TOS-SS集 | ナノ
感情は打消せない


「我々とて、もう使役されるだけの存在ではない」
 静謐な森の奥深く。ここ百年以上、誰も踏み入ることの無かった場所に、ひそやかな声が響いていた。生い茂った草木のそこかしこで、木々や風の小さき精霊たちがくすりくすりとその身を揺らす。
 常ならば、この地へ赴くことなど出来ぬはずの少女は、その様子を目元を緩めて見詰めると、何かを思い出すように一度目を閉じて、厳粛なるこの場主へと向き直った。動きに合わせて揺れる艶やかな長髪は、宵の口の薄暗闇の中で尚、その色を損なわず、淡く輝いてすら見える。
「ええ、そうね。だから、あなたにお願いをしたいの」
 風精の戯れに揺れる髪を、ほっそりとした白い指で撫で付けるように抑えて、少女はやはり時折──癖なのか──視線を僅かにずらす。何かを見詰めるというよりは、過去を見詰める目をしている、と場の主は思った。
「誰もおぼえていなくても。誰も気付いていなくても」
 必要も無いはずの瞬きを。ゆっくりと一度して、言葉をきった少女は微かに笑んでいた。
「ただ何も言わずに、償い続ける人たちを。ほんの少しでも救いたい、と願うことはいけないことかしら」
「……それは、赦されることではない」
 少女の言葉を、考えるように瞼を閉ざして聞き終えた主は、だが、きっぱりと言い返す。それでも彼女は笑みを絶やしてはいないだろうというのは、主の確信だった。
「赦されることではない。我らが赦して良いことでもない」
 仮に赦しを与えていい者がいたとすれば、それは世界そのものだと、彼は考えていた。そして世界は、喋ることも、まいて赦すことなど、決してない。
「償いを終わらせるということではないのです。ただ、彼らの孤独を和らげたいだけ」
 二人でならば耐えられることもあるわ、と続ける声に、主は首を振った。
「二人ではない。護り手にはお前が、嘗ての封印の守護者には導くべき者達がいる」
「彼らは護るべきものとはもっと違う存在を必要としている」
「だからといって、導き手を必要とするもの達を見捨てるのか?」
「タバサは、もっと短い期間で自我を形成して、自分で行動したわ」
 拒否するように閉ざしていた視界を広げれば、少女はやはりというべきか、穏やかな微笑を湛えていた。
「……お前は身勝手だな」
 咎めるように、ではなく。どちらかと言えば確認するように漏らせば、少女は僅かに首を傾けて、笑みをいたずらっぽいものへ変えた。 

