TOS-SS集 | ナノ
今はまだ旅の途中


「どうだった?」
 大きくぱっちりとした青い眼を不安そうに揺らめかせて、少年はすっかり息の上がった騎士へと声を掛けた。汗で頬や額へ張り付く特徴的な赤褐色の髪を指先で摘んで払いのけた男は、ミトス少年と視線を合わすなり、目を伏せ、軽く頭を横へ振る。髪も動かないほど微かな反応だったが、それでも少年にはわかった。
「そっか」
 途方に暮れたように、小さく息を吐き出しながら空を見上げる。都市部の路地から見上げた空は、街道や草原で見上げた空よりも狭苦しく思えた。薄汚れた塀や、建物の壁に阻まれて、青い空は窮屈そうに挟まっている。
「最後の頼みの綱は、ユアンね」
 さして困った、というような色も浮かべずに、裏返して積んであった木製のケースの上に腰掛けていた姉が小首を傾げた。杖を膝に乗せて、行儀よく足を揃えて座るマーテルは、狭い路地を吹き抜ける風に掻き乱された長い緑髪を、丁寧に手櫛で梳いている。ユアンに期待しているのか、或いは頓着していないだけなのか、恐らくは後者だろうと勝手に決め付けたミトスは、自身に向けて小さく一つ溜息をつくと、姉に習って積んである木のケースへ腰を降ろした。余程頑丈な作りなのか、ケースは半ば飛び乗るように少年が腰を下ろしても軋み一つ上げない。
「すまない、ミトス」
「どうしてクラトスが謝るのさ」
 財布を無くしたのは僕なのに。地面へと視線を彷徨わせた少年は、隣りから優しく伸びてきた手に、自分が縮こまっていくのを感じた。優しく、柔らかな姉の手は、ミトスの汗に塗れて絡まった金糸の髪を、整えるように幾度も撫でる。
 旅の資金の入った財布を無くしたことに気付いたのは、宿をとる算段をつけた時であった。仲間の半分以上が狭間の者である一行は、常に旅の資金と、宿を取ることに兎に角苦労した。一番の問題は掛かれる医者がないことであったが、幸いにも姉は癒し手であったし、少年や、軍卒であるクラトスやユアンも、多少なりとも応急処置や薬草の心得があった為、然程辛くはなかったのだ。
「クラトスは、少しも悪くないじゃない」
 呟くように言えば、騎士はじっと黙り込み、やがて路地の奥──自身が来た方角とは逆の方角──へと目を向けた。じゃり、と男の履く白と薄い青の組み合わさった特徴的な軍靴が鳴る。
「ユアン」
 上がった名前に、少年は弾かれたように顔を上げた。
 薄暗い貧民地区へと繋がる路地から、黒い外套を揺らして戻ってきた男は、随分と険しい表情をしている。足早に路地の割れた石畳を踏む長靴は、裏に何か仕込んであるのか高い音を立てていた。
「空振りだ、そっちはどうだ」
 ケースから飛び降りた少年に、視線は鋭く配られる。苛立ちの濃い表情に、少年は深く項垂れる。
「その様子を見るに、そちらも駄目だったようだな」
「……ああ」
 頷いた騎士に、外套の男──ユアンが鋭く舌打ちをした。忌々しそうに右手で頭を掻く。ちっと路地へ響いた音は、少年の肩を揺らすには十分な威力を持っていた。
「ごめん、なさい」
 小さく零した謝罪は、仲間達には届いたのか、自然と視線が集まるのをミトスは感じた。俯いた金色の頭の、つむじの辺りがちりちりと視線を受け止める。
「謝ってすむようなことじゃないけど。僕が、もっとちゃんとしてれば、こんなことにはならなかったのに」
 立ちすくむ今の少年には、仲間の顔を見る勇気はなかった。謝るより他に何も思い浮かばず、だが、謝るにしても何も言葉が思い浮かばず、途方に暮れる。
「今更言ったところで如何にもならんだろう」
 常と変わらず言い切るユアンの言葉に、いつもであれば突っかかるミトスも今日ばかりは何も反論できなかった。唇を噛むミトスへ、一瞥くれたユアンは、だがそれ以上は少年を責めることも無い。ただ、ぽつと呟いた耳に残らない声は、誰にいう風でもなく聞くとも為しに聞こえる。
「この街の治安が、街の規模の割には比較的良いことが唯一の救いか」
 ミトス、と今度は掛けられた声に、少年はゆっくりと顔を上げる。余程情けない顔でもしていたのか、視線の合ったユアンが少し顔を顰めた。いつも通り、背筋を伸ばして真っ直ぐに立っているユアンも、だがクラトス同様走り回ってきたのだろう、左耳に掛けている前髪は少し零れていたし、額には少し汗が滲んでいるのが見える。その様子に、ミトスはまた申し訳なさから視線を僅かに下げた。
 ユアンは、ミトスの様子を見咎めることなく、続ける。
「夕刻までに銅貨四枚だ、それがなければ今日は街から出て野宿になる」
 切り出された言葉に、ミトスはユアンの言葉の意図へ気付き、勢いよく顔を上げた。同様に、男が何を言いたいのか気付いたのだろう、クラトスが、ユアン、と非難の声を上げる。
「ユアン。それは──」
「待って、クラトス」
 眉を潜めたクラトスを制止し、だが、ミトスにとって、ユアンの提示した案は、これ以上ないほどの名案のように思えた。
「僕、頑張ってみる。財布をなくしたのは僕だもの。僕だって、自分の失敗ぐらい自分で責任持てる!」 
「……何もお前一人に稼がせる気などない」
 活動意欲を取り戻し、握り拳を肩の位置まで持ち上げて息巻いたミトスへ、ユアンが呆れたように溜息を吐くのが聞こえた。一方で少年の姉は、声を張り上げた少年を穏やかな笑みを湛えたまま見詰めて、そうね、と一言頷く。
「私も一緒に頑張るわ、ミトス」
 少年と、彼の姉が力一杯頷き合うのを見ても、騎士はもう何も言わなかった。
 ただ、妙に力の入った姉弟に、提案者であるはずのユアンは変な顔をしていたが。
「ミトス、お前はマーテルと子守か犬の世話でも探すか、でなければ街の外の畑で収穫の手伝いでもしていろ。ここらは金回りがいいからな、それで銅貨一、二枚は稼げる。その代わり、此方はクラトスを借りるぞ」
 それから、少し肩の力を抜け、と言うだけ言った男は、騎士へ軽く目配せをするとさっさと歩き出す。
 表通りのある方角へと、高い靴音を響かせた男へ、クラトスは視線を投げると口早に、無理はするな、と言い残し、先を行く黒い外套を追っていった。
 普段は歩幅の小さい少年や少年の姉に合わせているのだろう、黒い背中と特徴的な燕尾はあっという間に通りの奥へと消え、少年には見えなくなる。
「よし、それじゃあ僕達も行こうか、姉さま!」
 未だ木製のケースの上へ腰を落ち着けたままの姉を振り返り、
「そうね、それで。何処へ行けばいいのかしら?」
 少年はいきなり出鼻を挫かれたのであった。

[了]
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■後書
ミトス達が金策に走ることになる話。


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