TOS-SS集 | ナノ
「復讐だと?」


 荒々しく開かれた扉に、ユグドラシルは口元へ笑みすらたたえたまま顔を上げた。
 少し前から荒れたマナの気配を隠すことなく此方へと向かっていた義兄は、随分と悪い人相をして、そこへ立っていた。後ろで一本に縛った浅縹色の長髪は、やや乱れ、常ならば耳に掛けている左の前髪が数本、顔の前で揺れていた。
「騒がしいな、ユアン」
 丁度報告に上がっていたプロネーマの存在を思い出して、落ち着いた声音でユアンへ問えば、しかし義兄は此方の状況など全く省みずに低い呻り声にも似た声で、クルシスの長を呼んだ。
「ミトス、あれに何をした」
 男の機嫌が此処まで悪いのも久しぶりだった。
「あれとは? 何を指しているのだ、ユアン」
 義兄が何を問題にしているかは理解していながら、敢えてユグドラシルは聞き返した。彼女自身よりも高位の存在であるはずの者に、あからさまに不快な顔を見せるプロネーマへ対し、若干の不愉快さを感じて、顔を顰める。
「そのまだるっこしい喋り方を今直ぐやめろ、“あれ”に何をしたと聞いている」
「何も」
 今にも噛み付かんとする野獣を思わせる形相に、青年は肩をひょいと竦めると、片手を振っていつもの少年の姿へと戻った。ふわと一瞬浮いた服の表面を掌で撫でつけて、嫌悪というよりは憎悪に近い表情を浮かべる義兄へ向き直る。
「クラトスには、何もしていないよ」
 それは本当であった。
「“には”か。ああ、そうだな。だが、お前、なんということを。自分が何をしたのか解っているのか」
「何をしたのか、解っているのなら態々聞く必要はないと思わない?」
 子供らしく、意識して小首を傾げて見せれば、ユアンは酷く苛立ったようすでユグドラシル──ミトス──の目を真っ直ぐに睨みつける。少年の姉よりも濃い緑色の目は、怒りからか底光りするように鮮やかになっている。この目が真正面から向けられたのは、随分久しぶりのことだと、ふと少年は思った。
「“同じことをした”のだぞ」
「殺したのはクラトスだよ」
「同じことだ」
 即答するユアンに、ミトスは傾げた首をそのままに、ぱちりと瞬きをする。
「お前がそうなるように仕向けたのであれば、同じことだ」
「何を怒っているのさ、ユアン。人間の女が一人死んだくらいで」
 くすり、と笑みすら零してミトスは肩までの長さの細い金髪を軽く手で払い背中へ流し、不意に怒りの表情すら引っ込めたユアンは無表情に少年を見据える。温度の無い緑の眼を、苦手だと思ったのは一体何時のことであったか、考えて、ミトスは力を込めて緑眼を見返した。
「ああ、それならばお前にそのまま返してやろう」
 義兄の、酷薄そうな薄い唇が特に何の感情も浮かべることなくはっきりと動く。情の薄そうな唇、というのはこういうことだろう、と頭の隅で少年は考えた。何時でも口篭もったりはしない、はっきりとものを言う口だ。それが、今も揺らぐことなく、迷うことすらなく言葉を紡ぐ。
「“何を怒っている、狭間の者の女が一人死んだ程度で”」
 姉が死んで以来腹の中に住みついたとぐろを巻く重苦しい何かが、鎌首を持ち上げた。かっと、頬の上部から目の横に到るまでが熱を持ち、鳩尾の辺りで怒りがうねる。震えがくるほど感情の高ぶりに反して、出た声は子供にしては落ち着きを持った声だった。
「ユアン、姉さまと人間の女が同じだって言うつもりなの?」
 睨み遣ろうとも、ユアンは表情のひとつも変えない。それが更に少年の苛立ちを煽った。
「同じだろう、何が違う。彼女も、あれの細君も。只の女だった。ただ一人の」
 扉を開いたときに見た激情はどこへ消えたのかと問いたくなるような落ち着きに、だがミトスは怒りが冷めているわけではないと、直ぐさま否定する。冷ややかな怒りは少年の頬を、眼を、顔から髪の一本に到るまでを刺し貫いていた。
「そしてお前も。お前と、彼女を殺めた人間は同じだ、お前は同じことをしたのだ」
 怒鳴り散らすわけでもなく。だが言い聞かせるといった風でもなく、淡々としたユアンへ、ミトスはそう、と漏らした。
「なら、復讐できたってことにでもなるのかな?」
「復讐だと?」
 そうだよ、と肯定した瞬間。頬を鋭い痛みと衝撃が打った。少年の軽い身体は絨毯を敷いた床へ投げ出され、ごちゃごちゃに回った視界の端で、プロネーマが駆け寄ろうとするのが見える。少年を妄信する女はしかし、義兄によって一喝され萎縮し足を止め、少年は怒りと羞恥に立ち上がった。
「何をするのさ」
 正面から睨んだ緑の目は寸分たりとも逸らされることが無く、息苦しさを感じるほどであった。
