■tos | ナノ
怒れる神の御手の中に


 雪が降っていた。
 視界の悪くなる程吹き付ける雪に、息が白く混じる。濃い灰色の雲は重苦しく、妙な圧迫感を持って空を覆い隠していた。北の極地に位置する小国は、常冬の地である。年間を通して雪が降り続けているこの凍土は、氷の精霊の支配下にあるが故なのだと、一行は聞き及んでいた。積雪に、埋もれる足の甲へ注意を払いながら、クラトスは感覚を尖らせ周囲を探る。
 白を基調としたテセアラ騎士団の礼服を纏ったままの己はともかくとして、黒い外套を羽織った隣の男は、この雪の中でさぞかし目立つことだろう。そうでなくとも、二人とも目立つ髪の色をしているのだ。
「解るか、クラトス」
 見通しの効かない視界を切り離すように目を閉じて、潜められた気配を辿る騎士に、ぽそりと声が掛けられる。普段は声を張る青年も、今ばかりは慎重にならざるを得ないようであった。
「……ああ」
 緩やかな丘陵の先。雪に閉ざされた山岳地帯。氷の神殿、と呼ばれる天然洞窟の前に、二人は陣取っていた。白銀の世界、と称呼するには過酷すぎる環境の中で、洞窟の入り口を背に立つ二人を、吹雪は背後から容赦無く打ち据える。肺の奥まで凍えるような寒さに、クラトスは、はっと強く息を吐いた。
「多いな」
 既に囲まれている。薄く瞼を上げて、開かれた視界には雪に白くぼやけた景色しか映らない。だが、その先に複数の気配が存在するのは確かであった。雪の積もる音すら聴こえてきそうな程に空気は張り詰め、剥き出しの頬はぴりぴりと上走る。緊張していた。
「一歩たりとも、通すわけには行かぬ」
 宣言するように告げた言葉には、直ぐさま声が重ねられる。
「貴様に言われずとも解っている」
 静電気の発する、鳥の囀りにも似た音と共に、一瞬、紫電が目の端に捉えられた。光は広がり、消えると同時に肩の高さにまで上げられていたユアンの右手に、長大なダブルブレードが姿を現す。両端の二枚の刃を繋ぐ長い柄を青年が握る。重さを取り戻したように沈んだダブルブレードは、しかし青年によってしっかりと支えられた。召喚とは違うのだ、と青年は以前言っていた。最も、マナを感知する能力を持たない騎士にとって、召喚術と今の術とがどう違うのかなど全く解らなかったのだが。
 身の丈程もある得物を右腕一本で持ち、その手を後ろへ下げるように右半身を一歩引く。身体を斜めに向ける独特の構えをとると、青年は遥か前方を睨みやったまま静止した。完全なる戦闘体勢である。ユアンのさまにクラトスもまた、前方に視線を投げた。
 今、この地より先に誰ひとりとして通すわけには行かなかった。それは言わば今の二人に課せられた使命である。自らの命に変えても、などといえば幼き盟主は嫌がるだろうが、と。雪原に見えた敵勢に、騎士は視線を厳しくした。一気に包囲網を狭める一団は軽装の兵が先陣を切り、袋を作るように駆ける。先駆けの音が、地響きのように聞こえた。


 気候の厳しい北限の国では、ハーフエルフに対しての差別が特に苛烈であると言われる。日照時間の少ないこの地には、心を病む者も少なくはない。そういった者たちの原因を、彼等はハーフエルフに求めた。則ち、人知を越える力を持つハーフエルフが、その力でもって呪いをなしているのだと。
 雪ごと蹴り上げるように大きく一歩を踏み出して、前方で剣を手にした一陣との間を一息に詰める。騎士は同時に左太股の高さにある剣の柄へ手をかけると、長剣を引き抜いた。腕が伸びきる直前に右足を踏み込んで横凪ぎに払う。走る白刃が、真正面に立つ男の右脇腹から左脇腹にかけて深く斬り裂いた。
 殺さないで、僕らは戦いたいわけじゃない。そう言った盟主たる少年の言葉を、忘れたことはなかった。話し合いをして、それでも追われたのなら逃げればいいと。ハーフエルフへの誤解を解きたいだけなのだから、と。切実なる声で訴えた少年の声は、はっきりと耳に残っている。
「躊躇うな」
