■tos | ナノ
殺しに来いと剣は笑った


「傷の舐めあいにもならんな」
 嘲りと侮蔑を含んだ男の声は、飾り気も何もない室内へ、よく響いた。
 ソファに座る部屋の主の前へ、立ったままのクラトスは。視線を逸らすこともなく黙したまま、じ、と男を見据える。
 長身の男であった。鍛え上げられた体躯には、無駄一つなく。只座っているだけの姿からでも、彼が幾度も死線を乗り越えてきた強者であると知ることができる。浅縹色の長髪を一本に括り、長い前髪の左を耳へ掛け、右側だけを顔の横へ垂らしている。だが、エルフ種に多く見られるすっきりと整った顔立ちでありながら、髪を掛けた耳は、エルフの長いそれとは違い、丸い、人間の耳をしていた。一見して、この男がハーフエルフであると示している。
 沈黙を続けるクラトスへ、男は眉間の皺を深くすると、浮かべていた嫌悪の色を強くした。深い、微かに青みがかった緑色の目である。
 綺麗な目だ、とクラトスは思った。暖かみと慈愛をもって、この目を向けられていた相手を知っている。己に対しては苛立ちや侮蔑や、或いは挑発をもって向けられることが多かったが。思いのほか、優しい笑みを浮かべることもあるのだと、クラトスは知っていた。
 そして、彼の──共に行動を始めたばかりの頃から考えれば実に意外な──一面を引き出した女性が、もう二度と自分達の前に姿を現すことがないということも、クラトスは知っていた。
「それとも、慰めか。同情のつもりか?」
 搗ち合った視線に覗く、ともすれば敵意とも見てとれる感情へ、クラトスは目を細める。
「ユアン。お前が、慰めが必要だと言うのならば、それでもいい」
 言えば、男──ユアンは、は、と鼻で笑った。返された視線は、先程よりも格段に鋭さを増してみえる。
「慰めか。慰めだというのならば、そんなもの。私には必要ない」
 忌々しげに吐き捨てられた言葉へ、クラトスは、ただ一言。そうか、と返した。


 随分と趣味の悪い申し出だ、とユアンは不快感も露に顔を歪めた。
 目の前に立つ男の性格上、その手の冗談だ、というわけでもないだろう。そうだとしたら、相手は何を考えているのか、ユアンには理解しがたいことであった。
「仮に私がお前に答えたとして、お前は私に一体何を求めている」
「……何も」
 間をおいて返答した男へ、ユアンは嘘だ、と思った。
 濃い赤褐色のやや長い──伸ばしているというよりは、放置した感のある──髪は、男の表情を隠してしまっていた。魔術灯の絞られた明かりに照らされて、癖のある髪は独特の赤い輝きを見せる。引き締まった身体は筋肉質ではあるが、自分と比べれば幾分細身にも映った。最も、それこそ扱う得物の違いか、或いは戦法の違いというものが現れているのかもしれないが。
 不躾な視線に対しても、身じろぎ一つすることなく立つ男は、ユアン同様、かつては戦場を駆けていたはずであった。眼光鋭く一瞬で戦況を見極める火のような眼。必要と有らば村落ごと焼き払うよう指示を出し、己が手足を動かすが如く兵を剣を操っていたのは、他でもない目の前の男の持つ白い手だった。
 幾度となく刃を合わせた、互いに削りあうような戦場での駆け引きを思い返して、ユアンは奥歯を噛み締める。
「ならばお前の言葉は嘘だな」
 視認出来ないほど僅かに、頭が揺れたのか。長い前髪が揺れて、隠れていた赤みの強い眼が髪の隙間から覗いた。その眼が、少したりとも己の眼から離されていないことを知り、ユアンは意識的に視線を強める。睨んでいるのかと取られかねないほど、棘を含んだ眼に、だがクラトスは怯むこともない。
「与えるだけの感情は、いづれ底をつく」
 感情の見えない白面に、嘗て──戦場で相対した時や、共に旅をしていた頃に──宿っていた燃える石炭のような眼は。光量の足りない室内において、燻る炭のような色をしていた。
 熱意的な眼である、というわけではない。ただ、坦々と此方を見詰め、決して目線を外そうとしない。唐突に、彼が己の目の、瞳孔一点をのみ見ているのではないかと、そんな錯覚に陥った。
「ただ与えるだけで、何も求めないというのなら。クラトス、お前は何処までつくせる」
 眉を顰め、数歩の間をあけて立つ男──クラトスの真っ直ぐに向けられる眼を見返す。逡巡する様子も、何かを考える素振りも見せない男には、数千年前に見せていた鋭い視線や隙の無い振る舞いの面影も、何も無いように思え。そのことへ、ユアンは確かに苛立ちを感じた。
「お前は」
 お前は、と繰り返して。計るように眼を細める。
「その感情のために死ねるのか」
 部屋にはただ沈黙が落ち。そこで初めて揺らいだ視線へ、ユアンは、く、と口元を歪めた。