「一体誰に対しての復讐だと言うつもりかは知らんがな」
 前を置いたユアンは、少年が床を転がって出来た間合いを、絨毯を踏みしめて縮めた。ミトスの顔に影が掛かるくらいには近寄り、睨めつける。
「いい加減にしろ、ミトス」
 はっきりとした発音であった。わざとらしい程に整えられた古代の共通語に、かつて聞き取れたようなシルヴァラント訛りは見つからない。
 じんじんと痛みを発し始めた頬を思わず擦りそうになって、ミトスは右手をぎゅうと握り締める。震えそうになる声音を、奥歯を噛んで数度呼吸を繰り返し落ち着かせると、少年は激情に任せて声を張り上げた。
「裏切り者に復讐をしたところで、何が悪いって言うのさ」
「いい加減にしろと言っている。あれがお前の元を去ったから、だから裏切ったと、そう言いたいのか? お前は、意見の相違を裏切りと取るのか?」
「そうだよ、僕と姉さまに対しての裏切りだ」
「お前という奴はっ」
 怒声を上げたユアンへ、思わずミトスは身を竦めた。それまで萎縮していたプロネーマが、厚塗りの顔を青褪めさせて、悲鳴染みた奇声を上げる。
「ユグドラシル様に何をなさるかっ。如何に四大天使へ名を連ねる御方とはいえ、クルシスが長であらせられるユグドラシル様に手を上げるなどという愚行、許されることでは──」
「女」
 遮り、響いた声には有無を言わせぬ力があった。
 家鳴りに近い高い音が複数回鳴り、壁に設えられていた魔術灯のひとつが鈍い音を立てて爆ぜた。壁ごと丸く刳り貫いたように淡く紫がかった青い光粒へと消え失せ、原子まで分解された壁と魔術灯が一握りにも満たない程度の灰の山となって床へ残る。
「邪魔をするな、灰にされたくなければな」
 ひぃっ、と息が詰った声が上がり、それきりプロネーマの声は途切れた。
 す、と落ちた静寂へミトスは俯き、口を開けば面白くも無いのに笑いが零れた。途切れ途切れに溢れる笑い声は、十にも満たないうちに潰え、あーあ、と少年は垂れたままの頭を横に振るう。
「ユアンも、僕を裏切るの? 姉さまを」
 結局僕には姉さましか居ない、言い切れば、不愉快そうな声音はそのままに、裏切った覚えはない、と否定の声が上がる。私もクラトスも裏切った覚えはない、と告げた声は、少年には言い訳のように白々しく聞こえた。
「私は、私もクラトスもお前を裏切った覚えはない。それでもお前が我等を裏切り者ととるのであれば、それはお前がお前自身を信じられなくなっている証拠だ」
「なに? 何が言いたいのさ、ユアン」
 のろのろと顔を上げて問うても、ユアンは冷ややかな無表情を崩さず、ミトスは今更のように唇の端が痛むのに気がついた。地面を転がったときにでもきったのだろうか、小さな痛みは、気付けばそこいらじゅうに存在し、その一つ一つが意識を苛む。
「何が言いたいのだろうな、ミトス。私の言っていることの意味が解らないのならば、解るまで考えていろ。クラトスは当面休ませる。お前は、会いに来るな」
 あれには休息が必要だ。
 言い切ったユアンは早々に踵を返して、暗い色の外套を揺らした。音を立てることなく、話はそれで終わりであるとばかりに歩を進めた義兄は、片膝をついたまま注視すべき何かが其処へあるかのように只管絨毯の網目を見詰め続けていたプロネーマの横を、通り過ぎる。
 結局の所、入室した時よりは遥かに大人しく扉が閉まるまで──といっても、閉じたのは守衛をしている天使だろう。恐らくは、入室したときには義兄が自ら開けたに違いない──、プロネーマは這い蹲ったまま身動ぎ一つせず──身体は震わせていたが──、ミトスは扉が閉ざされた後も一言も発しなかった。
「ユ、ユグドラシルさま……」
 いつであろうと媚を含むこの女の声を、ミトスは嫌っていた。
 野良猫を追い払うように片手を振って下がるよう命じれば、気配で察したのか、女は床を舐めんばかりに頭を下げて、顔を上げないよう退出する。
 一人、後に残されたミトスは、いつの間にか咽喉に詰っていた息も吐きすらせずに、玉座へと手を掛けると滑るように座り込んだ。嘗てはエルフの長が座っていたのであろう、白い、石造りの玉座はミトスを拒んだりはしない。
 ただ、酷く冷たかった。


[終]

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ミトスがお尻が冷え冷えになってお腹痛くなるまでの話(嘘)
主に書きたかったのはプロネーマの長台詞。




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