 不意にかけられた声に、クラトスは少し離れたところで己と同じく戦う青年を一瞥した。斜めに振り下ろされたダブルブレードは、正面に立つ男を左肩から袈裟掛けに叩き斬る。崩れ落ちる男の右に立つ敵へ返す刃をくれてやると、ユアンはそのまま身体を一回転させ、ダブルブレードの両の刃で敵を引っ掛けるように周囲を一掃した。身体を沈みこませるよう体勢を低くして回転を止めた青年に、騎士は短く、解っている、と返す。
 撒き散らされた血が、ずるりと雪を溶かしていた。
 迫る敵の剣を、首を僅かに傾けて避けると、クラトスは長剣を上段に構え鋭く突き出した。男の喉元を捉えた剣を、止めることなく直ぐさま引き抜き、倒れ込む男の左脇を擦り抜けるように身を僅かに捩って、右足を前へ押し出す。足の下で今だ汚れていない雪が踏みつけられ、ぎゅっと苦鳴を漏らした。
 抜けた先で待ち構えていたかのように左右から強襲する敵が二人。ガントレットを付けた左腕を掲げ、左から打ち付けられた剣を受け止める。腕に直接装備するガントレットは、攻撃を受けた時の衝撃を盾ほどは防げない。鋭い金属音と共に襲いくる痺れに、しかし眉一つ動かすことなくクラトスは右に剣を滑らせた。低い位置から跳ね上げられた剣は一部の迷いも無く相手の右手首を切り落とした。武器と共に利き手を失った男の口から絶叫が漏れるより先に、左腕を引き寄せる。左腕を上げていたせいで無防備にも晒された脇腹を狙う敵の、僅かに下がった視線を逃さず。クラトスは上方から串刺すように、相手の顔面へ剣を突き立てた。柔らかい目頭を突いた剣は、驚くほどあっさりと相手を貫いた。顔から剣を生やしたまま驚嘆するように目を見開いた男と、はっきりと目が合う。同時に、左膝付近へ鋭い痛みが走った。足を掠めた男の剣が雪の中へと落とされる。
 ハーフエルフ狩りの盛んなこの国に於いて、自分達が歓迎されないことは解りきっていた。ハーフエルフであると疑われただけでその命を狙われると。
 だが、そうであっても、一行はこの国へ来ざるを得なかったのだ。
 次々と姿を現す敵に、徐々に焦燥感が募り始める。殺さず、などということは甘い考えに過ぎない。少年の前に立って、血路を開くのが自らの役目である。彼の望む望まないにかかわらず。例えそれが少年を血で汚れた道を歩ませる結果になろうとも。
「クラトス!」
 悲鳴にも似たユアンの声に、クラトスは思考を打ち消した。八方から躍りかかる敵と、その肩越しに、神殿へと向かう男の姿が視界に入る。
 クラトスは剣に突き刺さったまま絶命した男の額へ、半ば打ち付けるように左手の甲を押し当て剣を引き抜くと、囲む一人に当て身を喰らわせた。身体を沈ませ一歩踏み込むことによって、強引に相手の間合いの内に入る。膝の傷口から血が溢れる。胸当ての下、鳩尾に右肘を押し付けた。剣を握ったままの右手を左手で押さえ固定する。相手が反応するより速く、身体を浮上させる要領で全身の弾機を伸ばし、更に一歩を踏み込んだ。笛のように鋭く息を吐く音が聞こえる。薄い鉄板が凹むのにも似た感触の後、弾かれたように男が吹き飛んだ。
 クラトスは勢いを殺さず、そのまま駆け出していた。完全に向けられた背に追撃が来るのも構わず、剣先で雪を斬る。左下の溜めから斬り上げられた刃は殺気を放ち、神殿の入口へ向かう男の足を捉えた。崩れるように倒れた男が絶叫を迸らせる。抱えた足から吹き出す鮮血に周囲の雪が瞬く間に染まった。
 背中へ振り下ろされる刃物の気配に覚悟を決めながら、強引に上体を捻って身体の向きを変える。直後、頬にべたりと何かが飛び散った。
「……ユアン」
 倒れる男に一歩引いて、クラトスは息を荒げた青髪の青年へ驚き、瞠目した。追撃に迫っていた男たちは皆一振りの元退けられたのか、青年を中心に扇を開くように血を撒いて絶命していた。


 横にダブルブレードを振り抜いた恰好のまま肩で息をする青年は、大きな傷こそ無いものの、細かい傷を全身に受けているようだった。
