拭いつつソファの横に立ち、わたしは藪から棒にそう告げた。今晩は珍しく一番風呂を頂戴したため、本来なら「空いたので次どうぞ」と言うべきところである。さて、わたしの声かけに何を思ったのか、今日の夕刊片手に寛いでいたスモーカーさんはゆるりと頭をもたげてこちらを見やった。

「――そうか」

 うっすい反応ののち、手元の紙束に目を戻す。

 ……いや、それだけか。期待していたわけではないが、なんとも予想以上のつまらない対応ではないか。せめてこう、もう少し何かあると思ってたのだが、ばかにすらしない(されたくはないが)あたり相当興味がない話題らしい。
 と思いきや、さすがに一応の確認は必要だと思ったのか、スモーカーさんはさも億劫だと言いたげに口を開いた。無論、その視線は紙面に落としたままだ。

「一人でか」
「いえ、おつるさんが一緒にいらっしゃるそうです。あとクザンさんも」
「つまり、お前の雇い主連中に誘われたと」
「まあそんな感じです。あんまり気は進まないですけど、行かざるを得なくなってしまって」

包帯を防水すべく左腕に纏わせておいたビニール袋を剥ぎ取って、そのままリビングテーブルの脇に置いてあるゴミ箱に放り投げる。おお綺麗に入った。なかなかコントロールがいいぞ、わたし。

「……で、詳細は。マリンフォードは一応要塞だし、島内に賓客を呼べる会場はねェだろ」
「ああ、あんまり詳しいことはまだ聞いてないんですけど、大体一ヶ月後くらいに"赤い港レッドポート"の会場でやるみたいですよ。まあマリンフォードの裏手なので、海を渡ると言ってもすぐそこですけど」
「あァ……。あの辺りは天竜人の出入りもある、気ィつけろよ」

へえ、口ぶりからしてスモーカーさんも会場の場所をご存知らしい。てっきりこの人はそういったものに縁がないタイプだと思ってたので意外だ。

「ちなみにスモーカーさんは行かないんですか?」
「……行くと思うのか、おれが」
「全く思いません」

 高級そうなホールでキラキラと着飾った周囲の人間がグラスを傾けるなかに紛れるスモーカーさん、想像の中だけでも居心地が悪そうだ。面白そうなので逆に見てみたい気もするが。
 とはいえこの人は権力者とかとことん嫌いそうだし、御しきれない海兵なぞまず政府が近づけさせないだろう。……しっかしまあそう考えると、改めてスモーカーさん、よく海兵続けられてるもんだ。

 次第に興が湧いてきたのだろう。片手間に会話をしてくれる気になったらしいスモーカーさんは、取り留めのない話題を辿っていく。

「ヒナなんかは昔から、そういう類の警備や接待をやらされちゃいたがな。今回も場合によっては、あいつも顔出すんじゃねェか」
「へえ、だったら嬉しいですね。この頃はヒナさん、本部を離れる準備で忙しいみたいで、あまり見かけませんし」
「まァ、念入りにもなるだろう。昨今はアラバスタもきな臭ェからな……」
「アラバスタ?」
「知らねェのか。"偉大なる航路"前半にある島の政府加盟国だ、それなりに有名だぜ。まァ今は国政が荒れてるみてェだが……この時期にあの辺りの海域を任されたんだ、実力を買われてんだろう」

ペラペラと夕刊をめくりながら、スモーカーさんは興味なさげにそんなことを言う。にしても妙に情報通だ。海兵としては普通なのかもしれないけど、スモーカーさんのこういう姿勢は素直にすごいと思う。

「ふうん、けどやっぱり寂しくなりますね」
「そうでもねェ。 なにしろ歓迎できねェことに定期召集が近ェ時期だしな。直ぐにまた、鰐でも引き連れて戻ってくるだろう」
「鰐? なんの話ですか」
「……。まァお前にゃ関係ねェ話だ」

 渋い顔でわたしの疑問を退けるスモーカーさん。なにやらその鰐とやら、というか定期召集っての自体にいい感情を抱いてないようである。一体なにが召集されるのやら……多分、碌でもないのが集まるんだろうけど。
 とはいえこの人が真っ向から嫌うものなんて珍しいので、一応覚えておくとしよう。選り好みをしないスモーカーさんの趣味嗜好は謎に包まれているのだ。でも多分燻製が好きだ。

