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夏嫌い


夏は嫌いだ。


夏侯惇は悩んでいた。
(これは、話しかけて良いのか?)


温度が上がると、眼帯の下が汗で蒸れて不快だった。
この近くの出身とはいえ、未だ嘗てない真夏日に、彼自身も閉口していた。汗を垂れ流しに──というか拭かないだけなのだが───する夏侯淵に顔をしかめて、そうして、暑さ混じりに思い出したのは、見るからに暑さに強そうな、鉄面皮の持ち主のことだった。
奴なら暑さ負けしていなさそうだ。何時見ても涼しげな顔をして、まるで何もかも他人ごと然としている男。
奴のところなら少しは涼しいかもしれない。何より──夏侯淵には悪いが──暑がりと一緒にいると相乗効果で普段よりも暑く感じる。涼しい格好をした人を見ると心持ち暑さが緩和された気になるのと同じだろう。
(口に出すと猶暑い気がする。)
木陰に居るにも関わらず、じわじわと額に浮き出す汗を布で拭き取り、さっさと移動してしまおうと、顔を上げた。

「なあ、淵──」

そうして、暑い暑いと喚く夏侯淵に、夏侯惇は誘いをかけたのだった。
結果、夏侯惇は一人、張遼邸の前にいる。
暑さに弱い親戚が、あの男を苦手にしていることを、実は夏侯惇は知っていた。恐らく夏侯淵はこちらの誘いを断って、そそくさと自宅に帰ってしまうであろうことも、予想していた。考えた上で、誘ったのだ。
言っても変わらないからよせと言うのに、「暑い」を連呼する夏侯淵にいい加減うんざりしていたことも事実だが、実はもう一つ言い訳がましい理由があった。

『張遼は未だ我が軍に馴染んでいない。』

面白そうに目を細めて、我が主は告げた。
野生であった動物は、捕まえたところで決して外界を忘れはしない。そう言ったにも関わらず、主は野生の獣を配下に入れた。そして、やはりと言うべきか獣は外界を忘れなかった。
(で、俺が困るわけだ。)

だだっ広い敷地は綺麗に手入れされていた。神経質そうな主の印象そのままに、埃一つ塵一つ落ちていない廊下。
邸内に通されて、夏侯惇は目眩がしていた。
長すぎる、この廊下は。
行けども行けども少しも景色が変わらず、実はこの廊下は僅かずつ曲線を描いていて、同じところをぐるぐると回っているのではないかと考え始めていた。
前を行く使用人は、夏の暑さの中汗一つ掻いていない。
暑い。
窓から覗く外の景色は依然として変わっていない。ただ、さわさわと木々が揺れているその様だけが、時間と共に変わっていく。
暑い、まだ着かないのか。
顎を伝う汗をぐいと拭って、夏侯惇は窓から目を離した。
指を伝った雫は、ぽつりと音を立てて、床板に歪な円を作る。
「ああ?」
気付けば、案内をしてくれた使用人はそこにおらず。
「これは、話しかけていいのか?」
廊下には男が一人倒れているのみ。
ひょいと屈んで、突っ伏している頭を、やや硬質な髪の毛に手を潜り込ませるようにして横に向かせた。
隠れていた顔が露わになる。特徴的な髭を載せた色白の面は、寝苦しそうに歪められていた。
まるで寝汚い子供のような顔に、見てはいけない物を見たような気がして、夏侯惇はそうっと頭から手を離した。
指先は、張遼の寝汗で微かに湿っていた。
(こいつでも汗を掻くのか。)
ううん、と伸びをするように寝返りを打つ男に夏侯惇はひっそりと苦笑した。
起こすには忍びなく。やれやれと、意外と幼い寝顔をした邸の主の隣に腰を下ろして、恐らくは起きていた時に使っていたのであろう団扇で、軽く扇いでやる。
そういえば、こいつは北の生まれだったな、と。
思い出しつつ、はたりはたりと扇ぐ。
("涼を取りに来た"筈なんだがな。)
窓の外は相変わらず木々が揺れていた。
(こんなでいいのか、この邸は。)
団扇を持つ手を動かし乍、夏侯惇は、まあ起きるまで待ってやるかと、眼帯の下の汗を、親指の背で眼窩に沿って払い落としたのだった。


[幕切]


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