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せめて愛には鈍感であれ


 日々、物事へ鈍感になっていくと、感じずにはいられなかった。それは、時間や、感情や。痛み、周囲での出来事。或いは命の重さか。
 彼は降ろしていた白い瞼を押し上げると、ウィルガイアの人工的な白い光に視界を焼かれそうになり、思わず目を細めた。左手を目の前に翳しマナ灯の明かりを遮り、漸く細めていた目を開くことが出来る。
「起きたのか」
 クラトス、と隣りから掛けられた声に目線だけを動かし、クラトスは直ぐ隣りへ寝そべった男を視界に捉えた。肌を合わせた後、抱え上げていたクラトスの足を降ろし、身体を跨ぐように乗り上げてきていた筈の相手は、いつの間にかクラトスの上から撤退していたらしく、隣りへと身体を横たえ、こちらを観察していた。
「……ああ」
 決して、眠っていたわけではない。極限まで強化され無機生命体と成り果てた肉体は、睡眠を必要としない。それを理解しておきながら殆ど毎回のように、そうだ、と頷いてしまうのは、単に己の思考の中へと深く沈み込み思い巡らせていただけだと説明をするのが面倒なのか。何を考えていたのだと訊ねられることが億劫なのか。或いは、眠っていたと思わせておきたいだけなのか。ここ数年何度か繰り返し自問してきた問いではあるが、クラトスには未だ判断がつかなかった。
 其処まで考えてふと、或いはこの、己の隣りに身を横たえた男は眠りに付くことが可能なのだろうか、と思い到る。
 温かみや慈しみといった情を欠片も匂わすことのない緑色の目は、初めて戦場で対峙した時と同じ、鋭く光を反射していた。ただ、嘗てはあった険が、今は見て取れない。嘗ては全身から噴き出さんばかりであった殺気が、今では毛程も感じ取れはしない。もっとも、それを隠せないほど愚鈍な男ではないと、クラトスは知っていた。
 マナ灯の明るさへ慣れ始めた目を数度瞬かせたクラトスは、額の上へ翳していた手を退けると、自身の視線へ従うように頭を男の横たわる方へ傾けた。数本、汗で張り付いた髪の毛が首を擦り、引き攣れた皮膚がちりりと痛む。むず痒くも感じる微かな痛みを、だが放ったまま。隣りの男を観察すれば、片腕を枕代わりに肘を突き、少し高くなった頭の位置から見下ろすように此方を眺めていた男は。一瞬不機嫌さも露に、眉頭へ力を入れ、枕にしていない方の腕を此方へと伸ばした。首へ触れた指先に、思わず瞼を伏せて視界を暗転させ、暫し待つ。
 指先は、何度か皮膚を啄ばむよう触れると、直にその姿を晦ませた。
「妙にしおらしいではないか、口付けでも送ったほうが良かったか」
 からかいを含んだユアンの言葉へ、クラトスは億劫さを感じながら瞼を押し上げると、思いのほか近くへ伸ばされたままであったらしいユアンの指が、そろりと頬を撫ぜ戯れるように唇へ触れる。
「必要ないな」
 唇を辿る指先に若干の動かしづらさを感じながら、クラトスははっきりした口調で返した。ユアンは、素っ気無い返答へ特に動揺するでも傷ついた表情を見せるでもなく、寧ろ生真面目に答えたクラトスを面白がるように口の端を軽く引き上げて、そうか、と言うと。それ以上は揶揄を重ねるでもなく、唇をなぞっていた指先を滑らせ、ついと赤茶けた髪を摘み上げた。
「相変わらず中途半端な長さだ。これだから首へへばり付くのだ」
 ばらばらと乱れた髪は汗を含み、ユアンの指の間で項垂れている。半端な丈である、という自覚はあった。意図してのことではない。ただ、伸ばせば手入れが面倒であった。赤みの強い髪は手入れが難しく痛みやすい。その癖髪の毛自体は太くやや硬いため、手入れを怠れば荒れた髪は脹らんだようになり、そうでなくとも外側へ撥ねる毛先は全く手に負えないこととなってしまうだろう。
「いっそ切るべきか」
「馬鹿を言え」
 特に深く考えるでもなく出した案を、あっさりと一蹴され。クラトスは何とはなしに見詰めていたユアンの指──己の髪を摘んだままの指──から視線を外した。
「長い髪は首を護るためにあるようなものだ、安易に切っていいものではない」
 ならば尚のこと、切ればお前の好都合ではないか。胸の内に浮かんだ言葉を鳩尾辺りにまで沈ませ、クラトスはユアンの手を押し下げるように降ろさせた。特に抵抗もせずに、ユアンがすんなりと摘んでいた髪を手放す。
「文句を言いたいだけだろう、お前は」
「ああ、そうかもしれんな」
 皮肉気に吊り上げられる薄い唇。細められた緑眼は相変わらず、逸らされることも無くクラトスを観察していた。会話は途切れ、ただ互いの顔を眺めるだけの時間が流れる。
 マナを消費して灯る魔術灯は火のように爆ぜる音も立てなければ、電気の何処か神経質な音が立つこともない。閉ざされた室内は風も通らず、ウィルガイアの──古のエルフ達が捨て去った魔科学技術の粋が集まったこの──設備では空調すらその存在を主張することは無い。
 己自身の呼吸と、心臓の拍動。それから同じ寝台に身を横たえた男の一定した呼吸と、どちらの立てた音ともつかないシーツの擦れる音が、鼓膜を揺らすのみであった。
「……お前は、どうなのだ」
 間に落ちた沈黙に、居心地の悪さを感じたわけではない。ただ、男──ユアンの静かな呼吸を耳にしているうちに思わず問いたくなった。
「どうとは、何がだ」
 怪訝な表情を浮かべた男へ、クラトスはユアンのすっきりとした目元を目でなぞった。くっと吊った目は、薄い唇やそこから出される言葉の鋭さ、彼自身の行動力と決断力の高さも相まって、冷酷と揶揄されることが多い。最も、それがユアン・カーフェイの一面に過ぎないのだと、共に旅をした仲間達はよく理解していた。
「お前は、切らないのか」
「髪をか? 切るわけがなかろう」
 首を守るためか、とは聞かなかった。
 クルシスの幹部が命の危険を感じるような相手が、四千年前と比べて随分と衰退したこの二つの世界の何処に居るのか。或いはそれはお前が水面下で密やかに描きつづけている反旗と関係があるのか。
 問うていけば、余計な詮索までしてしまいかねない。
 特に、聞きたいとは思わなかった。
 するりと滑り込む確証のない、妄想とでも言うべき思索へひとつ溜息をついて振り払うと。クラトスは、そうか、と呟いてもう一度、ゆっくりと瞼を閉ざした。
 静かに、温かい手の平が髪を梳いたような気がした。


[幕切]

2013・07─拍手掲載


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