■tos | ナノ
露顕するには早過ぎる


 高い金属音が街址に鳴り渡る。打ち合わされた剣とダブルブレードは違いに組み合ったまま、剣身を抑える金具を小刻みに鳴らしていた。
 手合わせを、と言ったのはユアンだった。
 忘れ去られた土地であった。かつての繁栄を僅かな面影のみ残して風雨に曝され続けた街の死骸は、しかし崩れた建物の大きさや壁の広さから、過去に於いては余程の大都市だったであろうと見るものに想像させた。臑を半分ほどまで隠す雑草を踏み付けながら、草の汁に足を取られないように気を配る。周囲に人の気配は無く。自分達の発する音以外は、ただ風に揺らされた草葉の、触れ合うような乾いた音のみである。
 拮抗する迫り合いから、逃れ出たのはクラトスであった。
 ダブルブレードの柄を握るユアンの右手に、僅かに力が込められたのを見て取るや否や、剣を弾かれるよりも先に素早く後方へ跳ぶ。攻撃範囲を避け、一度二度と跳躍したクラトスは、崩れ倒れた石の壁を足場に対峙した。細長く伸びた草の葉を、すり潰すように踵を擦って構え直す。
 一方で、ぐん、と一度回されたダブルブレードからは、そのまま左手が外され右手一本が残されていた。右半身を引き自然体に近い構えをとったユアンを、クラトスは静かに見詰める。隙の少ない、攻め難い構えである。
 久方ぶりの緊張感に、ぞくりと寒気にも似た震えがはしった。感覚は否応なしに研ぎ澄まされ、渇いた風が頬を掠め離れるのでさえも、切りつけるように鋭く感じる。同時に、石畳を押し上げるよう一面に茂る青草の匂いと、それに混じって微かな土の匂いが鼻につく。

 神聖都市・ウィルガイアの自室にて、書物へ目を通していたクラトスを、連れ出したのはユアンであった。
 デリス・カーラーンを拠点とし、歪んだ世界の管理者として地上を見詰めるようになってからというもの。ユアンとは殆ど会話らしい会話をすることも無くなっていた。彼女が逝って、志を同じくしていた筈の仲間たちとは、気付けば随分と距離が出来ていた。それぞれが別々の思惑を胸に秘め、謀をするかのように接する。信頼関係というものは随分と昔に失われていた。
 かつて同志と呼んでいた仲間の一人たる青年は、クラトスの部屋へと足を踏み入れた時、偉く深刻そうな表情を浮かべていた。
 白いマナ灯の光に照らされた室内には、私物といえるようなものは殆ど無く、落とされた沈黙に部屋の殺風景さがより一層際立つ。
 数十年ぶりかの来訪者へ、部屋の主の足元で伏せていたプロトゾーンが、何事かと首を起こした。黒いつやつやとした瞳が、じっとユアンの方を向いているのを、クラトスは見るともなしにぼんやりと眺めていた。
「手合わせをしないか、クラトス」
 二千年近く、手合わせどころか雑談すらしていなかった相手から切り出された唐突なる申し出は、騎士を振り向かせるには十分な内容であった。
「珍しいな。お前から声を掛けるなど」
 開かれたままであった手元の本に、透かし彫りを施された薄い金属の栞を挟むと、音を立てぬよう静かに本を閉じる。赤に金字でタイトルを捺してあるハードカバーの本は、随分と古い。指に当たったざらざらとした表紙の感触。
 否、話をしなくなったのはもっと後だったかもしれない。ふと顔を上げて、クラトスは思い至った。少年の狂気を黙認し、止めようとしなくなった頃からか。真っ直ぐに視線を向けてくる澄んだ水のような瞳を受け止め、クラトスは目を細めた。
 騎士の言葉を嫌味と取ったのか。視線を険しくしたユアンは口を開きかけて、しかし逡巡するかのように視線を逸らした後、再度聞いてきた。
「で、どうするのだ」
 青年が口を開いた時には、既に目はクラトスを映している。自らに恥じることなどありはしないとばかりに、決して逸らされることのなかった強い目線。それは、仲間たちと共に駆け抜けた大戦の時代から何一つ変わってはいないように思える。
 実に真っ直ぐで、解りやすい男だ。湧出する懐かしさに騎士は口の端をそっと引き上げると、長く壁に立てかけたままにしてあった長剣を手に取った。革の巻かれた剣の柄は、手の平にしっくりと馴染む。
「ああ、いいだろう」
 椅子を後ろへずらさないままに、クラトスは無音で立ち上がった。丁寧な手つきで椅子を仕舞うと、剣帯を腰に回す。ちゃり、と金具が揺れて小さく音を立てる。
 ユアンの視線が、金擦れの音を追うように腰元へと向けられた。飾り気のない、シンプルな長剣である。使い手に合わせてやや長めに取られた剣身。銀色の落ち着いた輝きを放つ柄頭と鍔。柄には滑り留めとしてきっちりと革が巻かれている。
「フランヴェルジュではなくていいのか」
 探るような声音に、クラトスは戸を背に立つ男へと視線を投げた。柄の位置を整えて、柄頭に左手の平を置く。実戦で使われ続けてきた剣の柄頭にはすっかり磨耗してはいるものの幾らかの傷がついていた。
「手合わせに魔剣は必要あるまい」
 指先で滑らかに傷痕を辿るクラトスへ、ユアンはやはり一瞬視線を床に落とした後。潜められたやや強張ったような声音で一言、そうか、と零すように言った。友好的な話をするには硬すぎる表情や態度。
 ついて来い、と言い様に向けられた背へとクラトスは視線を注いだ。背中を預けていた戸口を開け、急くように黒い外套は遠ざかっていく。クラトスは暫くその真っ直ぐに伸びた背筋を見詰めてから、ゆっくりと自室を後にした。

