■tos | ナノ
日々演じる愛想笑い


 投げつけられた言葉は冷たい。
「出ていってくれないか」
 懇願するように零された声は、微かに震えていた。力無くうなだれた中年の男は、支えるように寄り添って表情を暗くした女性や、背後に立って不安そうに見詰める子供に、弱く笑って見せた。
「おまえ達は行っていなさい」
 男が更に視線で女性を促せば、妻らしきその女は子供の背に手を添え、不安そうに一度夫を振り返ってから宿の奥に消えて行った。
「ハーフエルフだと、黙っていたのは謝ります」
 宿の外は酷い雨と風で、とてもではないけれど野宿の出来る状態では無かった。一行を追い出した宿の戸口に立ち塞がった主人は、お願いですから、と繰り返す少年にゆっくりと首を振って見せた。
「駄目だ、あんたらを泊めるわけには行かない」
 辛そうな表情で、解ってくれ、と呟いた男はドアノブに手を掛けた。
 街道沿いにある小さな村だった。田舎の割に通行客が多い村は、都市部の影響を受けやすい。それは村存続の為にとられた手段の一つでもあった。
「ハーフエルフには村の施設を利用させない、それはこの村全体で決めたことだ」
 あんたらに恨みは無いが、と続けた宿の主人は、しかし決してそこを退けて一行を迎え入れようとはしなかった。
「あんたらを泊めて、都市民の反感は買いたくない」
 村は、都市から街道沿いに丁度半日ほどで到着する位置にある。逗留客の多くは、ハーフエルフに偏見を持った都市民だった。
 この地では宿をとるのも一苦労だろうと、覚悟はしていた。とはいえ、夏も終わり、夜の訪れと共に冷え込むことも多くなってきた。それに加えて、昼過ぎから降り始めた雨は、日が暮れるにつれて本降りとなり始めている。この調子では数日は降り止まないだろう。そうなれば、体力の少ない少年やその姉はとてもではないが持ちはしない。
 納屋でも何処でもいいので、と少年は頭を下げた。
「雨さえ凌げればいいんです。宿代もきちんと払います。ですから、どうか──」
「出てけっ」
 食い下がる少年の声に高いヒステリックな叫び声が重なる。聞こえると同時かそれより少しはやくに、後ろから腕を引かれ、真正面に白と青の組み合わさった特徴的な騎士服が映った。
 やや鈍い音がして、一瞬遅れ足元の水溜まりに鈍く光る鉄色が落とされる。ぼしゃん、と水が跳ねた。短い柄は木製で、よく使い込まれた木の独特の光沢を持ち合わせていた。
 戸口に立っていた男は押し退けられ、少年の足元には包丁が雨に打たれ転がっている。よく磨がれた綺麗な包丁だった。
 背後で同行者の青年が、そんなものだと鼻で笑う声が聞こえた。
「ここからっ、出ていけえッ」
 唯一の武器を、叩き落とされた女性は、しかし震えながらも騎士越しに少年を睨みつけていた。剥かれた目は家族を守ろうと必死なのだろう、僅かに血走って見える。
「おまえ……!」
 やめなさい、と制止を促す夫の手に捕まれながらも、妻は叫ぶのを止めなかった。憎しみすら篭った視線は、少年と、その背後に立つハーフエルフの二人を睨みつけていた。
「出ていけ、出ていけったら!」
 気も狂わんばかりだった。髪を振り乱して声を荒げる女性と戸口の奥で驚いたように立ちすくむ子供に、少年は目を見張る。
 そうか、と悟った。
「私からも頼む、どうか今日一晩だけでも──」
「解りました、出ていきます」
 嘆願する騎士の言葉を遮る少年に、騎士が驚いたように言葉を止めた。半ば振り返って、ミトス、と名を口にする。雨に濡れた騎士の長い前髪が、顔に張り付きその表情を顕にしていた。覗く赤い瞳が。その困惑をはっきりと物語っている。
 少年は騎士の横に並び立つと、真っ直ぐに宿の主人を見上げた。男の妻は、興奮した様子ではあったが、もう叫んではいなかった。
「ですから、どこか雨宿りの出来る場所を教えてはくれませんか?」
 出来るかぎりの笑顔で、願い出る。口の端を上げて、目元を緩ませる。引き攣らないように、ぎこちない笑みにならないように、手の平に爪を立てた。
 それなら、と言った口は考えるように一瞬止められてから、再度開かれた。視線は少年の左側──西へ外される。
「それなら、この村から北西へ。街道の分かれ道を外れて暫く進んだところに洞窟がある。少し小さいが、四人くらいなら入れるだろう」
 通りを辿るように村の西門を指差す男へ、少年は礼を言うと皆を促し、足早に村を後にした。
 背後で、ばしゃりと水溜まりに膝を着いた女性の、微かな嗚咽が聞こえた。


 果して、街道の岐路を西へ外れて暫く。宿の主人の言葉通り、岩壁に洞はあった。四人が何とか横になれる程には広さのある乾いた石の地面に踏み入って、少年はホッと息を吐いた。ぞくりと背筋を、震えが走る。思っていたよりも身体は冷えていたようだった。
 ずぶ濡れになった外套を剥がすように脱いで、洞窟の入り口で軽く絞った後、姉の外套と共に一カ所に寄せた。寝転ばずに居ればそこそこの広さは有るというものの、必要以上に床を濡らすわけにもいかない。
「我々は周囲を確認して来る。お前たちは、その間に着替えておくといい」
 少年とその姉が荷を置いたのを見届けると、騎士と青年は少年に荷を渡した。受け取った少年に一度笑みを見せるた騎士は、フードを被り直すと、洞に一歩も足を踏み入れること無く青年と共に雨の中へと出ていく。白く線を引くほどに雨脚は強く、雨避けの外套を羽織った二つの背中はあっという間に見えなくなった。
「……ミトス」
 荷物を抱えたまま佇む少年に、柔らかく髪を撫で降ろした姉はそっと少年の肩に手を掛ける。促すよう添えられた手に、ミトスは荷を外套の傍へ降ろした。
 気遣う手に、大丈夫だよ、と少年は呟く。
「大丈夫。それに僕、嬉しいんだ。解る? 姉様」
 嬉しいんだよ。
 外套に守られていたとは言え、湿った金髪は身体にへばり付き、少年の細い首や肩を余計に強調して見せる。
「見たでしょう? 姉様も」
「ええ。……ええ、そうね」
 悲しみを含めながらも目を細めて頷く姉に、少年もまた眉を歪めて顔を伏せた。
 身体は冷え切っていたが、目の奥は随分と、熱かった。


[幕切]


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