逃亡-1

夢を、見る。

どこか遠い国で起こっているような、私には、全然関係ないような、そんな不思議な夢。

意識が沈んでいて、でも、耳は冴えているような感覚。

小さな音を拾い上げているようで。


――男の子…?


真っ白の服を着た、まだ五歳ぐらいの男の子。
綺麗な碧眼に、茶色の髪。


――……?なにか、話してる…?


でも、私には聞こえない。

私には、届かない。



《どこか、懐かしいような――――…》



はっとして、私は目が覚めた。


『な、何だったんだろう……』


わからなくてちょっと怖いけど、それよりも今は何時なんだろうか?

ばっと時計を見て一時停止。


『八時とかありえないから―――――っ!!』


慌てて学校に行く支度をしたのは言うまでもない。






『間に合ったああああああっ!?』


ずざざざざっ、と音を立てつつ、私は教室のドアにスライディングした。

そして見事に顔面を打った。
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
なんて運悪い一日なんだろうか。


「あれ、ユキ。今来たの?」

『うん!!ていうか、酷いねっ、奏多ちゃん!』

「あら。そうかしら」

『……うん。いまちょっと悲しかったかな』


そんなあからさまに言わなくても。


『ところで、奏多ちゃん何読んでるの?』

「まんが」

『…………』


…か、奏多ちゃん。それは見ればわかる事柄なのでは…?

と、そんなことを言っても仕方がないので、題名を…、と聞いてみる。


「あれ、知らないの?これ〈07-GHOST〉っていうまんが。いま人気なのよ?うちの学校で」


……全然わかんないです。ごめんなさい。


『まんがって、読んでないからわかんない……』

「…そっか。ユキの家大変だもんね。なんなら貸そうか?ちょうど一巻だし」

『あ、うん。じゃあ……』


ほい、と渡されたそのまんがを手にとって表紙をじっと見つめていると、突然、なにかが頭の中に流れ込んできた。


『……っ!?』




《――我々は栄誉あるバルスブルグ帝国陸軍士官学校の第315期生として………》




えっ。
な、に………?




《――おはよう。ウワサのお坊ちゃま!》




は?何が、おこって……。




《――実技一般は全て………》




『い、た…っ!』


頭が痛い。
一体、何なの…っ!?