 だが、それにしても定期召集……ねえ。うーんこの単語、最近どっかで聞いたような覚えがあるんだけどいまいちハッキリと思い出せない。一体誰が言ったんだったか、「次の定期召集が待ちきれない」とかなんとか、ぼんやり耳にしたはずなのだが……まあいいや。思い出せないってことはその程度のことだ、気にしないでおこう。


「それで、ずっと見てらっしゃいますけど何か面白い記事ありましたか」
「いや……いつも通り物騒ではあるが」
「それをなんとかしなきゃいけないあたり、海兵さんは大変ですねえ」

 ソファの背から身を乗り出し、後ろからスモーカーさんの手元を覗き込んだ。その拍子に濡れた髪から点々と雫が滴り落ち、荒刷りのインクを滲ませる。それを見咎めたらしいスモーカーさんはふとこちらを振り返り、やおらわたしの髪をかき上げると、難色を示すように小さく眉を寄せた。

「……おいお前、ずぶ濡れじゃねェか」
「だって左手濡らさないようにと思うと上手く拭けないんですよ。別にほっときゃ乾きますし」
「……。ならおれに頼みゃいいだろう」
「いやですよ、せっかくの風呂上がりなのにスモーカーさん葉巻くさ……ってあれ」

 なんたることだ。こちらを見上げるスモーカーさんと改めて目を合わせてようやく、その口にいつもの葉巻が咥えられていないことに気がついた。どうやら、さっきまで斜め後ろから見ていたせいで見逃していたらしい。

「珍しいですね、吸ってないの」
「ちょうど手持ちが尽きてな。どうせこの後は風呂だ、わざわざ取ってくるまでもねェだろ」
「わあ素敵です、そのまま永遠に吸わないでいてくれるとありがたいんですが」
「おい……」
「でも帰ってきてからすぐご飯だったんで結構ずっとですよね? よく体が持ちますね、手足が震え出したりしないんですか」
「……お前はおれをなんだと思ってんだ」

なんだと思ってるも何も、世界で最もハードなヘビースモーカーは間違いなく己である。ただ、やっぱり健康に支障がないあたり、能力的に喫煙への耐性も強いというわたしの予想もわりと的を得てると思うけど。
 なにはともあれせっかくだ。湯冷めしてまた風邪を引いてしまうのも迷惑だし、今日のところはお言葉に甘えるとしよう。

「そんじゃま、普段より匂い移りもマシみたいですし、仕方ないので拭かせて差し上げてもいいですよ。あ、あんまりぐしゃぐしゃにしないでくださいね」
「はァ……仰せのままに」
「やった、ちょっとこれびっしょびしょなので新しいタオル取ってきます」

スモーカーさんの手から抜け出るようにひょいと体を起こし、脱衣所の端に置いてあるタオルを取りにすっ飛んでいく。さっさと引っ掴んで戻ってくると、スモーカーさんはもう新聞を卓に置いて待機してくれていた。ので、わたしはソファの横の一人分の隙間に吸い込まれるように腰を下ろす。スリッパを脱いで足を上げ、スモーカーさんの方に体を向け、お願いしますと乾いたタオルを差し出した。
 そこまでの一連で何が面白かったのか、彼はふ、と呆れたように笑みを浮かべた。何か言おうかとも思ったが、頭の上にひったくられたタオルを被せられたので、大人しくされるがままになっておく。今のわたしはまな板の上の鯉だ。

「最近スモーカーさん、めちゃめちゃ甘やかしてくれますね。自分で頼んどいてなんですけど、調子に乗らせといていいんですか?」
「構わねェよ、怪我人のうちは許してやる」

布越しにくぐもった声が聞こえる。軽くタオルを押し当ててから、とんとんと毛先の水気を抜いていくスモーカーさんは女の髪の扱いが妙にうまい。何かやらかしたら文句をつけてやろうかと思ってたのに……まあいいや、甘えても許してくれると言うし、結構上手だし、安心して心地よい感覚に身を任せることにしよう。

「そういうお前は、……前より、無用心になったんじゃねェか」

 とわたしが気を抜いたタイミングで、スモーカーさんはそんなことを言ってきた。え、と勝手に閉じていたまぶたと同時に顔を上げる。

「もしかして戸締り忘れてましたか。こないだは危ないこともありましたし、一応防犯には気をつけてるつもりなんですけど」
「……言葉選びが悪かったな。防犯については問題ねェよ。言いてェのはつまり……おれに対する警戒心がこの頃薄いんじゃねェのかって話だ」

