新品の失踪、あるいは
朝起きると、買ったばかりの指輪が無かった。
「無い、と言われてもな」
素泊まりのため宿の厨房を借りて朝食の準備をするクラトスに、ユアンは心当たりを聞いた。
部屋は大抵二人部屋か大部屋。部屋割は必ず姉弟が同室となるので、必然的にユアンとクラトスは同室となることが多かった。昨日も例によって二人は同じ部屋だったのだが。
「荷物の中は探したのか」
「探しても無かったから貴様に聞きに来たのだ!」
キッパリ告げると、クラトスは何も言わず視線を鍋に戻した。
さっさと自分から視線を外したクラトスにユアンはほんの少し焦った。昼前には次の町に向けて出発する。今のうちに探しておかなければ、例え指輪が見つからずとも宿を出なければならない。
「自分でも何処へやったのか解らないのだ」
探すのを手伝ってくれ。
「マーテルへのプレゼントなのだ」
呟いたきり肩を落として俯いてしまったユアンに、クラトスは大きく溜息を吐いた。鍋を掻き混ぜる音が止まり、コンロのスイッチを切る気配がした。
「……知っている」
「本当か!?」
勢いよく顔を上げたユアンに、クラトスはそうではないと首を振った。
「お前があれをマーテルにと、そう思って買ったものだということは知っている」
何せ買物に付き合わされた身だ。
そう続けるクラトスに、ユアンは気づいていたのかと赤面した。確かに、春の緑に映えるようなものを、と条件を付けて選んだのだし、購入時もわざわざプレゼント用にラッピングしてもらったのだから気づかないほうがおかしいのかもしれない。
「それから、指輪についてだが。或いは──」
「おはよう、クラトスー」
調理場に響いた声に、思考の渦に巻かれていたユアンは意味もなく肩を震わせた。びくり、と体を跳ねさせて顔を背後へと巡らせる。
「ミトス、起きたのか」
「おはよう、ユアン」
続いて顔を見せたマーテルにユアンは一瞬表情を明るくさせ、次いでポカン、と口を開けたまま硬直した。
ミトスの両肩に手を乗せたまま訝し気に小首を傾げるマーテルと、姉を凝視したままぴくりとも動かなくなったユアンに呆れた視線を向けるミトス。
「もたもたしてるからだよ」
ふん、と外方を向いてしまったミトスを見て、視界の端でクラトスが額を抑える。
「ユアン、どうしたのかしら?」
「知らなあい」
行こう、姉様。
ミトスは、それは愛らしい笑みを浮かべてマーテルの手を取ると、さっさと食堂へ行ってしまう。
「あら、クラトスを手伝わないと」
そう言いながらもミトスに引かれて付いていくマーテルの右手には、いつか見た繊細なシルバーの指輪が嵌まっていた。
[幕切]