 挙動を注視する緑の目は、何を企んでいるとでも言わんばかりの剣呑さでもって此方へと向けられていた。多分に警戒の色を含んだ視線へ、それも仕方ないことだと、クラトスは妙に納得する。我ながら信じがたい感情だろうという自覚は、あった。
「仮に私がお前に答えたとして」
 仮説であるという前提を置いたユアンの問いを、クラトスは指一本動かさないまま静かに聞く。
「お前は、私に一体何を求めている」
 不快。否、不快感よりも不可解さの方が先にたっている、そんな声音だった。
 暗に拒絶されているにも関わらず、自身の感情を言葉として伝えたときよりも遥かに、心のうちが鎮まっているのを感じて、クラトスは、ふと眉間に力を入れた。
 自身の内にある気持ちが、決して受け入れてもらえるようなものではないと、確かに自分は理解していた。理解したうえで、それでも告げたのだ。だが、拒絶されたことに、全く動じていない自身へクラトスははっきりと呆れていた。
(拒絶どころか、言葉を信じてもらいすら出来ていないというのに。)
 そんな考えが浮かび上がり、しかし思考は直に脳裏から打ち消された。
 自然と寄っていた眉間から、意識して力を抜き、数度瞬きをする。部屋の主は、ローテーブルを挟むように置かれた向かい合わせのソファーの一方へ腰掛けたまま、やはり動向を探るような目つきで、此方を見ていた。
 落ち着いた室内は、飾り気の無い印象だった。それでも、ウィルガイアに存在する他の部屋と比べれば、随分生活感があるように思う。少なくとも、人として生きるのに必要な設備は、この部屋には整えられている。清潔に保たれたテーブルや、ソファー。ボトルの入ったワインラックと、大小の木製フレームのガラスキャビネット。続き部屋にベッドルームと、その奥にシャワールーム。調度品はシンプルだが質のいいものが揃えられている。
 全て、今の自分たちには必要のないものであった。
(感情の無い天使たちとは違う。)
 種としては成り立っていない種族を指して、今はそれらと同じに成り果てた自らを省みる。ユアンからすれば、クラトスも、或いは彼の義弟も、あれらと同じなのかもしれない。
 ベッドルーム以外は全く手をつけていない自らの部屋を思い起こし、ついで寝台すら置いていないミトスの部屋を思い出す。
(私は、お前の愛を求めているのだ、といえば。お前はどんな顔をするのだろうな。)
 ただ、彼女を失った痛みを抱えたまま、未だその傷を癒すことも出来ずに天使達の指導者へ反旗を描こうという男へ、愛情を求めるなど、今のクラトスには到底、出来なかった。


「そうすれば」
 静寂の中に落とされた声は、沈黙の後に紡がれたとは思えないほどに平坦であった。
 逡巡するように揺れていた視線は、答えが纏まったのか、既に落ち着きを取り戻している。相変わらず、躊躇いも無く人の目を見て会話する男は、思えば戦場で相対していた時から、視線が──其処へ何かあるのかと問いたくなるほどに──搗ち合うことが多かった。直に興味を失ったかのように逸らされることも多かったが。
 ただ、今日に限って、一度たりとも逸らされていない。
「そうすれば、お前は私を愛するのか?」
 目の奥を覗き込まれているような感覚に、ユアンは少し身を引いて、顔を顰めた。背中をソファーの背もたれへつけて、せせら笑う。実に馬鹿げた質問だ、と彼は思った。
「私が、お前に永遠を誓うと?」
 相変わらず、此方が何を言おうと身じろぎ一つせずに言葉を受け止める男へ、ユアンは鼻で笑った。視線を暗い赤褐色の目から外して、男──クラトスの腰へ目を向ける。普段佩いている剣は其処に無く。純粋に、この男が剣を帯びていないのは珍しい、と思った。このウィルガイアに於いて、敵と呼称できるものなどいない。悪意あるものや、ウィルガイアに只一人の人間であるクラトスに対して、敵意を隠さないものはいくつかいるものの、明確に敵対しようというものはいるはずも無かった。何よりそれは、ユグドラシルが認めはしないだろう。そして、ウィルガイアの主であるユグドラシルの意に歯向かうものは、存在しない。
 だがそれでも、クラトスは常に帯剣していた。ある意味でそれがクラトスという男の象徴でもあったように思う。
 部屋の主から勧められないかぎりは、何処かへ腰掛けるということもしない男は、相変わらず突っ立ったまま、此方へ視線を注いでいた。剣を置いてきたことで、敵意がないとでも言いたいのか、或いは、此方の油断を誘っているのか。考えた所で、彼の発言同様、理解などできる筈もなかった。
「馬鹿をいうな」
 吐き捨てるように言い放つ。
 了承であろうと、拒絶であろうと。どちらの返答がなされようとも苛立ちしか生まない質問をぶつけた自分にも嫌悪感が募った。同時に、男へ対して酷く冷たい感情が浮かぶ。その怒りにも似た感情が、かなり理不尽なものである自覚はあった。
 嘲りを含んだ言葉へ、それでも前に立つ男は、何処か平坦な調子で、そうか、と無感動に零す。
「ならば、出来る」
 それならば、と。色素の薄い、唇の隙間から漏れ出た言葉は、ユアンの耳へ触れはしたものの、脳まで届くには暫く時間がかかった。思わず、反射的に。目の前の男の顔を見上げていた。
「お前の心へ傷を残さず、お前が責を伴わないのであれば」
 搗ち合った視線はやはり、真っ直ぐに此方へ向けられており、思わず目線がそこで止まる。
「私は、死ねる」
「……馬鹿だろう、お前は」
 苦々しく、搾り出すように詰れば。クラトスが、ふ、と目元を緩め、僅かに笑んだような気がした。


