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迷い子は誰か


 木漏れ日を得て一際に輝く金髪は淡く、透けるように細い。少年が跳ねる度に光の粒を零しては、空気の流れに乗り、ふわりと舞う。
 白く、しかしほんのりと赤みの差した足の爪先を冷たい清流に浸して、最愛の姉と共に旅の疲れや夏の暑さを忘れたかの様にはしゃぐ姿や、甲高く上げる歓声は未だ少年の域を出ず。それは彼の本質が何処にでも居る十四の子供と大差ないことを示していた。水を掬い跳ね上げる繊細な手も、年の割りに小柄で華奢な体格も、本来であれば保護されるべき対象として捉えられるはずであった。
 国軍の巡回路を避けるように国道から外れて、整備のなされていない林道を行いていたのは昼を過ぎてのこと。林から抜ける算段はつかず、夜営に適した場所を探すべきかと思いはじめた頃に、川の音へ気がついたのは少年であった。風に揺れ、擦れ合う木の葉の音や、潜められた小さな動物の吐息。鳥の鳴き声に混じって鼓膜を揺らしたせせらぎの音は、歩き通しの旅に萎れかけていた仲間の気力を復活させた。
 久々に見せる、はっとするような笑顔と、弾んだ声音に。少年の出した提案を無碍にするものなど居なかった。

 過酷な旅をさせている。
 ましてや、その旅を強いているのは今の社会を造った人間であり、人間の大人たちであった。
 彼らを追い込んだ者たちの一員でもある己が、共にいても良いものかと、考えることは間々あった。特に、少年がこうして時折見せる屈託のない表情は、少年の説く言葉や真剣な表情、吐き出される決意よりも強く、騎士の心へと訴えかけるものがある。
 本来であれば、自分たちが──人間たちが主体になって解決すべき問題を、彼らに負わせている。その自覚は十二分にあった。
 自分達の壊した世界を、癒そうとしているのは彼らであるというのに、彼らの居場所は無いというのだ。それどころか人間は、狭間の者たちを煙たがり、追い立てる。
 不条理に思えてしかたなかった。
 そして自分が、彼らへ不条理を与えている者たちの一員であることに、どうしようもない程の遣り切れなさがあった。