「ユキっ!!」


はっとした。
何が起こったのか、よくわからなかった。

理解が、出来なかった。


『奏多、ちゃん…?』

「そうよ!もー、びっくりさせないでよね。いきなりフリーズしちゃって……」

『え?だって、声、が………』


はっとして、言葉を止めたのは、きっと正解だ。
といっても、意図して止めた訳ではないけれど……。


「声?」

『な、なんでもないのっ!!っていうか、なんだかとっても大変なことを思い出しちゃったみたいっ!!私はこれでっ!!』

「は、ちょっ、ユキっ!?」


人の話しも聞かず、私は全速力で教室を後にした。






『悪霊たいさ―――――んっ!!!!』

普通の歩道でこんなことを大声で叫びながら全力疾走している女子高生がいたら、間違いなく補導される。

断定してもいい。

とは言うものの、頭痛の原因は間違いなくこの悪霊どものせいだ。

人の平和な日常に出てくるとは、なんと礼儀のなっていない奴らなのだろうか。


『追い掛けて来ないで―――――っ!!!!』


もう全力で走りながら全力で叫ぶしかできない。

と、その時。


『きゃっ!?』


かくんっ、と足首を捻って挫いてしまった。

どさっ、と地面に倒れる――はず、だったのに。


『なんか穴―――――っ!?』


そう、穴があって、無残にも私はそこに落ちていった……。




-バルスブルグ帝国・試験-



「はい、Aチームのみなさん!卒業試験はこの囚人を倒すことです!」


にこやかに、女性試験官が言いながら、自身の横にあるレバーを操作する。

そして、囚人が出てくる。

生徒たちがざわめき、動揺を隠せない。

一人の生徒が輪ゴムをぴしっと飛ばして囚人に当てる。
すると囚人が下を見下ろすように笑いながら睨む。

それを合図としたように、囚人が暴れだした。

テイトはそれを身軽に避ける。

さっとミカゲを目で探し、避けていることに安堵する。

さて、このあとにどう攻撃を仕掛けるか。



「――敬礼!!」


ざっ、と軍人達が敬礼する。


「ようこそお越しくださいました。アヤナミ参謀長官」


冷徹な瞳を宿し、後ろには腹心と、複数の軍人を連れて入ってきた男性。

優しさなど、誰がこの瞳から想像できるだろうか。

アヤナミが今年の生徒たちの様子を聞く。
もちろん、女性試験官は言葉を濁した。

ちょうどシュリがガラスにへばり付いて助けを求めている。


「…見苦しい」


一言で切り捨てた。

囚人がシュリに狙いを定める。手を伸ばそうとした瞬間――。



『きゃあああああああああああああっ!!』



女の子の悲鳴が、シュリの頭上から炸裂した。





どてっ、と地面にたたき付けられる。


『お、落ちた……っていうか落とされ……え――?』


目の前には軍服をしっかりと着こなした男性。
銀の髪に紫の瞳。
冷徹な光りを宿したそれに、私は一瞬理解が出来なかった。

っていうか、なぜに軍服?

それよりも、どうして倒れている人がいるの?