 最も、それは騎士もまた同じであったが。
「きりがないな」
 十数人ばかり切り伏せた所で、鋭い舌打ちが聞こえた。
 この積雪では下手に魔術を使えない。よって相手を火力で一掃するわけにも行かないのだと、面倒そうに呟くユアンへ、静かに同意する。
 吐く息が熱い。雪の中での戦闘は、思いの外体力を奪っていた。顔に吹き付ける乾いた風と雪は、指先の感覚を麻痺させてゆく。
 青年が、外套の端を裂いて、己の手を得物に縛り付けた。
 剣を持つ腕が重いのは騎士も同じであった。しかし、それ以上にダブルブレードは長期戦には向かない。重さで叩き斬る短期決戦型の武器である。ましてや、ハーフエルフたる青年は、魔術と武器による攻撃を織り交ぜて戦う事を常としている。攻撃のきっかけを作るのが魔術なら戦いを決するのもまた魔術であった。
 腕に巻かれた礼帯の一つを外して、青年に習う。周囲を取り囲む敵の数は更に増え、だが何かを待つようにその距離を保っていた。神殿への入口を背に、武器を構え直すこともなく、ただ対峙する。
 緊張と長引く戦闘から吹き出る汗によって身体が冷え切ってしまうより先に、決着をつけてしまわなければならない。だが、焦りは禁物であった。
「随分と身体が鈍ったようだな、クラトス」
 上がった息を何度か呼吸して整え、ユアンはクラトスの方を見ぬまま鼻で笑った。軽口が叩けるのならばまだ平気そうだな、と剣を斜めに払う。剣身に捲いていた血が飛んで、汚れた雪に新しい血痕がつけられる。
 足元の雪は踏み荒らされ、血液が混じり泥濘るみ、しかしその端から凍っていく。セルシウスの冷気が強まっているのだと感じた。
 目は乾いて、瞬きをすれば凍った睫毛がぱりぱりと音を立てる。金属製のガントレットが腕に冷たい。
「これ以上長引けば、流石に持たんぞ」
 不意に漏らされたユアンの真剣な声に、視界の端で声の主を確認した。
「解っている」
 天然洞窟の神殿の奥で、ミトスは戦っているはずであった。礼帯で固定された手を、強く握り締める。指の股にまで入り込んだ血と雪が混じり合い、柄が滑る。
 洞窟へ踏み込む直前、外気に混じる敵の気配を感じとった。漣のように静かな、しかし絶え間無い気配は明確なる殺気を抱きながら徐々にこちらへと迫っていた。それ故に、二人だけが此処へ残ったのだ。
 ミトスと精霊との契約に力を貸すことは、二人には出来ない。ならばせめて、ここは食い止める、と。
「だが、此処は通せぬ」
 言い切れば、当たり前だ、と返ってくる。
「諦める気など端からあるか」
 ダブルブレードを括りつけた右手を、後方に溜めるように構え直すユアンに呼応して、クラトスもまた剣を脇に構えた。上半身は真正面に向けたまま、右足の爪先を斜め右に向けて半歩引く。比較的深かった左膝の傷口は血が固まったのか、引き攣るような痛みを覚えた。
 蠢動する虫の塊のように位置を僅かずつずらす敵陣に、クラトスは一瞬呼吸を止めると、強く地を蹴った。ほぼ同時に隣で雪を踏む音がした。
 血液に一度溶けて凍った雪が、シャーベット状になってブーツの下で砕ける。血の混じった雪が蹴り上げられ、足元に舞う。風に乗った雪が絡むように薄青色の燕尾をはためかせた。一層敵陣は蠢き、逃れるように前線を下げる。
 後を追うように走り込み、剣を払う。空を裂いた剣筋に構うことなく、息吐く間も与えぬ速さでクラトスは追撃を放った。耳を劈く金属音。剣撃を防がれたことにも躊躇わず、徐々に後退する包囲網へ続けざまに一閃。防御の構えを押し切る形で崩す。空足を踏んだ隙を逃さず、クラトスは舞い上がった雪の一片ごと敵を断ち斬った。横へ振り切られた長剣に三人まとめて斬り捨てられる。切り口から鮮血を噴き出すよりも先に、立ち尽くした三人の内一人を蹴り倒す。開けた隙を縫って、ユアンが先行した。
 鼻の奥が痛む程に、空気は冷たかった。