あ、そういうことか。ちょっと恥ずかしい、なんか鈍感ヒロインみたいな勘違いをしてしまった。いやでも今のは仕方ないだろう。おっしゃる通り単語のセレクトが悪い。

「それは……そりゃそうでしょう。あんだけ色々ありましたし、さすがに信用してますよ。まあ前から言ってると思いますけど」
「別に、信用するなつってるわけじゃねェが……」
「あ、でもセクハラだけは断じて許しませんからね。スモーカーさんも面白半分でわたしの純情を弄ぶのはやめてください。燻しますよ」
「……。なら、自衛はしろ。こっちは――」

また例の心配性だろうか。まるで娘思いの父親だ。そんなに心配しなくても平気だろうに。

「大丈夫ですよ。スモーカーさん過保護だから注意したくなるのかもですけど、よそではちゃんとしてますし。クザンさん相手とか特に」
「……」
「隙があるとしたらスモーカーさんの前だけですよ」

冗談のつもりでそう言うと、スモーカーさんは無言のまま頭痛を堪えるような顔をした。なんだその顔は、今のは喜んで然るべきところだろう。

「……だが、おれに揶揄われたくはねェんだろう。それを避けるために予防線を張るって考えはねェのか」
「なんでそんな面倒なことをわたしがやんなきゃならないんですか。スモーカーさんがやめてくれたら済む話でしょう」
「つまり、おれが悪ィってのか」

と、不本意そうに顔を顰めるスモーカーさん。

「当然です。わたしのことが可愛いのはわかりますけど、愛情表現は別のやり方があると思います。さっさとそのいじめっ子根性治してくださ――もが!」

 わたしの口を塞ぐかの勢いで――というかおそらく黙らせるべく――ぐわしぐわしとタオル越しにものすごい圧を掛けられた。しかもわたしの頭蓋骨が軋まないギリギリの加減である。しかしこれじゃ、こんなに力一杯撫で付けられては、わたしのふわふわキューティクル潤沢ヘアが傷んでしまうじゃないか。初めにやるなと言ったのに、ええい何をしてくれる!
 と、もごもご言いながらなんとかタオルをはねつけると、前髪越しに見えたスモーカーさんは先程までの鬱憤を晴らしたのか、どことなく愉快げに目を細める。ああもう、こういうところが駄目だって言ってんのに。

「そういう性分だ、無茶言うな」
「一生結婚できませんよ、スモーカーさん。前から思ってましたけどだいぶサディストですよね」
「否定はしねェ。基本他人に対しちゃ、そこまでの興味も向かねェが」

白々しく言い募る。……どうやらやめる気はゼロのようだ。まあその言い方からして、わたしにはいじめるだけの興味を持ってくれてると言うのは事実なのだろうが――しかしそんなのは全然まったく嬉しくない。
 じとりと睨んでいると、宥め賺すように屈み込んだスモーカーさんの手が伸びてきた。わたしの顔に垂れ落ちていた前髪を払うと、彼はご自分がぐっしゃぐしゃにしたわたしの髪を手櫛で丁寧に整えていく。頭の軽さからしてだいぶ水気は抜けたようだ。わたしは彼の指先を見つめながらため息をついた。

「やっぱりスモーカーさんは危険かもしれないです」
「多少はな」
「自分で言わないでくださいよ」

そういえば、以前――思い出すのもちょっと気まずい、スモーカーさんに気絶させられたあのときに――一瞬だけ彼が、嗜虐的な目をしたのが怖かった。そういう性格、というより性質ではあるのだろう。自制しようとしても難しい点なのかもしれない。だからこそ、この人が自分に気をつけろ、という意味はわからないではないが。

「……まあでも、そんなに心配してないですよ。なんだかんだスモーカーさんは優しいですもん」
「甘いな、お前は」
「あはは、それに結局のところ、毎回本気じゃないでしょう。スモーカーさ、っ――」