 クラトスがウィルガイアより出奔した、とユアンがユグドラシルより聞かされたのは、例の問答があった数日後のことだった。
 クルシスへの抵抗勢力を集めている側からすれば、クラトスの失踪は実に好都合だと思えた。ユグドラシルの片腕である、四大天使の一人が失踪した。まいて、天使の中でも自我のあるものやディザイアン階級の中には、あれが元は人間であるというだけで──実に愚かしいことに──反感や不満を抱いているものも少なからずいた。今回の事件は、ユグドラシルの力を削ぐ以上に、意味のある出来事となるだろう。絶対的指導者にも間違いはある、と印象付ける。一人の独裁者によって動かされている組織に於いて、それはいづれ組織の内部崩壊へ向けての蟻穴となる、とユアンは踏んでいた。
(オリジンの解放へ向けて、手を拱いていた我らにとっても、朗報であることに違いは無い)
 クラトスは、フランヴェルジュを置いていった。それは恐らく、ユグドラシルに対しての明確なる意思表示だったのだろうと、ユアンは推測している。
 何一つ持ち出されていない筈であるというのに、何一つ──塵すらも──ない閑散とした部屋だった。部屋の構造自体はユアンの部屋と同じであるのに、視界を遮るものが無いだけで室内はやけにだだっ広く思える。明かりも、予め備え付けの魔術灯が一つあるばかりで、それすら部屋の主のいない今は消されていた。寝室へと続く部屋の扉は閉じられているが、寝室もこの部屋とそう変わりなく殺風景なのだろうと、容易に予測できる。
 行方を眩ませた男の部屋へ、足を踏み入れたユアンは、じっくりと室内を見渡した。本当に、何も無い。ぽっかりと開けた空間には、調度品も何も、物が無く。ただ壁と、床と、天井と、壁についた魔術灯があるのみ。これが人の住む部屋か、とユアンは眉を潜めた。
 今すぐにクラトスを確保する必要はないが、奴がユグドラシルの手のものに見つかると厄介である。今はまだ、設立したばかりの地下組織には、事を起こすだけの力も準備も足りない。徐々に人員を増やし、設備を整え、十分な成功率を伴った計画を練る必要がある。そして、事を起こすのならば間をおかず一息に推し進めねば、どう足掻こうとも──組織の大きさを鑑みれば──勝ち目は無い。作戦が露見した地点で、潰しに掛かられることは目に見えている。
 それ故に、ウィルガイアにいるクラトスには手出しが出来なかった。
(だが、地上に降りたのであれば、或いは事故に見せかけることも。)
 考えて、ユアンは軽く一度頭を振った。顔の横へ垂らした髪が、頬を掠める。
(今はまだ、その時ではない。)
 動向を探るだけでいい。何処へ潜み、何をしているのか。期が満ちるまでは手出し無用だと、自分へ言い聞かせる。
 結局のところ、この部屋から情報を得ることは難しいだろうと考えて、ユアンは踵を返した。唯一、男が使っていた寝室を暴けば、何かしら残っている可能性もあるが、元より情報を残すような下手を打つ男ではない。
 廊下へ出る扉の前へ立ち、右脇へ備え付けられた小さなパネルへ指先を触れさせる。小さな稼動音を立てて扉はひとりでに開き、ユアンは一歩廊下へ出た。鉄を仕込んだ軍靴の底が、廊下を叩いて音を響かせる。
(捕らえておくべきだったか。)
 留守中の組織を預けている腹心の部下の耳へでも入れば、相手の感情を逆手にとるべきだった、と言うだろう。少しでも危険を回避する道があるのなら、その道を選択して部下を導くのは、リーダーの勤めであり義務でもある。
(まして、クラトスはレネゲードの存在にも、率いているのが誰なのかも、気付いている。)
 気付いていながら、死ねる、といったクラトスの意図が、ユアンには解らなかった。
(追い詰めるような質問をしておきながら。)
 クラトスの考えが読めない。だからこそ、慎重になるべきだと、自分を無理矢理納得させている。
(追い詰められたのは、私だ。)
 愛しているわけではない。それでも、死なせずに済む方法は何か無いのかと、考えて始めている己に、気付いてしまった。
 一瞬、足を止めたユアンは、眉根を寄せ、態と不機嫌そうな顔を作ると、足音高くウィルガイアの居住区画を後にした。


[幕切]*2012/07/09企画文の以下四つを同時掲載したものです。
【傷の舐めあいにもならない】【嘲笑者は傷を隠し】
【永遠をお前に誓うと?】【追い詰められたのは誰か】


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