『や、だ…っ、大丈夫ですか!?』


きっと、顔は蒼白になっているだろう。

その場にいる全員が私を見る目に、奇異が宿っているなど構っていられない。


『手当を――きゃあっ!』


大きななにかに、体が締め付けられる。

それが人の手だと理解するには、時間を要した。


「なんだぁ?お嬢ちゃん」

『くっ……う…っ』


強い力でぎりぎりと締め付けられて、苦しい。

足掻きにもならないだろう足掻きをして、私は抵抗する。

その時、まだ声変わりをしていないテノールの声が聞こえた。


「お前っ!……っ、ミカゲっ!!」

「リョーカイ!」


その後の二人の息はピッタリだった。

囚人の手から解放されて下に落下している私は、金の髪を持つ、頬に十字の傷をもつ青年に抱き留められた。


「おい、大丈夫か…?」


心配そうな声に、でも私は頷くしか出来なかった。

がくがくと震えるからだを抱きしめて、それをごまかすしかできない。


「降参しろ」


テノールの声が聞こえて、私は思わずそちらを向く。

なんだか、文字のようなモノが囚人の首の周りを一巡している。


「動けば殺す!」


びくり、と私の体が揺れたのが伝わったのか、私を抱き留めてくれている彼が、私を宥めるように少し強く手に力を入れて大丈夫だと囁いてくれた。

――その、一瞬後。

目の前には大きな血溜まり。

鮮やかな鮮血は、人間のものだと物語っている。

理解が追いつかない私の耳には、冷徹な声音が飛び込んできた。



「手ぬるい」



恐怖に、体を支配される感覚を、私は初めて体験した。


茶の髪を持つ彼も、呆然としていたのをみて、私の意識は落ちた。






『……ん…?』


ああ、そろそろ起きて、学校に行く支度をしなきゃ。
奏多ちゃんと一緒に行く約束もしてるから、早く準備して、行かなきゃ――。


「あ、起きた♪」


目の前にはサングラスをかけた男性が、私に顔を近づけて……。


『いやぁああああああああああっっ!!』

「うわっ」


思わず、手が出てしまったが、相手がしっかりと避けてくれた。
はっとしてから、すみませんっ!!と謝り倒す。

サングラスの人はにこにこと笑ってくれてはいるが、内心怒っているのではないだろうかと冷や冷やした。


「お姫様のお目覚めだねぇ♪」

『お、お姫様…ですか…?』

「ヒュウガ少佐!!いきなりでは彼女も驚いてしまいます!」

「なんだよコナツ〜、ちょっとぐらい……」

「いけません。ダメです。大人しくしていてください」

「……オレ、コナツの上司になってるはずなんだけどな…」

『…………』


もう何から突っ込んでいいのか。

とにかく、上下関係がめちゃくちゃになっているのは確かな感じだった。

くるりと金髪の青年が私に振り向いて笑顔を見せてくれる。
さっきの頬に十字の傷がある人よりももっと綺麗な金髪。

な、なんだか、男性というくくりに苦手意識が芽生えてきた私。
もともと通っていた高校も女子校だったから、男に全く免疫がない。

ニッコリと笑顔を振り撒きながら近づいてきた“コナツ”という人に、私はあろうことか暴力を見舞っていた。


『ちっ、近づかないでください――っ!!』

「のわっ!?」

『ご、ごめんなさいっ!!』


なんて華麗に避けてくれる方々ばかりなのだろう。


『じ、条件反射なんです!悪気はこれっぽっちもないんです、本当ですっ!!』


もう涙目で訴えるしかできない。
滑稽だといわれようが、これで近づいてきてくれないなら、むしろ嫌ってください。

ひたすらにそう願うしかできない。


「えーっと…?とにかく、名前を教えてくれないかな?」

『忘れましたっ!!』


……何言ってんだ、私よ…。


『……いえすみません嘘です覚えてます…』

「混乱してた?」

『…頭の中、パニック状態です』

「今は?」

『た、多分大分落ち着いてきたかと』

「じゃ、名前を教えて?」


かつ、と近づいてきたサングラスの男性に、私は思わずびくついた。
それに気づいた男性がおっと、と軽く言いながら私と距離を置いてくれる。
肩から力が抜けた。


『えっと、私は――』


その時になって、私はようやく気づく。
サングラスの人も、コナツという人も、腰に日本刀をさしている。
首を傾げる。
なんだかちょっと、疑問がついて来た。
二人を見比べてみても、二人ともキョトンとしている。

それで、直感した。



――ここでは、私がおかしいんだ、と。



『……私、殺されますか?』


突然の質問に、二人が軽く驚いたのが目に入る。


「どうしてそう思うのかな?」

サングラスの男性が私に聞く。
私は応えていいのか、迷って、応えた。


『私が、あなたたちの腰に佩いてある刀を不思議そうに見つめているときに…その、あなたたちから、一瞬…殺気を……感じたから…です』


コナツさんが、私を見て少しびっくりしている。
確かに、私もびっくりです。
コナツさん…。

別に何か特別にしていたかといわれても、何もしていた覚えはない。
一体何なのか、私自身にも分からないけれど、さっき、確かに感じた。


「うわー、普通の奇妙な女の子かと思ってたらびっくり!って感じだねぇ」

普通の奇妙って、使い方が少しおかしい気がする。
しかし、それに対して突っ込んでくれる人はどうやらいないらしい。

「はい…。やはり危険なのでは?」

「はいはいコナツ。そんな物騒こといわなーい。彼女一人暴れたって、コナツ一人でも押さえつけられるでしょ?」

「確かにそれはそうですが…」


……本人目の前で物騒な会話はしないでください。


とにかく、黙っている事が賢明だと判断した私は、黙りこくった。
が、サングラスの男性が私を見てにっこりと笑った。

うっ、と喉に声が詰まる。


「さーて♪君の名前は?教えて?」


地獄に落とされる一歩手前の発言に聞こえます…。

しらばっくれようかとも思ったが、コナツさんまで眼を光らせて私の行動を注意している。
こ、これは逃げられない事を暗に語っているのだろうか。
ひどい人たちだな、おい。

ふいっ、と視線を逸らしてみたものの、背中に刺さる視線の痛さといったらない。
が、ここで根負けしてしまえば女が廃る!!

私は根性で、その視線を無視し続けた。







「ダーメだね。全然こっちも向いてくれない」

「少佐がへんなことを言うからですよ」

「…いや、確実にコナツのほうが物騒なことを言ってたからね?」


二人が自らの上司の前で報告をしていると、ピシィ、と音がした。


「貴様は少しの間反省していろ。――ヒュウガ」

「オレ!?」

「貴様が話をややこしくしたのだろう。反省していろ」


ぎゃああああああああっ!!

という悲鳴が、執務室から響いたのはユキの耳にも届いていた。


「クロユリ、今度はお前が言って来い」

「はい、アヤナミ様」


色素の薄い、紫の髪に右目に眼帯をしたまだ背の低い、男の子か女の子か判断できない子が、返事をして、自らのベグライターをつれて執務室から退散し、ユキが放り込まれている部屋へといった。






「入るよー」

『……?』


高めの声が耳に届いて、私は視線を上げた。

サングラスの人とコナツさんが出て行ってから、先のことが真っ暗で、不安に押しつぶされそうになっていた私は泣いていた。
そのときに聞こえた声だったため、私は反射的に入室を拒否した。


