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結ばれぬ点と点


*05.日々演じる愛想笑いの続きです。

 日の暮れた雨の森では、視野は暗く聴覚もまた雨音にごまかされて役には立たない。周囲に神経を張り巡らせるように感覚を尖らせ、気配を探る。常に追われているこの旅路を考えれば、如何に暗かろうとも、安全が確認されるまでは明かりを燈すことなど出来はしなかった。
 共に巡回へ出たハーフエルフの青年は、ある程度夜目が効くためか、迷うことも何かに足を取られることもなく前を歩いていく。何時もより随分と速い歩調であった。常ならば置いて行かれることなどない騎士だったが、手探りに近い状態では流石にそうもいかず。足元が危ういわけでは無いものの、気配のみで歩くとなれば、どうしても青年より数歩遅れていた。
 種族の違い、というものだろう。共に旅をしていてまざまざと思い知らされることが多々ある。例えば、ハーフエルフは人と違いマナの流れを肌で感じ取ることが出来る。例えばマナの見えるハーフエルフはある程度暗闇の中でも活動することが出来る。
 口に出さずも、彼らには暗黙に解ることが己には解らない。それは、苦痛であった。
 つと、足が止まる。
 どんなことでも、解らないのだと問えば、きっと彼らは答えてくれるだろう。しかし、クラトス自身がそう問えないことも多かった。
「……クラトス」
 数メートルほど先に進んだところで、青年は立ち止まり苛立ったように言葉を投げ付けてきた。
「すまない、今行こう」
 水溜まりに半ば浸けたままであった足を上げて、水を蹴る。軍靴の溝に付いて上がった水は騎士服の裾を濡らした。雨粒を乗せた下草が臑を撫ぜる。
 すっと背を伸ばして立つ青年は、雨に濡れることを厭うてか外套の端をきっちりと閉めていた。黒い外套は雨避けでもあるが、普段青年が身に纏っているものと相違ない。常は撥ね除けているフードを目深に被り、そのくせ僅かに覗く顔の横からは青い前髪が流れ出していた。特に何を警戒する様子もなく視線をくれる青年は、騎士が並び立とうとも一向に動く様子をみせなかった。外套の下で不機嫌そうに視線を投げて寄越す青年へ、そのまま視線を返すことで何事かと問う。頬にへばり付く青髪を、鬱陶しそうに頭を振り引き剥がした青年は、鼻筋に皺を寄せてあからさまに嫌な顔をした。
「どうした」
「……何がだ?」
 こちらが口にしようとした言葉を持っていかれて、クラトスは困惑したように問い返した。
 むしろこちらが聞きたいのだが、と言外に含ませて己とそう違わない高さにある碧眼を見詰める。同じ緑でも新芽を思わせるようなマーテルの翡翠に近い瞳の色とは違い、濃い常盤色に近い色をした目が、騎士を捕らえている。
 深い色だ、と思った。
「周囲の警戒だと? 此処へ来るまでの間、誰にも見られてなどいなかったというのにか?」
 魔物の警戒をするのであれば、返ってミトス達と離れる方が危険である。
「何か、聞きたいことがあるのだろう」
 その為に自分をここまで連れ出したのではないか、と。向き直った青年は険呑さを残したまま、しかし予想外に真面目な顔をしてみせた。斜めに叩きつけられる雨粒は頬から喉を伝い外套に守られている筈の服を湿らせる。
 何とも意外に思った。聞きたいことは、山とある。それは確かだった。ただ、それを聞くために此処まで青年を連れ出したのかと問われれば答えは否であった。
「何故、そう思った?」
 人間を最も嫌っている男である。更に言えば、人間の最も汚い部分まで知っているような男である。そんな彼が、己を見ていた、ということが意外に思えた。監視することはあっても、己の行動から内面を推察し会話を差し向けてくることが、騎士にとって純粋に驚きであった。
 不愉快そうに鼻を鳴らした青年は、貴様の陰気な顔を見ていれば解る、と言い放つと続けざまに口を開いた。
「人間には解らんことも多いだろうからな」
 用件だけ話せ、さっさと戻るぞ。
 吐き捨てんばかりに、素っ気なく出された言葉へ僅かな心遣いにも似た何かを感じる。人間とハーフエルフの違いを最も強く感じる彼だからこそ、騎士の戸惑いを敏感に察知出来たのだろう。
 目に入りそうになる雨粒を、何度か瞬きして落とす。自然と、眉間に皺が寄っていた。口元は僅かに緩んで、溜め息に近い笑みが零れる。
 不信気に首を捻ったユアンへ、クラトスは言葉を発しかけて、いや、と漏らした。
 時間経過とともに強まる雨足に、顔を上げて空を見上げる。夜中に見る雲は、星明かりの逆光となって黒い塊のように映った。雲の流れは速いものの、当面雨は降り止みそうもない。
 視線を降ろして、険しい表情のままじっと立つ青年を見返した。待ってくれているのだ、と強く感じた。彼らは自分が追い付くのを、確かに待ってくれている。
 靄の立ち込めたようであった心中は、返って言うべき言葉を見失うほどに澄んでいた。
「聞くならば、直接ミトスに聞こう」
 わざわざ少年のいないところで聞かずとも、直接彼に聞けばいい。そう伝えれば、青年は面白そうに僅かに視線を細めてから、そうか、と言った。


「ならば、何も此処まで来る必要も無かっただろう」
 ふん、とわざとらしく。馬鹿にしたように鼻で笑った青年に、騎士は数歩先へ進むと、足を止めて呆れ声を出した。気付かないのか、と言外に滲ませて、ユアンと視線をかちあわせる。
 青年は、きょとんとしていた。
「彼女らを着替えさせてやらねばならない。その為には、我等は居ないほうがいいだろう」
 溜め息と共に、気の利かない男だ、とそれだけ言って青年が歩き出すを待たずに先を進みはじめた騎士の背中に。一瞬間を置いて、全く以って嫌な男だな、と追撃の声が投げ付けられる。
 半ば投げつけるような声音と、言葉の割に慌てるような落ち着きを欠いた気配に、青年が赤面しているであろうことを感じ取り。クラトスはひっそりと背を向けたまま。咎められ無いよう、努めて笑みを噛み殺したのだった。



[幕切]


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