■tos | ナノ
haima


 滑らかな白い頬、円を描くようにするすると撫でていた指を、首筋を辿って鎖骨の間へと撫で降ろした。少し厚めの形のいい唇へ、触れるように己の唇を這わせ、そのまま下唇を軽く食む。応えるように少しばかり唇を開いた相手へ微かに笑むと、もう片方の手の平で顔へ掛かっている赤褐色の髪を除けるように相手の頬を撫ぜる。髪の色と同じ色素の薄い睫毛は伏せられ、その下の燃えさかる炭のような目は、室内灯の明かりの下でなお、ゆらゆらと輝いて見える。
 ふっくらとした、男にしては柔らかな相手の唇を舌先で舐め、啄ばむような口付けを繰り返せば、赤褐色の髪に包まれた白い面が、戸惑いを含みながらも少しばかり色付いた。目元を染め、羽織ったままであった黒い外套へ指を掛けた男は、そのまま絡めるように此方の髪へと指を伸ばすと、ゆっくりと髪を束ねていた紐を解く。肩の上を浅縹色の長い髪が流れ、男が目を細めた。
 男の目元へ唇を落とし、笑い返すと、もう一度口付けを交わして、首元へ這わせていた指先を服のラインに沿わせて降ろす。二本巻いてあるベルトのバックルを弾き、前を寛げると、上着の裾をたくし上げ、ぴったりとした上着の中へ指を滑り込ませた。腰元から脇腹へ撫ぜ上げる。身体を寄せて、真っ直ぐに自分を見詰める男へ。深く、愛おしさを感じた。

 覚醒して、思わず傍らの温もりを探した己に、男は溜息を吐いた。
 いるはずもない温もりを求める自身に嫌気が差す。長椅子の上へ身を横たえたまま眠っていたらしい身体を起こして、右脇腹から左へかけて走った激痛に、息を詰める。自ら別れを切り出したにも関わらず、未練がましいことだと、ユアンは自嘲した。手を伸ばして、テーブルの上を探る。かつ、と指先へ当たった瓶を引き寄せて、キャップを捻った。黒に近い濃紺の傭兵服へと身を包んでいた夢の中の想い人の姿を思い返して、苦笑する。
 態々、最後に見た姿で出てこなくともいいだろうに、と浅い息を吐く。
 ハイマで襲撃した時、真っ直ぐに伸ばされた立ち姿に、確かに固めていたはずの決意が揺らいだ。次いで、男が振り返った瞬間。目が──失われたとばかり思っていた、あの燭台の明かりに照らしたような瞳が──取り戻されていることに、確かに歓喜した自分がいた。抜き放たれた剣身。目が合い、一瞬躊躇いを写しながらも剣を振り抜いた姿に、殺したと思っていた感情が息を吹き返す。
 決して、嫌って別れたわけではないのだと、心底痛感した。
 強いて言えば、厭うたのは自分のこころであった。白くなだらかな瞼を閉ざして眠る男の、赤褐色の髪を手で梳きつつ、息の根を止める手段を探す自分へ辟易した。愛を囁きながらも、一方で自身の部下に対して男の殺害命令を下す己に反吐がでた。
 どちらに対しても、裏切りに違いない。
 瓶から手の平へ錠剤を二つ出すと、口の中へ放り込む。テーブルの上の水差しからコップへ水を注いで、咽喉の奥へ流し込んだ。
 剣を抜いた男の表情の中に、躊躇はあれども驚きや戸惑いが見て取れなかったことを、思い出す。
 人の挙動や振る舞いに鋭い男だ。彼の命を狙ってることには、とうに気付いていたのだろう。それでいて、此方から別れを告げるまで、何食わぬ顔で、何も知らぬ振りをしていた。別れを告げたときも、淡々と特に表情を変えることも、理由を問いただすこともしなかった。常と変わらない態度で、ただ一言、そうか、としか言わなかったのだ。
 痛み止めの入った瓶を、テーブルの上へ転がして、ユアンは長椅子の上へ仰向けに倒れこんだ。黒い胸当ての下で包帯に締められた傷が、裂くような痛みを発する。痛みを耐えるように一瞬眉根を寄せると、深く息をつき、室内灯の明かりを避けるように、腕当てをつけたままの右腕を、額へ乗せた。
「いや、気付いていた」
 気付いていたのだ。男──クラトスが、自身を殺そうとしている恋人の思惑に気付いているにも関わらず、それを黙認していることへ、ユアンは気付いていた。後ろ手に短剣を抜き放とうとする左手や、頬から辿るように撫で下ろされる指が首を絞めようと咽喉に掛かるのにも。クラトスは全てを感受しようと何も言わずにただ瞼を降ろすだけだった。
「全く以って、どうしようもない奴だな」
 私は。
 恋人を死なせるよりほか、道は無いのだと自分に言い聞かせた。部下達に危険な道を歩かせながら、一方で自身はオリジンの封印解放を躊躇い、無言で首を差し出していた男を、見てみぬ振りをしていた。
 そして今になって死を拒絶した男の姿に、喜びさえ感じているのだ。
 組織を率いるものとしてはあってはならないことであるし、かといって今まで自身の行動の指針としてきたものを捨て去る度胸も無い。
「本当に、どうしようもない男だ」
 ハイマで自分を斬った男の、躊躇いを見せながらも生存への執着を宿らせたあの真っ直ぐな目を見て。愛おしいと、感じてしまった。既に計画は動き出しており、今更止めることなど出来はしない。今を逃して他に手は無いと、部下達には言い聞かせてきたというのに。
 自分自身は、他の手はないのかと、考えてしまっている。
 どうにも半端な己の姿に、ユアンはもう一度自嘲して、首へ掛けている婚約指輪のチェーンを探った。


[幕切]


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