『だ、ダメです!!入ってこないでください!!』

「っていっても、ここはボクたちの基地だからかってに入るからねー」


既に、私に拒否権はないということを、この声の主は率直に語ってくれた。
せめてもの抵抗で、私は部屋の明かりを消した。

が、やっぱりあっさりと付けられる。
仕方なく、先程と同じように扉に背を向けた状態で、私は固まった。


「そんなところでふてくされてても仕方ないでしょ?早く名前言っちゃいなよ」

『嫌です。言いません。いっそ、このまま殺してください』

「あれ?自覚してるの?」

『当たり前じゃないですか。分かります。だって、私、ここでは異分子ですから』

「そこまで自覚してるの?」

『…皆さんが当たり前に思う事を、私は“当たり前”で受け入れる事ができてませんから』

「賢いね」

『褒められても嬉しくないです』


会話は、淡々と進んでいく。
高い声の主は、小さく笑って、誰かの名前を呼んだ。


「ハルセ」

「はい、クロユリ様」

「あの子、ボク気に入った」

「ええ、私も随分と感心しています」


…人を見世物みたいな会話をしないでください。



「さーてと、はい、名前、教えて?」

『っ!!』


最初に見て思ったのは、この子はまだ幼いのに、という感情。
でも次にわきあがってきた感情は、この子は――天才だ、という感情だった。

私は思わず、その子から距離をとるために、ベッドから飛び降りて窓付近まであと退った。


「あれ?」


そんな反応をされるとは思っていなかったのか、ちょっとびっくりしているその子の姿が目に入った。


『あ、あなたみたいな子が、どうして私のところになんか来るの』

「え?命令だから」

『私を、殺しにきたにしては、随分と優秀な人を向けるのね』

「……優秀」

『だって、あなたどう見繕っても、十過ぎたぐらいですよね。そんなあなたが、さっきの人たちと同じ軍服を身にまとっているということは、よっぽど能力のある人ってことになります。それを優秀といわずしてなんと――きゃあっ!!』


視線を逸らしつつ、話していると、急に飛びつかれて私は、ゴィン、と窓に頭をぶつけた。
痛みで、涙目になる。
私の胸の辺りには、小さな頭が見えた。

あかるい部屋には、背の高い成人男性もいる。
その人のほうは、おろおろと私と、私に抱きついている子を見ていた。


『あ、あの……』

「君、やっぱり名前教えてよ!!殺さないよ!」

『……は?』

「ハルセ!!アヤナミ様に報告!!殺すには惜しい人材だって言ってきて!!」

『あ、いや……』

「で?君の名前は?教えて?」

『だ、だから……』

「クロユリ様の命令なら」

『ちょ、ちょっと、ハルセさん!?真に受けないでくださいよ!!』

「ほらほら、君はボクに名前を……」


ふわり、と何かの香りが鼻腔をくすぐり、私は、そのままその子に倒れ掛かるようにして体勢を崩した。
耳元で、その子がやっと効いてきたね、と笑い声がする。

このまま殺されるのかと思っていると、クロユリという子が扉のほうへと振り向いた。
私には、その気力すら、もう…ない。

落ちる瞼を必死に上げようとする中、私は誰かに抱き上げられた。
クロユリという子ではない。
成人男性のような逞しい腕が、私を抱き上げている。

意識が墜ちるか落ちないかの間を彷徨いながらも、私は私なりに必死に抵抗し、でもあっさりと押さえつけられる。
頭に霞がかかり、意識もなくなってきた。


「――眠れ」


静かな声が、耳元で囁かれ、私の意識は落ちていった。





「アヤナミ様」

「クロユリ、よくやった」

「いえ。でも彼女、本当に殺しちゃうんですか?もったいない……」


クロユリは自分の見た目に惑わされず、自分という存在を見てくれた少女に、大変高評価を与えていた。
それは、扉の外でその会話を聞いていたアヤナミも考えている事だった。

彼女は、殺すには惜しい存在。
周りのものに惑わされず、それ固体を見て、判断する。
軍にはない判断をする彼女は、ここで拾ってもおそらく後悔はしないだろう。

ただ、彼女に関しては、謎が多すぎる。
今はあどけない表情で眠っているこの少女も、裏を見れば敵になりうる可能性だってある。
それを危惧しなければ、いけないこの状況が、なんとも口惜しい。

アヤナミは、一度眠っている少女のほおを触れる。
手袋越しに、違和感を覚え、じっと彼女の顔を覗きこんだ。

そこには、涙のあとがうっすらと残っている。


「…泣いていたのか」


小さく呟く。

儚い少女の姿を、今一度目に焼きつけ、アヤナミはクロユリたちを連れて部屋を出た。


「――今は、ゆっくりと眠れ」


一言、彼女の耳元で囁いて――。



To be continued


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