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弁白事


 一七八九回忌(2009年)


白を纏って許されるのは親族のみ。
そうでない者は黒や紺、灰色などの静かな色を着ることとなっている。

張遼はかつて教わった通りに、薄い灰色の着物を衣笥の中から引っ張り出した。知り合いから借りたままになってしまった灰色のそれは、三ヶ月ほど前に身に纏ったばかりだった。三ヶ月前、湿った雰囲気など似合いはせぬからと、出席を拒んだ張遼に、無理に寸法の合わない着物を着せて屋敷から引きずり出したのは、まごうことなくこの着物の持ち主だった。
中央の作法など知らぬから、長年何があっても拒み続けたその席に、張遼の首根っこを引っつかんで向かう途次彼は簡単な説明をしてくれた。
着るべき服と、何をすればよいのか。
張遼が魏に降った当初となんら変わらぬ彼の態度に、思わず瞠目した。泥沼試合と化した戦続きのこの世の中、変わらぬ物が有るとすればそれは正しく彼のお節介だ。思わず口から漏らせば、迷うことなく彼は合肥の鬼神と恐れられる男の頭頂部へと鉄拳を捩り込んだのだった。
白い、繋ぎ目の無い着物に身を包んだ彼は皆の集まる場所まで張遼を連れていくと、そら穴蔵の中から冬眠中の鬼を引きずり出してきたぞ、と自慢げに言ってみせた。皆の心配するような、気落ちした様子など微塵も見せることなく背筋をしゃんと伸ばして胸を張る。わざわざ悼むような態度など見せずとも、姿勢を正して堂々としていればそれでいい。張遼に言った言葉そのままを、彼は実践して見せたのだった。


この程度の事で、揺らぐ国ではない。それを他国に知らしめることこそ将の勤めである。

そう自ら示した彼の後ろ姿は未だ新しく張遼の目に焼き付いていた。曹魏の爪牙はここに有るのだと、知らせねばならない。その為にも張遼は出席する必要がある。
薄灰色の、僅かに青みがかったような着物に袖を通して、張遼は背筋に力を込めた。かつて知り合いがそうしたように、真っ直ぐに背を伸ばす。自然、目線は厳しくなり呼吸は静かなものとなる。呼気の気配すら消え去った室内には、戦の前にも似た緊張感が満ちていった。
御主、控えめに時を知らせる使用人の声に、張遼は詰めていた息を細く吐いた。寝房の外から掛けられた声は青暗い静寂の中に散っていく。背筋を正したまま、ゆるりと踵を返した。足先は真っ直ぐに扉の前に向けられる。黒檀の戸の前で、もう一度軽く居住まいを正した。衣笥の中に押し込んだままであったおかげで、寄ってしまった着物の皺を、手の平で撫でて伸ばす。繰り返し押さえたところで、一度ついてしまった癖は中々とれるものでもない。
伺うように再度発せられた声に、今度は返事を返し、張遼は扉に掛けていた右手で勢いよく樞を開いた。刺すような明るさに思わず目を眇る。
庭に植えられた草木は芽吹き、若い柔らかな黄緑色が微風に頼りなく揺れる。色の濃い良く肥えた地には幾つのも足跡が残っており、最近まで頻繁に人の出入りが有ったことを知らせている。雲一つなく澄んだ青空は、日の光りを遮ることなく地上まで降らせ続けていた。花のかおり、土のにおい。梢の擦れ合う音、虫の羽音、鳥の囀り、馬の嘶き、人の喧騒。許都の春。
眩しさに慣れぬ目を幾度か瞬かせて、張遼は後ろ手に今し方潜った扉を閉じると、颯爽と張遼邸を後にした。



[幕切]



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