呆然と、目の前の光景を見ている事しかできなかった。
どうして、私は動こうとしていないの。
どうして助けに行こうとしないの。
いや、私は、この世界も人間ではないから、きっと何もできない。
動いても、足手まといになるだけだ。
なら、動かないほうがいいのではないか?
そんな訳のわからない事をぐるぐると考えながら、私はやっぱり動けない。
ハクレンさんが、闇に捕まっているのに。それなのに、どうして私は何もしてないの。
テイトが、闇に飲み込まれたのに、どうして私は動かないの。
目の前で起こっている光景の意味がわからなくなってるの?
違う。
ただ、目を逸らしてるだけだ。
そらすな。
目を。
まっすぐ前を向け。
その視線の先に写っているのは、何がある――?
「(――テイト!!何故お前がこんな目にあわなければいけないんだ!!)」
感情が流れ込んできた。
そうだ。この世界は、理不尽な事ばかりだった。
「貴方は今までオレ達を騙していたの!?回廊でオレ達を襲ったのも貴方だったのか!?
「それが私なら、今頃貴方達はここにはいない」
その瞬間、私に遠くのビジョンが、見えた。
『……………っ!?』
あの姿は。
「…あの方には他に任務があるそうだ」
『ハルセさん…クロユリくん……!』
思わず、つぶやいた。
どうして、そこに向かっているの。
その先には――。
「それは、私の知るところではありませんが」
流れてくる会話が、光景が、私の息を詰める。
――「!ハルセ」
――「もうヴァルスファイルは使えません。どうかお気をつけて」
ハルセさん、その先に行くのは……。
――「入口が花畑に……幻覚か…!?」
――「この人たちは正規のパスを持っていなかったから眠ってもらったよ」
ラブラドールさん……。優しさの塊の、貴方。
予言の、君――。
――「このまま引き取ってほしいんだ。奥にいる事一緒に」
――「この先へは通せません」
――「君はここに来るべきじゃなかった。そして、あの子も」
視界が、一気に現実に戻ってきた。
『バスティン様……!テイトを、離してください』
「貴方は、この世のものではない。しれなのに、何故意志を持ち、私たちと同じように行動することができるのです?」
「バスティン様!!」
『ハクレンさん、いいの。間違ってないから』
胸の刺さることを言ってくれますね、バスティン様。
でも。
『異物が入った闇は、一体どうなるのでしょうね……?』
笑えた。
そして、私は駆け出した。
まっすぐに。テイトが飲み込まれている闇に向かって。
「!?ユキ!?何を!!」
手を伸ばす。
ずぶり、と腕が簡単に飲み込まれた。
「やめろ!ユキ!!」
『大丈夫だよ、ハクレンさん。じゃあ、行ってくるね』
「ユキ―――――!!」
視界が暗転した。
―――――
―――
―
「(――寒い)」
「(――暗い)」
「(――ここを支配しているのは)」
「(――憎悪)」
「(――恐怖)」
「(――飢饉)」
「(――そして、なんて深い悲しみ)」
真っ暗だ。最初に私はそう思った。
負の感情だけが渦巻いているこの場所は、とても悲しい場所で、それでも私は少し居心地がいい。
――よこせ
――お前に魂と体をよこせ
――ほしい
ここにいる負の感情は、とてもかわいそうな感情達だ。
同調したら、きっと取り込まれるんだろうけど、私はそうはならないよいう自信がある。
だからこそ。
『私の中に、迎えてあげるよ……』
ずあっと、私の体に向かって闇が襲いかかってくる。
「(!?なんだ?突然闇が薄くなって!?)」
おいで、おいで。
私が受け入れてあげるよ。
「(ユキ!?なんでここに……それよりも、ヴァルスが!このままじゃ、ユキが………!)」
『テイト……私は大丈夫だよ』
「(だめだこのままじゃ、ユキが――)オレが消し去ってやろう」
『え』
テイトなのに、テイトじゃない声が聞こえて。
次の瞬間には、闇が破裂した。
とっさに、私は自分を守るための防御壁を築き、守る。
私の周りにいた闇すらも、吹き飛ばしてしまうほどの強力な力。
そして、こうなる前に聞こえてきたあの声は。