 ダブルブレードは周囲の敵を巻き込みながら振り回された。身体全体の向きを切り替えるように踵がずらされ、二枚のブレードは真横に流れる。正面から右横、背後に至るまでの敵は胸部を潰され、尽く地に倒れた。革製の胸当てはダブルブレードの強靭な刃を前にして紙の如く無力であり、瞬く間に周囲には悲鳴が溢れた。
 荒い息を吐くユアンの左側に身を捩込むと、騎士は自らもまた剣先となって敵陣を割く。いよいよ戦線は押し下げられた。
 誘うように徐々に包囲網を下げてゆく敵に、足元からぞわりと不快感が駆け登る。僅かずつ撤退をしているにも関わらず、冷静な目をした敵に、不安感が募り始めていた。
 鼓動が速いのを、クラトスは自覚していた。
 鋭く出された剣先を、腰を捻って避ける。脇腹に痛みが走った。避けきれなかったことに眉を顰め、相手の腕を取ると、素早く剣を首筋に押し当て突き込んだ。喉の奥で濁った音を上げた男は緩慢に顎を上げ、後ろへと倒れ込む。刺したままの剣を横に薙いで、力任せに首を裂いた。男の体重が腕に掛かるより早く。握っていた腕を押し出すように手放す。雪へ突っ込む直前に、ばっくりと開いた喉の切り口から血が吹き出た。痙攣を繰り返す男を跨ぐように跳び越す。
 脇腹が熱い。剣は疾うに脂が捲いていた。碌に切れ味を発揮してくれない剣を、それでも握り締めると、重い足を前へと運ぶ。太股に濡れた感触を覚えた。熱い。
 荒くなった息を整える間も己に与えず、長剣を前方へと振るう。立ち止まれば、暫くは走れないだろうとクラトスは感じていた。正面に構えていた男と剣が搗ち合い、鍔ぜり合いとなる。踏み込んだ右足が深く雪に埋もれた。雪に完全に足を取られるよりも先に、左足を男の右側に一歩進め、身体を移動させると同時に剣先を右へ抑えるように倒すことで剣を捌く。体勢を崩した男の後頭部を剣の柄頭で痛打した。ぐらりと倒れる男を見届けることなく振り返る。
 視界は、開けていた。
 薄暗い曇り空の下、僅かな光を照り返す雪は白く輝いて見える。撤退を続けていた包囲網は今や完全に解け、潮のように引いていた。傾斜へ並ぶ部隊に、クラトスは絶句した。
 十五人一部隊が、二m近くある揃いの武器を手に、横並びに列を成している。その総てが真っ直ぐに正面を向いていた。殲滅戦に用いられる兵器の一つであり、射程距離は約十八m。その扱いは難しく、また運用には場所を選ぶ。極稀に戦場で見掛けられるその武器──兵器には覚えがあった。
「……火炎槍」
 呟かれた声は思いの外近くで聞こえた。ダブルブレードを持った手をだらりと下げ、ユアンもまた隊を凝視していた。射程距離には、疾うに入っている。横も、後ろに逃げても恐らく逃れられないだろう。
 まさか、という思いがまず最初に在った。
 四人。たった四人、ハーフエルフの疑いのある者を討つために、兵器を持ち出すとは思っていなかった。消耗戦をしかけてまで、たった四人の命を奪う為に、火炎槍の準備をしていたと。
「馬鹿な」
 同感だ、という思いと同時に、クラトスは火炎槍の穂先へと視線を注いでいた。筒槍というよりは槍によく似たその先端。他国の火炎槍とは大きく異なる形容は、忘れようもない。
「テセアラ、か」
 王都焼失の後、国王に謁見したハーフエルフがシルヴァラントと繋がっていたとの噂が流れたことは知っていた。全面戦争を防ぐ為にシルヴァラント騎士団との交渉の場を設けていたことが、返ってその噂に信憑性を持たせてしまったらしいことも。話には聞いていた。
「クラトス・アウリオンだな。ミトス・ユグドラシルを呼んで貰おう」
 憎しみを隠そうともしない声。一団を率いている男の声のようであったが。ただ、どの男が声を発したのかまでは解らなかった。誰ひとり身じろぎをしない敵陣で、己が隊長であると名乗らないのは、未だこちらを恐れているからか。
「お前の祖国は、余程我々を殺したいらしい」
 火炎槍の出現によって、一転静まり返った一帯に、ユアンの嘲笑うような、だが何処かに緊張を含んだ声が響く。筒口を向けられたまま、いつ放射されるかも解らない状態で身動きが取れない。容赦なく降る雪に、足元が僅かに埋もれ始めていた。
