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御御足に口付け


薄暗い寝房の中。
閉めきられた室内に、闇は泰然として存在していた。暗く、黙りこくった闇に房具は身を隠し、その精彩を失わせている。
真昼の喧騒は扉に遮られ、響くのは微かな水音のみ。

――……ぴちゃり。

深く濃い色をした木製の椅子は、闇に覆われて暗く色を落としている。
椅子にゆったりと深く座って、肘掛に右肘をついた体勢のまま房の主は足元に蹲る影を静かに見詰めた。

――……ぴしゃ。

しっとりと湿った空気。
ひやりとした室内の温度とは裏腹に、皮膚に触れる温度は僅かに温かい。心地好いその温度に、曹操はつと目を細めた。そろり、左手を伸ばして、足元で作業を続ける男に指先を向ける。
肘をついたままの姿勢で指が届くわけもないが、それでも伸ばされた手に気付いた男は伏せていた顔を上げると一つしかない目に薄く笑みを浮かべた。酷く、卑猥な笑みに見える。

――……ぴちゃ。

ぐ、えぐられ、曹操は微かに息を吐いた。
僅かに眉根を寄せる曹操に気付いているであろうにもかかわらず、男は一度曹操の表情を伺ったきり顔を上げることすらしない。それでも、敏感な先に触れる感触は、思いの外繊細な動きをしていた。

「夏侯惇」

名を呼ぼうと発した声が、奇妙に掠れてしまい、僅かに苛立つ。返事をしない夏侯惇に訝しく思えば、不意に、それまでえぐるようにしていた動きが、絞るかのようなものに変わり、曹操は思わず呻き声を漏らした。





柔らかく清潔な布にさらさらと包まれる足先が心地良い。

「器用なものだな」

特に感慨深く言うでもなく呟いた声に、手際よく親指の先に宛てがった布をとめた夏侯惇は、床に膝をついたまま曹操を見上げてきた。

「医士であればもっと器用にございましょう」

「戦で負った傷でもあるまいに、医者に見せられるわけがあるか」

遅々として進まぬ政策への苛立ちから柱へと八つ当たりをしたところ、ものの見事に足の親指の爪が割れた。我ながら馬鹿な真似をしたものだと、医士に見せるわけにもいかず、自分で手当をしていた。しかしながら、痛みは次第にひどくなり、傷口は腫れて化膿し始めた。
大概のことは一人で器用にこなす曹操であったが、傷の手当ごときで従兄弟の手を借りることとなったのにはわけがあった。

「殿では十分に手が届きませんでしょうに」

しみじみと呟かれ思わず、煩い、と返す。
人より身体が固いということは自分でもよく理解していた。思わぬところでその弊害にぶつかってしまったものだ、脇に退かされていた水桶に目をやり、曹操は忌ま忌ましげにため息をはいた。桶に張られた水は、傷口を洗った時にしぼり出された膿によって汚れていた。
爪を剥がすまでの大事にはならなかったものの、包帯を巻かれた足のなんと無惨なことか。
自嘲して、布越しに触れるものにふと水桶から足先へと視線を戻した。

「どうか、御自愛下さいますよう」

我が殿、贈られた呟きと微かな口付けに、曹操は気まずく視線を廻らせて、

「……う、うむ」

と、呻き声のような返事を返したのだった。




[幕切]


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