『ミカエル……!』
「…誰だ。我が主を裏切った愚か者は…?地獄の最果てまで案内してやろう」
手の甲に紅い石が現れていて、テイトなのにテイトじゃない人がしゃべっている不思議。
「返すぞ」
一言。ミカエルがそう言ってバスティン様に向かってヴァルスの塊を投げつけた。
『バスティン様ー!!危な……っ!』
「異世界の迷い子。大人しくしていてもらおうか」
私がとっさにバスティン様を庇おうとしたのがわかったのか、結構距離が離れているはずだったのに、私の背後に回っていて、後ろから私を抱きしめるようにして、片腕で拘束した。
その間に、バスティン様の方には先ほどミカエルがはじき返した闇をバクルスで受け止めていた。
ハクレンさんの驚いた表情が見える。
私の耳元で、ミカエルが言葉をこぼす。
「ほう、虫けら風情がしぶといじゃないか。だが、代償からはにがれられぬぞ」
『バスティン様!』
思わず叫んでしまったが、私を片腕で拘束しているミカエルが私を離してくれない。
『やっ、ミカエルだよね!?私を離してよ!』
「何故、異世界の迷い子?お前は“守られるべき”存在だ」
『何を……!』
私に理解できないことを言わないで。
私は、目の前で起こっているこれを止めたいだけなのに。
「さて……その逃れられぬ代償、逃れられぬ業を背負っているお前を、私が直々に葬り去ってやろう」
『ミカエル……!お願い、離して!殺さないで!!』
その時、私を抱きしめている腕が強くなり、そして、私を抱きしめているのとは逆の手が頭を抑えた。
その隙ができた一瞬を、バスティン様が見逃すはずがなくて。
テイトは思い切り、バスティン様に首を掴まれる。
私も、バスティン様に首を絞められる形で掴まれる。
バスティン様は両手でそれぞれ私とテイトの首を持っている形になる。
「貴方は、いつか自分の大切なもののためにこの帝国を犠牲にすることも厭わないだろう。
だが、それではこの帝国の未来は守れんのだ!!」
『バス、ティン…さ……』
「貴方もだ。異世界の迷い子。あなたこそ、最も危険分子。たとえ、あなたを殺したことで私が死のうとも、それに悔いはない。あなたこそ、この世界に必要のない存在!」
息ができなくて。
それよりも、その言葉が胸をえぐって。私に中に溶けるように染み込んでいく。
「それは、ちがう…!それに、ならば、何故……貴方は…そ…なに悲しい眼を…」
――《無礼者!!殺す!!殺す!!主よ、貴方が心を痛める必要はない。私が一瞬で殺してあげる。
「行かないで」
――《主よ、早く手を離して》
「フラウの…側に…いて…」
――《ヴァルスが中に入ってしまう》
私は、抵抗することすらもバカバカしくなってくる。
望まれていない命。
この世界でも、自分の元いたあの世界でも。
それなのに、必死に性にしがみつくのがみっともないのではないだろうか。体から力が抜けた時、その場に清浄な何かが流れ込んできた。
閉められていた首が解放され、空気が一気にハイに入り込んでくる。それが苦しくて咳き込んだ。それは、私と同じ状況にいたテイトも同じだった。
目の前に現れた心やさしき死神は、片手にハクレンさんを持ち、私たちをまるで守るようにバスティン様との間に立つ。
「貴方に、神の御加護を」
驚きに眼を見開いているバスティンを見た。
ゆっくりと、現状を理解していく姿だった。
「…来てくれると、信じていました」
――出口の見えない 闇の中に ひとすじの光が 戻ってくる
苦しそうに。
それでも、やさしき死神は言葉を紡いでいた。
「なんで…なんであんたなんだ…」
――最初で 最後だろう 「神」を見たからではない
「…今、私の中に彼らの罪や苦しみ全てがいる。真に贖うため、私と共に無に還る為」
――愛しいあの子の声が 聞こえたからだ
バスティン様は、目の前の死神に最敬礼を取る。
「…私は、サンクチュアリの掟を利用する罪人が許せなかった」
そして、彼はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「人の命を奪った罪人が救われ、愛するものを奪われた者が救われないというのなら、正義とは一体なんだ!?」