「そのようだな」
 相手の質問には答えず、クラトスは頷いた。
 赤みの強い金属に先端を覆われた槍を見詰める。赤銅に近い色を持つ金属は、しかし決して銅ではなく。ドワーフに命じて作らせた特殊金属だといわれていた。
 引き金を引いてから火炎が放射されるまでの時間は〇.八秒。引き手に掛かるトリガープルフォースを考えれば引き金に指を掛けてから火炎がこちらに届くまでに一秒弱は猶予がある。それだけの時間では到底逃げられはしないだろうが。どうにか足掻けないかと、考えを巡らせていた。
 剣技では一基ずつしか相手が出来ない。仮にユアンの雷撃で槍兵を狙おうとも、全員は攻撃範囲に入らない可能性が大きい。そもそも、彼に魔術を放つほどの体力が残っているかどうかも、怪しいところであった。良くて一撃か、下手をすれば不発かもしれない。
「……呼ばぬ、か」
 まあいい。洞窟内部に入ったことは確かだ。
 吹き付ける冷気にを辿るように、一人の男の視線がミトスの向かった氷の神殿へと向けられた。
「貴様らを始末した後、ゆっくり捜させて貰うとしよう」
 敵意を隠そうともせず、憎しみに満ちた目をした男は、火炎槍部隊の背後。雑兵に埋もれるように立っていた。一瞬間を置いて、漸く隊を率いているのはこの男だと、クラトスは気が付いた。中年ぐらいだろうか。前衛で戦っていた者達とは違う、後ろに控える兵と同じ金属製の鎧を着ている。革鎧に見覚えは無いが、男の身につけた金属製の鎧は確かに祖国で見た覚えがあった。
 ぱたり、と足元で音が鳴った。
「ふん、生憎と貴様ら如きを通してやる予定などない」
 勿論殺されてやる義理もな。
 身動ぎしたユアンの足の下から、ぐしゃ、と濡れた音がした。激しく動いていたこともあってか、二人とも、そこ此処の傷口が開き、血は未だ止まっていなかった。
 足元で、ぱたりと音がする。
 音に手掛かりを得て、クラトスは。ああ、と火炎槍を構える槍兵の、地につけられた膝下へ目をやった。砲撃準備が済み、温まった火炎槍はそれなりの温度を保つ。狙いを付けて構えられたままの火炎槍の上にはうっすら雪が積もり、しかし槍自体の温度で雪は溶け、槍兵の膝下へと流れていた。
 雪が、層になっている。
「負け惜しみか、ハーフエルフが」
 苛立ちを醸し出す隊長格の男を、ユアンが鼻で笑う。
「テセアラの火炎槍は、一発撃つ毎に一定の放熱時間が必要だ。熱を持ちすぎた火炎槍は暴発するからな。ミトスを呼ばせたかったのは、連射に向かないだろう。奴が来るまでは撃ちたくても撃てない。つまり、今は我らを殺せない。だからこうして時間を稼いでいるわけだ、違うか?」
 ぱたり、足元で音が鳴る。脇腹から流れた血が雪に滴っていた。
 挑発するように喋るユアンに、くく、と笑いが漏らされる。随分と質の悪い、小馬鹿にしたような笑い方だった。
「残念だったな。これだけ寒ければ放熱も直きに終わろう」
 片手が、ゆっくりと上げられた。
 此処で止めねばならない。強く思った。少年を、未だ幼い盟主を散らさないためにも、何としても此処で止めねばならない。
 ぱたり、と音がする。
 濡れた槍の穂先が動き、傾斜の上方に立つ二人を捉えた。かちり、と安全装置の外される音がする。引き攣ったように口の端を上げたユアンは、自棄糞めいた笑みを浮かべた。力無く垂らされていた腕が、持ち上げられる。ずらされた足先が、泥濘るみ変質した雪を踏んだ。
 その音に、はっとした。
「時間を稼いでいたのは、お前たちではないのか?」
「……我らは、待っているのだ」
 沈黙していたクラトスの横槍に、隊長の注意が己の方へと向いた。
 火炎槍の先端は、熱された金属のみが保持し得る、黄色から橙を経て赤へと変わる、独特の輝きを放っていた。炎を漏らさないまでも、熱と光を内包した光に、今は手元にない愛剣を想う。
