TOS-SS集 | ナノ
理不尽


 どうして、と呟けば、黒い外套の背中を見せていた同族の男が肩越しに振り返る。完全に此方を向くことなく、足を止めて緑色の視線をのみ瞬く程度の間此方へ向けた男は、俯いた少年の金髪へ視線を注ぎ、だが直にまた歩き出したようだった。
「どうして、ユアンはそんなに堂々としていられるの」
 少年にとっては、彼の態度は理解しがたいことのひとつであった。卑屈になることもなく、人間やエルフを嫌ってはいるが、彼の嫌悪は彼等だけではなく力なき同族へも等しく向けられる。少年は少し前まで人間の衛兵によって捻り上げられていた右の手首を数度擦ると、泣き言を言いそうになる口を、硬く噤んだ。すっかりと歩みは止まってしまっていた。
「歩け」
 置いていかれたいのか、と投げつけるようなユアンの声が聞こえても、少年の重い足は動くことはなく。ユアンは鋭く舌打ちをし、乾燥した空気に良く響いた音へミトスは肩を震わせた。
「では聞くが、お前は何故胸を張って歩かない。やましいことがある訳でもないのだろう」
 やや下げられた少年の視界の随分遠く。端へ映っていた男の履く軍靴の踵が返され、爪先がこちらへ向けられる。少年にとって、地を踏みしめて立つ男は、それすらも堂々として見えた。
 だって、と返した少年の声は思いのほか震えており、ミトスはまた直ぐに唇を噛む。泣いているわけでもないのに漏れ出た涙声を、無性に悔しく思う。
 それから直ぐに強く吐き出す溜息が聞こえ、ついで砂利を踏む音が徐々に近付いてきた。それがユアンだということは少年にも解ってはいたが、首はますます深く項垂れ、手首を押さえる手は、じんじんと鈍い痛みの残る右手首を強く握り締める。
「……痛むのか」
 頭上から掛けられた声へ、ミトスは僅かに首を横に振った。強がりではない、多少は痛みはするものの、痛みを訴えねばならないほどではなかった。泣き止め、と続けて降る声へ、泣いていないと訴えるように、もう一度首を横に振る。髪に隠れされた短い尖耳へ、細い金髪が音立てて触れていく。
「……どうせのお前ことだ、ハーフエルフだなんだとぐだぐだ言うのだろう」
 は、と再び聞こえた溜息へ、ミトスはともすれば惨めにも浮かんでくる涙を飲み下すように固まった咽喉を嚥下させた。
「己に流れる血を恥じると言うことは、自らの父母を恥じると言うことだ」
 淡々と降ってくる言葉へ、ミトスは零れたそうになった雫を押し込めようと、ゆっくりとした瞬きを数度繰り返す。それでも、じわじわと張られる水の膜は分厚く、落ち着こうとする少年の意志に反して視界は揺らいだ。
「私は己に恥じるところなどない、まいて父母を恥じたことなどない」
「……どうして」
 思わず漏れたのは、今まで目を逸らし直視してこなかった感情であった。
「ユアンは、嫌じゃないの」
 己に流れる血は人にもエルフにも受け入れられない。そのどちらの血も引いているというのにどちらの血でもなく、どちらに属することも出来ず。何処へ行こうと、居場所などないと、災厄を齎す存在だと疎まれる。
 僕は、と呟いた口の中へ苦いものが一杯に広がった気がした。少年は、不快感を吐き出すように。何時も咽喉へつっかえていた言葉を搾り出した。
「僕は、僕だって。ハーフエルフになんて生まれたくなかった」
 決して、姉の前では言えない言葉であった。まして、人である師の前でなど吐けない言葉でもあった。呟くと同時に嗚咽が漏れ、はっきりと、自分は己に流れる血を認めるとこができないのだと気付かされる。引いては、何故自分を狭間の者に産んだのかと、両親を怨めしく思っているのだとも。目を逸らし続けていた感情を、ミトスは初めて真正面から受け止めざるを得なかった。
「だからお前達の旅は失敗するというのだ」
 咽ぶ声に返されたのは呆れを含んだように鼻で笑う、嘲笑であった。
