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温もりを感じる


 瞼へとふわりと柔らかく、温かい感触が触れて直に離れる。
 野営続きであった身体は重怠く。己よりも僅かに体温の低い──しかし確かに人の温かみを持った──存在が己を起こそうとしていることに気が付いてはいた。だが、久々に手に入れた快適なベッドと、野生の動物や魔物に突然咽喉元を食い千切られない程度には安全な場所は、交替とはいえ寝ずの番続きの肉体へ溜まった疲労をはっきりと思い出させ。ユアン・カーフェイは起きられずにいた。
 もう一つの瞼へ温かいものが触れ。ついで、横を向いていたせいで顔に掛かっていた髪を、硬い指先が不器用に梳く。
 剣を持つ手だ、と思った。
 警戒心を呼び起こされたわけではない。ただ漠然と、自身への確認に近い心持で、剣を持つものの手であると思った。
 この手の持ち主を、ユアンは知っていた。否、側に人の気配が感じ取れた時点で、ユアンの何処か本能とでも言うべき場所は一瞬にして覚醒をし、その存在が警戒をする必要のない相手だと既に確認を済ませていた。
「……──ユアン」
 髪を除けた手は頬へと沿わされ、額を寄せているのか吐息も近く囁かれた声は何処か柔らかさを含んでいる。
 起きねばなるまい。
 とうに朝だというのは解かっていた。瞼の裏をちらちらと焼く明かりは間違いなく日差しだろう。それも随分と日が高いのだ。そうでなければこの手の主が、野営明けに態々起こすようなまねをする筈もない。
 するすると頬は撫ぜられ、今度は頬へと柔らかいものが触れる。
「……ユアン」
 頬に触れた心地よい温かみが離れ、もう一度起床を促すように、だが小さく呼ばれる。
 相変わらず、感情の読みにくい声ではあった。
 起きるのを乞うている様でもなければ、目覚めないユアンへ怒っている風でもない。どちらかと言えば声音自体は頬へ触れた感触同様、柔らかいものであった。
 柔らかく、温かみすら帯びているかもしれない。
 そう気付くとユアンは、無性に相手の顔を見たくなった。同時に、もう暫くこのままで居たいという矛盾した願望が顔を覗かせる。
 周囲に対して交際を秘匿している為、共に旅をしているにも拘らず触れ合える時間というのは実に少ない。在るとすれば宿に泊まることが出来、尚且つ二人部屋を取れた時だけである。だが、その宿を取ることすらもユアン自身に──そして旅の仲間たちに──流れる血のせいで侭ならない。こうして、二人の時間を持つのは実にひと月ぶりではないかと、ユアンは思った。
 完全に意識は覚醒していたが、久方ぶりの温もりに、ユアンはもう少しだけこの空気を味わおうと決める。
「ユアン」
 囁くような小さな声で名は呼ばれる。
 起床を促しているのだろうに、明らかに眠っている人を起こすのには向いていない声音であった。
 或いは起こそうとしているのではないのかもしれない。
 そう思った瞬間、ふいに鼻が擦りあわされ。唇に柔らかいものが触れる。
「……起きているのだろう」
 押し付けられた唇がそう囁いたと思うと同時に、ユアンは無意識に深く、唇を合わせていた。

 実際に目を開けば、心中で思い描いていたような柔らかい笑みなど其処にはなく。寝台へ乗り上げ、横たわったユアンへ覆いかぶさるようにして此方を覗き込む表情は、いつも通りのポーカーフェイスだった。
「色気もくそもないな」
「昼間から求めるものではないな」
 間を置かず返された言葉へ、苦笑と些かの残念さを滲ませて、それもそうだ、と呟く。
 男の、強い赤みを帯びた鳶色の髪は、背後の窓から注がれる日を透かし、光を放つように彼の姿を縁取っていた。見慣れた白と薄青色の組み合わさった騎士服ではなく、騎士服の下へ着る薄手の紺のインナー姿の男は、屈めている上体を起こさぬまま、静かに瞬きを繰り返している。長い前髪の隙間から垣間見える目は、僅かな光の反射で赤く濡れたように輝いていた。
「目が覚めないか?」
 問われて漸く、控えめな呼びかけは眠る自分を起こそうとしていたのではなく、ただ目が覚めるのを待っていたのだと、ユアンは気付く。
 無意識のうちに、此方を見詰める赤茶けた瞳をただ無心に見返し、呆けていたらしい己に再度苦笑しつつ、
「そのようだ」
 開き直ったように相手の腰に手を回したユアンへ、目の前の男──クラトスは何処か揶揄するように口元へ笑みを刷くと。もう一度、唇を寄せてきたのだった。


[幕切]


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