 対峙したまま互いに攻め倦ねて数分。静かな殺気に身を浸されても、クラトスは一向に動揺することはなかった。
 街址の残る広い草原は、市街地から遠く。街道からも離れている。
 ウィルガイアを騒がすわけにもいくまいと切り出されたユアンの提案に、騎士は黙って頷いた。転送装置を使って地上に降りた二人は、特に話をするわけでもなく沈黙を保ったまま歩み続け、青髪の青年に提示された場所がこの地であった。見渡す限りの草原は、少なくとも邪魔だけは入りそうもない。
 嘗ては感情豊かに仲間へと向けられていた青年の表情は、その殆どが滑り落ちて、今は緊張感を内包した厳しい顔付きとなっていた。眉間に深く皺を寄せ、口元は引き結ばれている。真っ直ぐな視線は、こちらから離される事はない。思い詰めている、というよりは何かを決断するような、そんな印象を、クラトスは受けた。
「どうした、クラトス」
 真っ正面から日の光を受けようとも、目を細めることすらしない。ユアン・カーフェイとは、そういう男だ。
 決断力と、行動力の塊のような男。優柔不断のように思われがちだが、その実周囲の評価や言論に惑わされることは殆ど無い。彼が何かを決めたのなら、必ずやそれは実行に移される。
「来ないのならば、私から行かせてもらうぞ」
 動こうとしないクラトスに、ユアンは口早に告げるなり、一気に間合いを詰めた。長大なダブルブレードを右手に構えたまま、驚くべき素早さで騎士に駆け寄ると、ユアンは手首を回して足元から掬い上げるように斬りつけた。
 クラトスは一撃を左横へ跳んで避けると、もう一方のブレードをリカッソで弾いた。金属鎧をも陥没させるダブルブレードの重量を、まともに剣身で受け止めれば刃が潰れてしまう。元より刃のつけていないリカッソは、本来剣の手入れを行う時や、剣を鞘に納める折に使う部分である。剣身の鍔元より十数センチ。切れ味を重視するクラトスは、剣撃を受け止める際もリカッソで行っていた。
 柄を押し出すようにブレードを防いだまま、がら空きとなったユアンの側を抜ける。爪先を返し、斜めに背後を取る形で死角に移動すると、クラトスは背中側からユアンの右脇腹に左膝を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
 目の前の背が打たれ、仰け反る。低い呻き声に追撃を与えんとクラトスは剣を払いきった。跳ね退けられたダブルブレードが一瞬ぶれる。下刃に切り裂かれた雑草が足元に散った。その瞬間、生い茂る草に埋もれていた足が顕わとなる。
 彼の左足が地に踏ん張るさまをクラトスは視界の端で捉えていた。ずれる身体の重心を止めるように膝を少し曲げ、肩幅より広めに足を開く。低い体勢である。左足は一歩、前に出されていた。撥ねられたダブルブレードは手元で回され左に溜められる。脳内に警鐘が打ち鳴らされた。反射的に後ろへ跳びずさろうにも、間に合わないだろうと頭のどこかが告げている。半ば引きぎみとなった腰をそのままに、騎士は目を見開いた。
 ユアンのダブルブレードが腰の高さで横薙ぎに放たれる。右手で柄の中央より左端を掴み、己の脇腹に柄の中心を押し当てるようにして振り抜く。持ち柄を長く取った分、範囲は狭まるが振りは速い。クラトスは無意識に近い状態で剣を逆さに構えると剣の腹へ手を添えた。
 剣の中心に衝撃が加わって初めて、己が防御を取ったのだと気付く。僅かに遅れて耳に届く金属のぶつかる音。噛み合った剣の刃がブレードから伝わった力で拉げる。崩れかけの体勢では堪えきれず、クラトスの身体は後方へと吹き飛んだ。
 崩れかけの建物の外壁に背中を打ち付け、肺に溜まっていた酸素が一気に吐き出される。息が詰まった。視界は一瞬白く塗り潰され意識が飛びかける。それでも、剣は離さなかった。背の中央より腰にかけて衝撃が走り視界がぼやける。その中で、光を反射する鋼鉄の色が映る。
 強い踏み込みの音と共に、上段より叩き付けるように振り下ろされた追い撃ちを、クラトスは咄嗟に剣身で受け止めていた。
 全重量を乗せて放たれた一撃で、完全に腕は痺れた。押し負けたように僅かに腕が浮いた瞬間を狙って、返す刃で下から打ち上げられる。
 遂には剣が弾き飛ばされた。かあん、と少し離れたところへ長剣が転がる。