 突然頬を覆われて、ぐいとスモーカーさんの方を向かせられた。その反動でぎりぎり肩に引っかかっていたタオルが滑り落ちる。抵抗はせず、そのまま彼の顔を見つめ返した。

「なんですかいきなり」
「ナマエ」
「はい?」
「おれが仮に、本気だったらどうする」

真面目くさった様子でいきなり変な質問を口にしたスモーカーさん。その意図が読めずに目を瞬いた。

「それはどういう……」
「言わなくても分かんだろう」
「……」

どこか皮肉げな色をしたその目を見て、やっぱり本気じゃないな、と思う。息を吸い込むとスモーカーさんの手からほんのりと葉巻の香りがしたが、まあ匂いが移るほどではない。かさついた大きな手の感触も、そんなに嫌いじゃなかった。

「本気だったら……そう、ですね、」

想像してみた。彼はわたしを子供扱いしてくれているからいいけれど、もし仮に、真っ当に女として見られているのだとしたら。もしそういう風に扱われたとしたら、そういう意図で触れられたら。わたしの頬に触れた手に、なにか意味があるのだとしたら、それは――……


「――やっぱり、気持ち悪いですね」


 瞬間、頬に触れていたスモーカーさんの手が一瞬強張った。気がした。
 ……いや別にスモーカーさんを気持ち悪がっているわけではないというか、気持ち悪いというのもわたしの感情の話であって相手がキモいという意味ではないのだが。とはいえ確かに、誤解を招く言い方だったかもしれない。

「というより多分……怖くなるんじゃないかと思います。本気で手を出されたらわたしは多分抵抗できませんし、そうなる前に逃げるしかないじゃないですか。けどスモーカーさんがそういう人じゃないから、わたしは安心してここに住めてるわけです」
「……」
「大体苦手なんですよ、そういう好意を向けられるの。ここではみなさん子供扱いしてくれるからいいですけど……や、よくはないですが。ああでも、好きな人ができたらまた違うのかもしれませんね」
「…………。はァ――……」

スモーカーさんはするりと引いた手で眉間を抑え、それはもう長い長いため息を吐き出して、そのままめっきり押し黙った。一応合点は行ってくれたようだが、今度は呆れてるような、何かを責めているような、どこか自嘲気味な、まあよくわからない感じの雰囲気だ。いつもなら揶揄の一つでも飛ばしてくるところなのに。

「なんか今日調子悪いんですか? 皮肉の言い方忘れちゃいましたか、あ、葉巻吸ってないから」
「……お前、前からそんなに強かったか?」
「ご存知なかったんですか。わたしは初対面から最強でしたよ」
「そうか」

なんだその諦めたような態度は。こちらにもう一度視線を寄越したスモーカーさんは、どことなく疲れたような顔をしている。が、なにやら覚悟を決めたらしい。そのやられたらやり返すと言わんばかりの眼差しは、雁を狙う大造じいさんの如きである。
 ……なんだろうこれ。わたしそんな睨まれるようなことをした覚えはないのだが。


 何か言われるのを待ちつつ首を傾げるも、彼にそれ以上の会話をする気は無かったらしい。スモーカーさんはわたしからさらりと視線を外し、そこでようやく思い出したように腰を上げた。

「――風呂行ってくる」
「ああそうですね。それじゃわたしは先に寝ます。髪、ありがとうございました」
「あァ、……おやすみ」

 スモーカーさんは最後にわたしの髪をくしゃりと撫でてから、柔らかい声で告げて立ち去った。不意を打たれてつい、反応に遅れてしまう。

「あ、……おやすみなさい」

 ……なんとなく、この人のおやすみは心臓に悪い。こういったときの彼の口調とか視線とかが、格別優しく見えるのは気のせいではないと思うのだ。うう、あれはもしかしなくてもわざとだろうか。だとしたら性格が悪い。居心地悪く、バスルームに向かうスモーカーさんの背中を見送った。

 ――ん? そういえば今更ながら、仕事を始めるって話をし損ねた気がする。一応言っておこうとは思ってたのだが……スモーカーさんと話すと会話が行き当たりばったりになっていけない。
 ま、いっか。どうせあの人は消臭への理解が深いわけでもないし、やりますと言ったところでそうか、としか返さないだろうし。のちのち事業が運良く軌道に乗ったりしたら話すってことでもいいだろう。

 そんなことを思いつつ、わたしも自室のベッドに向かうべく腰を上げる。今日も良く眠れそうだ。睡魔に誘われるまま、わたしはふわりと欠伸をしたのだった。

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