 男の目は、随分と冷たい。
「《神の怒り》をな」
 含みを持たせた言い方に、ユアンがこちらへと一瞥をくれた。一気に頭に血が上ったように顔を紅潮させた男は、ぬかせ、と怒鳴り上げる。
「ハーフエルフに肩入れし、国を売った貴様がそれを言うのか。我らが王の都を燃やし、我々の家族を奪った貴様らが! 神の怒りを受けるならばそれは貴様の方だ!」
「ああ、その通りだ」
 糾弾する男に、騎士は静かに頷いた。
 強烈な光を放つ男の目は、最早前しか向いていない。僅かに身を乗り出すように、自らの胸元へ手を押し当て、喉よ裂けよとばかりに叫んでいた。
「皆家を、家族を、帰る場所を失った。私もだ! 殺されたのだ、貴様らが放った炎に焼かれて! 苦しんで死んだのだ!」
 震えるほどに手を握り締めて、発する声はしかし悲痛だった。憎しみと悲しみが混在する瞳は、雪が入るのも構わず見開かれていた。沈黙したままの敵陣からは、静かな殺気を感じる。
「私の妻が何をした。まだ幼かった私の子が、一体何をした!」
 クラトスは、不意に、この男が思っていたよりも若いことに気付いた。
「復讐だ。貴様らへの。これは我らの復讐だ!」
 怒りに任せて振り下ろされた手に、槍兵が反応を示す。一瞬前に、青年の足元へ濃縮された紫に近いマナの光が転写されていた。青年を中心に円を描くように光の陣は広がりを見せ、光粒が洩れる。一際輝く紫の光源に呼応するように青年の髪が揺れた。
 火炎槍の先端から炎が溢れると、ほぼ同時だった。
「出でよ、神の雷!」
 雷鳴が響き、轟音に周囲の音が断絶する。急速に集まった雷は空を裂き騎士と術者へ降り注いだ。紫電が身体を貫き、衝撃に息が詰まる。深く積もった雪が白い柱の如く噴き上がり、地響きが足を伝わった。
 ──インディグネイション。
 膝が落ちる寸前。襲いくる浮遊感に、雪の層が擦れたのだと解る。足場の崩れた槍兵の火炎槍が、上空へと放たれた。血や水に濡れて、結合力を無くした雪の表面近くの層が、落雷の衝撃に雪崩を起こす。一気に崩れ始めた積雪の波に呑まれ、上も下も解らなくなる。跳ねるような転がるような状態で、ひたすらに身を縮めて障害物から身体を守る。クラトスは雪崩に揉みくちゃにされながらも、視界の端で男が流される姿を見て、静かに目を閉じた。


 光を感じたクラトスは、瞼を押し上げた。
 眼前に広がる視界は青く、深い吐息が喉の奥から漏れ出る。一気に萎んだ肺が、妙に痛んだ。
「生きているか」
「何とかな」
 返した声は、いつも以上に掠れていた。喉の奥にも、ひりつくような痛みを感じる。知らぬ内に絶叫していたのかもしれない。喉を押さえようとして、腕が上がらないことに気付いた。全身を疲労感が襲い、もう指の一本すら動きそうにない。
 生き延びたのだと感じた。
 あの隊長格の男は、流される寸前に何かを叫んでいた。聴覚をやられていた騎士には、聞き取れってやることすら出来なかったが。それでも叫んでいたのは、呪いの言葉か、家族の名前か。ただ、意味のない悲鳴ではないように思えた。
「ミトスの方も、終わったらしいな」
 天候が落ち着いている。
 雪の上に倒れていたせいで、すっかり湿った髪に頬を寄せる。視界の端に、水色に近い澄んだ青が見えた。騎士と同じく仰向けに倒れたままの青年もまた、ちらりとこちらを見遣っていた。
「立てるか、クラトス」
「いや」
「私もだ」
 そうか、とクラトスは呟いて再び瞼をおろした。脇腹の傷は血が止まったのか、痛みはともかくとして、熱は感じなかった。ぼそりと零される、寝るなよ、の声に頷くことで返事をする。
 体中に感じる痛みにクラトスは、生きているのだ、と。強く、感じていた。


[幕切]

*手違いから後書きを保存していたリンク先が削除されてしまいました。申し訳ございません。


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