「愛なき義は正義にあらず、許さざる者は闇に同じ。あんたの義は間違っている」
ああ、人と人のつながりとは、何故こんなにも美しく、そして残酷なんだろう。
「だから、そんなにボロボロになってしまったんだ…」
小さく微笑む。
それは、きっとテイトの言葉を実現できないと、もう自覚しているから。
だからこそ、私はここにとどまった。
走り出せ。
目の前の優しすぎる人の為に。間違ってしまった人の為に。
『バスティン様』
「……貴方にも、随分なことを申しましたね、私は」
『いえ、間違ってません。バスティン様が私に対していった言葉は、何一つ間違ってないんです』
異世界から突然きた私は、この世界に受け入れられなくて当然であり、それをよく思えない人がいるのも当たり前なんだ。
周りがあまりにも優しすぎるから。あまりにも私を甘やかすから、それを自覚する覚悟がなかった。
苦しいと感じた。
痛いとも感じた。
悔しいとも思った。
でも。私は最終的にその言葉が心地よかったのだ。
誰も不定してくれない。みんなが私を受け入れようとした。
それが、少し怖かった。
あのまま私を絞め殺してくれれば良かったのに、とさえ私は思う。
『貴方の為に、私は一つだけ私を貴方に捧げます』
一度、ぱんと手を打った。
その瞬間に、私たちの周りは、ちがう。この地下の広い空間の汚れはなくなる。
バスティン様をまとっていた黒い闇も消える。
そう、消えて仕舞えばいい。
『私の存在など、この世界からき――』
言葉が途切れたのは、紡がせてくれなかったから。
長身の、全身傷だらけになっている、この世界で最も義を尊び、そして間違った義をみってしまった人。
私を抱きこむように、その傷で一体どうやって動いたのかと聞きたいほどの傷で、その腕にだき、そして、深く、口付けていた。
「……それ以上、貴方は言葉を紡いではなりません」
ああ、この人は知っているんだ。私の言葉に宿る、力を。
それを本気で言ってしまえば、それが実行されてしまうということも。
「貴方の生きる道筋を作ってくれる存在を、見つけなさい。貴方自身を助ける存在を」
『バスティン、様……』
彼は、私からゆっくり離れると、彼の生きる道を作った人の元へ徒歩を進め行く。その人hz、今は死にの象徴の姿をし、そに手には大きな釜を持っている。
「さあ、早く私を切りなさい。迷ってはいけない」
死神は、動かない。
「…何をしているのです。神が迷ってはいけない。早く殺しなさい」
死神は、優しく抱きしめるように、自身の恩師を天へと返していく。
これほど美しい光景はないと思うと言いたくなるほど、それは神々しくて、私は涙を流した。
「あんたに最後の願い、確かに受け取った」
悲しみで、視界が滲んだ。
「あまり抜け出すな、ゼヘル。そのうち戻れなくなるぞ」
背後から、ミカエルがそういった。
『テイト!その手……っ!』
「迷い子、案ずるな。これは主人か少し抵抗した為だ。すぐ戻る。……助けにこなきても良かったのだぞ、ゼヘル?私の本利の存在意義を知っているくせに」
「ああ、だから大事にしている。早く本当に覚醒しちまえよ。お前になら、殺されてもいいぜ」
「フラ…」
「眠れ」
目の前のお前で、テイトの体が傾いた。
ゆっくり、彼は私の方に振り向く。
思わず、怖くなって逃げ出した。
背を向ける。走り出す。早くここから離れて、逃げなければ。されにも迷惑にならないところで、私という存在を消さなければ。この世界の人たちは。みんな不幸になる。
「逃すと思ったか?」
『!!』
ぶわりと私の目の前に存在感を出し、私を捉える。
ダメ、この人のそばにいたら。私は。
――生きたいと、願ってしまう。
生きることを諦めろ!
生きることを望むな!
それを思うことこそが、私の罪…………!
逃げようと再び彼から離れようとした瞬間、ものすごい眠気に襲われる。
「お前も、少し眠ってろ」
そう言われたのを最後に、私は自分の意識しないところで意識を奪われた。
bkm