 顔の直ぐ横に、ダブルブレードが突き立てられた。
 砕けた石の粉と共に、赤茶けた髪の毛が数本、ゆっくりと地面に落ちる。
「止めを刺さないのか、ユアン」
 静かに問う低い声に、ユアンもまた、静かな落ち着いた声音で問い返してきた。少し口を開いてから、間を置いて声を発する。壁に背をつけたまま中腰のように体勢の低くなっているクラトスをユアンは見下ろす。どこと無く訝しむような様子に、クラトスは逆に不思議に思っていた。
「……驚かないのだな」
 青年の直ぐ下にある赤い目は、ただ真っ直ぐにハーフエルフの青年を見上げている。
「目を逸らすお前を見て、何かあると思っていた」
 時機も時機だったからな、と。囁くように付け加えられたクラトスの言葉に、ユアンが僅かに息を飲んだ。ダブルブレードを握る手に力が込められるのを、目を細めて見詰める。
 近年台頭してきた抵抗組織には、クルシス関係者の関与が疑われていた。女神復活の阻止と大いなる実りの解放を目的とした組織は、今のところ派手な活動こそなく。その存在は常に噂の域を出ていなかったものの、クラトスはミトスより調査を命じられていた。
 レネゲード、という地下組織である。
 実りを解放しようというのであれば、オリジンの封印解放は必須条件である。そうでなくとも、内通者の調査に乗り出したクラトスの存在は邪魔以外の何者でもない筈であった。
「遅かれ早かれ私のところへ来るであろうことは、解っていた」
 抵抗の様子を見せない騎士に、ユアンは弾き飛ばした剣へと視線を投げた。割れた石畳の上に、飾り気の無い一振りの剣が転がっている。
「抵抗は、しないのか」
 今度は返事をしなかった。黙りこくったまま淡々とした表情のクラトスは、近い距離で微細に揺れる彼の目を見詰めていた。考えを巡らせるように、安定しない青い目は、今更のように躊躇いの色を見せていた。
 その様子に、クラトスは口の端をほんの少し上げた。
「……手合わせ、なのだろう?」
 ユアン。
 名を呼べば。一瞬クラトスを凝視したユアンは、眉間に深く皺を寄せた。固く握られていた手の平は緩慢に広がり、ダブルブレードが掻き消える。紫電が走り、名残のように頬の表面は微かに痺れた。追い詰めるように接近させていた身体を離れさせて、ユアンが数歩後ろへと下がる。
「ああ、その通りだ」
 苦味を堪えるような顔をして、改めてクラトスを見遣った後、ユアンは踵を返した。次は本気で来い、と言い漏らして。紫に近いマナの燐光と共に空間移動をする。全くの無音でなされたそれは、流石と言うべきか。残されたクラトスは苦笑していた。
 どうせ殺すだけならば、後ろから刺せばよい話だ。今のように、唐突に空間移動をして背後をとればいい。自分はユアンやミトスほどマナの感知に長けている訳ではない。生まれ持った差異というものは、例えアイオニトスの力を借りようともどうしようもないのだと彼は知っている筈であった。
「本気で、か」
 ともすれば彼は自分の卑怯さに気付いているのかも知れない。少年を止めなければならないと考えつつ、何も行動を起こさず。ただ何かが変わることを期待し続ける騎士の卑怯さを。
 態度を明確にしない嘗ての仲間を斬れないのか。
 そこまで考えて、そういえば、彼は皮肉屋の現実主義者を気取りつつも妙に情に厚いところがあったと、不意に思い出す。
「その言葉、そのままお前に返そう」
 独り言ちて、クラトスは背中で壁を伝うように地面へと座り込んだ。


[幕切]


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