 百年のうち数年、月が二つになる。
 それは百年周期でアセリアの付近を通過する惑星であり、星の通過は作物へ豊穣を齎すとも言われていた。
 奇跡的に通常の軌道へと戻ることの出来たデリス・カーラーンは、嘗てと変わらぬ──とはいえ、元の周期を実際に体験したことはないのだが、嘗て資料として目にした数値と同じであるという意味では変わらない──周期で、アセリアへの接近を果たす。薄く紫がかった光を放つ月は、セレネよりも二周りほど小さく見え、夜の空へと静かに浮かんでいた。
 世界が統合された頃は瓦礫の散乱していた聖地も、今では随分と片付けられて、元の静けさを取り戻していた。数百年の時をもって成長した大樹は“世界樹”と呼称されるのに相応しい成長を見せ、太い枝を四方へ伸ばし、その葉を茂らせている。
 太い樹の幹へと繋がる、張り出して瘤のようになった根の上へ腰掛けて、男は天を見上げていた。エルフ種の故郷である惑星に、深い緑色の目を細めた男は、浅縹色をした髪を後ろで一本に縛り、黒い外套を羽織っている。何百年前──否、カーラーン大戦の時代から寸分違わぬ姿のままの男は、身じろぎ一つせず、まるで大樹の一部であるかのように、其処へいた。
 アセリアとデリス・カーラーンが通信可能圏内へ入って数ヶ月。だが、男は未だ惑星との連絡をとっていなかった。それは今回だけに限ったことではない。ここ三百年程は通信機へ触りもしていなかった。今では使われることの無い機器は旧文明の産物とまで呼ばれるようになり、既に修理を施しても動くとは思えない。それでも五百年近く前まではパーツの一つ一つを作り直してでも修繕を行っていたのだが、返答の無い呼びかけは次第に男の精神を疲労させた。
 惑星と共にこの星を去った想い人との距離を、唯一繋ぐことの出来たはずのそれは、成長した木の根に巻き込まれ、埋もれて瘤のようになり、今は腰掛けた男の尻の下にある。
「なんとも、未練がましいものだ」
 それでも、この場所を離れられないとは。苦笑気味に呟いて、溜息を漏らす。どうせ誰も聴いてはいない。一人、その可能性のある彼女は、今朝から一度も見てはいなかった。最も、毎日姿を現すというわけでもない。特にこの時期──デリス・カーラーンの接近する時期には、姿を現さないことも多かった。
 俯き止める彼女を振り払って通信を試みた数百年前、あれ以降、彼女はこの時期になると余り目に見える形をとらない。見ていられないのか、見っともないとでも思ったのか──、考えて、男は頭を振った。
 後者は無い。彼女の魂を受け継いだものが、彼女がそんなことを思うわけが無い。
「私は、余程参っているらしいな」
 性質の悪い考えだと、もう一度溜息が漏れた。
 諦めるのであれば、この瘤の傍にいなければいい。もう動くことも無いだろうと、解っているというのに。それでも、デリス・カーラーンが最も接近する周期となれば、まるでそれが義務付けられでもしているかのように、自然と足はこの瘤へと向かうのだ。そうして、一日中同じ場所で時間が過ぎるのを待つ。
「クラトス」
 呼ばなくなって久しい名前だが、不思議と舌と耳には馴染んだ。
「面と向かって名を呼ぶこと自体、少なかったか」
 ふと思い至って、己の不誠実さに自嘲した。
「待つ権利すら、私にはないと……?」
 眉根を寄せ、ぐ、と奥歯を噛み締めた男は、己への苛立ちをぶつける様に、踵を強く根の瘤へ叩きつける。頭を垂れた男の耳に、ふつ、と何かが途切れるような音が届く。次いで、マナの流れに微弱な変化が起こり、サー、という電子音が周囲へ流れ始める。僅かづつにマナを消費して、流れる音へ、男は弾かれたように顔を上げた。
 思わず、唇の端へ嫌な笑みが浮かぶ。
「……本当に、参っているようだな、私は」

「契約者は既にいない。最早我と我の力は何人にも行使されることもない」
 時に、自分勝手とも思えるほどの少女の優しさは、彼女自身は他者と混ざり合い、人ならざるものと成り果てた今でさえ、損なわれてはいなかった。
 英雄と謡われた少年の、心穏やかなる姉。共に旅をする仲間の男へと、思慕する一人の娘。
「だが、あの日。長き封印より解放された日、自らの意思でそうしたように。今もまた自らの意思で、我の力を使おう。心優しきいつかの少女のために」
「ありがとう、オリジン」
 新たな生命の芽吹きを思わせる暖かな緑の瞳へ、微かに寂しさを滲ませてそれでも微笑む少女に、場の主は四つ腕の内の一組の腕を組み直し。長き旅より帰還したエルフの郷里を、静かに見上げた。


[幕切]
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[後書き]
『それでも』のハッピーエンド版。
マーテルさんは16歳なのだと思い込んでいた。
だってほら、ミトスは14で、その姉って事だし。
神子は16で旅立って、マーテルの器となるわけだし。
それにしてもユアン、木の根の元に座るんじゃない、蹴るんじゃない。
最後にこっそりと、
『それでも』のハッピーエンドを望んでおられた、読者さま方に捧ぐ。


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