■tos | ナノ
幻影


 目が覚めて、朝の音に耳を澄ませる。
 香ばしい香りと共に、フライパンの上で滑る油の音、カアンという音と共に油の踊る音がくぐもったような音に変化して、フライパンに蓋をしたのだと解る。一定のリズムで聞こえてくる引き締まった野菜に包丁を入れる音と、乾いたまな板に刃が当たる音。少し間があって、金属製の容器に水が入る音がする。水道の止められたタイミングからボールに水を張ったのだろうと、ロイドは推測した。ばり、という少し重い音がして、同時にガラス製品の触れ合う高い音が響く。かたかたと何かを探す音がして、小さな衝撃を伴ったばたん、という音と少し鈍くなったガラス製品の音。ついで、どどど、と水を流しに捨てる音がした。
 ゆっくりとした、時間。
 急に、無性に顔を見たくなって、ロイドは布団を跳ね上げた。掛け布団を足下に押しやって着替えもしないままに床に足を降ろす。滑らかな木の床が裸足の足に優しい。ブーツを履く時間も惜しく、そのままドアに駆け寄ってノブにしがみつくと、なだれ込むような勢いで階下まで駆け降りた。
「おはよ、腹減ったぁー」
 ばたばたと足音を立てて降りてきた息子に、台所に立っていたクラトスが、ふと振り返って顔をしかめた。
「ロイド、服ぐらい整えてきなさい。今日出発するというのに」
 どうして裸足なのだ。
 見咎める父親を、まあまあと宥めて台所をのぞく。銀色のボールにキッチンペーパーが乗せられているのが目に入った。そっと押し上げてみれば中には水切りの済んだキャベツの千切り。
「朝食は逃げない」
 着替えてきなさい、と繰り返されて、うあい、と幾分伸びた返事をする。鼻を擽る臭いからして、今日はハムエッグか。足取り軽く階段を登っていつもの赤い服に袖を通した。サスペンダーでズボンを止めて、先ほど蹴散らかしてしまったブーツを拾った。足を入れて、ズボンの裾をねじ込む。幾度かつま先で床をたたいてならしながら、窓際の机まで進む。机の上にそろえて置かれた赤いグローブを手にとって、今ははめずにズボンのポケットに押し込んだ。一度ぐるっと室内を見渡して、壁に立てかけてあったヴォーパルソードを手に取った。

 階段を下りると、一階には誰もいなかった。
 そういえば親父は納品に出てんだっけ、と屋外に出るとノイシュが鼻を鳴らしていた。軽く撫でてやってから井戸で水を汲む。家の脇まで桶にくんだ水を持って回り込むと、石で出来た墓があった。その前には、育ての親ではない実の父親から貰った、炎の剣。朝日に揺らめいて見えるその剣を見つめて、ロイドはにっと笑った。
「おはよう。母さん、……父さん」


[幕切]


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