 男の馬鹿にした様子へミトスは咄嗟に地へ落としていた視線を引き上げる。男は──ユアン・カーフェイは其処へいた。嘲りを含んでいた先程の声音からの想像されるような嫌味ったらしい表情ではなく。男は思いの外、真面目な顔をしていた。
「血を否定するということは、己を否定するということだ。己の父母を否定するということは、己の存在自体を否定するということだ」
 淡々と紡がれた言葉に、ミトスは右の手首を擦る度にからからと音を立てていたブレスレットを、左手の指先に引っ掛けて握り締めた。
「そんなの。誰だってユアンみたいに思えるわけないじゃない」
 物心ついたころには両親は既に亡く。家族といえるのは姉だけだった。里のエルフ達は二人を無いもののように扱い、両親の話は姉にせがんで時折聞かせてもらうしかなかった。
「父様や母様のことなんて知らない。二人に愛されていたのかとか、望まれていたかだって。本当のところなんて何にも知らないのに、肯定なんて出来るわけない」
「それがどうした。私とて父の顔など知らん。母も物心つく頃には死んだ」
 こともなげに言い放った男へ、ミトスは、あ、と言葉を途切れさせた。睨むように見詰めたままだった少年は、今更視線を逃がすことも出来ず、ユアンの顔を見る。しかし男はいつも通りやや不機嫌そうな表情のまま、ふん、と鼻で少年を軽くあしらい、謝罪を口にしかけた少年を制した。馬鹿にするなとでも言いたげに、濃い緑の目が少年を見返す。
「憐れみや同情ならばいらん。私は“かわいそう”でもなければ“不憫”でもないからな。この歳になるまで一人で生きてきた。そして、私をそのように生んだのは紛れもなく私の母であり父だ。それを誇りに思いこそすれ。恥じることでも、同情されるようなことでもない」
 眼底に青みの掛かった深い緑の目は、少年のよく知った鮮明で温かみのある緑の瞳とは違い、酷く冷ややかで鋭い。だが、力強い光を帯びていた。
「生まれた瞬間に殺されるものも居る。殺されなかったということは、生かされたということだ。それが例え、命を奪う覚悟がなかっただけにしてもだ」
 ミトス、と続けられた声に、揺らぎは無い。
「何者にも望まれぬ命などない。お前もまたそうだ。例え誰に望まれずとも、天がお前を望んだのだ。何を縮こまって歩く必要がある。堂々としていろ」
 腕を組み、目の前へ立つ男の姿は間も変わらず腹立たしいほど昂然としている。侮蔑を受けようと、石を投げられようと決して姿勢を崩さない。少年は、男のその姿を酷く、うらやましいと思った。同時に、男が常に己に自信を持ち、周囲へ見下したような態度を見せている理由を、僅かだが垣間見た気がした。
 ミトスは、自身の弱さを思い切り指摘されたような──或いは晒されたような──衝撃を受け。全体重を乗せて力一杯、ユアンの足の甲を踏みつけたのだった。


[ユアンの癖に、僕に偉そうに説教しないでよね!]

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後書き

原作でもユアンって自分達がハーフエルフだって隠しもしない。
まあ、そんな時期はもう過ぎたってことなんでしょうが。
偉そうでもあるし、空威張りってこともないのでしょうから、きっと何かしら自分に誇れる部分が(というか揺るがない部分が)あるんだろうな、とか考えて書いた話。
何が理不尽って、ミトスの八つ当たり。
でもいいんです、ミトスは可愛いので。可愛いは正義なのです。

「そのように生んだのは=一人でも生きれるように生んだのは」の意味です。

加筆修正:2013・08・26
一部修正:2013/08.28


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