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呼ばざるをえない


 何とは無しに。だが、解りきっていた事でもあった。
 九十数年ぶりにアセリアへ接近したエルフの故郷が、無事通信機の連絡可能圏内に入ったことを知ったユアンは、直ぐさまデリス・カーラーンとの連絡を試みるため、大樹の元へと向かった。まだ朝夕の寒い春先とは言え、木漏れ日の注す森の中は比較的暖かく、柔らかな風が吹く。
 百年近く前は救いの塔があった場所で、通信機を稼動させる。九十年以上前に使われたきりの旧式の通信機は、大樹に埋もれかけながらも、しかし常に手入れと修理を繰り返されており、電源を入れれば正常に起動した。
「こちらアセリア、誰か聞こえるものがいれば応答してくれ」
 かつて連絡時に使用していた周波数帯へと合わせて、様子を見ながらも一定感覚で機器を片手に呼び掛け続ける。モニター画面に反応は見られないものの、必ず相手は姿を現すとユアンは信じていた。

「──こちら、アセリア。誰か応答してくれ」
 何十回目とも何百回目とも知れぬ呼び掛けの後、クラトス、と。ついには漏れ出た名前は虚しく響き。しかし、いらえはない。
「こちらアセリア」
 もう一度繰り返して。その瞬間、ユアン、と背後から呼ばう、優しげな、だが何処かに哀しみを含んだ声音に、彼は肩を震わせた。
「そんな顔をしないで、ユアン」
 足音もなく、降り立った精霊は祈るように指を組んでユアンのすぐ傍で風に揺られる。その声音から、痛みを堪えるような表情をしているだろうと、ユアンには容易に推測出来た。彼女は、元より自分の抱える傷よりも人の痛みに敏感な人であった。それは彼女の本質とも言うべき部分であり、大樹の精霊の一部と成り果てた今ですら変わりはしない。
 今度こそ、大樹を護ると誓いを立てていたにもかかわらず。護る筈の自分が、大樹そのものである彼女に悲痛な表情をさせていることを、ユアンは滑稽に思った。
「もしかすれば、デリス・カーラーンで使われていた通信機が壊れてしまって、連絡をとろうにもそれが叶わないのかもしれないわ」
 だから、ユアン。
 慰めるような、縋るような声に、ユアンはいつの間にか下がっていた視線をもう一度前のモニターへと向けた。
「こちら、アセリア──」
 繰り返される言葉は、奇妙に掠れており、喉には鋭い痛みが走る。錆びた鉄の臭いが喉から鼻へ上がった。
 気配だけで、マーテルが顔を覆うのが解る。ひょっとすれば泣いているのかもしれない、と考えて、精霊も泣けるのだろうかと、ユアンはぼんやりと疑問に思った。
「誰か、応答してくれ」
 繰り返される言葉に、相変わらず返答はなく、サー、という待機音が流れている。
(ああ、だがマーテル。私とて本当のところ気付いているのだ。)
 あの時、初めて好意を伝えた時、モニターの向こうに座っていた男は何処か咎めるような顔をしていた。それが、今まで思いを告げなかったことへの非難なのか、或いは別れ際になって思いを告げたことへの非難なのか、正直なところユアンには解っていない。
 ただ、無意識にだろう左手の甲を、男が覆い隠したことにだけは、気付いてしまったのだ。
 剣を持たないことが多くなったからだろう、何も嵌めていない剥き出しの白い手の甲。その滑らかな肌の表面へ何もついていなかったことに、ユアンは目敏く気付いてしまったのだ。
「……ユアン」
 懇願の色を含んだマーテルの声が、随分と冷たくなった風に乗って頬を擽る。
(ああ、だが。私はそれでも。)
 否、解っていたからこそ、諦めて呼び掛けを止めるなど、始めから選択肢にすらなかったのだ。
「こちらアセリア。誰か、応答願う」
 あの男の、泣き出しそうな顔を。剥き出しの感情を、見てしまったからには。


[幕切]


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