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星合い


 月は細く、星明かりを邪魔しない。随分と離れてしまったデリス・カーラーンを見つけるには打ってつけの空だった。
 夜の空を眺めることは、好きではなかった。視点の合わせづらい星空を見詰めれば、そのまま暗闇に吸い込まれて自分が無くなってしまうような、空中に一人放り出されるような、そんな感覚に陥り強い不安を感じる。それが、どうしようもなく気持ち悪くて仕方なかった。
 救いの塔跡地。幾分かは片付けたものの、今だそこいら中に散乱する瓦礫の山に腰を下ろして、ユアンは星の浮かぶ空を見上げていた。夏特有の、熱気を含んだままの生暖かい風が頬をなぶる。すっかり陽も落ち、周囲を囲む木々は黒くざわめいていた。人の気配は無い。普段は、まだ若い大樹の元にいるはずの精霊マーテルも、今は姿が見えなかった。
 そのことに心の何処かでほっとする自身を見つけて、ユアンは自嘲した。マーテルと全く同じ姿で、だが彼女とは全く違う存在。しかし細かい仕草や、ほんの些細な反応にマーテルの影を見る。彼女本人ではないにしても、かつての婚約者の魂を持つものに、他者を想う姿を見られたくはなかったのかもしれない。未練たらしいことだと口の端を歪める。
 後ろめたさを感じるくらいであれば、付き合わなければいい。そう低い掠れた声が聞こえる気がして、ユアンは星を目で辿った。
 ──余りに広く暗い空を眺めていれば、己が如何に小さくどうしようもない生き物であるかを思い知らされる。
 かつて、そう宣った男にユアンは、自虐だな、と鼻で笑った。四千年前、旅をしていた頃。野営の度に火に枝を焼べながら男は空を見上げていた。星を数えているのだと、初めそう言っていたように思う。顔に似合わず随分と情緒的な趣味だ。馬鹿にしたように呟けば、彼はやけに真顔で先の言葉を吐いたのだ。
 到底ユアンの理解しがたい行動だった。絶対にこいつとは合わない、とも思った。
 思い返して、苦笑がもれる。理解しがたいのは今でも同じだが、だからといって合わない、ということはないのだと今ならば言えた。

 星の名前など碌に覚えていなかったが、一つだけ解るものがある。淡く煌めく無数の星の集まり──天の川の向こう側へやや外れた辺りに、未だ他の星より幾分かは大きく輝いているマナの惑星。エルフの血を引くものたちの故郷はそこにあった。明滅することもなく安定した光を見せる星は、恋人を──といっても差し支えないだろう、告白をして、相手もまた拒否はしなかったのだから──連れて最果ての旅へと出た。目を凝らしたところで、如何に天使化した身であろうとも彼を見付けられるはずもない。だが、ユアンは何かを探すように目を細めてデリス・カーラーンを見詰めていた。
 クラトスもまた同じように地球を見ているのだろうかと考えて、辞めた。きっと彼ならば仕事に追われて、しかしそれを放棄することもなく、ユアンのことなど忘れたかのようにデスクにかじりついているに違いない。生真面目な男だ。精々が仕事の合間に思い出すぐらいだろう。
 互いにやるべき事あって、そのために離れているのだ、疎かには出来まい。
 風に揺れる青髪を軽く払って、ふとかつて聞いたミズホの寓話を思い出した。
 星を擬人化した話だったように思う。牛飼いと織女の恋物語だった。仕事も何もかもを放り出して恋に走った二人は、頭を悩ませた織女の父によって離れ離れにされる。真面目に仕事をすれば年に一度だけ二人の家の間に流れる川へ橋が掛かり会うことが叶う。しかし、雨が降れば水嵩が増し会うことは叶わなくなるらしい。
「いいではないか、一年ぐらい」
 私など百年待たねばならんのだ。流石に百年も同じ日に雨が続くということはないだろう、現に昨日は晴れていた。自然愚痴のように言葉を漏らし、空全体を見渡すように固定していた視線を解放した。
 周囲の景色は視界から消え、目の前に広がるのは暗い夜の空のみ。そうなった途端、何処に焦点を置けばいいのか解らなくなる。眩暈を起こした時にも似た不安定さは、己が世界から放り出されたような感覚を齎した。怖気づくように、ユアンはぞわりと鳥肌を立てる。
 ただ、今はこの吸い込まれるような感覚もそれほど嫌いでは無くなっていた。世界から拒否され、放逐されるように、宇宙空間へと投げ出されたように感じられる。
 だが、この暗い空に放り出されたとして、お前に会えるのなら悪くはない。心中で呟いて。
「百年周期でしか会えん、だなどと真っ平だ。クラトス」
 さっさと仕事を終わらせて、百年たったら帰ってこい。
 会いたい、と思うのは恋人の特権だろう。例え恋人として傍に在った時間が、別れ際のほんの一瞬であったとしても。


[幕切]


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