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Restart


 早いに越したことはない、といったのはクラトスだった。
 準備が済み次第出立する。こちらに背を向けたまま言葉を落とすクラトスに、何処へ、と。話は最初から聞いていた筈だったにも関わらず、ロイドの頭のなかにはそんな疑問しか思い浮かばなかった。

 デリス・カーラーンへ向かうには救いの塔跡地からの方が移動しやすいだろうと、早朝イセリアの家を出てレアバードに乗り込んだ。まだ白み始めたばかりの東の空に背を向けて北西へと舵を取る。前方を、青っぽい光の尾を引きながら、迷うことなくレアバードを飛ばすクラトスを見つめて、ロイドはハンドルのグリップを握りなおした。
 了承と手伝いの申し出しか出来なかった。結果、別れの時間を早めることとなると解っていながら、ロイドはクラトスが出ていく準備を手伝った。ダイクの家に連れてこられていたとはいえ、クラトスに荷物など殆どなく、寧ろいくつかの生活用品を買いに行く程度だった。以前から本人の中では決まっていたことなのだ、解かれていないクラトスの荷物を見やってロイドはそう悟ってしまった。準備に要した時間はそんなに何日もなく、周りへの挨拶にと二人で数カ所を回った。クラトスの知り合いなんてそう多くもないから、ロイドが宣告を受けてから共に過ごした時間は本当に三日ほどだった。
 目的地である救いの塔跡地の周辺には瓦礫が多く散らばっており安全に着陸出来る場所がない。先行していたクラトスが何度かアクセルを緩めエンジンの光を小さく点滅させて合図を送ってきたのは、救いの塔手前に広がった森が近づいてきた頃であった。着陸の合図に操縦管を少し前に倒してアクセルを緩める。高度を落としたところで機体を真っ直ぐに戻すと、翼のフラップを曲げて揚力を増しながら着陸体制に入った。
 救いの塔からほんの少し南、森の開けた場所にレアバードを着陸させる。ドン、と軽い衝撃と共に地に着いたレアバードから降りてウィングパックに仕舞う。ロイドよりも先に着陸していたクラトスは、その姿を暫し見つめてから落ち着いた足取りでロイドの元に近づいてきた。近寄りきらないまま、距離を置いて立ち止まった父親に半分だけ振り返って視線のみで問う。クラトスは、やはり沈黙したままその場で何かを握った右の手を差し出してきた。
「何?」
 朝から一度も開いていない口は、緩慢に動いて思っていたよりも小さい声しか出なかった。薄暗い森の中に声は吸い込まれるが、しかし父親には届いてる筈だった。黙って見つめてくるクラトスに、ロイドはぎこちなく歩み寄って手の中を覗く。灰色の闇の中でゆるゆると開かれた白い手のひらには、ツルリとした黒い光沢をもった平たいケースが収まっていた。
「ウイングパック?」
「私にはもう必要のないものだ。お前に持っておいてほしい」
 今日最初に聞いた声は、ロイドの準備の出来ていない寝起きのような声とは違い、普段と何ら変わらない声であった。黒い小型のウイングパックを受け取って、しげしげと眺める。おそらくクルシス製なのだろうそれは、自分の持つものよりも一回りほど小さかった。
「……エレカーのように大きな物を入れる必要がないからな」
 自分の持つウイングパックと比べるロイドにクラトスが答える。容量がそれほど大きいものではないのだ、と。しっかりと握って視線で訪ねるロイドに、クラトスは僅かに表情を緩めて頷いた。背後から差し込んできた光に影だけが取り残されて、足下がはっきりと地についた。薄闇にぼんやりとしていた世界は朝日に色を取り戻して形をなしていく。
 目元を眩しそうに細めたクラトスは、逆光になってしまったロイドの顔を暫く見つめていたが、ふいと視線を、上りつつある太陽へ逃がして、直ぐ眉間に皺を寄せ背を向けた。黒と見間違えるほど濃い紺色をした燕尾のマントが揺れて、白い光に滲んで見える。
「日が昇ったな、行くぞ」
 頷いたのを気配で確認したのか、はたまた確認する必要もないと考えているのか、背を向けたクラトスはそのまま振り返ることなく歩きだした。

 あちこちに見える瓦礫を放っておけば、森の中は穏やかだった。
 小走りでクラトスとの間にあった微妙な距離を追いつくと、隣に並んで歩調を合わせる。その殆どが崩れてしまった救いの塔は、地上からでは一体どこにあるのか全く見えてこなかった。ただ、そんなに離れたところに降り立った訳ではない。もうじき、たどり着いてしまうであろうことは解っていた。
 救いの塔についたら、そこでさよならだ。
 視線をやや下に落とす。視界に入る赤いブーツが少しだけ歩幅を小さくした。隣を歩いていた白と紫を組み合わせた特徴的なブーツが一瞬立ち止まって、直ぐに歩調を合わせてくれるのが解る。相も変わらず口数の少ない父親は、どうしたとも何にも聞いてこないが、只黙って隣をゆっくりと歩いている。沈黙も今日ばかりは気まずさを感じなかった。歩く早さを緩めて、しかし決して立ち止まるようなことはなく。
 結局、親子らしい会話なんて殆ど出来なかった。父親だと言われても今一ピンとこなかったし、クラトスもロイドの態度に思うところがあったのか、それについて言及してくることはなかった。父親としてというよりも、仲間の一人として接してくることの方が多かったのも事実だ。
 それが、今になって実感が湧いてくる。
「俺、今更後悔してる」
「……」
 沈黙の返事はいつものことだった。ふと笑いがこみ上げてくる。アンタ、ここ、聞き返してくるところだぜ。例えばリーガルでも、何をだって聞き返してくるよ。心の中でだけそう呟いて並んだ足を見つめる。バラバラに動いてはいるが同じ速度で進む二組の足。頭の中を整理するように口を噤んでから、ちょっと瞬きをした。
「何でアンタと、もっと話しなかったんだろう。ってさ」
「……そうか」
 少しの間に、そうかってことは無いんじゃないか、とロイドは顔を上げた。わざとらしく拗ねたように口をへの字に歪めて10cm近く自分より背の高い相手の顔を見上げる。優しい風と木漏れ日に露わにされたクラトスの顔は、穏やかに笑んでいた。
 反則だ。思いがけない表情に目をそらすことも出来ず立ち止まってしまったロイドに、半歩遅れて立ち止まったクラトスは、つと振り返った。真正面から向けられた微笑みに、頬が熱風に吹かれたように熱くなる。
「それでも、やり直せる。後悔しても、気付けたなら、やり直せると教えてくれたのはお前だろう?」
 諦めてくれるなと、ほんの少しの寂しさを思わせるクラトスの笑みに、別の後悔が生まれてくる。
 鼻の奥の痛みと熱さを感じる目の裏を誤魔化すように、歯を食いしばって笑みを返してみせたロイドは、そうだよな、と一歩踏み込んでみせた。もう一度隣に並びなおして、朝の冷たい空気を肺に取り込む。
「やり直せるさ、いくらでも!」
 今からでも。言い切って、全力でクラトスの左手を掴んだ。気づいたならやり直せる。痛い、と訴える父親に慌てて右手の力を緩めながら、ロイドは塔につくまで兎に角沢山、話をしようと考えた。取り戻すことは出来なくても、やり直すことは出来る。時を埋めることも出来る。
 救いの塔までもう少し。繋いだままの手を何度か握りなおして、ロイドは、何の話からしようか、とクラトスに精一杯の笑顔を向けた。


[幕切]




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