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別来晩了


一七九一回忌(2011年)


 曹孟徳は、待たされるのが嫌いである。
 互いにまだ年端も往かぬ子供であった時分よりそうであった。共に遊ぶことがあったとして、明日もまた、と言われれば必ず、この従兄よりも先に、前日集まった場所まで行かねばならない。決して己より先に来よ、などと命令された訳ではないのだが、物心ついたときには──大袈裟なわけではなく記憶の最も古いものを思い出しても、そうだった──既にそれが当たり前のようになっていた。
 性質が悪いのは、従兄は明確な約束をしないことである。時間と場所を指定しない。
 言葉は年を負うごと、付き合いが長くなるほどに曖昧なものへとなっていった。子供の時分は良かった。明日、と言われれば時間の許す限り早くに前日彼と会った場所へ行けば良かったのだ。まだ誰も来ていない場所で、一人待ちぼうけを食わされることも多かったが、そんなことは全く苦ではなかったし、従兄は来るものだと信じて疑わなかった。事実、待っていて来ない、ということは一度も無かったのだ。
 大人になれば、仕事だ用事だと、何もかも放散らかしで従兄の下へと参じるわけにもいかなくなった。最も、忙しいのは従兄も同じことであり、どちらかと言えば彼のほうが忙しい程である。それでも合間を縫って、日時すら指定しなくなった従兄の、それらしい口ぶりから推測をし、自宅に酒を用意するなり馬を駆けさせるなりした。忙しい身の上なれば、互いの予定を考えれば予想は昔よりも遥かにたてやすかったが。

 待たされるのが嫌い、というよりは待たない、といったほうが正しいのかもしれない。
 夏侯惇は、曹操が待っているところを見たことがなかった。それは勿論、狩りや戦や政治的駆け引き以外の私的な部分で、ということではあるが。期を良く読む従兄は、待つときには驚くほど辛抱強く待つ。ただ、それは駆け引きを楽しんで行っている時に限られるのだ。
 一度、これもまた子供の頃のことではあるが、何時まで経っても曹操が来ないことがあった。その時は確か、夏も盛りの頃で、魚釣りへ行こうという話になっていた。仲間内で、釣り、といえば向かう先の決まっていた為、現地で待つという者も多かったようだが、当時まだ幼かった夏侯惇は、一人で先に川へ行くことは禁止されていた。その為、大抵は途中従兄と合流し、それから川へ向かっていたのだ。その日は偶々、出掛け際で母に捕まり、家を出る時間が遅くなってしまった。何時まで経っても遣ってこない従兄に、何かあったのだろうかと不安を憶えながらも、夏侯惇はじっといつもの合流地点で待っていた。結局、曹操が来たのは日暮れが随分と差し迫ってからのことであった。一寸焦ったような、しかし何処か拗ねたような顔をして馬を駆けさせ遣ってきた従兄に、夏侯惇は少しほっとした。自分が此処へ来たとき夏侯惇が居なかった、だから先に川へ行ったのかと思って自分も釣りをしに行ったのだ、釣りの間は他の者と釣りをしているのだろうと思って気にもしていなかったのだが、現地で解散した後、今日は一度も顔を見ていないことを不審に思い家を訪ねてみれば、夏侯惇は帰ってきていないというし、川に行って帰っていないともなれば、否が応にも騒ぎは大きくなり、父親にしこたま怒られた従兄はよもやと思って見に来たのだと言った。従兄は、謝るにしてもその顔はどうなのか、と問いたくなるような渋面でもって、すまなかった、と言った。

 あれからは、出来る限りあの自分勝手で我侭な従兄を待たせないようにしてきた。
 否、置いて行かれないようにしてきた、というべきか。苦笑を混じえて考え直すと夏侯惇はゆっくりと瞬きをした。もう余り力の入らない手の平をゆるゆると握る。己の手にしては温度が低いように感じる。もう四月も終わるというのに、やけに肌寒い。
 そういえば、小さい頃。年上で身長差もあった──当時はまだ従兄の方が随分と背が高かった──従兄は、仲間内でも年少で皆から遅れがちだった己に、遅れるな、と言って手を繋いでくれていた。
 あれで、妙に面倒見のいい所もあったのだ。
 ふ、と思い出すなり、夏侯惇は瞼を閉ざすと、今回ばかりは長く待たせてしまったと、一寸笑って。静かに、息を吐いた。


[幕切]


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