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忘れもの


 時折、男が目を細めながら自分の行動を見詰めていることに、少年は気付いていた。
「なあ、どうかしたのか?」
 振り返りながら問うた言葉は、一瞬の間を置いて否定される。
 今日の泊まりと決めた宿は、明るい木の色を基調とした小綺麗な宿だった。手入れもよく行き届いており、建物自体が比較的新しく見える。海に面して大きく設けられた窓は開いており、日当たりも風通しも申し分なかった。
 窓辺に身を寄り掛からせたままロイドは、部屋の奥に視線を投げた。余り風の当たらない部屋の隅に椅子を移動させ長剣を抜いた男は、少し前から黙々と剣身を拭っていた。手入れの仕上げに使う清潔な柔らかい布を持って、3センチ程の刃幅を挟む様に滑らせ丁寧に拭き上げる。その手つきは随分と慣れたものであった。
 傭兵という職業柄、慣れていて当たり前かと、白い指先を見詰めて思う。オープンフィンガータイプのグローブから覗く指先は、綺麗に手入れが為されており、これもまた彼が剣を扱う者である証明の様に思えた。
 剣を握るのであれば、爪の手入れを欠かしてはならない。世界再生の旅に同行するうち、傭兵は剣術理論だけではなく。剣士として戦う者に必要な物事の、基本的な部分を教えてくれるようになっていた。それは、誰に師事することなく独自に剣の腕を磨いてきた少年にとっては、新鮮そのものであった。
 黙々と手入れを続ける男を、少年は何度か瞬きをしながら、じっと見詰めていた。
 少年に向けられる視線は、決して刺のあるものではない。気付いたのはごく最近であった。ただ無言のままに投げ掛けられるそれは、少年が振り返れば既に逸らされた後であり、大抵振り返った先では一人の男がいずこかを眺めているばかりであった。
 反発心と嫉妬が心を占めていた数ヶ月前までの少年は、当然の如く一人で怒り、青年を怒鳴りつけては無視されることを繰り返していた。余裕、というものが無かったように思う。傭兵によって教えられた剣術と知識は、少年に剣の腕だけではなく内面的なゆとりをも与えた。
 未だその余裕が大きなものであるとは言いにくいが、とにかく目の前の傭兵に対して無闇に突っ掛かるといったことはしなくなった。相手が自分よりも強いと解っていても、不思議と心が荒れることはない。勿論、目の前の男に追いつきたいという欲求が消えたわけではないのだが。
 部屋の隅。少し影を含んだ場所で静かに剣を磨いていた男は、剣先まで布を滑らせてから布を剣から離した。直接陽の当たらない場所でも、よく磨かれた剣身は白く光を帯びて見える。幾度か角度を変えて刃に曇りが残っていないか確かめた後、男は立ち上がりベッドの上に横たえたままの鞘を拾い上げた。剣帯の金具が揺れて、硬質な音を立てる。
 ロイド、と低い声が少年の名を呼んだ。
「剣の手入れをしておいた方がいい」
 潮気を含んだ風は、剣を錆びさせる。
 無造作にも見える手つきで鞘に戻された剣は、そのままベッド脇の壁に立て掛けられた。明るい色をした木の壁に、焦げ茶に近い鞘が影のように見える。
「そうなのか?」
 窓枠へ腰掛けるようにして座っていたロイドに、クラトスが眉を寄せて、やめなさいと咎めた。こちらに向き直った赤鳶色の髪を、窓から勢いよく吹き込んで来る潮風が揺らす。一瞬、ロイドは目を奪われた。光沢のある髪はやや硬いのか、風に流されては跳ね返るように戻ってくる。本当に一瞬だけの光景は、遠い記憶へ重なりかける。しかしその間も続けられる傭兵の講釈に、少年は視線を傭兵の顔へと戻した。
「片刃の剣にとって、特に錆びは天敵なのだ。切れ味が落ちてはものにならなくなる」
 お前の養父は刀鍛冶はしていなかったのか。問われ、ロイドは、トン、とブーツの裏を鳴らして床に降りた。軽く首を捻ると腰に手を当てる。唸るように考えるロイドに、クラトスは黙って待っていた。
「打たないこともなかったけど、親父のとこに来る依頼は細工物の方が多かったし」
 それに、とやや拗ねたようにロイドは言葉を続ける。
「半人前に刃物は触らせねえって」
 言って、仕様がないとばかりに軽く肩を竦めた。潮の微かに生臭いような独特の臭いが鼻先を擽る。細工に使う道具は別として、事実ロイドは村を出るまで殆ど剣に触れたことがなかった。
「では、金属の扱い方について教わりはしなかったか」
 立て続けに投げ掛けられる質問に少年は、それぐらいならと頷いた。加工や細工の仕方よりも先に、扱い方が解っていなければ細工師の仕事など出来ないと、少年は養父から教わっていた。中々手に入らない稀少な金属も、扱い方一つ間違えればただのくず鉄となってしまう。材料の一つ一つを無駄にしないためにも、扱い方は真っ先に覚えねばならないことだった。
 直ぐさま頷いた少年に、傭兵が、そうか、と呟く。
「ならば話は早い。それと同じだ。剣も、潮の影響を受けやすい」
 十分に気をつけてやることだ。そう言って、ふ、と一息入れるように言葉を切ってから、クラトスは改めて少年に視線を合わせた。赤みを帯びた眼が、真っ直ぐに己を捉えている。その目の奥に一瞬、時折向けられる無言の視線と同じような、温もりのようなものを感じた。
「なあ」
 咄嗟に開いた口から、声が漏れる。視線のみで返される返事に、ロイドは、にかっと明るい笑みを浮かべてみせた。
「教えてくれよ、剣の手入れの仕方」
 不思議そうな顔をした男に、少年はもう一度繰り返した。
「教えてくれよ。俺、今まで木刀ばっかり使ってたからさ。剣の手入れの仕方って、まだよく解んねえんだ」
 腰に下げたままになっている双剣の柄頭に手を置いて、ロイドはクラトスを見詰める。搗ち合った視線に、戸惑うように暫し黙っていた傭兵は、ほんの少し口元を緩めた。ごく自然な仕種で微笑を浮かべた男に、少年は笑顔を返す。
「いいだろう、来なさい」
 部屋の隅に置いていた椅子の側へ、もう一脚椅子を寄せて剣帯を外す。
 まだ若い男に父を重ねるのは、かつて男に妻子が有ったと聞いたからだろうか。もしも父が居たのなら、こういう風に会話も出来たのだろうか、と。考えて、ロイドは向かい合わせになった椅子に腰掛けた。
 置いていってしまったのだから、せめて今だけでも。自分が借りてもいいだろうか、と夢想しながら。


[幕切]




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