 膝まで水に入って、戯れる姉弟の姿を、見るとも無しに見詰めて、クラトスはゆっくりと目を細めた。
 森のエルフの血を引く彼らは、エルフの整った容姿と人間の好奇心を併せ持つ。彼らの本質は活力に満ちた健康的な美しさを内面から滲ませ、その魅力はまるで絵画を思わせる。何より、歪み一つない見た目同様に、彼らの心もまた汚れを知らない──。
「おい、引き上げる時にはしっかり足を濯いでおけ。鳥の居る所の水は糞で汚れているからな」
 間違っても飲むのではないぞ。
 水際に寄る姉弟へ、ユアンが少し離れた川へ膝の中程まで浸かったまま面倒そうに声を掛けた。
「はーい」
「解っているわ、ユアン」
 口々に返事をする姉弟へ視線を投げてから、鋭く削った木の枝を銛のように使って川魚を捕らえた青髪の青年が、岸辺へと上がる。その様子を木陰から見上げていた騎士と目が合った。
「何だ」
 存分に沈黙をした騎士は、眼前に立つ青年の眉間に皺が寄り促すようにもう一度声を掛けられて漸く、緩やかに息を吐いた。
「……いいや」
 溜め息を吐くように返答をして、すい、と視線を外したクラトスは、それ以上は何も言わず組んだ枯れ枝の下へ火種を放り込んだ。そのまま荷物の中から、包丁代わりに使っているナイフを出した。刃渡り二パーム程の多用途ナイフである。
 怪訝な顔をするユアンへ、騎士は小首を傾げた。
「焼くのだろう?」
 別段煮ても構わないが、調理の前の下準備というものがある。
 問えば、確かにそうだが、と言ったきり特に行動を起こさないユアンへクラトスは、どうした、と視線を上げた。些か面倒そうな顔をしたユアンは、即席の銛の先で串刺しになった数匹の川魚で火を指し示しつつ。
「串焼きで構わんだろう」
 マーテル達もそれで良いと言っていた、と、宣った。
 騎士も串焼きには賛成ではある。取れたての川魚へ塩をして串焼きにする。万遍なく焼けるように時折串を回してやりながら火で炙る時の、何とも言えない香ばしい匂いは実に食欲をそそるものだ。
 ただ、と心中苦い思いで、騎士は目の前に立つ青年を見遣った。
「……鱗と腸は取らねばならんだろう」
「何故だ?」
 ある意味予想通り怪訝な顔をしたユアンへ、クラトスは掛けるべき言葉を見失った。何となく、予想はしていた。予想はしていたのだが、とこめかみに指を押し当てて、ユアン、と息を吐く。
「どうしたの?」
 川遊びに満足したのか、ブーツを片手に足を拭いながらミトスが話し込む二人の元へ近付いてきた。小首を傾げ、ユアンの背後から彼の手元を覗き込むと、わ、と声を上げる。
 背後から掛けられた声に振り返ったユアンは、少年の肩越しに、岸辺で静かに足を濯ぐマーテルを見て、素早く視線を逸らせた。そのまま手元へ視線を注ぎつつ口早に先程の会話を説明した青年に、ミトスはきょとんと目を丸くする。びっくりしたように顔を上げた少年の動きへつられて湿り気を帯びた髪がつるりと揺れた。
「串焼きって、串に刺して焼くだけじゃないの?」
 くるりと巻き上がった、髪の色よりも僅かに濃い金をした睫毛が、頻りにしばたたく。
「鱗も腸も取らねばならないのだ」
 特に寄生虫は鱗と皮の間や腸に多いといわれている。幾ら火を通すとはいえ、きっちり取らねばならない。
 諭すように説明をすれば、少年は大きな目を更に大きくした。青い瞳がつるつると光を映している。
 それじゃあ、と高く弾んだような、何にでも興味を持つ子供のような無垢な声は紡がれ、周囲に響く。良く通る声だ。
「じゃあ、蜂の子が要るね。ねえ、姉様!」
 少年の言葉に、騎士は視界が揺れるような不安定感を覚えた。
「ミトス、それは──」
「そうね、ミトス」
 蜂の子が虫下しになるというのは民間療法というか、迷信というか。ともかく効き目は無い。そもそも何故下処理をするという選択肢が無いのか。どうにか彼らを説得せねばならない。
 どう切り出すべきかと悩みつつ言葉を選ぼうとしたクラトスの思考を、不意にマーテルの笑みを含んだ穏やかな声が遮った。
「でも、今蜂の子は手に入りそうにないから、やっぱり取らないといけないわ」
 だから、やっぱりクラトスの言う通りにしましょう?
 丁寧に足を拭いてから靴を履き火の元まで近付いてきたマーテルは、そう言ってにこりと笑う。
「そっか、それなら仕方ないね」
 何処か残念そうな顔で、裸足のままの足先を火へ向けぷらぷらさせたミトスへ、彼の姉はちょっと苦笑して、ミトスは蜂の子好きだものね、と少年の頭を撫でた。
「腸の苦味が良いのだが、マーテルの判断に任せるか」
 川魚の刺さった銛ごと、こちらへ差し出すと、ユアンは足からブーツを引っこ抜いて内側に溜まっていた水を棄てる。地面にぶつかって跳ね返った水へ、やだ、もう! と大袈裟に足を引っ込めてミトスが文句を言った。態とらしい少年の態度へいつものようにユアンが大声を上げて何かを言い、マーテルはころころと笑う。
 旅をしている間、何度となく目にした。いつもの光景。
 微細な変化は有ろうとも変わりのない様子を目の当たりにして、クラトスは本の少し──陽光を直視した時のように──目を細めた。
 今日のところはこれで良いような気がした──勿論、何れは説明して、理解してもらわねばならないが──。軽く息をついて、川岸へと足を向けたクラトスに、背後で、あ、と声が上がった。ねえ、と張り上げるように掛けられた声へ騎士が振り返ると、少年は作られたばかりの小さな水溜まりをぴょんと飛び越えて笑顔を見せた。
「クラトス、手伝うよ。僕だって鱗ぐらいなら取れるだろうし」
 多分、と自信満々で付け加えられる言葉へ騎士は即座に首を横へ振った。彼の姉は酷く料理下手であり、その弟であるミトスもまた、お世辞にも料理上手とは言えない。そんな少年に魚料理はまだ早過ぎるし、彼のやる気には悪いが、手伝うと言っては隣に並び立つ少年の危なっかしい手元を見る度に肝は冷え、剣術指南や実戦以外で彼に刃物を持たせる気にはならなかった。
 クラトスは半身振り返るともう一度首を横へ振った。
「いや、こちらは大丈夫だ。お前は火を見ていてくれ」
 一言で断れば、少年は少し残念そうに、そう、と唇を尖らせる。
 眉を下げていた少年は。だが、直に何の屈託も無い笑みを浮かべてみせ、それなら、と顔を上げた。その表情に、騎士は目を奪われる。
「早く帰ってきてね」
 微笑んで、少し首を倒すと、肩よりも僅か長い真っ直ぐな金髪が流れた。髪が服を擦る度、さらさらと音が耳に心地好い。
「クラトス?」
 面食らったように固まってしまった騎士の名を、不思議そうに少年は呼ばう。耳に心地好く留まる高い声に、騎士は瞠目した。そうだったな、と心のうち何処かから妙に納得したような言葉が浮き上がって来るのを感じる。
「ああ」
 呟くように零したクラトスの声は、だがしっかりとミトスに届いたようだった。
「出来るだけ早めに戻ろう」
 と、頷いて、にっこりと笑う少年につられるようにクラトスは笑みを浮かべた。


[幕切]


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